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November 16, 2004

「文化資本」とか「階級」とかを考えちゃう

今日は講義が終わった後、何となくだるくて、早めに帰宅。
恐らく季節の変わり目で風邪を引いた学生から風邪をうつされかけたことと(僕自身も鼻が詰まったり、ちょっぴり喘息気味だ。呼吸器系最悪)、書評のお仕事を一つとりあえず終えて、気が抜けたことなどが重なって、どっと疲れが来たのだろう。キューピー○ーワも効かないようだ。

でも家に帰ってほっこりほうじ茶などを飲んでいると回復してきたので(現金なものですね、僕の体も)、読みかけの本を2冊読破。

一冊目は永江朗さんの『批評の事情』(ちくま文庫、2004)。この本はそのタイトルの通り、著名な批評家がどういう人か、というのを大雑把に俯瞰して見せた批評家ミシュラン本(主に90年代に出てきた人を中心にしている)。美術や建築、車の評論家などは全く知らないのでここは軽く読み飛ばして、僕も結構読んでいるような人(具体的には大塚英志、宮台真司、斎藤美奈子などetc)を永江さんがどう評価しているのかを確かめた、という感じだ。僕と永江さんの感性が恐らく似ているのであろう、結構面白く納得しつつ読むことができた(大月隆寛に関する評価とかは、非常に同感)。評論家の選び方や、その評価については個々で異論があるだろうが、本書でも俎上に挙げられている福田和也の『作家の値うち』(飛鳥新社、2000)よりは数倍マシだろう。なお、評論家それぞれに似顔絵が付いているのだが、すごく似ている。このイラストレーターの人は偉い。こちらはさくっと読了。

二冊目が、新井潤美(めぐみ)さんの『階級にとりつかれた人びと-英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書、2001)。この本は、実は最近はまった森薫さんのマンガ『エマ』の副読本のつもりで(笑)購入しておいたもの。『エマ』はヴィクトリア時代を舞台にしたおぼっちゃまとメイドの恋愛ものなわけだが(こう書くと実も蓋もないが)、実際のところ、英国の身分制ってよく判らないところがあるので(めちゃくちゃタイトな構造でもなさそう、というところは感じていた。実際この本でも、その流動性が指摘されている)、この本で教えてもらおうと思ったのだ。
実は僕は何故か昔から(『エマ』を読む前から)、19世紀末あたりのイギリスの文学とかが一時期すごく好きで、思い起こせば高校生の時に、何故かトマス・ハーディの『テス』を一気読みしたのが出発点だったように思う(勢いでナスターシャ・キンスキー主演、ロマン・ポランスキー監督の映画まで見ちゃいました)。その後はオスカー・ワイルドに走り(これはイギリスのバンド、The Smithsのヴォーカリストだったモリッシーの影響もあったと思う)、耽美的、もしくはグロテスクな世紀末絵画を眺めたりしていた(ビアズリーとかラファエロ前派ですね。判りやすいなあ、と自分でも思う)。大学に入ってからも、一般教養の単位を取って暇になった2年生の時は、19世紀末から20世紀初頭のイギリスを舞台にした映画を結構見た気がする(ジェームズ・アイヴォリー監督の『眺めの良い部屋』とか)。お金がないときは蓮実重彦先生が集めたと思われる教養学部のビデオ・ライブラリーに通って、『モーリス』(これもアイヴォリー監督だっけ)やら『アナザー・カントリー』(邪悪すぎる台詞が目白押し)なんかも見てしまった暗い過去(笑)もありました。

それはさておき、今回のこの本で知ったのは、「ミドル・クラス」と一口に言っても2つの階級、即ち「アッパー・ミドル」と「ロウアー・ミドル」というのにかっちりと分けられる(上の者が分けようとする)というイギリス社会の構造だった。そして、基本的に成り上がり者の「ロウアー」は、貴族階級(ジェントルマン階級)やアッパー・ミドル・クラスのライフスタイルを一生懸命「物真似」しようとして、それが却って上の階級から嘲笑される、という、いやーな仕組みがあって、とにかく、上からも下からも「分不相応な振る舞いをする」とロウアー・ミドルは「差別」された、というのがこの書の中心テーマだった(逆に一番下のワーキング・クラスは貴族たちの「お気に入り」だったというオチまである。こういう心情は『マイ・フェア・レディ』とかに表れているそうだ)。

