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November 30, 2004

『よつばと!』3巻感想

今日、講義が終わってパンをかじっていたら、卒業生のH君がいきなりやってきて、某公務員試験に受かったとの朗報を持ってきてくれた。おめでとう、H君。来年あたり、在学生への「就職活動に関する講演」をお願いすると思いますので、宜しく。

彼とはひとしきり色々話したのだが(彼は小説、マンガなどにも造詣が深いので話題が豊富)、そこで僕が話題に出したのが、あずまきよひこ『よつばと!』の新刊のこと(現在3巻まで)。Hくんはあずまきよひこの大ヒット作あずまんが大王は読んでいたが、『よつばと!』は未読とのことだったので、とりあえず薦める。

yotsubato3.jpg
(こんな表紙です)

この作品は、「小岩井よつば」という女の子が主人公の、まったり進む物語です。よつばとその「父ちゃん(パンツ一丁でパソコンに向かう翻訳家。よつばの血縁上の父ではなさそう)」、その父ちゃんの親友である背がやたら高い花屋さんの「ジャンボ」氏(トールマンではありません。念のため。ちなみにこのトールマン氏は僕の大学の先輩)、おとなり綾瀬家の三姉妹(あさぎ、風香、恵那)を中心とした物語が淡々と進んでいくだけ・・・なのですが、ついつい顔がにやけてしまう作品です。ホント、どんどん話の運びかたがうまくなっている・・・。僕の親友の(福)君も太鼓判を押す巧さ。あずまきよひこ、恐るべし。
昨今、これだけ誰も傷つけない、ハートウォーミングな話は珍しいと思います。ほんわかしたい方にお薦め。前作『あずまんが大王』同様、再読性に優れております。

さて、このような癒し系マンガ『よつばと!』を愛読する僕ですが、それとは正反対のものも実は愛読してしまう傾向があります。例えば『野望の王国』とか(笑)。
で、帰り道に出井康博『松下政経塾とは何か』(新潮新書、2004年)という新書を買ったのですが、これを買ったのは、もちろん数々の政治家を輩出しているこの組織に興味があったし、僕の知り合い(大学時代の先輩)も一人「入塾」しているからなのですが、決定打は、何と言っても担当編集者の売り文句

「松下政経塾」は実録版『野望の王国』だ!

ええーっ、『野望の王国』ですか?僕はことあるごとに、この雁屋哲先生原作、由起賢二先生作画の超絶ヴァイオレンス劇画を薦めて「野望メイト」(笑)を増やそうと画策しているのですが、まさかこんなところでそのタイトルにお目にかかるとは・・・。この担当者も恐るべし。
この煽り文句はどういうところに由来しているのかは未だ読んでいないので何とも言えませんが、僕の読む気を起こしてくれたのは確かです。しらなかった、松下政経塾の皆さんがそれほど「野望」に燃えているとは・・・。

November 29, 2004

健康診断とか整体とか

京都も大分寒くなってきた。夜に自転車で走るときはマフラーや手袋が欲しい季節になってきた。

ということもあろうが、今日の僕のゼミでは4年生を中心に欠席が目立った。恐らく風邪。出席している学生たちの中でも、部屋でコートは脱がない、マフラーは取らないという軟弱すぎるのもいたりして(うちの大学は、暖房が入るのは12月からですがそれにしても)、「全く、今の若い子たちは」と禁断の台詞が出そうになる。
改めて出席簿を見ると、僕のゼミに無遅刻無欠席なのは、教員である僕だけじゃないか(僕が教室に現れたときが講義のスタートなのだから、「無遅刻」は当たり前ですね)。全くもう。
一人暮らしの人も多いと思うけど、健康管理はしなくちゃダメだよ。社会人になったら、「明日、午前中の講義がないからラッキー。ずっと寝ていよう」というような今のような自堕落な生活はできないんだからね。

とまあ、偉そうに人に健康を説いて聞かせている僕も実は健康でも何でもなく、今朝も整体に行ってきました。バキッ!
先生が言うには「段々姿勢は良くなっているね」とのことなのだが、自分ではあまり判らない。最初の施術の時の肩凝りの劇的な軽減が強烈だったせいで、他の身体的な変化がうまく認識されていないのだと思う。もともと、「体の声」には鈍感だったわけだろうし(だから肩凝りや腰痛に至ってしまったわけだ)。それに、このところの施術は、固くなった筋肉や筋を伸ばすような類のものらしく、結構痛いのだ。その後「どう、自分で姿勢が良くなったのが判る?」などと先生が聞いても、筋肉の疼痛でよく判らなかったりする。特に、脇の下の筋肉を伸ばすのは強烈に痛い。思わず「うおおおおおおおお」と声が出るのを止められない。あまりの痛さに「出産はこれよりもきついんだろうな(やったこともないしやる予定もないけど)」などと頭の片隅でぼんやり考えてしまう(最近、「先生、どうしましょう」などと卒論を相談しに来る男の子には「出産前の女性のように、もっとどっしり構えていなさい」などと冗談を言っているんだが。よく考えりゃ、ちょっとFC的にまずいかも。閑話休題)。

さてその後、バスに乗って一路某病院に移動。ここで職場の健康診断の「再検査」が行われており、僕も行くようにとの指示を受けたのだ。僕が行かされた理由は主に心電図の結果。僕は幼少期心臓病を患っていて、それはとうに完治したのだが、手術による神経組織の損傷により、後遺症としてどうしても異常な波形が表れてしまうのだ。僕にとっては、恐らく人生で百回目くらいの心電図を受ける(何度受けても、どうしてもくすぐったくて心電図検査は苦手だ。どうしてああもピンポイントでくすぐったいところに吸盤を貼り付けるのか)。
その後は問診と心エコー。エコーで心臓を見た先生が「予後は良好だね」と太鼓判を押してくださり一安心。主治医だったT村先生に心の中で感謝する。
で、再検査はこれで終わったのだが、実は、もう一つ気になっていることがある。それは「コレステロール値」だ。実際の僕をご存じの方は、「あんなに痩せている川瀬が」と思ってくださるかも知れないが、太っているとか痩せているとかはあまり関係なく、度重なる外食が主な原因だろうが、結構高いのだ。これにはショック。妻からも「ラーメンのスープを飲まないように」とか言われるし(笑)。ああ、これじゃあ、(美人ママがいて)お気に入りの定食屋キャ○ットで「焼き肉定食」やら「豚トロ塩焼き定食」とかが食べられなくなってしまう・・・。これからはあそこでは「お惣菜弁当定食」のような野菜中心メニューを注文しよう。

November 28, 2004

迷惑メール対策

このところ、携帯への迷惑メールがまた凄まじいことになってきた。もちろん、パソコンのアドレスへの迷惑メールも、一日あたり数十通は来るが、携帯はいちいち音が鳴るので鬱陶しさは5割増しだ。
こういうのって、イタチごっこだと判っているので徒労感も強いのだが、何等かの対策を立てなければと、とりあえずvodafoneのサイトに行って、その対策法を見てみる。
とりあえず、パソコンのアドレスから来るメールで、特定のドメインからのメールは拒否、という設定にしてみる(良くありがちなhotmail.comとか、yahoo.co.jpとか、そういうドメインです)。
というわけで、僕の携帯のアドレスをご存じの皆さん、携帯メール同士なら大丈夫ですが、もしパソコンから僕の携帯にお送りになると拒否される恐れがありますので、よろしくお願いします。

