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« サッカー敗戦とナベツネ辞任 | Main | 今日は五山送り火 »

August 15, 2004

香山リカ『〈私〉の愛国心』を読む

今日は「終戦」記念日。
しかし、昨日「柔道」「女子サッカー」「冬のソナタ」(笑)とまるで受信料を取り戻すかのようにNHKを深夜まで見たおかげで完全に昼夜逆転生活。正午の黙祷のサイレンのあたりで目が覚める体たらく。戦死者の皆さん、こんな子孫で済みません(そういえば、ねこぢるのマンガで、戦死した「英霊」が日本の現状を見て「ああ、犬死にだった」というのがあったな)。

僕の後輩Tさんは靖国神社に見学に行く予定という携帯メールをくれた。宗教学者としてある意味真っ当な終戦記念日の過ごし方と言えよう。僕の妻も某集会(高橋哲哉先生や小森陽一先生が主催されている集会)に参加だと伝えてきた(夫婦揃って「反時代的」だなあ。確信犯だけど)。
僕は昨日買った香山リカさんの新刊『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)を読んだ。今日のような日に、こういう本を読むのも、まあまあな過ごし方かも知れない。その内容と感想をメモしたいと思う。

香山さんは前著『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)などでも、当今の若者を中心とした「ナショナリスティックな雰囲気」に注意を払ってきた(昨日の北田暁大さんのブログでも、この問題が取り上げられていた。若い連中の「保守化」は想像以上だ。大学で講義するのが恐ろしくなってくる)。つい最近だと、僕もついつい議論してしまったアジアカップなど、何等かのきっかけでナショナリズムが暴発してしまいかねない状況があると思う。そういうものを精神分析の専門家である香山さんが文明批評的に分析してくれている本だということで購入したのだ。

まず香山さんは昨今日本にはびこる(と言っていいだろう)「現実主義」「リアリズム」という言葉と、そう口にする人たちの主張に疑問符を突きつける。僕も何度かこのブログなどで言及しているつもりだが、「現実主義」というのが大抵の場合は「現状追認」でしかなく、彼らが「現実的な処方箋」と思っているもの(例えば改憲、教育基本法改正、少年法の厳罰化など)は実際には何等現実的な効果をもたらすものではなく、香山氏が言うように個人的な不安を大きな「物語」(典型的には国に関わることだ)に投影しているに過ぎないと、僕も思う。小熊英二さんが「癒しのナショナリズム」と名付けたのはむべなるかな、である。
香山氏の本の第2章は「自分以外はみんな「バカ」」というタイトルだが、昨今のいわゆる「バカ」本(有名人をあげつらって「あいつはバカだ」と溜飲を下げさせるような類の本)の隆盛を分析して曰く、

「私は負け組ではない」「私はバカではない」と確認するために、先に相手に対して「負け組」「バカ」というわけだ。ということは逆に、自分もいつ「負け組」「バカ」と言われるか、言われたらどうしよう、という不安が多くの人の中にあるのだろう。だから、企業の苦情係やサポートセンターのちょっとした対応に、「バカにしてんのか」と“逆ギレ”するのだ。(p.73)

と述べているが、その通りだと思う。その「バカ」本の最大のベストセラー『バカの壁』は、「バカ」本の中である意味唯一溜飲を下げさせることを目的としていない本なのだが、果たして読者がどこまで判っていただろうか。養老孟司先生は「相手を「バカだ」と断定して壁を作っちゃっているのはあなたですよ」と非常に挑発的に言っている凄く嫌味な本と僕には読めたのだが。
あと、この章ではいわゆる「クレーマー」についても書かれているのだが、僕自身、ちょっとした店員などの対応にキレそうになる自分を自覚するときがある(実際にキレたことはほとんど無いと思いますが)。僕の「内なるクレーマー」というのは確実に存在していて、その過剰な「被害者意識(妄想、に近いかも)」、裏返せば「自分は正しく間違っているのは相手」という思いこみは、対話を成り立たせず、不毛な罵り合いに終わらせてしまうだろう。精神医学用語では「病識」と言うが、自分は少しおかしいかも、と言う自意識だけは最後まで持っていたいものだと思った。「クレーマー」は病識のない「僕」なのだ。

