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July 29, 2004

「国際試合」ということ

インドア派の僕ですが、結構スポーツを見るのは好きで、昨日も早めに帰宅し、アジアカップ予選日本対イランを見てしまいました。場所は中国の重慶スタジアム。で、ちょっと試合とは別の部分についてになりますが、画面を見ていて思ったことを書きます。

この前の対タイ戦の時も思ったのですが、本当に日本チームは嫌われているなあ、と思いました。嫌われる、というのはある意味仕方ないと思います。前回のチャンピオンである日本は他の国々から結構厳しい視線にさらされる、ということもあるでしょう。相撲だって、横綱は圧倒的な強さが必要、なんていう割に、余りに強すぎると憎まれ役になったりしますもんね。でも、ちょっと重慶の中国人サポーターの態度は度を超しているような気がしました。最初見ているとき、「昔、日本は重慶を爆撃しちゃったもんなあ」くらいに思っていたのですが(戦争中に何度か日本軍は重慶を空爆しています)、日本チームがボールを持つだけでブーイング、ラフプレイで日本選手が倒されてタンカで運ばれると喜んでいるかのような拍手、というのはいくら何でも行きすぎだと思いました。

一応これは「国際試合」なんですから、余りに一方に対する露骨な態度はホスト国としては取るべきではないでしょう(もちろん、ブーイングを行っているのは一般の人で、行政側としては機動隊を用意するなど大変だったようですが)。
もちろん贔屓のチームがあっても良いと思いますが、例えば今度の北京オリンピックで同様なことが起きれば、世界中に中国の民度が疑われることになりかねません。それは余りにも哀しいし愚かしいことだと思います。また、中国サポーターのこのような態度は、日本のナショナリズムにある種の「正当性」を与えてしまいかねません(次号の『SAPIO』あたりが喜んで取り上げそうだ・・・)。
今朝、αstation(fm-kyoto)の佐藤弘樹さんの番組を聞いていると、佐藤さんが上記のことをニュースとして読み上げたあと、大体今僕が述べたような感想を言っていて、非常に頷くところがありました。

普段ナショナリズムに対して批判的な研究をしている僕のような者が、実は一番ナショナリズムに囚われている(理想の日本なるものを求めてしまうから)、ということも実感させられた夜でした(昨晩の僕は、まさしくナショナリストでした)。

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スポーツ」カテゴリの記事

Comments

どうやって測定したのかは忘れましたが、ある留学生(社会学)の研究で、日米韓でナショナリズム度を調べてみたら、日本が一番低かったそうです。

乳幼児死亡率が世界一低く、平均寿命が世界一長いこの国を、もうちょっと誇ってもいいんじゃないかと、私は思っています。

初めまして。
記事の本旨とは少しずれますが、僕は、ナショナリズムとは別に、健全な自国愛というのは存在するのではないか、と考えています。
KOIKEさんの書いたように、日本について誇れることは色々あり、また自国愛がなければ国の健全な発展は無いと思いますので。

様々な原因はあると思いますが、中国はナショナリズム過多、日本は自国愛過小の状態にあるような気がします。

ところで全く関係ないですが、私の姓も川瀬です。ちょっと驚きました。笑。

はじめまして。重慶について書いてみました。ちょっと長文ですが読んで下さったら幸いです。別記事で韓国についてもちょこっと書いてます。

皆様、コメントありがとうございます。

KOIKEさま
確かに、今の中国とかに比べれば日本は「ナショナリズム」度が低いと言えるでしょうね。日本がそれほどナショナリズムを必要としていない幸福な国である、という事かもしれませんね。

hiro32(川瀬)さま、はじめまして。
「ナベツネ」の記事へのへのトラックバック、ありがとうございました。
さて、僕も健全な愛国心、というのはあるとおもいます。逆に、一番有害なのは、過去の日本のような夜郎自大で、周りに迷惑しかかけなかったような愛国心だと思います。中国のために、中国の愛国心がそうならないことを祈りたいです。

ゆかりんさま、はじめまして。
お母様はしっかり「重慶」はどういう場所だったか、ということをご存知だったわけですね。まあ、どんな場所だろうが、守るべき一定の礼儀と言うのはあると思います。日本人が忘れっぽいのかどうかは知りませんが、例えば広島や長崎でアメリカ人だというだけで石を投げるような真似は到底許されないでしょう。そんな態度はあまり「生産性」がないと思います。

様々なブログを見ると、この中国のブーイングに対しての記事が多いですが、中国政府の陰謀だとか、中国人への人種差別的な根拠のない断定とかより、もっと「生産性」のある、つまり向こうを納得させる反論を練り上げていきたいものです。

ナショナリズム・反戦・国旗etc.周辺の議論を読んだり考えたりして思ったのですが、
日本人(いや、正確には日本のインテリのある層)は、自国に対する要求水準がとても高いということですね。同じ事をしてても、ガイジン・外国にはその基準を適用しないことさえある。日の丸・君が代反対の教職者たちがジーコに抗議を申し入れたという話も聞きませんし。
他国に厳しく自国に大甘なのがアメリカです(笑)。

日の丸・君が代反対の教師は自分に降り掛かることで手一杯で、ジーコに講義を申し込むような余裕もないんじゃないかな?ジーコが君が代の価値を高めた、ということではないしね。ちょっと次元が違う気がします。

自国に対する要求水準が高いのは悪いことではないでしょう。でも、ここでKOIKE君が言っているのは、どういう要求を高い水準で日本人のインテリは言っているのでしょうか。もう少し詳しくお願いします。僕はそれほど日本人が自分に厳しいとは思えないんだけど(笑)。

>他国に厳しく自国に大甘なのがアメリカです(笑)。

これは同感(笑)。最近では、やはりマイケルムーアの「華氏911」に対する保守陣営からの反応が笑えました(町山智浩さんのブログ参照。例えば下のリンク)。

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040703

そうなんです。「日本はケシカラン、イカン」と言ってるのと同時に、自分はどこかその「日本」というものから免じられているということが、まさに特徴なんです!

町山さんのブログはさすがでした。こういうのがあると、ネット視聴時間も長くなっちゃうね。

>そうなんです。「日本はケシカラン、イカン」と言ってるのと同時に、自分はどこかその「日本」というものから免じられているということが、まさに特徴なんです!

それはあるかも知れませんね。僕なんか、その典型かも(笑)。
でも、処分を受ける恐れのある教職員は、最早そういう「悠長」なことは言っていられないかも。

町山さんのは、左側の「お気に入りブログ」にも登録しちゃいました。

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