とりあえずお知らせまで。

でも、ああいうのって、オレオレ詐欺と一緒で、「誰がこんなのに引っかかるんだよ」と普通は思っていても、引っかかる人が絶えないんだろうな。この頃、鈴木晶先生も届いた迷惑メールで印象的なものを「傑作メール」とか言って、いくつか日記で晒していたけど、ホント、品性下劣なものも多くて朝っぱらから気が滅入ることも多い。やれやれ。今朝なんか、朝起きて電源入れた途端三連発で来やがった。

November 26, 2004

やまだ紫さんの新作

ふと立ち寄った本屋で、ぱっと目に付いた青い表紙の本があった。
あ、やまだ紫さんの新作じゃないか!昔からのやまだファンの僕は当然即購入。こういう作品集は『夢の迷子たち』(翔泳社、1995)以来じゃないかな。

新作のタイトルは、復帰第一作だからか非常にシンプル。その名も『愛のかたち』(PHP、\1400)。早速読んでみました。

aino_katachi.jpg
(すてきな表紙です)

さて、僕の方からちょっとだけ(僭越ながら)ご紹介すると、やまだ紫さんは、昔青林堂の『ガロ』に良く描いていた漫画家(エッセイストとしてもご活躍中)で、僕は確か高校生の時にその存在を知ったのだと思う。高校時代、通学路に、マニア向けのマンガ専門店(「わんだ~らんど」という店。泉北の深井駅の前にあった。堺では希有なマンガ専門店だった)があって、僕は足繁くこの店に通い、様々なマンガを買いあさっていたのだが、やまだ紫さんとの出会いもこの店(ついでに言うと、近藤ようこさんや、津野裕子さんなどガロ系の女性マンガ家は全てこの店で教えてもらったようなもの。感謝しています)。彼女の代表作といえる『しんきらり』(青林堂、現在筑摩書房)がこの「わんだ~らんど」に置いてあって、それをパラパラ読んで、「衝撃」(としか言いようがない)を受けたのだ。そこに描かれていた世界は、高校生のケツの青い僕にはまるで「判らない」、だけど「ものすごく胸に迫る」ものだったから。夫婦と二人の娘が構成する家庭とそこでの心の移ろい、などと書くと陳腐になってしまうので贅言は控えるが、「夫婦が穏やかに過ごすこと(その穏やかさを維持すること)」が「ささやかな夢」どころか実は「激しい夢」であることを教えてくれたのは、間違いなくこの作品だ(こういう台詞が本編に出てくるのです。興味ある方は探して是非お読みください)。この『しんきらり』以来、僕はやまだ紫さんのファンを続けている(今自宅にある『続しんきらり』は偶然手に入ったサイン本です。ちょっとした自慢)。

で、今回の新作はマンガとエッセイが半々(エッセイの方が量は多いが)。全体的な印象だが、穏やかに日常に立ち現れる問題を提示するスタイルや、恋人や夫婦の愛のありようについての言及など、やまだ作品としての「手触り」は昔から変わっていないと思うが、今回、大病を乗り越えた後だからか、それともお孫さんができたという変化もあってのことだろうか、エッセイにも明言しておられるように「人間性善説」を前面に押し出し、あえて「常識」とでも呼ぶべき「心配り」を提言しているような印象を受けた。これは、奇抜な発想でも提案でもない。しかし、強靱な「常識」であり「良識」だと思う。「渡る世間は鬼ばかり」と思いたくもなるような昨今だからこそ、この「常識」を再度強調することに意味が出てくると思う。当たり前のことを当たり前にこなすこと、これは『しんきらり』で描かれていた夫婦生活の穏やかさの維持と同じく、実は大変な困難と伴うことだと思う。『愛のかたち』は、僕にとっては、もちろん新しい要素もたくさんあるのだけど、僕が初めて読んだやまだ作品の『しんきらり』を彷彿とさせる作品集だった(エッセイは驚くくらいご自身の心情を吐露しておられたので少し驚いたが)。

この新刊のついでに、前述の近藤ようこさんの初のエッセイ集も偶然見つけ、これも購入(『後には脱兎の如し』晶文社、2004、\1800)。僕の掲示板で以前教えていただいた、たかみようこさんの『ソウルで新婚生活』(大和書房、2004、\1300)も購入(掲示板で教えていただいたのは韓国語版だったが、日本語版がこうしてすぐに出たのだ)。今晩は近藤さんのエッセイからかな。たかみさんのは、確かに韓国語のレッスンにもなる良い出来の本(マンガ&イラストで読みやすい)。韓国に興味ある人、もしくは韓国人とつきあっている女性にはお勧め(笑)。

November 25, 2004

斎藤美奈子『物は言いよう』を読む

今日は講義の直後から教授会で、ご飯を食べる暇さえなく(要領の悪い自分のせいだが)、会議が終わった頃には空腹でヘロヘロ。というわけで、その後書類を書いたり学生の相手を終えた後は、コーヒーを淹れながらパンをかじりつつ、斎藤美奈子さんの新刊『物は言いよう』(平凡社、2004年、\1600)を読了。実は、昨日の大阪へのコンサートへの往復の間に、あまりの面白さにほとんど読んでいて、その残りを読んだのだ。相変わらずうまいなあ、斎藤さんは。文章や落としどころがうまいっ!いつもながら感動します(僕は結構彼女の愛読者です)。

この本は、今はなき『噂の真相』に連載されていたのをまとめて増補改訂したもの。
言葉の「名シェフ」斎藤さんの俎上に(哀れにも)載せられるのは、FC(フェミコード)に引っかかった様々な有名人たち・言論人の迷言・失言・暴言の数々。要するにジェンダー、もしくは女性に対しての配慮が無さ過ぎる言葉たちだ。
まずは斎藤さん、よくもまあこれだけの言葉を集めたものだと感心し、その次に、よくもまあこれほどの失言がいまだに蔓延っているものだとガックリ_| ̄|○。浜の真砂は尽きるとも、世に失言の種は尽きまじ、といったところか。最近だと、少子化問題とかを論じる席で、保守系の議員がFC引っかかりまくりの失言しまくっているしな。

さてこの書の特徴は、それぞれの言葉の「難易度」を★で表している、という点。誰が見ても「これは問題あるでしょ」というのは難易度が低いと見なされ★が一つ。ところが世の中には、一見理解があるように見えて落とし穴を掘っている難しい言葉もあったりするから油断はできない。そういう言葉には★が三つ付いていたりする。つまり難易度の高い言葉、とここで斎藤さんが判定している言葉は、まさに「ちょっとは理解あるつもり」という僕のような人間がついつい口にしそうな言葉でもあるのだ。くわばらくわばら。
僕が下手な紹介をして、せっかくの「斎藤節」をダメにしてしまうことは避けたいので、内容の細かい紹介は省略するが、僕がこの書を読んで感心したのは、斎藤さんの「戦略性」である。戦略性、といえばフェミニズム業界では上野千鶴子先生とかかもしれないが(ちょっと自信がないけど)、斎藤さんは、このところ学問として難しくなって一般人に声が届かなくなっているフェミニズム業界に対して
「なんて売り込みが下手なの、あんたたちは。そんなことだからしょーもないジェンダー・フリー・バッシングとかで好き放題言われちゃったりするのよ」
と、返す刀で、長年の盟友(?)であるファミ業界に対する批判的スタンスも忘れていない(愛情ゆえの叱咤激励だ)。僕はそういう部分に非常に感服した。