さて、香山氏の「精神科医」としての今の世の中に対する見立ては、境界線人格障害(ボーラーライン)と呼ばれる症例が社会全体としても増えてきており、それがアメリカ、日本という「国レベル」でも観察できるというもの。この性格は、自我が脆弱で情緒が安定しておらず、「好き・嫌い」という感情で全ての関係を解釈しようとするのが特徴といわれる。別の言い方をすると「感情が事実にそぐわない場合、事実を感情に合わせて修正してしまう」(p.75)と言うことだ。例えば、香山氏も経験したと言うことだが、僕自身もありえるシチュエーションとしては、ある学生のレポートに対して、余りよい評価を与えなかったとする。するとある学生は「いい加減に書いたレポートだったからなあ」とか「川瀬先生は評判通り厳しい人なんだな」というような納得の仕方をせず、「僕が川瀬先生に嫌われているから、こういう評価になったのだ」と解釈してしまう、ということだ。こうなると「僕は可哀想な被害者」と言うところまであと一歩であろう。これは上記のクレーマーとも共通したメンタリティである。
このような境界線人格障害のような「感情の暴発」は、実は社会の至る所で見られると僕も思う。香山氏が挙げている一例は、ファミニズムに対するバックラッシュだが(最近も東京都教育委員会が「男女混合名簿」にクレームを付けた。そんなに「ジェンダーフリー」が恐ろしいのか)、僕が実際に体験したものとしては、いわゆる「自由主義史観」とか、歴史修正主義者からの「クレーム」である。最近では、あれはもう「感情」のレベルなのだから、何を言ってもなあ、という徒労感が前に出てしまうのだが、香山氏が言うように、

しかしアウトプットの形は違っても、これらはすべて「内なる不安を打ち消して、自分はだいじょうぶ、負けていない、と安心したい」という思いが分節化したものだと言えるのではないだろうか。(pp.91-2)

ということだと思う。

もう一つ、香山氏が挙げている精神医学的なキーワードは「解離」である。解離とは、その字面から判るように、心がバラバラになってしまうことで、例えば災害や犯罪に巻き込まれた人が、一時的にその衝撃を和らげるためにわざと自分に降り掛かったことを「他人事のように感じたり現実感を喪失する」防衛手段なのだが、これはあくまで一時的な「方便」であって、常にこのような「解離」状態が続けば、それは「病的」となり「解離性障害」となる。この状態が恒常的なら、その人の「人格の統合」が保たれていないのだから。
香山氏は自分の中の矛盾を矛盾と自覚できず、しかもそのことになんの疑問も問題も感じない人の実例として、人道主義者を自任しながら、下手をすれば怪しいと思われる精神障害者を半永久的に予防拘禁することを認めた「心神喪失者等医療観察法案」(香山氏はこの書の中でこの法律に対する反対を表明している)に賛成した国会議員や、憲法前文でたまたま目に入った「国際貢献」という言葉だけを全体の文脈から切り離して、イラク派兵の言い訳として恥じない小泉首相などを挙げている。こんなのは「新しいリアリズムの衣裳をまとった場当たり主義」(p.115)と香山氏は評するが、同感である。

さて、香山氏は続いての章でアメリカや日本を「精神分析」する。でも、精神分析するほどの複雑さは、残念ながら両国にはないのだ。特にアメリカはイエスかノーかの二者択一を迫る、あまりの陰影の無さが際だっており、「好きか嫌いか」「敵か味方か」の二分法はまさに「境界線人格障害」と呼ぶに相応しかろう、と述べる。
日本だって、えらそうなことは言えない。そしていわば先の見えない状況に「逆ギレ」した状態で渇望している「国の誇り」やら「日本のアイデンティティ」が果たしてまともなものかどうか。

さて、ボーダーライン的な特徴を持った人に対しては、「心から尽くしていれば相手も今に判ってくれるはず」という態度は御法度だそうだ(p.174)。優しくすればするほど相手は「じゃあ、ここまでやってくれるだろうか」と要求をどんどん上げていき、申し訳なさや後ろめたさを感じることが無く、しかも「こんなに尽くしてくれる人も、いつかは自分を見捨てるかも」という「見捨てられ不安」が逆に増大して、益々理不尽な要求を突きつけてくるそうだ。だから「いつも私、彼氏に結構無茶なこと要求して、それを聞いてくれるかどうかで本当の愛かどうか確認しているんですよね」とか、「恋のから騒ぎ」あたりでいっぱしの恋愛論をぶっているつもりの人は、実は立派なボーダーラインである。まあそれはともかく、ではどのようにそのような人には振る舞うべきか。「ここまでは聞くけど、これ以上は絶対に受け付けない」という限界を設定したつきあい(リミットセッティング)をするしかない。日本がそれをできるかどうかは香山氏もだいぶん疑問に思っているが、僕も即効性は期待できないにせよ、これが「現実的」な処方箋だと思う。

歴史をふり返っても、世界を見わたしても、日本がいま軍事力を備えた“普通の国”になるのは自然の流れだ、愛国心は日本人として自明の生理的感覚だ、などと歴史や社会を代表したかのような、主語なしの発言をするときには、ちょっと注意をする必要がある。(p.210)

