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October 31, 2004

確認したいこと

イラクの人質事件、どうも最悪の結果となったようです。政府の発表が二転三転したので、どうなっているのかと思っていたのですが(ソウルでもNHK衛星放送は見ていました)、空港から京都に向かう特急列車の中で、その結末を電光表示で見てしまいました。

僕がこの事件に関して言いたかったことは、ソウルへの出発直前に拝見したガメ様のブログでほとんど言い尽くされていますから、屋上屋を架すようなことになるかも知れませんが、簡単に、自分なりに「確認」だけしたいと思います。

まずは、政府というところは、国民であれば、その人がどんな思想信条、もしくは信仰を持っていたとしても、それを理由に、危機に陥ったその人を見捨てたり、「自業自得だ」などと言ったりする事は許されない、ということです。余りにも自明かも知れませんが、前回の人質バッシングを僕たちはもう知っていますので、もう一度しつこいかも知れませんが、確認したい。前回の事件で、我々は政府首脳の多くが実は、「従う者だけ助けてやる」という恐るべき思想の持ち主であることを見てしまいました。このような考え方は、端的に「憲法違反」でもあることを確認したいと思います。思想信条で差別しているんですから。

ついでに言うと、ある政治家が「憲法が邪魔になって、自由に行動できない」などと言っていますが、これは考え方自体が間違い。憲法はまさに、国家の恣意的な行動を掣肘するための法なのです。こんな基本中の基本も判っていないのは、政治家として本当はおかしいのです。憲法ですら邪魔者扱いするようなメンタリティでは、「邪魔になる人間」は見殺し、と言うのも、ある意味理の当然かも知れません。

もう一つ確認したいことは、やはりテロリストは非難されるべきであるということ。アメリカやそれに追随する日本の愚かさがテロリストの愚かさをチャラにする、なんて事はないと思います。

もう一つ。彼の無鉄砲な行動は、どう贔屓目に見ても、愚かとしかいいようがないのも事実です。しかし、それでもって、鬼の首を取ったように、無関係の人がご家族をぼろぼろにする権利はないことも確認しておきたいともいます。これではまるで大昔にあったような、一族から一人犯罪者が出たのでその一族が皆殺し、というのと等しいではないですか。彼がもし生きて帰国したなら、それなりに責めはあったでしょう。そして今回、「自業自得」ともしも言うなら、その代償は、彼は自らの命で既に払ってしまいました。これ以上彼(及び彼のご家族)も「ない袖は振れない」と思います。

簡単ですが、メモしておきます。

October 30, 2004

ソウルそぞろ歩き

学会から一夜明けて、今日は一日オフ。折角ソウルに来たのだから、久々に色々歩いて、研究書なども仕入れようとの魂胆だ。

まずはゆっくり朝起きて、ホテルの周りの安い食堂を探し、適当に入ったお店で「テンジャンチゲ定食(味噌汁定食ですな)」を注文。朝から辛いテンジャンチゲを食べて、眠気と昨日の酒が吹っ飛ぶ(気がした)。しかもこの店、その時客は僕一人だったのだが、僕の目の前で夫婦げんかを始めやがった。気の弱い僕は気が気ではなく、早々にここをあとにした。

まず向かったのは、江南(カンナム)の「高速バスターミナル」駅。同僚の井上先生から、ここにある永豊文庫(韓国の大手書店)の新しい店は品揃えが良いと聞いていたからだ。ということで、地下鉄に乗ってそのお店に行くと、確かに広くて大きい。最初は「ここで買うと、あとで身動きが取れないからなあ」と思って控えめにしようと思っていたのだが、本屋さんでは一度火がつくと止まらない僕(普段の生活では色々躊躇しまくりですが)。結局ここで大きめの学術書を7冊ほど買って、まさに身動きが取れなくなってしまった(マジで指がちぎれるかと思った)。軟弱な僕は早速宿に戻り、これらの本を置いて再出発する事を決意。出発してから3時間弱で宿に戻るという体たらく。

宿に戻って、本を置いて再出発する頃、ちょうどお昼時だったので、目の前にあった中華料理屋で、懐かしの韓国「ジャジャン麺」を食す。韓国ではポピュラーな麺です。

jjajangmyon.jpg
(全く辛くないので、辛いものの苦手な方にもお薦め)

その後僕が向かった先は、「韓国の秋葉原」と呼ばれている龍山(ヨンサン)。ちなみに、僕が20年ほど前、ソウルで住んでいたのはこの近く(龍山区二村洞)。もちろん、そのころと比べるのが大間違いなのだが、数年前と比べたって、この龍山の変貌は目を見張る。何でも、ターミナル駅として最近改装されたんだとか。駅の向こうに、様々なお店がひしめくビルが見える。あれ、なんか変なものが見えるなあ。ここは日本橋じゃないんだし、そんなはずは・・・。

yongsan01.jpg
(龍山駅から見た電気街)

さあ、近づいてみました。やはりガンダムです。このビル(電子ランド)には、この前僕が訪問した大阪日本橋の「GUNDAM'S」同様、ガンダムグッズばかり置いている店がありました。

yongsan02.jpg
(ガンダム及びバンダイの伝染力恐るべし)

で、ちょっと思い出話を話せば、僕は小学生の2年生から5年生の始めまで韓国のソウルにいたのですが(父が某銀行のソウル支店に勤務していた)、そのころの日本は、まさに「第一次ガンダムブーム」でした。つまりガンダムのプラモデル、いわゆるガンプラブームでもあったわけですが、僕が確か小学3年生頃(1980年頃)、韓国の文房具屋に、既に韓国製(だったと思います)のガンプラが売られていたのが思い出されます。僕たち日本人学校の生徒はそれを喜んで買ったと思いますが、塗装などはできなかったので、帰国しては韓国には売っていない種類のものや、塗料用具などを買い込む(もしくは友達に頼んで買ってきてもらう)ということをしていたと思います。考えてみれば、日本文化開放などまだまだだったこの時代、そのころ、韓国人はアニメのガンダムを知らずにガンダムのプラモデルを買っていた可能性もあるわけで、実はそのころから、このビルのような事態は準備されていたのかも知れません。以上、思い出話終了。あ、もう一つついでに言うと、アニメに関しては昔から日本からこっそり輸入していました。ガンダムに関しては確認していませんが、僕自身はアトムやらマジンガーZの韓国語版を見た記憶があります。

さて、「韓国の秋葉原」といわれるだけあって、家電やコンピューターショップは本当に多いですが、今の秋葉原を代表するもの、そう、つまり「オタク」な方面はどうか、というのを確かめに行ったわけですが(結局それかい!)、結論から言うと、確かにあることはあったけど、大したことはなかった、というのが正直なところです。その手の一番の先進国から来ているんだから、こうした感想を持つのは当然かも知れませんが、多分、決定的に韓国の龍山になかったのは、いわゆる「エロ」です。今も規制の厳しいお国柄、ちょっとやそっとではこの辺りはブレークスルーしないようです。

で、マンガ方面でもいまだに日本はトップを走っているわけですが、最近の韓国では、以前のような海賊版やパクリとは違い、ちゃんと版権を獲得して翻訳して日本のマンガを紹介するようになりました。そして見つけたのは、あずまきよひこの『よつばと!』韓国語版です。何で買ったかというと、韓国語の勉強になるから、という取って付けたような理由もありますが、韓国版限定のノベルティがついていたからです。一巻の表紙を使った簡易バッグでした。

yotsubato01.jpg
(戦利品?ハングルで「よつばと」と書いてある)

でも、このバッグはさすがに使えません。宿に帰ってから、韓国語版をパラパラ見たのですが、なかなかマジで勉強になります。色々意訳もしているようですが、例えば「かなづち(泳げない方の)」を韓国語では何というかが判りました。「ビール瓶(メクチュビョン)」というのです。いやあ、勉強になるなあ。←強引

夜はせっかくのソウルの夜だから、というので、観光地の定番の仁寺洞(インサドン)に行ってきました。結局何も買わなかったけど。当然日本人観光客も多かったです。

insadong.jpg
(陶磁器や骨董品や工芸品の道筋です)

で、夕食は、昨日の暴飲暴食を戒めるために、牛のテールを煮込んだ白濁スープの「コムタン」を食べる。独りで食事して様になる韓国料理は、残念ながら、こういう「スープ+ご飯」系か「ビビンパ」くらいしかないように思う。焼き肉なんかは独りで食べるもんじゃないですからね。

komtang.jpg
(胃に優しく、やはりうまかった)

でも、その後何となく最後の夜に一杯飲みたくなって、ホテル横のスーパーで、缶ビール一本と僕が昔から好きな「エース」というクラッカーをつまみとして買って帰る。あわせて約W2000也(約\200)。

hiteace.jpg
(安上がりな僕)

風呂上がりのビールを飲みつつ韓国のテレビを見ていると、それは芸能ニュース番組で、イ・ビョンホンやチェ・ジウが日本で爆発的人気、というニュースを流していた。
翌日の出発便が早かった(朝の10時発)ので、そのまま日付が変わる頃には寝てしまう。ぐーっ。

October 29, 2004

東学学会で発表

今日は今回のソウル出張のメインイヴェントである「東学学会」が開催された。

「戦の前の腹ごしらえ」と行きたいところだったが、少し緊張のためか食欲があまりなく、宿泊したホテルの目の前には確かドトールコーヒーの支店があったはずだから、そこでパンとコーヒーで済ませようと、下に降りてみると、確かにコーヒーショップはあったのだが、あれ、なんか変だ、ちょっと「ドトール」とは違うような・・・。

dotori.jpg
(ドトリ?)