これは学生の皆さんにも是非読んで欲しい本だ。もちろん、「お勉強熱心」な学生さんは、ちょっと難しいフェミニズムの理論書にでも果敢に挑戦していって欲しいが(そのお手伝いはいくらでもします)、まずは斎藤さんの名人芸(名人芸過ぎて真似できないところが難点だが)に酔いしれつつ、「FCセンサー」を身につけて欲しい(もちろん、僕も身に付けたいと思っているわけですが)。少なくとも「男脳・女脳」というような与太話に騙されないくらいの知見は身につけましょうね。

追記:この書の最後には「『ご主人と奥様』問題」と題されたコラムが付いていて、そのタイトルの通り自分の配偶者や、他人の配偶者をなんと呼ぶべきだろうか、という問題についての斎藤さんの一案が書かれている。僕は斎藤さんにほぼ賛成。とくに「目上の人のお相手には奥様、という言葉を解禁したら」という案には賛成だ。実はずっと困っていたんですよね。自分の妻のことは単に「妻」と呼んでいる僕ですが、他人の、特に目上の方の配偶者をどう呼ぶべきかというのは、フェミを囓った僕には悩ましい問題だった。一時「パートナー」と呼ぼうかと思ったが(先輩に当たる人のお相手には使った事がある)、小谷野敦さんの本に「パートナー、という言葉は、ネイティヴから見ると非常な違和感を持つ言葉」とあったのを見て、使う気が失せていたのだ。

November 24, 2004

澤野工房コンサート感想

今日は、講義を終えてから大急ぎで大阪の難波に向かう。
というのも、僕が最近贔屓にしているジャズレーベルの「澤野工房」が主催するコンサートが、なんばHATCHで開催されたからだ。やっぱり京都からミナミまでは結構遠い。開演の7時ギリギリに会場に到着。

今日の出演者は、僕がこのレーベルで一番好きなピアニストであるジョヴァンニ・ミラバッシGiovanni Mirabassi(イタリア出身、パリ在住)が率いるトリオと、ヨス・ヴァン・ビーストJos van Beest(オランダのピアニスト)が率いるトリオという二部構成。生のミラバッシに会える、と思いチケットを早めに購入しました。その結果、僕の席は前から6列目の真ん中のブロック。ラッキー。

まずは会場入り口の売店で、会場限定発売のミラバッシのライヴ版と、ヨス・ヴァン・ビーストとそのパートナーであるマリエル・コーマンの新譜をゲット(その時は休憩時間があるとは知らなかったので、慌てて買ったのだ)。
ドタバタしてホールに入ると、ほぼ満席。澤野のファンはこんなにいるんだなあ、と実感。さすがに年齢層は高めだった。渋いおぢさんたちの姿が目立つ。

舞台の袖から、澤野社長がまず挨拶とアーティストの紹介。社長も緊張しているようで、挨拶も噛みまくり。でも却って朴訥そうなお人柄が表れていて好印象。

で、待ちに待ったミラバッシの登場!!びっくり、背がでけえ。なんか写真だけ見ると小柄そうな印象だったのに、まあイタリア人だからと僕が勝手にそういうイメージを持っていたのだが、180センチくらいあったと思います。ミラバッシは背中を丸めて優しく鍵盤をこするように音を出しました。一曲目は、僕の涙を幾たびか絞った「El pueblo unido jamas sera vencido」(「不屈の民、結束した人民は決して敗北しない」、という意味なのだそう。僕はスペイン語やっていないので、判らないのですが・・・)。鳥肌もんでしたよ。曲もメランコリックなものが多いミラバッシは、人柄もどうもシャイらしく、ボソボソとメンバー紹介した以外は、ひたすら演奏。結構一曲一曲が長めなものが多く、あっという間の、夢のような約一時間半。僕のミラバッシの印象は、曲からのイメージで「繊細」というもは当然ですが、なんだか「天才少年詩人」というようなイメージです。シャイな少年が書き散らした詩を手に取ってみると、とんでもなく芳醇な世界が待っていた・・・そういう感じです。ベースのボクル氏、ドラムのムタン氏もすごいテクニシャン。ムタンさんは明るい人で、観客の方をいつも見てくれていて、盛り上げ屋という感じでした。
あとびっくりしたのは、彼が僕より年下だって事(笑)。まさか僕より二つも下だとは・・・。

休憩の後は、第二部でヴァン・ビーストトリオの登場。彼の演奏も僕は結構好きで、CDもちゃんと持っている。
第一部のミラバッシ・トリオはマイナーチューン中心のロマンティックな感じだったが、今度のは一転して明るい「大人」のジャズの世界。ミラバッシの方はまさに「コンサート」として身を乗り出して聞いていたが、ヴァン・ビーストの方は、まさにお酒でも片手にリラックスして聞きたい感じ。ライヴハウスのような親しみやすさだ(スタンダードのAutamn LeavesMy Foolish Heartなんかもやってくれるし)。そしてMCも気さくな感じで、分かりやすい英語で語りかけてくれた(僕でも聞き取れたくらい簡単な英語だった。英語がうまいのは、さすがオランダ人だ)。「大阪は二回目です。あなたがたのようなファンに恵まれて大変ハッピーです。来年にでも新しいアルバムをひっさげて日本に来たいね」というような内容だった。
そしてヴァン・ビーストのパートナーであるヴォーカリスト、マリエル・コーマンMariëll Koemanの登場でヴォルテージも上がる。しっとりとした歌声に、惚れましたよ(上記に書いた、その新譜をずっと今聴いています)。いやあ、大人って感じだねえ。僕も大人の一歩を上がらせてもらった気がしましたよ。

てなわけで、約3時間にも及ぶコンサートは無事終了。大満足で帰路についたのでした。
澤野工房、これからもずっとついていきます!!

November 23, 2004

またまたヴィクトリアン・エイジの本を読む

さて、今日は何だか中途半端な祝日。
昨日まあまあ働いたので(短い原稿を一つ仕上げた)、今日は骨休みと思い、昨日ご恵送いただいた本を早速読んで過ごす。

送っていただいたのは
岩田託子『イギリス式結婚狂騒曲』中公新書、2002年。
岩田託子・川端有子『英国レディになる方法』河出書房新社、2004年。

の2冊。

岩田託子先生は、僕が研究会でお世話になった岩田文昭先生の奥様で、先日僕が森薫先生の『エマ』にはまり、ヴィクトリア時代の本をパラパラ読んでいるなんてこのブログに書いたのをご覧になって、この時代の専門家である先生が、ご自身の御著書をわざわざお送りくださったのだ。あんな駄文が専門家の目に触れたというだけでも恐縮するのに、御著書までご恵送いただき、早速新書から読ませていただいたのだ。

