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« 久保田早紀を聴きながら | Main | 日本橋となんばパークス訪問 »

September 24, 2004

独り祝杯(?)

今日の夕方、懸案の原稿の第一稿が上がり、それをメールで送信。とりあえず、「目の前の課題」は終了。少しは肩の荷が下りた。金曜の夜だし、どこかに行きたいところだが、一緒に行ってくれる人も思い付かず、独りでビール一杯だけ飲むことを決意して、自転車で一乗寺方面に向かう。

向かった先は「いるか喫茶」。以前ゼミのコンパで使ってから気に入っているお店だ。お酒は勿論あるし、食べ物のメニューも豊富だし、コーヒーも旨い。夜遅くまでやってくれている、という、よく考えれば申し分のない店だが、いかんせん、ちょっと大学から遠いので足が遠のいていたのだ。こんな店、自宅の近くにあれば入り浸れるのに・・・。

8時半頃到着。早速生ビールとつまみを頼みつつ、小難しい宗教社会学の本などを広げるが、ビールの酔いもあってさっぱり頭に入らず(読んでいたのはホセ・カサノヴァ『近代世界の公共宗教』玉川大学出版会)。しばらくすると読むことにも飽きたので、手持ちぶさたな僕は携帯メールで色々な人にメールをしてみる。まずはこの「いるか喫茶」を女の子との「勝負スポット」(笑)として利用しているらしい(W君のたれ込みによる)ゼミ生のM君に。

「M君へ。川瀬です。今独りでいるか喫茶に来ています。今月〆切の原稿完成を祝い、独り酒です。今日はM君、ここを「勝負スポット」として使っていないみたいだね」

というようなメールを送信。返信がなかったので忙しいんだろうなあ、と思っていたら、突然M君と同じくゼミ生のIさんがやってきて、結局スパゲッティをすすりながら3人で終電近くまでお喋り。何でもたまたま近くの別のお店にいたのだそうだ。寂しがり屋の僕が二人を呼んでしまったことになってしまった。
今日のお喋りで印象的だったのが、家族の話。M君、Iさんの故郷にいらっしゃるご家族の話とか、卒業後実家の方に戻るのか否かとか、etc。色々難しいこともあるようで、上手いアドヴァイスも思い付かず、宗教学者らしく口から出任せなのだが「家族はもしかしたら最後の〈宗教〉かも知れないね」などと言ってお茶を濁す。

人によって「最後の〈宗教〉」は色々だろう。恋愛だったり、会社だったり・・・。それを文字通り「墓場」まで持っていけるかどうかは、まだ判らない。僕がよく採用している機能主義的な宗教定義は、内容を問わないから、「本当に墓場まで持っていけるほどのものなんですか、それ?」というような質問に弱いよなあ、と酔っぱらった頭でぼんやり考えながら帰宅。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

たぶん、オタクの人は、自分の趣味こそが、墓場まで持っていける「宗教に代わる何か」なんじゃないんでしょうか。

特にわたしやわたしの友人・知人たちのようなディープなSFファンは、人生のかなり早い段階でSFと出会うことで、わりとわき目もふらずに一直線に自分の生き方を決めてしまってて、本来もうちょっと悩み多きはずの思春期もスコーンとすっとばし、ファンダムという疑似家族の共同体幻想を共有することで、ずーっと精神的な安定を得てるような気がします。

一時期、オウム信者とオタクの相似について指摘されてましたけど、似て非なるところはまさに一点「既成の宗教やイデオロギーの代わりに何を選んだのか」というところだけだと思うのですが、その差の根本には「人生に対する迷いの有無」というものすごく大事なものが潜んでたんじゃないかと。

要は、新興宗教選んじゃうってことは、それを「選ぶことによって人生の迷いを断ち切ろうとする」わけですけど、オタクみたいに趣味を選ぶっていう行為は「人生に迷いがない」から「趣味が選べる」んじゃないかなあと。この差って、些細に見えて実はすごく大きいことなんじゃないかと思うのでした。