4年ほど前、ここでコーヒーを飲んだときからずっと憶えていたのだが(当時韓国では美味しいコーヒー店が少なく、ドトールの支店は僕にとって貴重な存在だった)、あれは僕の幻だったのか、それともオーナーが変わって、微妙に名前を変更したのか・・・。
ちなみに言うと、今回驚いたことの一つは、ソウルの中心街でのスターバックスなどのコーヒーショップの増加ぶりである。驚くぐらいスタバがあります。ああ、グローバリゼーション・・・。

落ち着かない気持ちのまま朝食を終え、宿舎に林泰弘先生が来てくださり、二人で9時半頃会場の「韓国プレスセンター」に到着。今回僕は少し林先生に甘えて、日本語で発表して、林先生にその場で通訳してもらう、ということにする。ちなみに発表題目は「東学・天理教・大本の神観念とその思想」というもの。これは、東学学会本部から「日本の新宗教、特に天理教との神観念の比較をしてくれ」というリクエストに合わせたもの。僕のコメンテーターは、以前日韓宗教学者の交流シンポジウムで何度もお会いしたことのある高建鎬さん(今は韓国精神文化研究院にお勤めなんだとか)。知り合いがコメンテーターと言うことで、少しはリラックスできた。

happyoumae.jpg
(発表前で緊張しています)

発表内容を要約すれば、19世紀に発生した日韓の新宗教に通底する特質を考察したものといえばいいだろうか。シャーマニックな神懸かりからスタートしたのも共通点であるが、僕が今回の発表で強調したのは「民衆救済の思想」「初期教典に見る排外的な姿勢」などである。
発表自体は、まあうまく行った方だと思います。厳しい質問や叱責は飛んでこなかったし。70代、80代の天道教関係者のお爺さん方から「いやあ、あんたの日本語は聞きやすかったねえ」という誉められ方をされてしまった。どんな誉められ方なんだか(笑)。日本語のうまい韓国人には、星の数ほどお会いしているが、こういう植民地時代の教育を受けた方を目の前にすると、植民地時代の研究者としては、色々複雑な思いが去来する。

2004donghak.jpg
(発表者と学会関係者と記念撮影)

しかし、実は驚くべき偶然があったのだ。というのも、同じ日、同じ韓国プレスセンターの、僕が発表していた真上の階で、韓国の仏教系新宗教である「円仏教」がシンポジウムを開催しており、そこでは(僕が尊敬してやまない)安丸良夫先生(一橋大学名誉教授)が講演をなさっていたのだ!!そこには、安丸先生の教え子で、僕もいつもお世話になっている李元範先生(僕をいつも釜山に呼んでくださる先生)や円光大学校の、「日韓宗教フォーラム」でずっと一緒にやってきた先生方も・・・(梁銀容先生や金洪喆先生も)。要するに、真上で知り合いが何人もひしめいていたのだ。当日までお互いに同じ会場であることを知らずに、お互い苦笑する(ちなみに僕は、会場の場所などは昨日聞きました。韓国らしいといえば韓国らしいのだが・・・)。
これだけでも驚くのに、そのご講演の内容が、僕の発表と大分かぶっている・・・。いや、この言い方は順序が逆だ。僕は今回の発表で、天理教だけではと思ったので、最近個人的に興味を持ちつつある大本(教)についても知ったかぶりを書いたのだが、結局はこの方面の第一人者である安丸先生の先行研究を参考にしまっくた(『出口なお』や『近代天皇像の形成』)ので、内容がかぶるのは完全に僕の側のせいである。「川瀬君はどんな発表したの?」となどと安丸先生がお聞きになるので、まさに穴があったら入りたい心境だった。「悪事千里を走る」とか「天網恢々疎にして漏らさず」などのことわざが脳裏をよぎったのは言うまでもない。ああ、聞かれなくて良かった・・・。

夜はまず、東学学会の方々を夕食と懇親会。これは早く始まり早く終わってしまったので(5時過ぎに始まり、7時半にはお開きになってしまった)、僕と林先生は、円仏教主催のパーティー会場に行き、安丸先生とその一橋時代の韓国人のお弟子さん達と合流し、夜遅くまで歓談。僕と林先生は、安丸ゼミの韓国人同窓会にお邪魔した格好だ。安丸先生は韓国人留学生をたくさん指導してこられ、その方々が、先生がソウルにいらっしゃるというのを聞いて、韓国各地から参集したわけだ。師匠を大事にするお国柄とは言え、これは安丸先生のご人徳のたまものだろう。
東学学会の懇親会ではお爺さま方から焼酎をどんどん勧められて断れず、この安丸先生を囲む会でもビールをぐいぐい飲んでしまって、千鳥足でホテルに帰る。

October 28, 2004

久々のソウル

今日、久々にソウルに到着。「東学学会」という学会で、発表する(させられる)ためだ。

実は、韓国研究者の端くれでありながら、この数年はソウルに来ていなかった。というのも、主な理由は、釜山に僕の「先輩」にあたる先生がいらして、その人に呼ばれるときはいつも釜山だったし、それ以外でも、空港から例えば学会会場に出迎えのバスで直行、というパターンが多かったので、仁川国際空港から独りでソウルに直行というのは初めてだったのだ。
「この番号で良いんだよな」とおそるおそる「602番(清涼里行き)」というバスに乗り込み(W7000)、宿舎に向かう。宿舎は鍾路(チョンノ)というソウルの中心街にある「ソウル観光ホテル」。以前にも泊まったことがあるので、僕がそのままこのホテルに直行し、そのロビーで、今回僕を呼んでくださった林泰弘(イム・テホン)先生とお会いすることにする。
林先生は東大で博士号を取られた方で、東アジア三ヶ国の宗教思想がご専門。明日開かれる「東学学会」の「東学」とは、以前は「1894年の東学党の乱」と憶えさせられた、あの「東学」である(今は「乱」とは言わず「農民戦争」というのが普通。韓国の学会では「革命」という人もいるけど、僕は普通に「農民戦争」で良いと思っている)。林先生も僕も東学研究をしているので(僕は修士論文で少し扱った程度だが、林先生はまさにその専門家中の専門家)、そういう縁もあり今回呼ばれたわけだ。そこで、まず鍾路の奥の方にある天道教(東学の後身)本部へ向かう。僕もここを訪ねるのは久しぶり。その時は外から眺めただけだったが。本部には、植民地時代に造られた建物が、今も健在。その前で記念撮影。

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(設計者は日本人。ぱっと見にはカトリックの教会と間違える人もいるかも)

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(門の前で記念撮影)

そして林先生とそのまま繁華街として有名な明洞(ミョンドン)の方に行き、僕のリクエストで、「参鶏湯(サムゲタン)」を食す。知っている方も多いだろうが、この料理は鶏を丸ごと一羽使って煮込む料理で、その鶏の中にはお米や高麗人参などが詰まっていて、よく夏に、日本で言えばウナギのようなノリで食べるそうだ。僕は今回の旅行では、日本ではなかなか食べられない、いわゆる「スープ系」の食事をしようと思っていたので、これはその第一歩。

samgetang.jpg
(久々のサムゲタン。辛くない白濁スープ系の料理も、実は韓国には多い)

そして、徒歩で宿舎まで帰り、明日の発表場所である「韓国プレスセンター」(ソウル市庁の前にある)の位置を確認して帰投。そのまま風呂に入って就寝。

October 27, 2004

プチグルメツアー

朝、目覚まし代わりのFMを聞いていると、またイラクで武装組織が日本人を拉致して、自衛隊撤退を要求しているというニュースが耳に入って来た。うーん。小泉さん及び政府のやり口は最早判っているが、一旦「引く」事も重要だと思う。とにかくご無事を祈る。