さて、『エマ』を読んだ方は憶えておられるかも知れないが、4巻の最初のエピソードで、ウィリアムが

「あの時 とにかく追いかければよかったか 行き先も知らないのに? 探せば・・・ どうやって? ・・・・・いや それよりまえに ふたりでグレトナ・グリーンにでも駆け込めばよかったか ロマンス小説じゃあるまいし」(pp.20-1)

とエマを追いかけなかったことを悔やむシーンがあるのだが、最初読んだときはこの「グレトナ・グリーン」は地名なんだろうな、くらいに思ってちゃんと考えなかったのだが、岩田先生の御著書でこの疑問が氷解した(と言うより、『エマ』のこのシーンは岩田先生の御著書が元ネタ)。
グレトナ・グリーンGretna Greenとは、スコットランドとイングランドの国境にある小さな村の名前で、「駆け落ち婚(runaway marriage)」のメッカとして有名な村なのだ(Gretna Green Marriageという言葉が作られたほど)。詳しいことはこの書に譲るが、イングランドの厳しい結婚に関する法律を嫌って、多少法律が緩いスコットランドで結婚してしまおうという連中が、国境線を目指して「駆け落ち」するのだが、19世紀にはそれこそロマンス小説のネタにされるくらい有名になってしまい(様々な小説で、このグレトナ・グリーンは使われている)、上記のウィリアムの台詞はそういう状況を踏まえた上の台詞なのだ。
ロマンティック・ラヴ・イデオロギーに染まりまくっているはずの僕は、この駆け落ち婚の流行を笑う資格はないだろうなあ。昔みたいに外的な障害がなくなって、恋愛結婚がデフォルトになってしまった昨今では、恋人に様々な条件を突きつけたり、自分の気持ちに異常に拘ったりして、自分から「内的」な障害をこさえてドラマティックに仕立て上げているのかも知れないなあ・・・などと、読みつつ思う(具体的な友人の顔を何人か浮かべながら)。

この新書、軽妙な語り口で当時のイギリス社会のことが判るし、『エマ』にはまった人にはおすすめです。
もう一冊の『英国レディになる方法』も、今読んでいる途中ですが、図版も多く、情報量も豊富(ゆっくり読んでおります)。ヴィクトリア時代の様々な「道具」とそれにまつわる知識が付くこと請け合い。

整体に行く

このところ肩こりがひどかった。
元々肩こり持ちだったし(当然のように頭痛持ち)、僕の仕事は本を読んで、こうしてパソコンに向かうのは避けられないので、職業病だなと半ば諦めていたのだが、このところの肩こりは頑固で、いつもなら風呂に入れば多少軽くなるのが、なかなか軽くなってくれない。そして昨日重い本をまとめて運ぼうとして、腰の方まで「ピキッ」とやってしまったので、さすがにこれはやばいと思い、googleで「整体 左京区」とか、適当なキーワードで色々検索してみて、祝日でもやっている自宅の近所の整体院のサイトを見つけ、予約を入れて行ってみた。京都に引っ越してきてから、こういう所に行くのは初めて。

まず整体の先生は「じゃあ、壁を向いて、一番楽な姿勢で立ってみてください」と言って、僕の横からチェキで一枚写真を撮ってくれる。そして浮かび上がってきたものを見てびっくり。先生から色々指摘されたわけだが、自分でも驚くぐらい猫背で、顔が前に突出していて、まるで進化の途上にある類人猿みたいな姿勢だった。先生の見立てでも「この姿勢では肩が凝るのは当たり前。マッサージしてほぐしてもそれは一時的なもので、この姿勢が矯正されない限り、すぐに凝るよ」とのことで、写真の前にはぐうの音も出ない。
そこで色々施術をしてもらい、「ほほう、整体とはこういうものなのか」と感心。僕は体も固いし、すっかりなまっていて、先生の「じゃあ、肩を前に突き出すようにしてみて」などの指令にも上手く反応できず「いや、そうじゃなくて」と言われまくる。肉体をおざなりにしてきた自分を反省させられる瞬間だ。

で、結論だが、勿論一回の施術ですっかり良くなる、という事はまずない。でも、頑固な肩こりは大分軽くなってビックリ。ついでにまた写真を撮ってみると姿勢も良くなっていてビックリ。でも、長年歪んできた体はすぐに元に戻ろうとする。家に帰ってきてから数時間で(この日記を書いている時点で)、体の一部は「あれ?」という感じになってしまっている(ついつい足を組みたくなるとか。僕は右足を上にして組む癖がある。これは体の歪みからの「欲求」なのだそう)。道は険しいが、何もしないよりはましと思い、時々はこうした「メンテナンス」をしようと思う。自分では若いつもりでも、結構体の一部にガタが来る年齢なのかも知れないし。

昔「癒し系教師」になりたい、と言っていたが、すっかり「癒され系教師」になってしまいました(笑)。今までこういう整体やら「癒し系スポット」やらは、宗教学者の僕にとって「研究対象」だなどとうそぶいていたのだが、すっかりはまってしまいそう(今日、僕が行ったところはカイロプラクティック療法オンリーのストロングスタイルだったが、いくつかホームページを見ると、精神世界系の方が主なのではないか、という感じの場所もある。そういうところは今回は敢えてパスしたけど)。
さて、今晩から指導を受けたように腹筋運動するか・・・。

November 19, 2004

誕生日&検索窓設置

今日は大学の方は学園祭の準備と言うことで休講。外は舞台の設営やら、バンドのリハーサルやらでうるさいです。
でも、教員の方は「暇になっただろ」とばかりに会議が待ち受けていたりするのであった・・・(僕は二つで済みましたが)。

まあ、それも無事終わって、今研究室で一息つきつつ、一人で誕生日の余韻に浸っています。
実は、今日は僕の誕生日なのです。三十路のぞろ目です。
何人かの方がメールでお祝いを言ってくださいました。わざわざありがとうございます。

さて、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、昨日から実験的にサイドバーに、Googleのお力を借りて、サイト内検索の窓を設置してみました。ココログは、やはりニフティが大量の会員を抱える殿様商売のせいでしょうか、こういう「ツール類」の提供がほとんどされていなくて、htmlやらjavaに詳しい方がそれぞれ工夫なさって、色々ご自分のブログで教えてくださったりしています。そこで僕も色々検索してみて、タグやらコードやらを見て回りました。
今回の設置で参考にしたのは「いかんともしがたい」というブログの「Google検索窓を設置する」と題された一連の連載記事でした(僕は特に「その2」を参考にさせてもらいました)。この場を借りてお礼申し上げます。
何か僕のブログで検索なさりたい方は使ってみてください。

November 17, 2004

『クロ校』11巻発売!!

