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December 02, 2004

内田樹『他者と死者』を読んで

いつもブログと著書を愛読している内田樹先生の新刊『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』(海鳥社、2004、\2500)を読了して、今頭が非常に混乱している。

tasha.jpg
(渋ーい表紙です。)

ラカンとレヴィナス、という超絶に難しい二人の思想家についての本なのだから、そもそも内容が僕などに判りづらいのは当然なのだが、僕を混乱させるのは「判る、判らないとは根源的にどういう事か?」という疑問を、この書から受け取ってしまったからだ。
レヴィナスの「師弟論」を展開する部分で、内田先生は以下のように書いている。

 (このレヴィナスの言葉は)ソクラテスが『メノン』で展開した「想起(アナムネシス)説」を批判する文脈の中で出てきたことばである。ソクラテスによれば、人間は繰り返し転生する間に天上の世界も現世のこともすべて知り尽くした。だから肉体を持つ以前に天上界で見たイデアに関わりを持つものを地上で見ると、「忘れていたイデアを思い出す」とされるのである。だが、「知るというのは思い出すことだ」というソクラテスの想起説によれば、人間の知に外部は存在しないことになる。  ソクラテスに反対して、レヴィナスはこう説く。師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも、外部が存在することを教えることである。それは「師の現前」というそれ自体「外部的」な経験によって担保される。  師はなにごとか有用な知見を弟子に教えるのではない。そうではなくて、弟子の「内部」には存在しない知が、「外部」には存在するという知を伝えるのである。「師」とは何よりもまず、「知のありかについての知」を弟子に伝える機能なのである。(pp.58-9)

いやあ、困っちゃった。
ここでの説明は僕には「すっと」判ってしまった。でも、こんなものを読んでしまうと、「僕のこの「判った」という感覚は、結局は今読んだことを既知のものに置き換える作業を頭の中でおこなっているだけなのではないか?」という疑問がメタなレヴェルでどうしても浮かんできてしまったのだ。
「他者理解」とか言っているけど、「他者」は「理解できないもの」なんだよ、というレヴィナス的な存在論的テーゼも頭をよぎる。「僕がこの絵を美しいと思うのは何故なんだろう」という昔からの疑問(美学では良くある問題設定だと思いますが)まで蘇って来ちゃうし。

とまあ混乱しっぱなしで、この書の内容を要約したり紹介することは僕の手に余るのだが、僕の印象に残った部分だけでもメモ代わりに書き留めておきたい。

先程僕が混乱した「理解」という問題に繋がるのだが、「我々はついつい、眼前のものを既知のものに還元する」という問題がまず印象的だった。
さて、ユダヤ教の聖典解釈(タルムード学)においては、独学者は認められない。必ず「師」について学ぶことが要請されるそうだ。というのは、

「独学者はすべてを既知に還元し、テクストの意味を残りくまなく明らかにし、聖句に「正解」をあてがい、解釈の運動を停止させ、タルムードに「最終的解決」をもたらすことになる」(pp.93-4)

からだ。「最終的解決」と聞けば、ユダヤとからめて当然恐ろしい過去が思い出されよう。同様に続けて曰く、

彼(独学者)の努力は「自分がすでに知っていること」を他者のパロールのうちに「再発見」するためにしか行使されない。それは独学者が「他者」を知らないからだ。彼の目の前にいるのは、彼と同類等格の「他我」、彼自身の「鏡像」(image)にすぎない。(p.95)

とある。そしてとどめは

そのつどすでに既知であるものを既知に繰り込むこと、それが西欧の思想における「知」の機能である。独学者とは西欧的な知の別名なのである。(p.97)

思わず上記の部分はすべて蛍光ペンを引いてしまったのだが、この僕の行為も「既知であるものを既知に繰り込む作業では」と思ってしまったのだ。堂々巡りですね。
「語り得ないものには沈黙しなければ」とウィトゲンシュタインを気取るつもりは毛頭ありませんが、僕の学問的営為(大げさに言うと)へのきつーい「パンチ」のように感じてしまったのだ。