さて、今日あたりから京都は急に寒くなった。いよいよ本格的に衣替えの季節。冬用のスーツを取り出さなくちゃ。
季節の変わり目のせいで、体調を崩す学生も多し。今日の午前中の大学院ゼミも、半分が休んだので(5人中3人休んだ)、今日のゼミは自然休講(今日の発表は再来週に持ち越し)。
出席してくれた学生とちょっと喋って、その後は自転車で遠乗りして昼食を食べに行く。

今日、狙いを定めたのは、以前散歩途中で見つけていたそば屋さん。鞍馬口通りを西の方(建勲神社方面)に行ったところにある「手打ち蕎麦かね井」というお店。僕が入ったときは、お客はお上品な奥様連3人連れと僕だけ。こういうそば道場系のお店では、やはり初めての時は「ざる」を頼むのがセオリーだろう、などと自分で格好を付けて、ずずっと食す。結論から申しますと、美味しかったです。そば湯も濃厚で良かった(そば湯って、濃厚だと何故か嬉しい)。ただ、こういう店では仕方ありませんが、量は少なめ。やはりつまみを取りつつ、酒をちびり、そして締めに蕎麦、という遊び人コースをやりたくなります。しかし真っ昼間だし、午後から講義もあるし、そういうのは断念。
実は、京都に来てからうまい蕎麦屋(特にざるがうまい店)を探しているのですが、これがなかなか見つからない。やはり関西はうどん文化圏だしなあ、と思っていたのですが、じっくり探すと、今日のお店のようなところもちらほらあるようです。もっと探さねば。僕は生まれ育ちは大阪ですが、東京暮らしで、蕎麦に目覚めてしまったクチです。

そして、フラフラと鞍馬口通りを東に向かって大学に戻る途中に、わらびもちで有名な「茶洛」というお店にのれんが掛かっていました。実は、以前妻と夏休みに京都を散歩したとき、ここに寄ったのですが、既に本日の分は売り切れ、となっていて悔しい思いをしたのです。で、妻には悪いのですが「これはチャンス」とばかりにお店に飛び込み、10個入り(\750、ニッキ味と抹茶味が5個ずつ)を購入。それを持っていそいそと自分の研究室に帰還。
早速緑茶を入れて、「うーん、なんか今日は贅沢だなあ」などとひとりごちながら、パクリ。う、うおー、うーまーいーぞー。このわらびもちめっ!!(ここは『ミスター味っ子(もちろんアニメ版)』の味皇様になりきって叫びました)
まず、特筆すべきはその柔らかさ!!フォークだとぽろぽろ崩れてしまいそうです。口溶けが良い。あっさりです。逆に言うと、歯ごたえとか弾力を求める人には物足りないかも。
次は色ですね。茶色のニッキ味のと、緑色の抹茶味のが並んでいると、樹木のような自然なコントラストで良いです。抹茶きなこのほろ苦さもグッド!こんな美味しいものを独りで独占するのは気が引けましたので、卒論相談にふらっとやって来たHさんに「君はラッキー」と振る舞って差し上げる。Hさんも「美味しーい!!」と喜んでくれた。

というわけで、昼休みだけですが、ちょっとしたプチグルメツアーでした。

さて、僕は明日から韓国出張です。「東学学会」という学会で発表して参ります。さっき「Yahoo!Korea」で「東学学会」と検索してみると、なんと僕の名前まで出てきてびっくり。お暇且つハングルが多少読める方は、「東学学会」と「かわせたかや 」というハングルを探してみてください。

October 24, 2004

サブカル三昧(?)

この土日は、ネットに繋がず家でおとなしく過ごす(珍しいことだ)。せいぜい自転車でラーメン屋に行ったり、ブック○フまでマンガを「狩り」(笑)しに行ってしまったくらいだ(その成果は後述)。

で、家で何をしていたかというと、枕元に積ん読状態になっていたサブカル、もしくは軽めのエッセイ集などをまとめて読んでいた。ネットに繋がないと、本は読めるものですね。反省。ネットに繋ぐと、主にこの頃は人のブログを巡回してしまい、「活字中毒」の症状がそれによって抑えられて(要するに疲れ果ててしまって)、本自体を読む測度が落ちてしまっているのが、自分でも判る。それでは読んだ本とその感想を簡単に羅列してみたいと思う。

・野平俊水・大北章二『韓国の中のトンデモ日本人』双葉社、2004。
このお二人は以前には韓国の「トンデモ本」を紹介する本を書いていたコンビだが(『日韓戦争勃発!?』文藝春秋、2001)、今度のは韓国の映画やドラマ、そしてアダルトビデオにでてくる「ちょっとそれはあんまりだろう」といいたくなるような日本人像にツッコミを入れまくる本。論旨は明快(過ぎ)。一連のと学会の「トンデモ本」同様、笑いながら、ちょっぴり真剣になるきっかけを与えてくれる。

・北原みのり『ブスの開き直り』新水社、2004。
ラブ・ピース・クラブの北原さんのエッセイ集。僕にとっては「友人の友人」にあたる人だ。このグループの活動は共感を覚えることも多いので、このエッセイ集も購入していた(ほとんどウェブで読んでいたが、加筆もされていたようだ)。で、全体の感想だが・・・うーん。難しい。というのは、彼女の「格闘」は、結論を出すためのものではないからだ。今回のエッセイは「風俗」体験などを中心に「女の欲望のありか(あり方)」を巡る葛藤だと僕は(勝手に)解釈したが、例えば「女からセックスを求める」という主体的なあり方が、社会的なコードでは「ヤリマン」というように読み替えられてしまう、ということは考えられることだ。そのようなコードに抗うにはどうすれば良いのだろうか、というのを北原さんなりに格闘しているように見受けられた。
彼女のエッセイは、読んでいる我々も「じゃあ自分はどうだろうか」という問いを否応なく引き受けざるを得なくなるので、まず読んで「すっきり感」は得られない。もし、彼女が格闘している対象が単純明快なものなら、フェミニズムの問題なんて、10年そこらで片が付いているはずだ。しかも、これを読む僕などは「フェミに一定の理解があるように見せかけているかも知れないヘテロの男」というポジションだ(そういう男としての苦悩も僕としてはいいたいときもあるのだが、「そういうことはなるべくいわない」という男の美学により、ここでは割愛)。めんどくさいもんだ。
北原さんの苦悩が、僕などに判られたり同情されたりというのが、どういう意味を持つかは、わからない(知ったこっちゃない、という意地悪な言い方だって可能だろう)。でも僕などは、「いつの間にかフェミニストの周りにうろうろしていた男」という中途半端な「当事者」となってしまっているので、これからも迷惑かも知れないが、北原さんの苦悩の軌跡は追いかけさせてもらう所存(ストーカーではないけど)。

・大塚英志編集『comic新現実』
ついつい買っちゃってましたよ。一番の目当ては「安彦良和vs大塚英志」という対談だったのだが。あとは、みなもと太郎先生のインタビューや(僕も好きなあすなひろしの復権運動のトップを切っている方だし、『挑戦者たち』という新刊も手に入れていた)、特集の「かがみあきら」も気になっていた(かがみあきらは、早世した美少女マンガ家。永野のりこなんかもオマージュを捧げていたなあ)。
で、一番の目当ての対談なのだが・・・。結論から言うと、大塚さんが安彦さんにからんでいる(甘えている)ようにしか見えなかった。特に、僕が「これはちょっと」と思ったのは、いわゆる大塚さん得意の「世代論」からの物言いである。典型的には「あんたたち全共闘世代が云々」というようなものだが、自分の先行する世代に、今我々がかぶっている「負の遺産」の責任を全て帰するというのは、少なくともフェアじゃないと思う(大塚さんはそこまで言っていないかも知れないが、活字からはそういう印象を受けてしまった)。前の世代の犯した「愚行」があったとしても、それを断ち切ったり、改善したりする権利と自由と主体性は後続の我々にあるはずだと、僕は単純に思っている。「いつの間にか背負わされている」負の遺産、例えば「戦争責任」などにしたって、「じいさんがやったことで俺はしらねえよ」とは言えないのと同様、過去からの繋がりを否定することは事実上できないと僕も思う。でも、上の世代を非難しているだけでは事態は一歩も進まないであろう。
全共闘世代からの負の遺産がなんだか僕は知らないが、「安彦さんはこの国のために何かやっているんですか」とナショナリストとしてからむ大塚氏に、ちょっと違和感を抱いてしまった。安彦さんが言うように、「僕はマンガ家(作家)だから作品を書くだけ(それこそが僕の「運動」なのである)」という主張は、正しいと思う。特に安彦さんは僕も愛読する『王道の狗』(近日白泉社から増補されて出版)など、優れた作品をものしている。この作品から僕の心意を読み込めという言い方は作家としては「あり」だと思う。