というまとめあたりにある言葉は説得的だ。そういえば僕と「政治的」な問題で反対意見を言う人って、大半が「主語なし」の発言だったよな、と思い出す。「僕はこう思う」というのと「世間ではこうなんですよ」という会話では、そりゃかみ合わなかったはずだ、と反省。
ともかく、この本はなかなか考えさせてくれる本でした。おすすめ。

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Comments

よく似たテーマとして先月末に岩波新書で出た『安心のファシズム』も気になる本ですね。
両書で言及されている心情右翼に共通した心象風景は、「自分の中に欠けているモノを、他者に判断を委ねることで得ようとしている」ように見えるというところでしょうか。
いや、前にも書きましたけど、私自身の政治的な立場は右寄りなんですけどね。まあ、アメリカだと共和党左派なんでしょうけど、日本はもう中道右派ってどこにいるんだか……。

堺様

>アメリカだと共和党左派なんでしょうけど、日本はもう中道右派ってどこにいるんだか……。

僕も日本の「保守」って一体何、と思ってしまいます。どこにいるんでしょうか、日本の保守って・・・。心情右翼は論外ですし、自民党が言う「保守」というのも何を守っているのかよく判りません。
僕の考えは実は単純なものです。「夜郎自大なナショナリズムは世界から尊敬もされないし、日本の得にもならないから控えるべき」、ただこれだけです。でもナショナリズムは「感情」ですから、控えろと言ってもなかなか自分でも言うことを聞かないのですが・・・。僕も、昨日の深夜、オリンピックのサッカーを見ていて、「今日はイタメシ禁止」と心に決めているのですけど(笑)。

 ども、堺です。
『安心のファシズム』、読んでみたんですけど、こっちは香山さんの本と違って全然ダメでした。
 ものすごく古くさい反権力とテクノフォビアが全開で、今どきこの論旨でいったいどこの誰を説得しようというのか、という箸にも棒にもかからない、いわゆる2ちゃんで言うところの「サヨク」的書籍でした。
 社会の右傾化の背景には、当然のように左翼に対する支持の減少があるわけですが、こんなふうに世間から遊離するだけで、なぜ世間がそちらに流れているのか、どうすればそれを説得できるのかという視点のない本は役に立たないどころか、「ほら、やっぱりサヨは」とかって言われかねないので、むしろ害がありそうな気までしました。
 これなら、東浩紀さんのほうが現実をきちんと認識してるし、何が難しい問題なのかを把握してると思いましたね。扱ってる問題はものすごくかぶってるのになあ。歳の差なんですかねえ。でも、この著者の人、まだ45歳なのになあ。

堺様、コメントおよび情報ありがとうございます。
僕はまだ斎藤貴男さんの『安心のファシズム』を読んでいないので、ちゃんとしたコメントはお返しできないのですが、

>こんなふうに世間から遊離するだけで、なぜ世間がそちらに流れているのか、どうすればそれを説得できるのかという視点のない本は役に立たないどころか、「ほら、やっぱりサヨは」とかって言われかねないので、むしろ害がありそうな気までしました。そもそも、現在の右傾化および左翼の低調というのも、左翼が自滅して右翼が敵失に乗じた、という色合いが強いわけですし。

うーん、耳が痛いです。相手につけ込まれるようなことをいうと、それだけで確かに「敵に塩を送る」事態になってしまうので、問題ですねえ。
僕自身もなるべく多くの人に振り向いてもらうような「ものの言い方」を心掛けているつもりですが、知らず知らずのうちに作っている「バカの壁」があるので、届いていないかも知れません(笑)。

斎藤さん、『機会不平等』(文春文庫)は面白かったんですけどねえ。

お初にお目にかかります。

この記事をトラックバックさせていただいたporciusという者です。

今ライヴドアが障害を起こしていること等があり、3回ほど繰り返しでトラックバックしていることになっております。
ご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ないです…。

ライヴドアの方でRSSの再構築をすれば解消するかとも思うのですが、今どうやらメンテ中のようでそれも思うに任せません。
本日再トライしてみますので、しばらくお待ちいただければ幸いです。

しかも3回の投稿ともトラックバック用コメントの版が違ってたりして誠にお恥ずかしい限り…。

一応拙ブログには正式バージョン1コのみが出ていますので、ご興味があればそちらをご参照いただければと思います。

失礼いたしました。

porciusさま、TBありがとうございます。先程、ブログも拝見致しました。
ダブったトラックバックは、あとで直しておきますのでご心配なく。

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