元々生まれながらの貴族が分をわきまえない「下々の上昇志向」そのものを小馬鹿にする、というのは分かりやすい話だ。でも、話がややこしいのは、そのロウアー・ミドル・クラス・バッシングの理由は、この上昇志向だけではなく、彼らの信条、即ち「リスペクタビリティ」にあったというのが肝である。respectability、直訳すれば「尊敬されるに値すること・立派なこと」とでもいおうか。字面だけでは良いことのように思えるが、この言葉は両義的な意味合いを持つので、翻訳は困難だと新井氏はいう。このリスペクタビリティは、当時の女王ヴィクトリアが質実剛健であったこともあって勢いを持った傾向性なのだが(禁欲と勤勉を旨とする「福音主義」というキリスト教の影響も大きい)、要するに勤勉で真面目で清潔で質素で、自助努力によって立派な人間となり金を稼ぐという、明治以降の日本の「ガンバリズム」にも通じるようなメンタリティを指している。事実、この思想の代表であるスマイルズのSelf Helpは、中村敬宇によって『西国立志編』となったのは周知の通りだ。しかし真面目にバリバリ働くこと自体が上の階級からは「見苦しい」とされ、リスペクタビリティも、無理に訳せば「石頭で無粋なこと」というような意味合いを持たされ、それが差別の理由となったのだそうだ(逆に貴族は「放埒さ」「芸術に耽溺できること」などが貴族性と見なされたわけだ)。書けば書くほどひどい話だ。

この本を読んで連想したのは、フランスの社会学者P.ブルデューがいう「文化資本capital culturel」の概念である。上記のイギリスにおけるロウアー・ミドルいじめは、要するに「文化資本」を持っていない者を既に持っている者が小馬鹿にする態度なのだから。「文化資本」に関しては、内田樹先生がブログや御著書(『街場の現代思想』NTT出版、2004)で分かり易い解説を書いてくださっているので、その定義はそちらに委せることにするが、「それを渇望する者を、既に持っている者が絶対的に有利な立場から眺める」という構図は、やはり甚だ精神衛生上よろしくないと思う。そこで内田先生が提案する、「みんなでプチ文化資本家になろう」という解決策に(もちろん、完全な解決策にはならないことは内田先生も十分承知の上でおっしゃっているが)、僕としても全面的に賛成である。

しかし「精神衛生上悪い」といっても、欲望というものが「持つ者を模倣することから始まる」(これはルネ・ジラールの受け売りですが。これについては、昔僕が書いた「吉野朔実論」を参照してください)という構造を持つのだから、この構図(というか構造)は不可避なものとも思う。残念ながら。そして、真似する者は常に後塵を拝するのだから誉められることもない。お勉強して文化資本を身につけようというそぶり自体が「文化的ではない」と烙印を押されるのだから。
分かり易い例を挙げれば、いわゆる「シャネラー」は、絶対本当のお金持ちからの尊敬を得ることはない。そして、血眼になって、こういうブランド品をあさる人は、生まれたときからそのようなものに囲まれて育った人でないのも、ほぼ確実であろう(本当のお金持ちは、普段使いのものとしてそういうブランド品を使っており、人から指摘されて始めて気付く、なんてものであろう)。例に挙げて悪いが、ハイヒールモモコが数百万円をシャネルにつぎ込んでも、それを羨望の眼差しで「すごーい」と誉めてくれるのは、同じ「シャネラー」仲間だけであろう。そしてその「シャネラー」というサークルは、丸ごとセレブの皆さんに「下品よね」という形で小馬鹿にされる。いや、本当のセレブはそういうことすらも思わないかも知れない(そういう下々のことに目くじらを一々立てないのが「上流階級」のたしなみですし)。この「差別」構造は非常に柔軟性があるので(上記のイギリスの例だって、リスペクタビリティが「揶揄」の対象になることを教えてくれた。いじめや差別の理由なんて、どうとでもなるのである)、打ち壊すのは非常な困難を伴うことだろう(ひょっとしたら、打ち壊せないかも知れない)。

私事になるが、こういう「文化資本」について僕が一番鋭敏だったのは大学入学当初だったと思う。僕はそれほど進学校でもないところから一人で東大に入ったのだが、周りを見るといわゆる超有名な進学校出身の友達が山ほどいて、彼らは中学・高校からの友人たちと軽々と肩を並べて東大に入学し、家はお金持ちか、ステイタスのある職業に就いている父親がいて・・・という具合。僕は彼らの醸し出す「余裕」、即ち「文化資本」の香りをかいでたじろぎ、「何だよ、こいつら、ちくしょー」とばかり意固地になった(自分の殻を守るために、入学して半年は大阪弁しか使わなかったくらいだ)。彼らに追いつこうともがいたわけだ。ある友人によると、昔の僕はいつも怖い顔をしていたそうだ(K林くんの証言による)。さもありなんと自分でも思う。
しかし、いつの間にか、僕はもがくことを諦めた。僕自身が諦めの良い性格である事はさておき、彼らを妬んでルサンチマンを募らせるより、彼らの素晴らしいところ(人間的にも「善良」な奴が多かったのだ)を吸収する方が自分のためになる、と計算したのである。そして、現在の人格円満(?)な僕が形成されたというわけです。自分語り終了。

とまあ、イギリスの階級社会についての本を読んで、今や日本でも通用しつつある「文化資本」とそのデバイトをついつい考え込んでしまったのだ。これについては考えがまだうまくまとまらないので、今日はこれくらいで止めておきます。

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