さて、ブックオ○で「狩った」本だが、上記の『新現実』に合わせるべく、というのではないのだが、安彦先生の本を大量にゲット。まず、友人に貸して(恐らく北○君や健○さんに貸したまま)返却の目処が立たなくなった『虹色のトロツキー』全8巻が、一冊あたり105円で野ざらしになっていたので、迷わず購入。ついでに、高校時代、確か亀○君に借りたと思うのだが、『クルドの星』全3巻(徳間キャプテンコミックス)、もゲット。あの時代にクルドに着目していた安彦先生の慧眼には恐れ入る(残念ながら物語としてはいまいちなのだが)。
あとは水樹和佳(子)の『エリオットひとり遊び』とか、諸々の少女マンガを数冊。

という感じで、柔らかめの本ばかり読んで鋭気(?)を養った週末でした。

October 22, 2004

『世界』11月号より

正統派の「保守的サヨク」(笑)として、布団に入りつつ『世界』(岩波書店)の11月号などを読む。毎回思うのだが、こういう総合雑誌(もしくはオピニオン誌)を読むと、世の中には怒りを沸き上がらせる事例には事欠かないものだ。「陽の下に新しきものなし」とは言うけれど、知らないことはまだまだ多い。
僕とは恐らく政治的信条とかが全く違うであろう『諸君』や『正論』や『SAPIO』の読者も、僕とは怒るポイントこそ違えども、「世の中なっとらん」という気持ちは変わらないわけだ。話し合いの余地はここだな。

まあそれはともかく、今月号を軽く読んで気になった記事などを少しメモしてみたい。
まず、今月号の特集は「ブッシュか、反ブッシュか」というもの。この雑誌及び読者の性格からして「反ブッシュ」なのはいうまでもないのだが(もちろん僕だってそうだ)、問題は世界からブーイングを受けまくっているブッシュが何故いまだにかくも根強い支持をアメリカ国民の半分近くから受けているか、ということである。この辺りの問題についての論説がちらほら(入江昭ハーヴァード大学教授とか、テレ朝の丸川珠代さんとか)。町山智浩さんのブログなどからも多少の知識は得ていたつもりだが、今回の特集でもアメリカ国内の亀裂、というか、アメリカ人自らDivided Nation(分断国家)と呼ぶアメリカの有様が強調されていたように思う。共和党と民主党というだけでなく、富裕層と貧困層など、全く交わることのない人々が、広大な土地があるために無関心・不干渉で生活できるアメリカという国の姿である。

原武史さんとケネス・ルオフさんという二人の天皇(制)研究者の対談「象徴天皇制は危機に立たされているか」も読んだが、ちょっと食い足りなかった。残念。対談の最後にルオフさんが「新たな伝統がいかに創出されるのかを注目しています」と述べているが、「伝統の創造invention of tradition」論を自家薬籠中のものとしている(はずの)現在の我々は、その経過を眺めるチャンスを得ているわけだから、目を覚ましていなければならないだろう(なんかイエス・キリストみたいな言い方になってしまった)。

先日のブログでも、消化不良のまま書いてしまったが、「「裁判員制度」への不安と期待」という座談会記事もあった。司法の市民参加がいかに必要か、というのは理屈としては判るのだが、この座談会を読み終わっても、気弱な僕は重大な判決を下す(そのまま決まる、という保証もないけど)勇気が湧かない。確かに、普通の感覚から言っておかしいと思えるような事案について、市民の側からある程度気楽に「それは違うんじゃないのか」と言える(かもしれない)「裁判員制度」は、官僚司法に風穴を開ける可能性があるだろう。もっと言ってしまえば、この「裁判員制度」の長所はこの一点にかかっていると言ってもいいとさえ思う。あと、この座談会でも指摘されていたが「守秘義務」の性格が曖昧なのも、参加を躊躇わせる大きな要因だ。やはりクリアすべき課題は多そうだ。

保母武彦・具滋仁「「三位一体の改革」はこれでよいか」という記事は、数字が多くて、数字及び数学が壊滅的に苦手な僕には飲み込めなかった部分も多かったが、その後にあった朔北胡笳「経済社会戯評 (8)知事会の頭は逆方向」という記事と合わせて読み、何となく直感で感じていたのだが、義務教育教員給料の半額国庫負担制度の廃止って、酷い代物で、地方間の格差を作るだけだというのが納得いった。現にアメリカなどは酷いらしい。「三位一体」と畏れ多くもキリスト教の教義から借用したこの言葉、「良きに計らえ」の殿様政治の一環だとは感じていたが、「Winner takes all(勝った奴が総取り)」の風潮を下支えすることになりかねないので、やはり反対。

あと韓国研究者としては、ドイツにずっといた宋斗律ミュンスター大学教授がスパイ容疑で逮捕、起訴された事件の顛末を追った梶村太一郎「宋斗律教授事件」も興味深く読んだ。存在意義が薄くなった官僚組織が起死回生にとフレームアップに近いことをしたり、強引な手段に出るということはどこでもあることらしい。

今月号の中では、東海村の「被爆」についての大泉実成さんのレポート「できることはいっぱいある!!」が一番印象的だった。大泉さんのお名前は、かの「エホヴァの証人」の優れたルポ『説得』で前々から存じ上げていたし、オウム問題でも精力的なルポをしていて気になっていた存在だったが、なんと例の5年前の東海村「臨海事故」を起こしたJCOと親会社の住友金属鉱山を相手に2年前から訴訟を起こしていたそうな。それも大泉さんのご両親が被爆し、健康状態の悪化及びPTSDになったからという理由で。これは初耳だったので本当に驚いた。一番「義憤」に駆られる記事だった(一番びっくりしたのは原子力損害賠償法という法律。これによると、被害を被害者側が証明しなければならない仕組みになっているそうだ。時代に逆行する法と言えよう。これによって企業側は開き直ったりいちゃもんを付けるだけでよいということになっているそうだ)。

今月号はなかなか読み応えがあった。
編集長の編集後記で、東京都教育委員会の魔女狩りのような「ジェンダー・フリー・バッシング」に対して深い憂慮が示されていたが(全く同感)、思い出されたのが、20日の朝日新聞の朝刊に載っていた小さな囲み記事(「特派員メモ」小森敦司記者)。フィンランドのタルヤ・ハロネン大統領が来日するのに合わせて書かれた記事だが、フィンランド初の女性大統領のなった彼女の言葉には単純且つ力強いものを感じずにはいられなかった。以下、ちょっと引用(アサヒ・コムでは見つからなかったので)。

「すべての男女に教育を施せば、男性だけの国の2倍の競争力が持てます。貧富の差なく教育を施せば、それだけ競争力が高まります」 「グローバル競争の中でも、『福祉社会』は『重荷』ではなく『資源』なのです」

日本が北欧並みの高税率、高福祉国家になるのは難しいだろうが、ジェンダー・フリーつぶしに狂奔したり、義務教育の地方格差も弱肉強食だから仕方ないなどというような人は、もう一度ハロネン大統領の言葉を考えてみて欲しい。

October 21, 2004

台風一過のまとめ買い

昨日は台風で午後は休講になったのは良かったが(教員が言うとまずいか)、閉じこめられてなかなか帰宅できずに困った。

そして今はきれいな秋の空。
今日の講義は午後からなので、午前中に洗濯を片づけて、そのまま京都駅の旭屋書店に直行。
給料日直後ということもあり、昨日まで台風で閉じこめられていた憂さを晴らすべく本をまとめ買い。でも、よく考えたらこんなに本を買い込んだら、結局部屋に閉じこもらなくちゃいけないわけだよな・・・。

・ジョーン・W・スコット『ジェンダーと歴史学』平凡社ライブラリー、2004。(名著がハンディな形になったので、とりあえず購入。平凡社ライブラリーは使い勝手がいい)

・実川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』講談社メチエ、2004。(僕の関心に重なるタイトルなので、購入。こういう本が去年出ていれば、今年の授業準備も多少は楽になったのに)

・山田浩之『マンガが語る教師像』昭和堂、2004。(凄い量のマンガが参考にされていて、単に面白そうだと思い購入。僕も教師の端くれだし)

・夏目房之介『マンガ学への挑戦』NTT出版、2004。(もう一つついでにマンガを学問的に見る本を。『マンガの深読み、大人読み』イーストプレス、も買わなくちゃな)

・植村和秀『丸山真男と平泉澄-昭和期日本の政治主義』柏書房、2004。(平泉、と聞いて「ああ、戦前の神がかった国史学者ね」というような知識しかない自分を少し恥じて購入)

