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June 29, 2004

ヒトクローン胚作製容認について

先週の事件になるが、6月23日、総合科学技術会議の生命倫理専門調査会において、ヒトクローン胚作製を基礎的な研究に限り容認する方針を「強行採決」した。この事件について少し思うところをメモの形で書いておきたいと思う。

実は、この調査会には、僕の指導教官である島薗進先生が参加なさっているので、僕としても注目してきた(今回の採決に関して、島薗先生は反対の立場を取られている)。また、僕の大学時代のサークルの先輩も、医療社会学の立場から、この問題に関して深くコミットしており、僕は彼女からの「耳学問」で、色々な問題があることを教えてもらっている。島薗先生とその先輩が関わっているサイトからも色々教えてもらってもいるところだ。

ついでにいえば、人工生殖技術や脳死臓器移植問題、そしてこのクローン胚問題などの先端医療問題は全て、「人間はどこまでのことが(医療や幸福の名の下で)許されるか」という問題を突きつけているので、勢い「宗教的」な問題にスライドする傾向があると思う。これは宗教学者の僕の贔屓目ではなく、いくつかの教団は、それぞれの問題に対して教団としての声明を発表していたりする(大体がこのような先端医療に対しては「反対」「部分的に賛成」というような消極的な態度が多い。例外は「クローン技術」を積極的に教義に入れているラエリアンぐらいだ)。

まず、「強行採決」というまるで国会みたいな拙速さは誰の目にも「瑕疵」であるので、この点は問わない。問題はその内容である。
まずクローン胚のことから説明すると、これは卵子から核を取り除き、体細胞の核を埋め込むというもので、これはそのまま子宮に戻せば、体細胞提供者の「クローン」となるものである。それが細胞分裂を起こして、しばらくした段階が「万能細胞」即ち「ES細胞(embryonic stem cell)」と呼ばれるもので、様々な臓器に分化する直前の細胞である。つまり、この細胞を巧い具合に操作できれば、足りない臓器や損傷した臓器を補充できるということで、再生医療という分野で非常に期待がかかっているのだが(しかも遺伝的に拒絶反応の無い臓器が作れるわけだから夢のような話だ)、問題はその倫理性である。放っておけば「人」に育つ可能性がある細胞をある段階で「壊して」利用するというのが、ES細胞利用の根幹問題であり、これだけを聞くと「そんなことはやっちゃいけない」と感じる人も多いだろうが、問題はそれほど単純ではない。例えば、「それならば人工妊娠中絶はどうなのか」、という問題がすぐに立ち現れてくる。中絶は大丈夫で、ES細胞はダメという風には、なかなか言えまい。そこに一貫した「理由」を見出すのは困難であろう。逆に、「利用できるものは何でも利用してやれ」という考え方からは、中絶した胎児を使った実験やら、人工授精で余った受精卵(いわゆる余剰胚)の利用さえも冗談抜きで検討されたりもする(「どうせ捨ててしまうくらいなら、医学の進歩のために提供してくれ」という声に、どこまで抗えるだろう)。「人をどこまで利用して良いのか」という問題は、人間の尊厳とも関わって、我々の頭上に重くのしかかる問題だ。「ヒトがヒトを手段化するのに歯止めがきかなくなる。危険な一石だ」と島薗先生はおっしゃったらしいが、僕も同感。

今回の採決案では色々と条件や規制が織り込まれており、無秩序な生殖細胞の利用には繋がらない、とも言われているが、こういう問題は「最初の第一歩」が問題なのであって(まるでイラクへの自衛隊派遣のように)、その後は色々と理由付けがされて、結局なし崩しになる恐れがあると思う。

僕が思うに、この手の「先端医療」の一番の問題は、「金持ち」の欲望充足の医療となる可能性が大であるという点だと思う。実も蓋もないが、事実なのだから仕方がない。非常に不公平な医療だと思う。伝染病のワクチンが足りない、といっているような地域では、このような問題は起こりようがない。先進国だけの「贅沢」な悩みなのだ。
それと表裏一体の問題だが、経済力のない人が、自分の臓器や卵子を売る社会が出現してしまう恐れがある(もう一部は既にそのような社会は「実現」してしまっているのだが)。

そしてもう一つのやっかいな問題は、「幸福の追求」を他人が規制できるかどうか、という問題である。金をある程度持っている人が「俺の金を俺のために使って何が悪い」と開き直られては、こちらとしても何も言えなくなるだろう。臓器移植やES細胞利用はまだ問題が見えやすいが、様々な手段で「自分の子供(遺伝子的な意味での)」を持つことに一生懸命な人に「不自然だから止めなさいよ」と果たして言えるかどうか。そして遺伝子が操作できる時代には「デザインされた赤ちゃん」ということすら想定される(これは障害者問題と直結している)。

もう一つ、あまり男は考慮していないかも知れないが、卵子を取るための女性の負担という問題もある。ES細胞を作るのは簡単なことではなく、たくさん試してみて一つうまくいけば御の字、という技術レヴェルなのだそうだ(韓国における実験では、核移植のできるES細胞を一株つくるため に、242個の卵子が必要であったことが明らかになっているそうだ)。

こんな難しい問題には、判りやすい答えは出せないし、それを望んでもいけないだろう。ただ、自分に降りかかる可能性のある問題として考えざるを得ない時代に突入しているのだ、ということは自覚すべきであろう(妊娠中の健診で、羊水検査や血液検査などをさりげなく医者が勧める時代なのだ)。

(参考サイト)
中絶胎児組織の研究利用―アメリカでのモラトリアム時代(死亡胎児の利用をアメリカの事例を元に考察。信州大学玉井真理子氏)

「未受精卵」と「非受精卵」(上記同様、玉井真理子氏の解説)

生命倫理専門調査会(これまでの調査会での議事録などがpdfファイルで保存されている)

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Comments

その、「デザインされた赤ちゃん」を、完全無欠の美少年ヒーローにしたてあげて・・・と言うよりほとんどの主要登場人物を「デザインされた」存在=「コーディネーター」として描き、完膚なきまでに肯定しきったのが、例のトンデモガンダム「SEED」なのですよ。
もう、種世界では「普通の人間」=「ナチュラル」は婚約者寝取られたり、差別されたり、飽きたら捨てられたり散々です。
こんなことを平然と書いてのける、福田負債(福田監督と両沢女史)は、もしかして、ラエリアン・ムーブメントに傾倒しているのかもしれません、?

Posted by: umeten | June 30, 2004 at 01:37 AM

umetenさま
情報ありがとうございます。
そうかあ、僕は「ガンダムはファーストが最高。せいぜい「逆襲のシャア」までだ」という「ファースト世界原理主義者」(笑)なので、Seedは全く見ていないんですよね。よく考えたら、恐ろしい世界観ですね、これは。
監督がラエリアンのシンパかどうかはともかく(笑)、結構問題含みの設定ですね。このあたりからこの作品を批判した人はいないのでしょうか?

Posted by: 川瀬貴也 | June 30, 2004 at 02:45 PM

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