さあ、とうとう(?)野中英次『魁!!クロマティ高校-あすなろ編』(少年マガジンコミックス)が発売されちゃいました。買い続けて早11巻。のなー(野中英次氏)の連載の最長記録(恐らくご本人も一生これを越えることはないと考えているでしょう)。
今日の昼休み、外に食べに行った帰り、時間をずらして学生に見つからないように、大学の近くの書店に忍び込んでこっそり買ってしまいました。
で、帰りの電車の中で読んだのですが・・・。疲れが再びどっとぶり返すような感覚に(これが一種の快感になっているとも言えますが)。

今回、心に残った一言。

神山「ギャグってのは意外と難しいよ。すごいセンスを持ってる人じゃないとできない。・・・もしくは作品を完全に投げてる人。そのどちらかだね、ギャグやってる人って・・・」(p.92)

おいおい、のなー、これは誰のこと言っているのか?自分はどっちだと思っているのか。雪隠詰めにして小一時間ほど(以下略)。
この台詞って、一種の究極の「自虐ギャグ」だと思うんですが・・・。

昨日とはうって変わって、今日は軽い読書日記になりました。でも、こっちの方が皆さんの食いつきが良さそう(笑)。

November 16, 2004

「文化資本」とか「階級」とかを考えちゃう

今日は講義が終わった後、何となくだるくて、早めに帰宅。
恐らく季節の変わり目で風邪を引いた学生から風邪をうつされかけたことと(僕自身も鼻が詰まったり、ちょっぴり喘息気味だ。呼吸器系最悪)、書評のお仕事を一つとりあえず終えて、気が抜けたことなどが重なって、どっと疲れが来たのだろう。キューピー○ーワも効かないようだ。

でも家に帰ってほっこりほうじ茶などを飲んでいると回復してきたので(現金なものですね、僕の体も)、読みかけの本を2冊読破。

一冊目は永江朗さんの『批評の事情』(ちくま文庫、2004)。この本はそのタイトルの通り、著名な批評家がどういう人か、というのを大雑把に俯瞰して見せた批評家ミシュラン本(主に90年代に出てきた人を中心にしている)。美術や建築、車の評論家などは全く知らないのでここは軽く読み飛ばして、僕も結構読んでいるような人(具体的には大塚英志、宮台真司、斎藤美奈子などetc)を永江さんがどう評価しているのかを確かめた、という感じだ。僕と永江さんの感性が恐らく似ているのであろう、結構面白く納得しつつ読むことができた(大月隆寛に関する評価とかは、非常に同感)。評論家の選び方や、その評価については個々で異論があるだろうが、本書でも俎上に挙げられている福田和也の『作家の値うち』(飛鳥新社、2000)よりは数倍マシだろう。なお、評論家それぞれに似顔絵が付いているのだが、すごく似ている。このイラストレーターの人は偉い。こちらはさくっと読了。

二冊目が、新井潤美(めぐみ)さんの『階級にとりつかれた人びと-英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書、2001)。この本は、実は最近はまった森薫さんのマンガ『エマ』の副読本のつもりで(笑)購入しておいたもの。『エマ』はヴィクトリア時代を舞台にしたおぼっちゃまとメイドの恋愛ものなわけだが(こう書くと実も蓋もないが)、実際のところ、英国の身分制ってよく判らないところがあるので(めちゃくちゃタイトな構造でもなさそう、というところは感じていた。実際この本でも、その流動性が指摘されている)、この本で教えてもらおうと思ったのだ。
実は僕は何故か昔から(『エマ』を読む前から)、19世紀末あたりのイギリスの文学とかが一時期すごく好きで、思い起こせば高校生の時に、何故かトマス・ハーディの『テス』を一気読みしたのが出発点だったように思う(勢いでナスターシャ・キンスキー主演、ロマン・ポランスキー監督の映画まで見ちゃいました)。その後はオスカー・ワイルドに走り(これはイギリスのバンド、The Smithsのヴォーカリストだったモリッシーの影響もあったと思う)、耽美的、もしくはグロテスクな世紀末絵画を眺めたりしていた(ビアズリーとかラファエロ前派ですね。判りやすいなあ、と自分でも思う)。大学に入ってからも、一般教養の単位を取って暇になった2年生の時は、19世紀末から20世紀初頭のイギリスを舞台にした映画を結構見た気がする(ジェームズ・アイヴォリー監督の『眺めの良い部屋』とか)。お金がないときは蓮実重彦先生が集めたと思われる教養学部のビデオ・ライブラリーに通って、『モーリス』(これもアイヴォリー監督だっけ)やら『アナザー・カントリー』(邪悪すぎる台詞が目白押し)なんかも見てしまった暗い過去(笑)もありました。

それはさておき、今回のこの本で知ったのは、「ミドル・クラス」と一口に言っても2つの階級、即ち「アッパー・ミドル」と「ロウアー・ミドル」というのにかっちりと分けられる(上の者が分けようとする)というイギリス社会の構造だった。そして、基本的に成り上がり者の「ロウアー」は、貴族階級(ジェントルマン階級)やアッパー・ミドル・クラスのライフスタイルを一生懸命「物真似」しようとして、それが却って上の階級から嘲笑される、という、いやーな仕組みがあって、とにかく、上からも下からも「分不相応な振る舞いをする」とロウアー・ミドルは「差別」された、というのがこの書の中心テーマだった(逆に一番下のワーキング・クラスは貴族たちの「お気に入り」だったというオチまである。こういう心情は『マイ・フェア・レディ』とかに表れているそうだ)。

元々生まれながらの貴族が分をわきまえない「下々の上昇志向」そのものを小馬鹿にする、というのは分かりやすい話だ。でも、話がややこしいのは、そのロウアー・ミドル・クラス・バッシングの理由は、この上昇志向だけではなく、彼らの信条、即ち「リスペクタビリティ」にあったというのが肝である。respectability、直訳すれば「尊敬されるに値すること・立派なこと」とでもいおうか。字面だけでは良いことのように思えるが、この言葉は両義的な意味合いを持つので、翻訳は困難だと新井氏はいう。このリスペクタビリティは、当時の女王ヴィクトリアが質実剛健であったこともあって勢いを持った傾向性なのだが(禁欲と勤勉を旨とする「福音主義」というキリスト教の影響も大きい)、要するに勤勉で真面目で清潔で質素で、自助努力によって立派な人間となり金を稼ぐという、明治以降の日本の「ガンバリズム」にも通じるようなメンタリティを指している。事実、この思想の代表であるスマイルズのSelf Helpは、中村敬宇によって『西国立志編』となったのは周知の通りだ。しかし真面目にバリバリ働くこと自体が上の階級からは「見苦しい」とされ、リスペクタビリティも、無理に訳せば「石頭で無粋なこと」というような意味合いを持たされ、それが差別の理由となったのだそうだ(逆に貴族は「放埒さ」「芸術に耽溺できること」などが貴族性と見なされたわけだ)。書けば書くほどひどい話だ。

この本を読んで連想したのは、フランスの社会学者P.ブルデューがいう「文化資本capital culturel」の概念である。上記のイギリスにおけるロウアー・ミドルいじめは、要するに「文化資本」を持っていない者を既に持っている者が小馬鹿にする態度なのだから。「文化資本」に関しては、内田樹先生がブログや御著書(『街場の現代思想』NTT出版、2004)で分かり易い解説を書いてくださっているので、その定義はそちらに委せることにするが、「それを渇望する者を、既に持っている者が絶対的に有利な立場から眺める」という構図は、やはり甚だ精神衛生上よろしくないと思う。そこで内田先生が提案する、「みんなでプチ文化資本家になろう」という解決策に(もちろん、完全な解決策にはならないことは内田先生も十分承知の上でおっしゃっているが)、僕としても全面的に賛成である。