・高橋哲哉『教育と国家』講談社現代新書、2004。
・菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書、2004。(共に今月の新刊。この両者を同時に購入してしまうのが、我ながら可笑しい。今回から講談社現代新書はブックカバーを大幅にデザインチェンジしたが、これまで数十年にわたって作り上げてきたものを放り出すのはいかがなものかと。一人一人色も違うし。そこが残念。高橋先生は近年の「愛国心」教育について、菅野先生は近代思想としての「武士道」と、江戸時代の実際の武士道の違いについて書いてくれている模様)

・内田樹『死と身体』医学書院、2004。
・内田樹『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』海鳥社、2004。(内田先生の新刊はやはり買ってしまう。前者は一種の語りおろしだが、後者は久々の硬派な学問的著作。いつものウチダ節の「説教」も良いけど、とりあえず後者は気合いを入れて読まねば。何せラカンだし)

これらを読むのはいつになる事やら。まずは、今ゼミで学生と一緒に読んでいる

・西川長夫『国境の越え方』平凡社ライブラリー
・E.ホッファー『大衆運動』紀伊國屋書店

の二冊をとっとと読み終わらなければ。幸い両者ともに面白い。特にアフォリズム集でもあるホッファーの書は、現代アメリカや、もっと言えば現代の世界状況を予見していたかのような言葉にあふれていて、ホッファーの想像力の「翼」を思い知らされる。裏返していえば、ホッファーがいうようなものは、まさに「人間の本性」であり、時代が変わっても普遍的なのかも知れないが。ちょっとだけ引用してみよう。

自分自身が優秀であると主張する理由が薄弱になればなるほど、人はますます、彼の所属する国家、宗教、人種、あるいは神聖な大義が、優秀きわまりないと主張する傾向がある(12節)。

大衆運動は、神への信仰がなくても発生し拡大することが可能であるけれども、悪魔への信仰がなかったら、それは全く不可能である(65節)。

もし、アメリカ人が外国人を心から憎みはじめたなら、それは彼らが自分たちの生活様式にたいする自信を失ってしまった徴候となるだろう(73節)。

思わず付箋を貼っちゃいました。

October 19, 2004

法科大学院・裁判員制度雑感

既に何人かの方がブログ等で言及しているが、僕も一言だけ。
なんでも、法曹界改革の目玉であった(はずの)「法科大学院」が、志願者が激減したりしているそうだ。その理由は明白で、要するに法科大学院を出てもちゃんと法曹界に入れるか先行き不安だからだという。認可するしないで去年揉めたばかりなのになあ。

僕はそもそも司法試験については全く知らないし(とてつもなく大変だ、というくらいしか知らない。友人で何人か受かった人はいるが、あまり接点のない連中だった)、これについて何かを言う立場でもないのだが、現在法科大学院で頑張っている皆さんはともかく、この計画を立てた政府及び法曹界全体の責任は重大ではないかと思える(もちろん大学関係者も)。要するに「見通しが甘かった」ということに尽きる。これは、都立大学の現在のシッチャカメッチャカさ(死語)も同様。大学関係者はやれ世間を知らないだとか言われているが(まあ、大体当たっているけど)、この司法改革や大学改革を指揮した官僚の「世知」をよく知った皆さんは、ご自身の責任をどう思っていらっしゃるのか。

僕は、数年前法科大学院の構想を新聞などでちらっと見たとき、「うまくいくかなあ」という懸念を持ったし(大学がたくさんすぎると思った。これの心配はほぼ現実のものとなったようだ)、そもそも法科大学院そのものに反対の立場だった。理由は簡単。漏れ聞くところによると、法科大学院の学費は決して安くはない。要するに「金持ちしか行けない」ようなところなら、門戸開放とは到底言えないだろうと思ったのだ。
「金持ちが教育に金をつぎ込めるので、高学歴層と富裕層が重なる」という指摘は以前からなされているし、具体的には東大生の保護者の年収平均が早慶のそれを抜いたのはだいぶん昔の話だったと思う(僕は1990年入学だが、そのころには既にそうだったのではないか?)。このような傾向を、例えば社会学者の佐藤俊樹氏は『不平等社会日本』(中公新書、2000)で明らかにしたし、フランスの「階級社会(親の職業を子供はそのまま継がざるを得ないような社会)」を分析したブルデューのフレームワークがそのまま日本に適応できる事態になりつつある、というのも、現在の日本の社会学者のいわば共通見解だと言っても良いだろう。
僕は、お金のかかるらしい法科大学院という構想が、日本の「階層社会」、特に法曹界における「階層」の固着を招くのではないかと思っていて、もともとあまり良い感情を持っていなかったのである。杞憂ならば幸い。

もちろん、法曹界の人口が増えて、裁判がもっとカジュアルになり、裁判の迅速化が図られるというのは大歓迎だ。「法科大学院」なども、そうなるための司法改革の一環だったはず。特に、裁判の迅速化の問題は、数十年もかかる裁判を見るにつけ、いつも思う。ついこの前も水俣病訴訟にようやく決着がついたが、政府や裁判所は原告が死に絶えるのを待っているのではないか、と勘ぐりたくなるようなのろさだ。裁判官の人口が増えて、一刻も早くこの弊を改善していただきたいと思っている。

司法試験のレベルを落とさずに合格者を増やすにはどうすればいいか、ということを考えると、堂々巡りになってしまって、僕には妙案が浮かばない。僕なんかは事情を知らない外部の人間として、定員を二倍に増やしてもそれほどレベルは落ちないと思うんですけど、いかがでしょうか。弁護士が増えすぎて何かというと訴訟のネタを探すようなアメリカみたいな訴訟社会は勘弁して欲しいところだが。

さて、法律関係でもう一つ個人的に心配しているのは、「裁判員制度」だ。「市民の司法参加」という、逆らいがたいロジックで進められている気がするのだが、僕としてはできればやりたくないと思っている。面倒くさい、というのが一番の理由だが、「じゃあ、法律のプロを育てるという法曹界全体の流れとどう整合性が着くの?」という疑問がどうしても残る。冗談半分で言っているのだが、もし裁判員に選ばれてしまったら、にわかクリスチャンになって「人を裁くな、裁かれないためである(マタイ7:1)」という聖書の言葉を遣って誤魔化そうと思っているくらいだ(笑)。
そして現在のワイドショー社会の中、冷静な判断が下せるかどうか、全く自信がないのも大きな理由だ。まさか、情報を全く遮断することもできないだろうし、バイアスが色々かかってしまうだろう。うーん。

法科大学院と裁判員制度、僕は全くの門外漢なので、もしこのブログをお読みの方で色々ご存じの方は、教えていただきたいです。

カリーマ先生萌え

東京から京都に戻り、ゼミをこなし今週の授業準備などをしているとあっという間に深夜になってしまった。

フラフラになって帰宅し、とりあえずテレビを付けると、そこにはアラビア語を喋る佳人がいらっしゃいました。それはNHK教育テレビの「アラビア語講座」で、そのお美しい方は師岡・カリーマ・エルサムニー先生でした。このところ、毎週月曜の深夜に僕はカリーマ先生目当てにダラダラこの語学番組を見るのが日課になっております。

このところ、NHK教育テレビの語学番組はアイドルを出演させるなどして視聴者の興味を引く努力を一生懸命していて、僕のようなアイドル好きのミーハーが釣られる(けど実際の語学は一切やらない)という構図ができあがっているわけですが、今回のカリーマ先生のお美しさには参りました。早速テキストを買ってきてみましたが、アラビア文字の複雑さにも、早一日で参り掛けています。やはり壁は厚かった。
まあ、一週間に一回こっきりでどうになかるはずもないので、NHKの語学番組は、基本的に「きっかけ」となるものだと思います。これをきっかけに、ちょっとは文字を憶えたいともうのですが、多分ダメだろうな・・・。ハングルのような規則正しく憶えやすい文字はない、と改めて実感。アラビア語は28文字しかない、とカリーマ先生はにこやかにおっしゃいますが、「語頭」「語中」「語尾」「独立」という4パターンがあったりして、どこからどこまでがその文字なのかさえ、まだ暗中模索です。道は遠い・・・。

さて、逆に、日本語や中国語を外国語として学ぶ人の苦労を想像すると、壮絶なものがありますね。漢字は日常的に使うものは限られているとは言え、何万もありますし(きりがありません)、日本語だって、ひらがなとカタカナと漢字という三種類の文字を縦横無尽に使っていますし。アラビア文字の互いに似たような文字を見ていると、「し」と「も」とか「く」と「つ」とか、「あ」と「お」とか、ひらがなだって外人にとっては似たようなものに見えて大変だろうなと思われ、改めて日本人のアラビア研究者と、アラブ圏の日本研究者の偉大さを思い知りました。
とりあえず、半年はテキストを「積ん読」状態でも買っていくか・・・。