いや、全然本筋とは関係ないんですけど、最近つくづく思ってることと合致してたので。
実は、mixiとかいうようなソーシャル・ネットワーキング・サービスをいくつか見て回っているんですが、その参加者の人たちを見ていると、実に多くの人が「人生の喜びをどこかに見いだそうとしてもがいている」のが見えてきて、「もっと趣味がしっかりあると、それだけで楽だろうになあ」とか思っちゃうんですよ。
もちろん、オタクといっても薄い人はダメで、しっかり自分の趣味に耽溺しきってないと、やっぱり精神的にグラグラしてる感じなんですが。

SFファンは強いんですよ。なんせFIAWOL(ファンダム・イズ・ア・ウェイ・オブ・ライフ)ですから、「墓場まで持ってく覚悟完了」てなもんで。実際、上の世代のファンはそろそろほんとに墓場まで持ってっちゃった人がちらほらいますし。

堺様、興味深いコメントありがとうございます。
実は今日、大阪の日本橋(堺さんもブログで触れられていましたね)に行って来て、(自分を棚に上げて)オタクについて色々考えて帰宅したばかりなのです(後で日本橋の件は、このブログでも書こうと思っていますが)。

>要は、新興宗教選んじゃうってことは、それを「選ぶことによって人生の迷いを断ち切ろうとする」わけですけど、オタクみたいに趣味を選ぶっていう行為は「人生に迷いがない」から「趣味が選べる」んじゃないかなあと。この差って、些細に見えて実はすごく大きいことなんじゃないかと思うのでした。

「迷いがない」というのは、当たっていそうですね。それがいいか悪いかは別にして(笑)。オタクって、勿論「堅気」の人から見たら色々「痛い」部分はあるかも知れませんが、人格的には予想以上に「安定した」人が多いかも知れませんね。確かに、今日日本橋で出会った皆さんも、迷いはなさそうでした。

オウムは以前、そのサブカル的な感性がやり玉に挙げられていましたが(空気清浄機に「コスモクリーナー」と名付けるような感性)、それはごくごく表層的なもので(僕はうっすらとそうは思っていましたが)、彼らは「オタク」にはなれなかった人たちなのかも知れませんね(色々な宗教をグルグルめぐる「宗教オタク」みたいな人がオウムの信者にいましたが、何故かられがその巡回をオウムで打ち止めにしたか、というのは真面目に考えなければならない課題だと思います)。

>いや、全然本筋とは関係ないんですけど、最近つくづく思ってることと合致してたので。
実は、mixiとかいうようなソーシャル・ネットワーキング・サービスをいくつか見て回っているんですが、その参加者の人たちを見ていると、実に多くの人が「人生の喜びをどこかに見いだそうとしてもがいている」のが見えてきて、「もっと趣味がしっかりあると、それだけで楽だろうになあ」とか思っちゃうんですよ。

mixiは、僕と堺さんの出合いの場でもあったわけですが、確かに、あのSNS内の雰囲気は、堺さんのおっしゃるようなものが見え隠れしているかも知れません。僕はそこまで深刻に考えてはいませんでしたが、あの中の「サークル(mixiではコミュニティといいます)」での会話、なかなかもどかしいところがあって、予想よりは世界が広がっていかないな、と感じています。人のせいにばかりするわけにもいきませんが。

>実は、mixiとかいうようなソーシャル・ネットワーキング・
>サービスをいくつか見て回っているんですが、その参加者の
>人たちを見ていると、実に多くの人が「人生の喜びをどこかに
>見いだそうとしてもがいている」のが見えてきて、「もっと
>趣味がしっかりあると、それだけで楽だろうになあ」とか
>思っちゃうんですよ。