もう一つ考え込まされたモチーフは「死者の代弁をしてはならない(死者を自分の「道具」として召喚してはならない)」というもの。レヴィナスはユダヤ人で、自身も家族や親族をナチスの「最終的解決」で失った人である(レヴィナス自身はフランス軍人という身分が保障されており、収容所送りにはならなかった)。そうしたレヴィナスが上記のようなまさに「法外」な要求をするのであるからびっくり。
小泉首相の靖国参拝を中国が問題視したりして、この話題は実はいまだに日本ではホットである。いや、最近になって死者を「復活」させ、まるで死者を、言葉は悪いが、「腹話術の人形」のように扱って自分の気持ちを述べるような人が増えてきたように思う。誰よりも、そういうことをする権利があるユダヤ人であるレヴィナスが、このような「自制」を説いたところに、空恐ろしささえ感じる。何故レヴィナスは、かくも過酷な「禁欲」を自らに課したのだろうか。それは、「歴史が教えるように、これまでのほとんどすべての粛正と排外主義は、「死者の遺言執行人」、「非人道的迫害の証人」を自称する人によって担われてきた」(p.183)からである。要するに「目には目を」の敵討ちの論理は、どこまで経ってもキリがない。暴力の連鎖を断つには、この法外な禁欲を自らに課さねばならないのだろう(誤解の無いように僕なりに付け加えるが、これは例えば「戦争による被害は水に流しましょうね」というような無責任な発言とは違う)。

そしてとどめ(と僕が思ってしまったの)は、「先立つ有責性」である(僕の貧しいレヴィナス理解でも、この部分が鍵なのだろうということくらいは察知できる)。これは、簡単に言えば「やってもいないことに対しても、私は責任がある」「過失を犯していないのにもかかわらず、罪の意識を抱くこと」という考え方だ(その究極形態は「私が受けた迫害についてさえ私は有責である」というレヴィナスの言明である)。
レヴィナスが引用するように、これの代表的な表れは、イエスの言行録、即ち福音書のイエスの言葉に見られる。マタイによる福音書25章31節以下には、「やってもいない善行を誉められる祝福された人びと」とやってもいない罪状を挙げられて「主よ、いつ私たちはそのような罪を犯したのですか?」と戸惑う人びとが交互に描かれる。そこでイエスが述べるのは「最も小さなものの一人に施したことは私にしたことであり、最も小さなものにしなかったのは、私にしなかったことなのである」という断定である。これは、因果応報という枠組みでは絶対に合理化されない宣告である。しかしレヴィナスは、このような敢えてクロノロジカルな時間の流れを遡るような形での言及に、宗教的な意味を見出している。それは内田先生が解説しているように、人間が人間たる要件を備えるのは、神に基礎づけられない倫理的な行いをするときなのである。なぜなら、神がすべてを取り仕切ってくれるならば、人間はわざわざ面倒くさい「善」をおこなうきっかけすら失ってしまうから(p.268)。

 驚くべき事だが、レヴィナスにおいて、倫理を最終的に基礎づけるのは、私に命令を下す神ではなく、神の命令を「外傷的な仕方」で聴き取ってしまった私自身なのである。  私自身が私自身の善性の最終的な保証人でなければならない。神への恐れが、神の公正な裁きの予感が私を善へと誘うのではなく、善への志向は私の内部から発露するものでなくてはならない。(p.265)

この辺りのレヴィナスの論議は、今までちょっと聞きかじった「神義論」の中で、最も僕にとって説得力のあるものだった。

若き日の内田先生が、訳の分からないレヴィナスの本を読んで、「君に話があるんだよ」と「召喚」された感覚とは比すべくもないが、僕は内田先生経由で、レヴィナスをもう少し「判りたく」なったのは確かだ。要するに僕には「面白かった」のだ。ということで、そういう「欲望」を賦活してくれた内田先生は僕の「師」と言うことになるのかな?

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Comments

こんにちは。ゼミの時に話してくれた本はこれなんですか?こうやってみると凄く面白そうですけど、実際の中身はとんでもなく濃いんでしょうね(笑)。
たしなみとして、一度は現代哲学を、入門書ではなく邦訳された原典で読んでみたいのですが、どれもこれも内容が厳つくて…。ドゥルーズ、ガタリに挑戦して10行くらいで挫折してしまいました…。なんとか時間を見つけて、この本にもチャレンジしてみたいものです。

小埜田君へ

今日はお疲れさまでした。

>ドゥルーズ、ガタリに挑戦して10行くらいで挫折してしまいました…。

心配しなくても良いです。僕も君と同い年くらいの時、ラカンの『エクリ』を読んで、3ページで挫折しました(笑)。

勿論、その思想書そのものをいきなり読んでいければいいのだろうけど、優れた解説書を先に読んでから改めてチャレンジ、という順番で良いと思います。僕もそうやっています。
僕の知っている範囲ですが、やはり内田先生のレヴィナス本は、分かり易いんだろうな、と思います。『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)もおすすめです。

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