October 17, 2004

朝鮮史研究会大会二日目

今日は年次大会の二日目で、4人の方による発表と総合討論が目玉。
今年のテーマは「朝鮮における宗教と国家」というもので、宗教学者の僕としても外せない発表が目白押し。
発表者と発表題目は以下の通り。

(1)福士慈稔氏「「和諍国師」追諡にみる高麗時代の国家と仏教」             
(2)桑野栄治氏「正朝・冬至の宮中儀礼を通してみた15世紀朝鮮の社会と宗教―朝鮮燕山君代の対明遥拝儀礼を中心に―」
(3)山口公一氏「植民地期朝鮮における神社政策―「文化政治」期を中心に―」
(4)佐々充昭氏「ディアスポラ亡命者たちによる朝鮮ナショナル・アイデンティティの創出―大倧教が大韓民国臨時政府運動に及ぼした影響を中心として―」

とくに山口さんと佐々さんはやっている領域も近い友人なので、熱心に聞かせてもらった。
一人一人の発表の内容が濃く、総論めいたものはいえないのだが、国家のアイデンティティや統治の正統性legitimacyと宗教は切っても切れない関係なので、それぞれ深く考えさせられました。

朝の10時から夕方の5時まで濃い時間を過ごしてフラフラになって帰宅。

October 16, 2004

朝鮮史研究会大会初日

今日と明日の二日にわたって、僕も所属している「朝鮮史研究会」という学会の年次大会が東京経済大学を会場として行われる。今日はその初日。
今日は基調講演2本と、総会と懇親会だけ。というわけで気楽に聴きに行く。

基調講演の1本目は、北島万次先生の「壬辰倭乱と民衆-降倭についてのひとつの視点」という題目のご講演。
秀吉の朝鮮侵略の際、日本人も朝鮮側に降り、その地に残ったりしたのだが(「沙也可」というのが一番有名だろう)、どのようなパターンがあったか、彼らはどのように史書にその姿を残しているか、という内容のご発表で、僕のような門外漢にも面白く聴くことができた。

2本目は、井口和起先生の「東アジア世界の中の日露戦争-韓国・朝鮮からの視点を中心に」というもの。井口先生は、このブログでもその最終講義のことを書いたことがあるが、僕の勤務校の学長だった方。近代日本史の権威のお一人だ。
今年は日露戦争100周年という事で色々な研究書や催しがなされているが(「日露戦争の偉業を讃える」というノリのものも多いことが気がかり。特に国会議員の面々なんかそういう「勉強会」とやらを催したようだし)、井口先生はもちろんそういう風潮に疑義を表明しておられ(当たり前だが)、特に戦場となった朝鮮(韓国)の視座が日本の側からスコンと抜け落ちていることへの問題提起をなさっていた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を「日本の偉業」と読み替えてしまい、「アジア各国に独立の希望を与えた」なんていうことは本当なのかは、今一度考えるべき問題であろう(例えば、日本をモデルに改革をしようとしたヴェトナムの「東遊(トンズー)運動」は、結局日本とフランスの協定により留学生は日本を追い出され、彼らは後にフランスの官憲に逮捕されるというような結末になっている。こういう事を無視したまま「日本はアジアの星だった」などと能天気に言ってはいけないであろう。そもそも「アジア解放のリーダー」というなら、足元の朝鮮に対する処遇はどうなっているのか、という当たり前すぎることも等閑視されたままである)。

夜は懇親会で、久々に東京の友人たちと痛飲。しかし翌日の本大会があるので、二次会は失礼して、早めに帰宅。

October 13, 2004

卒論中間発表会二日目

てなわけで、今日も朝から始まりましたこの発表会。
僕はJR京都線が少し送れたせいでちょっぴり遅刻。昨日なかなか寝付けなくて(恐らく、聴いているこっちも頭がオーヴァーヒートしてしまったせいだろう。やたらお腹が減ったし)夜更かしして寝坊したせいもあるのだが。

今日も色々な発表があって、僕としては面白かったが、結構先生方にきついことを言われて意気消沈したり、もしくはちょっとふてくされちゃった学生さんもいるかも知れないけど、実は、きついことを言われた学生さん方は、一つの共通点があったのです。ちょっと説教臭くなるけど、ここに書き記しておきます。

それは「よく調べてはいるけど、自分の言葉が一つも見あたらない発表」という共通点です。これが実は一番我々教員にとって残念であり、いらいらさせられる発表なのです。逆に、調べは充分ではないけど、自分の言葉が前面に出ていた発表には、点が甘くなります(思い当たる節があるでしょう。君のことです)。それは「論文」というものの性格に関わります。それを今から説明します。
まず「論文(もしくはレポート)」とは何か。学生の皆さんは「色んな文献などを調べて自分なりにまとめたもの」と答えるでしょうが、それだけでは不正解です。論文(レポート)は「まとめ+自分なりの見解(付け足し)」という構成になっていなければなりません。優れた先行研究などをちゃんと押さえるのは、いわば基本中の基本です。でも、それで終わってはいけません。

「●●先生はこういう事を言っています。でもこれだけでは足りない部分があると思われるので、私はこういう点を付け足します」

こういう構成のことです。叱られた皆さんは、残念ながら前半だけで終わっていたわけです。その後半の自分の言葉、それは1割かも知れないし、もしかしたら1%だけかも知れないけど、それがないものは「論文」とは呼べないのです。「こんなに調べたのに・・・」と不満を持つ気持ちは分かりますが、はっきり言って辞書や本を読めば判ることを得々と語られても、教員にはあまり益がありません。「概説」というものは昔から、相当偉くなった先生が語るものです。中途半端な「概説」を語るよりも、不完全でも自分なりの意見、これが決定的に重要なのです。

今日の発表では、時間的制約で、自分の意見まで手が回らなかった、という人がほとんどでしょう。ですから、後3ヶ月くらいで「挽回」してくれれば良いだけです。話は簡単です。今日は「骨」だけしか話せなかった人は、卒論本番で「肉付け」をしてくれれば、それで良いです。踏ん張りを期待しています。

さて、例年この卒論中間発表が終わった後は、慰労も兼ねて学生たちと飲みに行ったりしていたのだが、きつい言葉にうちひしがれたのか、それとも寝ていないので寝に帰ったのか、はたまた恋人に慰めてもらいに行ったのかは知らないが、あっという間に4年生全員が帰宅してしまい、この二日間俺だって疲れているんだ酒呑ませろーっという気分だった僕は感情の持って行き場が無く、仕方なく(といっては迷惑なのだが)、同志社大学で講師をしている友人のI君に電話をして、「今から飯食わない」と誘って、結局男二人で焼き肉デートとなった。ふー。

October 12, 2004

卒論中間発表会初日

今日と明日の二日間、4年生にとっては一大イヴェントの「卒論中間発表会」が開催される。僕の勤める大学は比較的小規模だが、さすがに二日ぶっ通しで20名以上の学生の発表を聞くのはつらい。

今日はその初日。
僕の所属学科は「国際文化学科」といって、まあ「何でもあり(というと語弊があるが)」なので、学生の取り上げるテーマも多様で、逆に僕などは素人の立場から色々耳学問させてもらう、という感じだ。特に古い時代(僕にとっては近世以前)のことは無知に等しいので、好き放題に質問などをいくつかする。
僕は出身学科が「宗教学科」というところで、ここは「宗教」をとりあえず研究していれば時代や地域は問わないというアナーキーなところだったので、こういう「何でもあり」の雰囲気は懐かしくもあり、僕好みでもある。

さて、今日はダイエー敗北という昨日の傷心の出来事から一夜明け(今日は新聞の休刊日で、朝刊がなかったのが救いだったが)、不機嫌な顔で登校したわけだが、思ったより学生の皆さんはなかなか準備しており(もちろん、色々間に合わなかった学生もいたが)、きつい質問して憂さを晴らすということはできなかった(笑)。大体、その学生を指導なさる先生が一番きついことを言って、言うことがなくなるのが常だし。

今日結構きついことを言われた皆さん、あまり落ち込まずに、頑張ってね。きつさは期待値の表れでもあります。

October 11, 2004

ああ、ダイエーホークス

ただいま、テレビ部屋からパソコン部屋に戻ってきたところです。涙にくれながら。

このブログでも公言しているように、僕は南海時代からの「ホークス」ファンなわけですが、我が愛する福岡ダイエーホークスはプレーオフを2勝3敗で終え、リーグ優勝は果たせませんでした。ああ、ホークス・・・。このプレーオフ制度、確かに盛り上がりますが、1位のチームには結構厳しいルールですよね。確か5ゲーム差以上だったら「一勝」のアドヴァンテージをもらえると聞いたのですが、一位のチームは無条件にそのアドヴァンテージをもらえるようにしたらいいと思います。でないと、シーズン一位の意味が薄くなりすぎる気がします。