私のいるSNS、GREEだともがいた挙句「お金(大上段に構えるなら資本主義)」もしくは「出会い」そのものの喜びという方向に流れていってるように見えますね。

mixiだともうちょっと違う傾向が出ているのでしょうか。

ところで、ちょっと迷ったのですが、僭越ながらGREEでリンク申請させていただきました。
本当にお気が向いた折で結構ですので、ご検討いただければ幸いです。

そうそう。もちろんすごく独善的だったりして、「社会的動物としてそれはどうなの?」ってところがあったりもするんですが>おたく。

ただ、逆に言えば、おたくというのは、変な宗教とかに走らないで精神を安定させられる、そういう「社会性」に馴染めなくてあぶれた人たちの救済でもあると思うわけです。

もっと一般的に考えても、人間、趣味を持つことはいかに大切か、ということをものすごく感じてまして。

たとえば、スポーツ選手とか学者とか政治家とか企業家とかの、優秀な一部の人たちというのは、やはりものすごく若い頃から人生に「迷いがない」んじゃないかと思うんですよ。
だから、10代で記録出したりプロになったり、すぱっと東大京大に入ったりするんじゃないかと。もちろん、根っこには「才能」というものがあるんでしょうけど、それを生かす方に進もうという「意志」が必要なわけですから。

でも、わたしみたいな凡人にはそんなのは全然望むべきもないことで、わりと皆、「人生とは何か」とか「生き甲斐とは何か」みたいなことで、こういっちゃ悪いのですが、かなり低いレベルで悩んだりしちゃってるような気がします。
mixiでよく見かける「自己表現したくてたまらないけど、どうやればいいのか、わかってない」ように見える若い人たちとか、最近よく言われる「定年過ぎて何していいのかわからなくなっちゃう」お父さんたちとか。

でも、わたしを含めて、周囲のSFファンは、もちろんそれぞれ人生に悩みはあっても、そういう根本的なところで悩んでる人はいないんですよね、そこにはSFがあるから。
まあ、自分が最近見聞きしている狭い範囲の例をあまり一般化しすぎてもいけないわけですが、ただ、やはり誰の人生にも「目標」みたいなものは必要で、でも、それはなかなか普通の人には設定することすら難しくて、だからこそ「趣味」とか「娯楽」というものが代替物として有効なんじゃないかと。
で、そこの隙間を埋める形で、ヘタに「宗教」や「イデオロギー」が入っちゃうと、異常な先鋭化が起こっちゃって危険なんじゃないかなあ、とも思っているわけなんですが、どないでしょう?

porciusさま

>私のいるSNS、GREEだともがいた挙句「お金(大上段に構えるなら資本主義)」もしくは「出会い」そのものの喜びという方向に流れていってるように見えますね。

実は、一応入っているもののgreeの方は幽霊会員なんですよね。ですから、その雰囲気がどんなものかはよく知りませんが、「出会い」そのもの、というのはmixiも同様だと思います。「お金」というのはどういう事でしょうか?閉じられたSNSの世界の中で「俺たち勝ち組だよね」とか言っているわけではないですよね?(笑)
あ、greeの方は先程リンクを受け入れさせてもらいました。これからもよろしくお願いします。

堺様

>たとえば、スポーツ選手とか学者とか政治家とか企業家とかの、優秀な一部の人たちというのは、やはりものすごく若い頃から人生に「迷いがない」んじゃないかと思うんですよ。

下手すりゃ、「変人奇人」扱いなわけですよね、そういう人は。「迷いがない」というのはもちろんいい面があるんですが、僕自身はまだ色々躊躇っていたいところです。色々迷うことも「誠実さ」の証である事もあると思うので。

>で、そこの隙間を埋める形で、ヘタに「宗教」や「イデオロギー」が入っちゃうと、異常な先鋭化が起こっちゃって危険なんじゃないかなあ、とも思っているわけなんですが、どないでしょう?