しかし「精神衛生上悪い」といっても、欲望というものが「持つ者を模倣することから始まる」(これはルネ・ジラールの受け売りですが。これについては、昔僕が書いた「吉野朔実論」を参照してください)という構造を持つのだから、この構図(というか構造)は不可避なものとも思う。残念ながら。そして、真似する者は常に後塵を拝するのだから誉められることもない。お勉強して文化資本を身につけようというそぶり自体が「文化的ではない」と烙印を押されるのだから。
分かり易い例を挙げれば、いわゆる「シャネラー」は、絶対本当のお金持ちからの尊敬を得ることはない。そして、血眼になって、こういうブランド品をあさる人は、生まれたときからそのようなものに囲まれて育った人でないのも、ほぼ確実であろう(本当のお金持ちは、普段使いのものとしてそういうブランド品を使っており、人から指摘されて始めて気付く、なんてものであろう)。例に挙げて悪いが、ハイヒールモモコが数百万円をシャネルにつぎ込んでも、それを羨望の眼差しで「すごーい」と誉めてくれるのは、同じ「シャネラー」仲間だけであろう。そしてその「シャネラー」というサークルは、丸ごとセレブの皆さんに「下品よね」という形で小馬鹿にされる。いや、本当のセレブはそういうことすらも思わないかも知れない(そういう下々のことに目くじらを一々立てないのが「上流階級」のたしなみですし)。この「差別」構造は非常に柔軟性があるので(上記のイギリスの例だって、リスペクタビリティが「揶揄」の対象になることを教えてくれた。いじめや差別の理由なんて、どうとでもなるのである)、打ち壊すのは非常な困難を伴うことだろう(ひょっとしたら、打ち壊せないかも知れない)。

私事になるが、こういう「文化資本」について僕が一番鋭敏だったのは大学入学当初だったと思う。僕はそれほど進学校でもないところから一人で東大に入ったのだが、周りを見るといわゆる超有名な進学校出身の友達が山ほどいて、彼らは中学・高校からの友人たちと軽々と肩を並べて東大に入学し、家はお金持ちか、ステイタスのある職業に就いている父親がいて・・・という具合。僕は彼らの醸し出す「余裕」、即ち「文化資本」の香りをかいでたじろぎ、「何だよ、こいつら、ちくしょー」とばかり意固地になった(自分の殻を守るために、入学して半年は大阪弁しか使わなかったくらいだ)。彼らに追いつこうともがいたわけだ。ある友人によると、昔の僕はいつも怖い顔をしていたそうだ(K林くんの証言による)。さもありなんと自分でも思う。
しかし、いつの間にか、僕はもがくことを諦めた。僕自身が諦めの良い性格である事はさておき、彼らを妬んでルサンチマンを募らせるより、彼らの素晴らしいところ(人間的にも「善良」な奴が多かったのだ)を吸収する方が自分のためになる、と計算したのである。そして、現在の人格円満(?)な僕が形成されたというわけです。自分語り終了。

とまあ、イギリスの階級社会についての本を読んで、今や日本でも通用しつつある「文化資本」とそのデバイトをついつい考え込んでしまったのだ。これについては考えがまだうまくまとまらないので、今日はこれくらいで止めておきます。

November 14, 2004

今日は宣伝です

みなさまへ
今日は知り合いの珈琲屋さんを宣伝したいと思います。

東京中央線の高円寺に、「カフェ ジャンゴCafe Django」というお店があります。高円寺北口を出て、あずま通り商店街にあります。
このお店の店長であるYさんは、昔からの知り合いで、僕に「コーヒーの奥深さ」を教えてくれたコーヒー道の「お師匠様」でもあります。そのYさんから、最近作ったブレンドと缶をいただきました。ありがたや。

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(トレードマークがかっこいい)

最近は様々な喫茶店に豆を卸していたり、PARCOに臨時出店したりとか(今回くれたのも、この出店に合わせての特別仕様のものです)、夜はいわゆる「クラブ」に変身する日もあるらしく(僕はまだ行っていませんが)、中央線沿線の夜遊び好きにも見逃せないスポットになりつつあるようです。

でも、原点は美味しいコーヒー。皆様一度足を運ぶか、通販で試してみてください。僕のお薦めはジャンゴブレンドとマンデリンです。

November 13, 2004

はてなアンテナを借りる

僕の知人、友人は、「はてなダイアリー」を利用している人が結構多い(とくに社会学系の研究者に多いのは何故?)。
僕は昔からのニフティ会員なので、何とはなしにこのココログを選んでしまったが、「はてな」は、キーワード機能があるせいで、ブログの相互浸透性というか、色々「飛ぶ」ことができるような仕掛けがあって面白いなと思っていた(まあ、そのキーワード機能が画面上多少うっとうしいが、同じ言葉を遣っているブログにどんどん飛べる機能はやはり捨てがたいだろう)。

僕もネットを巡回しているうちに、どんどんお気に入りのブログが増えてきて、その更新状況を手早く知るために、とりあえず昨日「はてな」に登録し、「はてなアンテナ」だけを利用させてもらっている(この左側にも登録しました)。例えば「Mybloglist」のようにブログのサイドにどんどん更新状況が現れるようにする方法もあるらしいのだが、複雑なタグを書き込んだりするのは面倒くさいなあ、ということで、一番安直な方法にしました(Mybloglistが「面倒くさい」と言っている段階で、僕のホームページ作製の知識がどんなものかお判りでしょう。僕はhtmlの知識は初期段階で止まっています。憶える気もあまりなし)。

さて、はてなユーザーの人は既にご存じだし、よく利用されていることだろうが、昨日登録したばかりの僕が「へえ」と感心したのが「おとなりアンテナ」「おすすめページ」という機能。「おとなりアンテナ」は、アンテナを張っているブログが重なっている人をピックアップしてくれる機能。要するに「趣味のかぶる人」を洗い出してくれるわけだ。「おすすめページ」は、どういう仕組みなのかは知らないが、いくつか見て回ると、確かに僕の好みに合うページがあったりする。なんか、アマゾンの「おすすめ」みたいなものか(まあ、あれは今まで購入したものから割り出すので簡単そうだけど)。なかなか楽しい。あと、各サイトやブログの横にある「map」というのをクリックすると、それぞれのページの「おとなりページ」というのが出てきて、これまた世界がどんどん広がるし、自分はどういうところに位置づけられているのかという、文字通りマッピングがされるのでこれまた興味深い。そうか、僕はこういうサイトの「おとなり」と認知されるのか・・・。

というわけで、はてなユーザーの知人の皆さん、「t-kawase」のコメントは僕ですので、宜しくお願いします。

November 11, 2004

卒業生達との呑み会

今日は昼過ぎに講義があり、90分間喋り倒してヘトヘトになったあと(今日のお題はデュルケムの『自殺論』。暴走して韓国の学生運動の自殺の話や、イラクの香田さん一家の話までしちゃった。こういう暴走はいつものことだが)、容赦なく会議。

