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October 13, 2004

卒論中間発表会二日目

てなわけで、今日も朝から始まりましたこの発表会。
僕はJR京都線が少し送れたせいでちょっぴり遅刻。昨日なかなか寝付けなくて(恐らく、聴いているこっちも頭がオーヴァーヒートしてしまったせいだろう。やたらお腹が減ったし)夜更かしして寝坊したせいもあるのだが。

今日も色々な発表があって、僕としては面白かったが、結構先生方にきついことを言われて意気消沈したり、もしくはちょっとふてくされちゃった学生さんもいるかも知れないけど、実は、きついことを言われた学生さん方は、一つの共通点があったのです。ちょっと説教臭くなるけど、ここに書き記しておきます。

それは「よく調べてはいるけど、自分の言葉が一つも見あたらない発表」という共通点です。これが実は一番我々教員にとって残念であり、いらいらさせられる発表なのです。逆に、調べは充分ではないけど、自分の言葉が前面に出ていた発表には、点が甘くなります(思い当たる節があるでしょう。君のことです)。それは「論文」というものの性格に関わります。それを今から説明します。
まず「論文(もしくはレポート)」とは何か。学生の皆さんは「色んな文献などを調べて自分なりにまとめたもの」と答えるでしょうが、それだけでは不正解です。論文(レポート)は「まとめ+自分なりの見解(付け足し)」という構成になっていなければなりません。優れた先行研究などをちゃんと押さえるのは、いわば基本中の基本です。でも、それで終わってはいけません。

「●●先生はこういう事を言っています。でもこれだけでは足りない部分があると思われるので、私はこういう点を付け足します」

こういう構成のことです。叱られた皆さんは、残念ながら前半だけで終わっていたわけです。その後半の自分の言葉、それは1割かも知れないし、もしかしたら1%だけかも知れないけど、それがないものは「論文」とは呼べないのです。「こんなに調べたのに・・・」と不満を持つ気持ちは分かりますが、はっきり言って辞書や本を読めば判ることを得々と語られても、教員にはあまり益がありません。「概説」というものは昔から、相当偉くなった先生が語るものです。中途半端な「概説」を語るよりも、不完全でも自分なりの意見、これが決定的に重要なのです。

今日の発表では、時間的制約で、自分の意見まで手が回らなかった、という人がほとんどでしょう。ですから、後3ヶ月くらいで「挽回」してくれれば良いだけです。話は簡単です。今日は「骨」だけしか話せなかった人は、卒論本番で「肉付け」をしてくれれば、それで良いです。踏ん張りを期待しています。

さて、例年この卒論中間発表が終わった後は、慰労も兼ねて学生たちと飲みに行ったりしていたのだが、きつい言葉にうちひしがれたのか、それとも寝ていないので寝に帰ったのか、はたまた恋人に慰めてもらいに行ったのかは知らないが、あっという間に4年生全員が帰宅してしまい、この二日間俺だって疲れているんだ酒呑ませろーっという気分だった僕は感情の持って行き場が無く、仕方なく(といっては迷惑なのだが)、同志社大学で講師をしている友人のI君に電話をして、「今から飯食わない」と誘って、結局男二人で焼き肉デートとなった。ふー。

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