「趣味」といっても、身代を潰すほどのものになると、ちょっと困ったことになりますよね。そうなったら、いわゆる「宗教」や「イデオロギー」に殉じて身を滅ぼすことと変わらない。その境界線を引くのって、結構難しいことだと思います。ここまでは趣味、これ以上は「異常」というわけにはなかなか行きませんから(一般人からみたら、オタクやマニアはみんな「ビョーキ」なわけですし)。
僕は一応宗教学者ですから、僕なりの「宗教の定義」というのがあって、その一端をお話しすると、それは「今現在生きている世界とは違う位相の世界を尊ぶ姿勢」というのがやはり不可欠だと思います。「神」はもちろんですが、いわゆる「趣味の世界」というのも、現実世界とは少し位相がずれている世界だと思うんですよ。

追伸:
そういえば、関係ないんですが、今朝の朝日新聞の書評欄、山本弘さんと「トンデモ本」の作者である竹内久美子さんが載っていましたね。思わず朝から微苦笑してしまいました。この二人を同時に載せるとは・・・。

>閉じられたSNSの世界の中で「俺たち勝ち組だよね」

ところがするんですよ、その香りが。ぷんぷんと。
そういう視点から見ると別の楽しみがあります、GREEには。

その「香り」とはまた違うのですが、
鈴木謙介さんが、社会学者兼クラバーという立場から
GREEのイベントをコテンパンにのしてらっしゃいます。

http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=379

porciusさま

うーん、やっぱりというか、SNSってのはそういうエグゼクティヴ予備軍の繋がりを促すためにあるんだ、と開き直られると困っちゃいますが、僕自身は、そのパーティーの雰囲気が悪かったかどうかはさておき、名刺交換会になったというのは別に悪いことではないと思います。

最近、僕の下教え子のumetenくんが、SNS批判をブログで書いているのですが、結構首肯できます。

http://d.hatena.ne.jp/umeten/

僕としては、このブログにコメントを残してくださる皆さんと、SNSで「ご縁」ができたので、悪いものだとは思っていないのですが、それは僕がSNSを現実の仕事に生かそうというような気持ちが全くないからかも知れません。まあ、似た趣味の人とか、同業者とお近づきになれれば、ぐらいの気持ちしかないので。
「何が何でもビジネスに結びつけてやる」と思うと、生臭くなってしまいますよね、どうしたって。

堺さんって、SF(周辺?)で稼いでいらっしゃるんですよね。
なのに、なんでSFを「趣味」、あるいは「ファン」として定義づけられるんでしょうか。
わたしのような一週遅れの人間から見ると、SFファンダム世代の方はそれこそ「ものすごく若い頃から人生に「迷いがない」んじゃないか」と思えますし、ましてやそれを職業に出来た幸運な方においておや、と思います。
オタキング岡田さんのような自らの世代の特権化、あるいは小谷真理さんのワケのわからない下世代攻撃と相通じるものも感じてしまいます。
論争したいわけじゃないんですが、素朴にわからないんです。

>SNS

名刺交換会、まあ悪くはないのですが、それならちゃんとそういう看板を掲げなさいよ、もしくは別の場所でやりましょうよとやはり思ってしまうんですよねえ。
そういうブースがあってもよかったのかも。
まあGREE NIGHTには行ってないので何もいえないのですが本当は。

私自身、GREEというのは今迄の友と別の形の関わり方をする(例えばGREEがきっかけである友が主催している書評サイトの評者メンバーになったり、等)のと、なによりグループ登録で自分の趣味などの棚卸をしているのと2つの意味がありますね。

mixiに移籍するかどうかは別として、今後も続けていくでしょうSNS。

SNSは、2ちゃん肥大化時代に、やっぱりみんな実名(というかコテハン)でやりとりしたかったのね、という感じですね。
ケータイにしろネットにしろ、そこにあるのは誰かとつながっていたいという欲求なわけですよね。で、別にそれが自己目的化しても全然おかしくはないわけで。
10年続いてるプリンスのメーリングリストがありますが、目的的なやりとりだけでなく情緒的なやりとり(おしゃべりのためのおしゃべり)が適度に続いてる方が長続きしてますね。
パソ通時代から、コンピュータネットって私にとってはそんなもんでした。息抜きであり遊び。

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