丁度その時、卒業生のU君とNさんがやってきたので、僕の研究室を開放して待たせることにする。Nさんは最近まで韓国に留学しており、その帰朝報告をしに来てくれたのだ。U君はその同級生で、去年僕が論文指導に当たっていた学生。
そして会議が終わり、研究室に戻り彼らと雑談。その後は、当然「じゃあ、一杯やっていこうか」ということとなり(仕事は明日以降に延期)、U君のリクエストで、大学の近くの某中華料理屋に向かい、酢豚やらエビ入り焼きそばやらシュウマイやら青梗菜やら豆腐のオイスターソース炒めやらをビールで流し込む。
話題は色々だったが、大体はこれからの身の振り方をどうするのか、というような話と、彼らが卒業し、いま僕が勤めている学科の行く末(おわわ)などが中心。そうだなあ、あとは結構真面目な学問論(美術史はどうあるべきか、とか、宗教研究はどうすればいいかとか、マンガを学問的に語るにはどうすればいいか、とか)を闘わせた(というより僕が喋り倒しちゃったかな)。

わざわざ来てくれた二人に、ちょっと良いところを見せようと思って、奢ってやることにする。まあ人数も少なかったし、いつもはガンガン飲むはずのNさんが大人しかったので奢ることにしたのだが(笑)。
そもそも、こいつら(奢ってやったから「こいつら」呼ばわりします)は、先生からは「奢ってもらって当然」という「悪しき習慣」に染まっていているのだ。その発端は、今年の3月に定年退官されたY先生という方だ。Y先生はその「気前の良さ」「太っ腹さ(実際にはスリムな方です)」で学生からの人望を集めていらして、学生時代いつもY先生に奢ってもらっていたNさんやU君(あ、僕も一緒に呑みに行ったときには、ほとんど奢ってもらっていたような気がする・・・。同じ穴の狢だ)からの「熱い視線」に負けてしまったというのが真相に近い(気が弱いです、僕。期待されるとダメだなあ)。学生達はY先生に冗談で「将軍様」などというあだ名を奉っていたのだが、今日のことで僕はとりあえず「後継者の若様」と認定されたようだ(笑)。

遠方から教え子が来る、やはり喜ばしいことではあります。また呑もうね。

November 09, 2004

このところのexcite booksは面白いぞ

今日は授業が終わった後、ちょっと前に依頼された書評原稿に取りかかる。その本のことを知らずに安請け合いした僕が悪いのだが、何とその本は500ページほどの大著!!先週の空き時間はこの本を読破することで全て潰れてしまった感じがする。ううう。
もちろん、この本以外にも色々読まねばならない本もあるし、「息抜き」の読書も生命維持上必要で(こっちがメインという噂も。昨日はこいずみまりの新刊『ねこまんが』2巻を読んでいた)、勢い「過読」状態となり、この頃はキュー○ーコーワなどのお世話になることも多い。慢性の眼精疲労だ。

さて、書評といえばネット上も本関連のサイトや書評サイトなどが花盛りだが、このところの「excite books」は面白い記事が多く、ついつい読んでしまって時間を食うことが多い(ということで、書評原稿はもう少し待ってください>関係者の皆さん)。
僕が以前から愛読しているコーナーは、作家やマンガ家、評論家のインタビューコーナーだが(ここで記事を読んで、山形浩生さんは意外と良い奴なのでは、と思ってしまったこともある)、インタビュイーの選び方が要するに僕好みなのだ(辛酸なめ子さん、内田樹先生、柴田元幸先生、石原壮一郎さん、北田暁大さん、などetc)。
そして今回「やられた」と思ったのが、「ニュースな本棚」というコーナー。これは要するに「特集コーナー」なのだが、今回のお題が「えっちな少女マンガ」。パロディ精神あふれる書きっぷりには大爆笑。いやあ、勉強になりました。今回の記事を担当しているライターとイラストレーターの組み合わせでは、他に「メガネメガネメガネ!」というのも秀逸だった(これは日本の漫画界を席捲する「メガネ」「メガネっこ」をジャンル分けして分析した優れもの)。

他によく見る「本」「書評」関連サイトとしては、僕のブログにトラックバックを送ってくれた「書評Wiki」。ここは、ネット上を検索して出てきた書評(主にブログ)に直リンを張っているもの。自分が読んだ本を他の人がどう書評しているかがどうしても気になり、ついつい覗いてしまいます。

さて、お仕事に戻るか・・・。

November 08, 2004

物言えば、唇寒し

あるメーリングリストで知ったのですが、産経新聞のコラム「産経抄(11月2日付)」で、イラクで殺された香田さんのご家族に触れている部分があると聞いて、早速ウェブで見てみました。
はあ、確かに誉めているけど、こりゃひどいや。
僕も、あのご家族の態度は立派だと思います。でも、僕の考えとは全く違います。このコラムニストの考えは、以下の引用を読めば明白でしょう。

若者を支えた多くの人びとに心労をかけたことをわびて感謝の気持ちをのべ、さらにイラクに一日も早く平和が訪れることを祈っていた。この春の日本人人質事件の家族の反応とは、天と地ほどの差がある。若者に両親に似た分別と常識があれば、悲劇は起こらなかったろうにと惜しまれてならないのである。

よーするに「お上に逆らった前回の非国民(彼はこの言葉を遣っていないけど、脳内では使っていると思われる)とは違って今回の家族は殊勝である」という誉め方なのだ(ホント、えらそーな誉め方ですね。)。いやあ、すごいね。これほどあからさまだと、その裏の意味を取るとかができないほどです。

そもそも、あのご家族に「殊勝な言葉」を言わせたのは何なのかを考える必要があるでしょう。言うまでもなく、このコラムニストが代表するような「世間の圧力」です。このコラムニストは、自分がそういう圧力の一部であることを自覚していないと思いますけど。
僕だって、あのご家族の一員なら、4月のバッシングの様子を見たのだからびびってしまって「申し訳ございませんでした」とマスコミに向かって深々と頭を下げることでしょう。

このコラムは、まさに「原因と結果」が転倒していると思います。マスコミその他でどう扱われるかが判らないので、ご家族としては、ああいう対応にならざるを得なかったのでしょう(僕は強い意志でもってあのような対応をされたところを立派だと思っています)。このコラムニストは、自分の強い欲望(こうあれかし)が、ご家族に投影されたということに全く気付いていないと思います。
やれやれ、物言えば、唇寒しの晩秋です。

November 05, 2004

ミラバッシ新譜

今日は大学の創立記念日で学生はお休み。教員ものんびりしたいところだが、FD集会(Faculty Developmentの略。よーするに、学科や学部の教育・研究の現状を報告して、みんなでその改善策や問題意識を全学的に共有しようというもの)というのがあって、教員は「お仕事」。

でも、その会議の後に聞こうと思って、買ってきたCDがあるのだ。
僕は最近「澤野工房」というレーベルのジャズCDを良く買うのだが、このレーベルで、僕が最も好きなピアニストがジョヴァンニ・ミラバッシ(Giovanni Miravassi)という人。その人の新譜が出たと、ウェブサイトにあったので、いそいそと買いに出掛けたのだ。

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(これが新譜のスリーヴ。「Giovanni Mirabassi & Andrzej Jagodzinski Trio」)