しかも、パ・リーグで一番個人的に嫌いな西武に優勝を持って行かれてしまい、悔しさ百倍です。今年の日本シリーズは、中日対西武という、僕にとっては「青いユニフォームがうじゃうじゃいるだけ」という、なんの興味も持てないシリーズになります(中日、西武ファンの皆さん、すみません)。
とりあえず、王監督、そして選手の皆さん、来年捲土重来を期して頑張ってください。こんなことでファンを辞めたりはしません。今日は負けはしましたが、良い試合でした。良い試合だったからそこ、悔しさもひとしおなのですが。

というわけで、僕が教えている4年生の皆さんに大変残念なお知らせがあります
上記のようなことになって、僕は大変機嫌が悪いです
八つ当たりとは重々承知していますが、明日、明後日におこなわれる君たちの「卒論中間発表会」では、思わず精神状態の乱れから毒舌を吐きまくる恐れがありますので、注意してください。
今から僕はやけ酒を煽りながら、「内P」やら予約録画している「ブラック・ジャック」のアニメなどを見て昂ぶった気持ちを静める予定ですが、どこまで成功するのかは判りません。
では、こんなブログを読んでいる暇もないでしょうが、明日、明後日の発表、頑張ってください。以上。

October 10, 2004

ピーカンを日本晴れというのは何故?

今日は台風一過の秋晴れ。近畿圏はかすめただけだが、首都圏はもろだったようだ。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。妻はその台風を避けるようにこの連休は京都に来ていた(その代わり、来るときの新幹線は、飛行機客が流れたのだろう、死ぬほど混んでおり、彼女は名古屋まで立ちっぱなしだったそう)。

ともかく京都は良い天気だったので、一日中歩き回る。
まずは、最近ジョギングに目覚めつつある(というか、完全に目覚めて遠いところに行ってしまった)妻の希望で、烏丸御池のスポーツ専門店、「スポーツ館ミツハシ」に出掛け、ウェアなどを購入。
その後は烏丸三条を少し西に行ったところにある韓国風喫茶店に遊びに行く。この喫茶店の存在は、今月号の『エル・マガジン』で知った。名前は素夢子古茶家(そむしこちゃや)。どういう意味があるのかは、お店の説明書を見ても抽象的で不明だが、ともかく韓国の「伝統茶」と呼ばれるものを結構本格的に出すお店。妻はすっかり気に入った様子。僕はカレーを、妻は「クコの実茶」を注文。
ちょっと知ったかぶりを語ると、韓国の「茶」という概念は日本とはちょっと違って、いわゆる「お茶っ葉」で出すものだけを茶というわけではない。日本では「麦茶」「そば茶」など穀物茶がある意味その例外なわけだが、韓国では、とにかく水に何等かの加工をして色や味や香りを付けたものを広く「茶」と呼ぶようだ。そういうわけで「茶」の概念が日本より広い。例えば「高麗人参茶(これはもう「漢方薬」ですよね。韓国みやげの定番ですが)」「生姜茶」「ナツメ茶」「クコ茶」「柚子茶(柚子のハチミツ漬けをお湯で溶かしたもの。僕はこれが伝統茶の中では一番好き)」「トウモロコシ茶(自宅で常飲しています)」など、甘いものから、漢方薬臭いものまで様々あります。

この喫茶店を後にして、御池通の少し上にある押小路通を東に向かい、寺町通まで出る。そのちょっと裏にある和菓子屋さんで生菓子を二つ買って、寺町通りをうろつく。アンティークと紙屋さんが多い。エスニック系の小物屋さんもちらほら見かける。
その後は河原町を下って、高島屋のデパ地下を冷やかし、またまた和菓子を買って(妻は最近和菓子にはまっているので。僕もそれに影響を受け、良く百貨店の地下街をうろつくようになった)、地下鉄四条駅に向かう途中、ついフラフラと今度は大丸の地下街に吸い寄せられ、今度は妻はある人へのおみやげの和菓子と、ちょっと強引な店員に気圧されて僕は「ラベイユ」というハチミツ専門店で、「冬青(そよご)」というこってりした種類のものを購入。このハチミツ屋さんは、種類が膨大すぎてなにを買えば良いのか分からなくなる。こういうときはついつい保守的に前に味わったことのある種類を選びがち(種類の多いケーキ屋さんでも、ついついチーズケーキを選んでしまうようなものだ)。この種類も、以前学生に「貢ぎ物」としてもらったハチミツと味が似ていたので、購入したのだ(K藤君、あのときはありがとう!)。

そして家に帰り、ダイエー対西武のプレーオフ第4戦を見て(勝って嬉しい。川崎、偉い!)、そのままチャン・イーモウの「英雄(ヒーロー)」をダラダラ見てしまう。感想としては、ちゃっとワイヤーアクションやCGを使いすぎで却って効果が薄まっているような印象。話は、うーん、深みがないなあ。画面は美しいけど、ある意味それだけ。映画館の大画面で見れば、別の感動があったかも知れないが。

というわけで、今日は正しい休日の過ごし方をしたような気がする。

October 06, 2004

へんないきもの

新学期が始まり、講義に会議、卒論の相談に追われてばたばたしてしまった。特に卒論を抱えた「迷える子羊」がうろうろしているので(というか、僕の担当の学生は迷いまくりパターンが多い気がする・・・)。
キリストなら「九十九匹よりも一匹」と言うところだろうが、聖人君子ならぬ僕はせいぜい迷いそうな羊を吼え立てるコリー犬のような役割しかできないのが歯がゆいところだ。来週の中間発表、みんな頑張ってね。屍はちゃんと拾います。

で、そのような日常でも忙中閑あり、暇つぶしに買った早川いくをさん(イラスト:寺西晃さん)の『へんないきもの』という本がヒット!
昔、学研の図鑑を丸暗記したことのあるような人なら面白く読めるはずだ。しかし、グロいのが苦手な人は、要注意。結構エグエグな生き物も結構載っている。白黒のイラストなのが、ある意味救いと思えるほどです(笑)。
多分僕の妻はこの本、ダメだろうなあ。水族館にデートに行ったときも(僕は水族館が結構好きで、デートにもよく使いました)、妻は海の変わった小動物を見るたびに「変な奴」という言葉を連続してて、この部分に関しては趣味が合わないのだ(もちろん、可愛い哺乳類は妻も大好きなのだが)。もし、この本を無理矢理見せたりしたら、後で妻から「DV」の一種として、告発のネタにされるかも知れません(笑)。

hennaikimono.jpg
(帯からしても、「人を喰っている」雰囲気)

名前も聞いたことのない生き物が目白押しで、僕などは例えば「そうか、ムカデメリベって、こんな生き物なのか」と感動した(僕が知っていたのは、こちらの蜈蚣Melibeだったので←分かる人はここで笑うように。反応できた人はオタクかローディ○トです)。
というわけでこの本、お薦めです。絵本感覚でさくっと読めるし。説明文のふざけた感じが読む人を選んでしまう気がしますが・・・(ちょっと皮肉屋のオタクっぽいテイストです)。

今日は帰宅してこの本をざっと読み終え、風呂の後ユースのサッカー日韓戦を見てしまう。延長戦まで戦ったが、結局PK戦で負けてしまった・・・。まあ、このチームは他の試合を見ていても詰めが甘かったから、韓国に負けたのは順当だと個人的には思う。
すっかり夜更かしになって、調子に乗って何故か今再放送をやっている「宇宙戦艦ヤマト」を見てしまう。ああ、古代進役の富山敬さんも死んでるんだよなあ、と感慨に浸っていたら、エンディングのスタッフロールを見るとびっくり。「絵コンテ:安彦良和」「作画監督:芦田豊雄ウオー、すげー豪華メンツじゃないか。今更ながらびっくり。安彦先生がヤマトに無理矢理関わらされたことは、昔読んだインタビューで知っていたが、トミーことダイアポロン・カリスマ芦田先生まで・・・。思わず押し入れの『OUT』を何冊が読んで、秋の夜長はますます更けていった。寝不足だ。

October 03, 2004

自転車で散歩

今日はとりあえず、オフと心に決め、まずはトイレットペーパーなどを買い足すために近くのジャスコ洛南店に向かう。
最近読んだ本(三浦展『ファスト風土化する日本』洋泉社新書、2004。なかなかお薦め。)では「郊外型の均一な空間(これを著者の三浦氏はダジャレもふまえて「ファスト風土化」と呼んでいる)を作り出している象徴」として「ジャスコ」、つまりイオングループがやり玉に挙げられていたが、実は、僕の住む京都って、結構ジャスコが多いんですよね(五条の島津製作所跡にもできたし・・・)。
確かに、ジャスコのような大型スーパーに進出されれば、地元の商店街は軒並みやられますよね。でも、必要なものが全てほぼ揃ってしまう便利さに抗えず、今日も利用してしまうわけです。誤解の無いように言っておきますが、この本は「ジャスコが悪い」といっているわけではなく(ちょっとは言っているけど)、日本全国、どこも金太郎飴みたいな「ロードサイド型」の郊外型空間となって、犯罪も車を使って広がりを持って田舎は田舎らしさを喪失して・・・となる様子がデータと共に示されています。

