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June 14, 2004

「自宅出産」ブーム?

今日は午前中の講義がない日なので、遅くまで昨日の学会の疲れを癒すべく寝て、良い天気なので、この一週間ほどで貯まった洗濯物を処理する。

で、家事をしながらテレビを付けていたら、ワイドショーで面白い特集をしていた。それは、タイトルのように「自宅出産」の特集だった。この頃、病院でどんどん機械的に処理されるような出産を避けて、自宅で助産婦さんの力を借りて、夫や上の子供に見守られたりしつつ産みたい、という傾向が増加しているらしい。
実際、僕の友人で最近、自宅で夫と上の息子さんに見守られながら次男を産んだ研究者仲間(Kさん)もいて、彼女が「こんなに良いものなら、一人目も自宅で産むんだった」というメールをくれた。まあ、このワイドショーの特集も、その「成功例」ばかりを集めて放映しているので(当たり前だが)、ついつい「自宅出産って、自然で良いよなあ」というような気持ちにさせられる。でも、他の人の話によれば、やはり「難産だ」と判断され救急車送り、という事態も当然あるので、油断はできないとのこと(これまた当たり前だが)。
僕の高校時代からの友人のA君も、長男の出産に立ち会って(分娩室に入った、ということ)、ずっと付きっきりで、結構な難産で、最後は見守る彼の方が貧血を起こしてぶっ倒れてしまったらしいが(笑)、「めちゃめちゃ感動するで。お前等も子供が生まれる時は、付き添い出産しろ」とまだ子供のいない僕などにも「布教」してきたくらいだから、確かに感動的な場面ではあるのだろう。 

自然が一番、という思想は食や健康においてはある意味「メジャー」な価値観(一種のイデオロギー?)といっても良いかもしれない。さて、昨日まで僕は「宗教と社会」学会、という学会に出席していたが、そこでの発表でも、現代人の「緩やかな宗教性」といえば判りやすいと思うが、「スピリチュアリティ」という問題が盛んに論じられていた。「スピリチュアリティ」は簡単に定義できるようなものではないが、何となくその言葉を聞けば納得してしまいそうになる不思議な言葉だと思う。僕などは、今朝このワイドショーを見ていた時も「これも一種のスピリチュアリティかも知れないなあ」などと思ってしまうわけだ。玄米食にも、自宅出産にも、僕みたいな学者は、その当事者達がどう思っているかは知らないが、ついつい「スピリチュアリティ」なるものを、そこに見出してしまう。「分類・分析したがるのが学者の悪い癖であり、またそのようなカテゴリー化が一種の権力なのだ」なんて言われると実も蓋もなくなってしまい、それ以上議論できなくなるのだが、ちょっと考えさせられた。

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Comments

はじめて書き込ませていただきます。
私も、自然出産、自然食(ついでに精神世界)とハマりました。今はすっかり足を洗いましたが。宗教団体に入ったことないんで、宗教ってどんなものかわからないんですが、緩やかな宗教性と言われれば、思い当たるふしがあります。

Posted by: ずれちゃん | June 14, 2004 at 04:29 PM

ずれちゃんさん

こちらでは初めまして、ですね。コメントありがとうございます。

ついつい「宗教学者」と名乗っていると、自然食やら自宅出産の陰に、色々なものを深読みしちゃうんですよね。
ある学者さんによると、スピリチュアリティとは「超自然的な力や存在に自己が影響を受けている感覚」というのが、一番包括的な定義として言われたりしています。spirit(魂)が揺すぶられる感覚、というと何でも入ってしまって困りますが、とにかく「信じる」というような姿勢というよりは外の大きな存在に「揺すぶられる」という感覚が、現代人の「宗教心」を言い表すのには近いのではないかな、と自分自身の感覚からも思っています。

Posted by: 川瀬貴也 | June 14, 2004 at 06:15 PM

えっと、私の場合、自然食は自然育児にハマったのは、自分の力を感じたかったからだと思います。現代に生きる自分が失った力を昔の生活に戻ることで、取り戻せるんだ・・みたいな。無力な現在の自分を直視したくなかったんです。

タカヤさんの言われる「外の大きな存在に「揺すぶられる」という感覚」が、正しいスピリチュアリティなんでしょうねぇ。

Posted by: ずれ | June 15, 2004 at 09:04 PM

ずれちゃん様

>えっと、私の場合、自然食や自然育児にハマったのは、自分の力を感じたかったからだと思います。現代に生きる自分が失った力を昔の生活に戻ることで、取り戻せるんだ・・みたいな。無力な現在の自分を直視したくなかったんです。

なるほど。よく判ります。
「無力な自分」を自覚する、というのは、こういうスピリチュアリティにおいては大きな契機になると思います。
例えば断酒運動をしている「AA(アルコホリックス・アノニマス)」などは、「私はアルコールにすぐにぐらついてしまう弱い存在だ」という自覚を深めて(「12ステップ」というAAの思想の根幹をなす標語群)、自分よりの上の「ハイヤー・パワー」に身を委ねる「構え」を作るようです。
「無力な自分を直視したくない」ということは、現代人なら誰でもと思うのですが、どこかしら自分が無力であることを痛感していて、それを補償してくれるようなものをつい求めてしまうんだと思います。
あれ?これも一種の「スピリチュアリティ」の定義になっちゃったかな・・・。

Posted by: 川瀬貴也 | June 15, 2004 at 11:04 PM

>あれ?これも一種の「スピリチュアリティ」の定義になっちゃったかな・・・。
面白いですね。(^-^)

私の場合のその後なんですが、「無力な自分」を直視したくないときは、ことさらに「愛」とか「自然」とか布教(笑)してたんですが、もう自分の力ではどうしようもない経験をして(無力な自分を自覚せざるをえなくなって)、ハイヤー・パワー?(私の場合は運命みたいなものですが)に身を委ねるようになりました。それから布教(笑)はあまりしなくなりました。(笑)

長々と(自分の整理のため?)レスしてすみません。お相手くださりありがとうございました。

Posted by: ずれ | June 16, 2004 at 01:48 PM

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