で、会議が終わった後早速聞いてみたんですが、いつもながら、いいっ!!メロウで哀しげで繊細で・・・。音楽を表現する語彙が少なくて我ながら嫌になりますが、物憂げなメロディラインがお好きな方にお薦めです。クラッシクでもラフマニノフのピアノ協奏曲2番、3番を愛するように、僕はいわゆる「甘い旋律」に弱いんです。
前回の『Air』というアルバムは、トランペットとトロンボーンという管楽器とのトリオという組み合わせでびっくりしたが、今回はアコーディオンを中心としたベース、ドラムのトリオに、ピアニストとしてのミラバッシが加わるというこれまた変則的なもの。しかし、これが予想以上に良いのだ。アコーディオンの響きで聞く、ミラバッシのオリジナル曲。以前のアルバムで、涙が出るほど美しいと思えた「El pueblo unido jamas sera vencido」という曲もニューアレンジでお目見え(これはミラバッシの曲ではなく、ピノチェト政権下のチリでレジスタンス運動をしたフォーク歌手セルジオ・オルテガSergio Ortegaの曲)。
多分、しばらくはこれを聞き込むことでしょう。同時発売のライヴDVDも勢いで購入。これはこれから鑑賞する予定です。

そして、今月の終わり、このミラバッシが日本に来てコンサートをしてくれるのです。チケットは既に購入済み(僕は大阪のなんばHatchでのコンサートに行きます)。楽しみです。
ついでに、この「澤野工房」からアルバムを出している山中千尋さんも(以前、このブログで彼女のニューアルバムを誉めました)、京都コンサートホール(大学から歩いて5分)でコンサートをします。これも行く予定。
深まりゆく秋にジャズ。良いねえ。

November 04, 2004

楽天とブッシュ再選

表題に掲げた事態で脱力しちゃってます。どちらも、はあ、やっぱりね・・・という失望感と倦怠感。

楽天の方はともかく(どんな選手が集まるのか、他人事ながら心配してしまいますが)、ブッシュがもう一度選ばれるとはなあ。
ニュース番組のアメリカの地図を見ると(両候補の陣取り合戦の地図)、まさに二つに分断されている様子が分かって(要するに東・西海岸と、それ以外の地域だ)、世界の運命は、こういう事で決まってしまうのかとちょっぴり憂鬱にもなります。ABB(ブッシュ以外なら誰でも)運動は実らなかった。

でも、「アメリカ人はみんな田舎者で(以下略)」というようなことは言いたくありません。本当は言いたいところですが、アジアの国から見れば「小泉政権を長期化させている日本の民度は(以下略)」と言われるでしょうし。大体、僕が食べているものの何割かは、聖書を敬虔に信じるアメリカ中西部の人の良い農家のおっちゃんが作っている可能性もあるしな。「善意の帝国主義」というのが、アメリカの最もたちの悪いところだ。ブッシュに入れた農家のおっちゃんも、本当に善意からブッシュに入れているんだろうな。この「善意」がますます僕を憂鬱にさせるのだけど。

さて、このところ毎日拝見していた町山智浩さんのブログの一節で、

上の地図で、赤い州がブッシュ支持、青い州がケリー支持で、赤い州の住民は州法でもゲイ結婚禁止を選んだ。

青い州はニューヨーク、ワシントンDC、シカゴのあるイリノイ、カリフォルニア、それにハワイ。日本人観光客が行くアメリカ、テレビや映画で見るアメリカ、自由で最先端で、いろんな人種が暮らす、日本人が見上げる経済と文化の先進国アメリカだ。

筆者もそんなアメリカが好きで住み始めた。

しかし、政治的にアメリカは日本人があまり訪れない赤い州、白人中心で、頑迷で、狭量で、聖書を妄信する田舎の人々にコントロールされている(日本も東京や大阪ではなく、群馬や島根の政治家に国を牛耳られてきた)。

ということが書いてあって、そういえば日本も・・・と虚をつかれた感じがした。人の振り見て我が身を直せ、か。

それに、言わずもがなだと思うが「田舎者」という罵倒語は非常に危険だ。宮台真司氏がこの頃よく使う「田吾作」も同様。もちろん、こういう文脈で使われるのは比喩としての「田舎者」なわけだが、「都会」はそんなに偉いのか、ということを、原点に戻って考えてみるべきだろう。日本では、投票率は基本的に母集団の多さを考慮しても田舎の方が圧倒的に高いわけだが、これは政治が日常生活に密着しているゆえと説明される(議員と癒着した土建業などに象徴されるような)。しかし、逆に言えば、「田舎はこれだから・・・」などと都会でシニカルなことを言っていられるという「特権」それ自体に無自覚なひ弱なインテリ、それが、僕を含めた都会の人間の真の姿ではないのか。そんなシニカルな台詞は、田舎ではまさに「犬も食わない」代物だろう。
アメリカは、東海岸や西海岸の知識人はみんな反ブッシュなのに(書籍などもほとんどが反ブッシュらしい)、結局はブッシュが勝ってしまうことの重要さをもう一度考えるべきだろう。
TB送付先に、いわゆる「都会」の傲慢さを戒めている文章があった。深く同意するので引用する(「お前はインテリなのかよ」という声もあるかも知れませんが、一応大学教員までやっている人間が自分をインテリじゃないというのは自己韜晦が過ぎますし、知識人としての役割を果たしていないと思いますので、ここでは開き直らさせて頂きます)。。

少なくともそのような階級感覚に居直って自由であり客観的であると思うことがおかしいことには、いやしくも知識人たるのであれば自覚的であるべきだ。そこからいうと、旧制高校生流のまた官学アカデミズム内のリベラルというものは、いい気なものであり、それが恥ずかしいと思うぐらいの感覚はもつべきだ。そうでないと、21世紀になっても、ブッシュが勝ち、右翼が勝っていくだろう。つまり、問題の背後には、政治的主張というだけでなく、階級/ヘゲモニー問題があるのであり、それを解かねばならない。

November 02, 2004

蔵元の焼鳥屋

今日は秋晴れのいい天気。
ということで、講義が終わった後、気晴らしも兼ねて、自転車で今出川通りまで徘徊。京大の近くの古本屋に行ったり、京大や同志社の知り合いの研究室を訪ねたり(どちらも留守だったので、最近書いた論文の抜き刷りだけ置いて帰る)して自分の研究室に帰還。

すると、OBのK藤君が、就職活動の帰りだといって立ち寄ってくれたのでしばし歓談。その後、明日はどうせ休日だしということで、最近K藤君が友人と行って気に入ったという居酒屋に案内してもらう。
その店の名前は鳥せいといって、蔵元が経営している焼鳥屋。「神聖」というブランドを出している蔵元だ。場所は近鉄or京阪の桃山御陵前。やはり僕ら同様、明日が休日だということで、結構混んでいた。彼が勧める「原酒」をチビリ。うまーい。まだ火入れをしていない、文字通りの生酒。濃厚な味が、焼き鳥に合う。おすすめです。ちょっと道が判りづらいですが。あと、ビックリしたのは「伏見(もとは伏水)」というだけあって、あちこちで湧き水が出ていることです。この近くに住んでいたら、コーヒーとかはこの水で飲むのになあ、と羨ましくなりました。

なお、K藤君が「先生、どうぞ見てください」と僕に差し出した代物は、DVD。『天国と地獄の美女-江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」』(主演:天知茂、叶和貴子。脚本:ジェームス三木)。何でこんなものを・・・。K藤君の趣味はマニア過ぎる。というか、やっぱり年齢ごまかしてないか?僕よりも実は年上だろうという疑惑が湧く一瞬です。これから酔っぱらった頭で鑑賞する予定です。

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