さて、ジャスコの話はこれくらいにして、今日の休日のメインは、久々の「芸術鑑賞」だ。
僕の従姉妹は画廊の展示企画などをしているのだが、この度京都西京極の「弥右衛門」という展示スペースで、岡田修二さんという画家の展示を企画したのを葉書で教えてもらい、自転車で行ける距離なのでキコキコこいで出掛けた。
まあ、ちょっと駅から離れたところもあるロケーションだし、展示が始まって一月近く経っているので、、僕が到着したときは、客は僕一人。というわけで「弥右衛門」のオーナーの方とサシで話をさせてもらい、岡田さんが滋賀県立近代美術館でおこなった展示のパンフレットを購入(上のリンク先参照)。今回の展示では「水辺」シリーズといわれるものが並べられており、これは例えば水面に浮かぶ枯れ葉などごく小さな対象を2,3メートルのキャンバスにまるで写真のような細密さで描くというもので(しかもモノクロ)、単純に「面白いなあ」と思った。お値段の方は(一応売り出してもいたのだ)、とてもじゃないが個人では買えない値段だったが。

今日は一日中自転車で走り回る珍しく健康的な休日だった。

October 02, 2004

Amazonとちょっとだけ喧嘩

僕もご多分に漏れず、ネット書店の最大手アマゾンを結構利用しているのですが、今回初めてちょっとトラブって、昨日、今日とメールのやり取りで疲弊しました。やれやれ。

僕がアマゾンを利用するのは、もちろんクリック一つで購入できる簡便さのせいですが、特に利用するのは2パターンあって、
(1)ファンである作家や学者の新刊は、中味などを考慮せずにアマゾンで買う
というパターンと
(2)ちょっとマイナーな作家やアーティストなので、自分で探すのが面倒なので、アマゾンで探してもらう
というパターンがあります。今回トラブったのは後者のパターンでした。

まず僕は9月22日発売の、ちょっぴりマイナーな某アーティストのニューアルバムを、事前予約という形で購入を決定しました。マイナーだからこそ、こうして予約しておいた方が安全かな、とも思ったからです。
ところがどっこい大作。発売日から一週間以上経っても届きません。「これはどうしたことだ」とまず第一回目の問い合わせを窓口にしました。すると「発売日の後で業者や流通ルートに連絡するので7~10日くらいかかることがあるので、もう少し待ってくれ」との返事。
あまりののろさに、イラチの関西人である僕は堪忍袋の緒がキレて、「もういい、予約をキャンセルする」とばかりに接続してみたら、そのCDは「発送作業開始済み」というボックスに入れられており、オンラインでは自分でキャンセルできなくなっていました(アマゾンでは「発送作業」に入った商品は、届け先の変更なども含めて、変更が一切きかない)。しかも、その例のCDの発送予定日は「10月10日以降」となっていたのです(これは昨日の10月1日の時点)。結局、発売日から20日ほども遅れておいて、しかも「発送作業に入ったからキャンセルできない」という言い方は余りに理不尽だろう、ともかくキャンセルの手続きを取るようにと二度目のメールを昨晩出して、今日返事が来ました。
その返事を要約すれば、「キャンセルはもう手続上出来ないから、返品という形にしてくれ」とのことでした。その返品のやり方は、「集荷サービス」というものらしく、宅配便業者の人に来てもらって、商品をそのまま返す、というものだそうです(こんな事は、アマゾンのサイトのどこにも書いていなかったから驚きました。恐らくトラブルを避けるための隠し球のような方法なのでしょうけど。自己責任の返品の人がこのサービスを乱用することを避けて、一般には知らせていないのだと思います)。なんか宅配業者の人にわざわざご足労願って申し訳ないのですが(そういうことが嫌だから、手動でも良いからキャンセルせよと言ったのに・・・)、とにかく今後どうすればいいのか、ということは分かったので、一応これで手打ちということにしました。

ともかく、「トラブってみて初めて分かることもある」というのを今回実感しました。型にはまったメールの返答を見ると、アマゾンの体質がほぼ分かった気になりました。まあ、アマゾンに限らないんでしょうけど、僕は他のインターネットショッピングはほとんどしたことがないので、比較できません。
しかし、今回の最大の問題は、さっきそのCDのページをアマゾンで見たら「通常24時間以内に発送」という、僕からすればJAROに訴えたくなるような事が書いてあったことでしょう(笑)。嘘つけ!

さて、サイトの「免責事項」のところを見ると、アマゾンにおいては要するに「うちのウェブサイトに書いてあることは全てが正確と保証はしませんよ」ということが書いてありますから、上記のようなことも免責されるようです。やれやれ、訴えられなくなりました。
でも、話は少し飛びますが、この「免責事項」という言葉、ことにコンピュータ関係においてはやたら眼について、なんだか「諸悪の根源」のような気さえしてきました。「免責事項」が、基本的にいちゃもんを付けられないようにとの企業の防衛策であるというのは、僕だって理解しています。でも何でもかんでも「免責事項」に入れて良いのか、という素朴な疑問も湧いてくるんですよ。最近だと、WindowsXPに対する修正プログラムとか、その類なんか、「インストールして変な調子になっても、マイクロソフト社は知りませんよ」と言うことが、やたら長い同意書に紛れ込んでいたりする。しかもその同意書をクリックしないことには先に進めない。どこが「責任説明」「インフォームド・コンセント」なのかな、と思ってしまいます。

危うく「クレーマー」になりかけた今回の件は、「組織の硬直性」やら「免責事項」というものの仕組みなどを考えるきっかけとなりましたと、とりあえず無理矢理まとめておきます。

October 01, 2004

会議漬け

今日から勤務校は本格的に後期のスタート。というわけで、通常の倍ほどの学生がわらわらと押し寄せる。
僕は今年の時間割では金曜日の講義がないので、ゆっくり登校。しかし、午後からいきなり某会議が待ちかまえていた・・・。この会議は、他学部、他学科の偉い先生方が多いので、いつもは学生と間違われるくらいラフな服装の僕も、今日は久々にネクタイを締めた。気の弱い僕は、ライブドアの堀江君のようなことはできない(笑)。

昨日も結構長丁場の会議があったし、この二日はまさに「会議漬け」。へろへろだ。発言しなくても、会議というのはボディーブローのように、どんどん体力を削っていくような気がする。そのせいか「呑まなきゃやってられないぜ」という気持ちが強まり、弱いくせに、最近は夕食時に「●●定食と生ビール」というようなオーダーをしてしまいがちだ。折角腹筋を鍛えても、あっという間にビール一杯のためにご破算になる(笑)。

さて、大学教師の仕事は良く「研究と教育」の二つ、と言われているが(ウェーバー先生は『職業としての学問』で、両方ともしっかりやりなさいと厳しく言っておられる)、実はこういう会議を含めた事務も結構な比重を占めているのは周知の通り。法人化されたら、益々「事務」の比重は増えるだろうなあ・・・(国立大では既にそうかも。あまり詳しく知らないのだが)。

事務はともかく、教育と研究はさすがにやらなきゃならないところだが、エネルギーが枯渇して、「研究」の方は今日はちょっと取りやめ。その代わり、ゼミ生のUさんとTさんが来たので、相談に乗りつつ、彼女たちがレポートで使いたいという本を何冊か貸す。Uさんは日本人の宗教心について考えたいというので、民俗学的なテイストの本を、Tさんは服装の歴史に興味があるの言うのだが、僕はその手の本はさすがに持っておらず、当てはまりそうなのは、井上章一先生(国際日文研)の『パンツが見える』(朝日新聞社)くらいなものだ(笑)。僕の研究室の本は、貸し出しノートに名前と書籍名を書いてもらうのだが、Tさんは「こんな本借りてるのがみんなにばれる~」とかいうので、「こんな本持っている俺の立場は(略)」と言った。

今日読み終わった本:山本博文『「葉隠」の武士道-誤解された「死狂ひ」の思想』PHP新書、2001。
これは面白い!山本先生も結構身も蓋もないことをおっしゃる方だが、この本も『葉隠』は結構せせこましい「処世術」の本であると喝破。今まで何故か積ん読だったのだが、「ラスト・サムライ」見るくらいなら、これを読みましょう。

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