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December 25, 2004

赤川学『子どもが減って何が悪いか!』を読む

世間はクリスマスで浮かれているこの二日間、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?昨日なんか、京都駅の伊勢丹横の階段(カスケード)はすごかったですよ。どこからこんなに湧くんだ、と思うほど、雲霞のようにカップルの皆さんが鈴なり。その人混みをかき分けるように家路につく僕。いつもと変わらない生活のはずなのに、昨日今日だけは周りにあおられて何となく寂しい気持ちがします。恐らくクリスマスソングばかり流しているFM局のせいだと思います(読書中のBGMにはFMかジャズが多いです)。

さて、僕は非モテ、もとい学者らしく、昨日も今日も読書とネットサーフィンで時間を潰していました。誰もいない大学の研究室に篭もって、クリスマスらしく(?)読んでいるのは、韓国キリスト教に関する論文や資料です(近々論文を書こうと思っているので)。

でも自分の研究に直接関係のある本ばかりでは飽きてきますので、通勤電車の中では最近はなるべく本業とはあまり関係のない新書などを読むことが多いです。で、今読み終わったのが、タイトルにあるように社会学者赤川学さんの『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)です。今日は、この本について簡単に感想を書きたいと思います。赤川さんはセクシュアリティ研究で有名な方で、僕のような門外漢もお名前は存じ上げていたのですが、勢いのあるタイトルと、後書きにあった小谷野敦氏への謝辞につられて購入したのです(このブログでもたびたび言及しているように、僕はなんだかんだ言って氏のファンである)。もちろん、扱っている内容が、ちょうど僕たちのような世代に大いに関係のある事柄だからでもあるわけですが。

まず赤川さんはわれわれが漠然と常識だと思っていることに疑問符を突きつける。その「常識」とは、「女性の就業率が高ければ高いほど、出生率は上がる」とか、「男女共同参画社会が進展すれば、出生率は回復する」という言説である(逆に保守派の側からは「女性の社会進出が少子化の根本原因」と言われてきたわけだ。この言説も滅びずにしぶとく残っているが。ブログを少し徘徊すると、この手の言葉が予想以上にあふれていてびっくりする)。
当然、一応インテリ(笑)の僕なども、これらの言葉に与するスタンスで今まで生きてきた(これからも恐らくそうだろう)。しかし赤川氏は、虚心坦懐にデータを分析すれば、そうは言えないということを、リサーチ・リテラシーの観点から明らかにしている(データ分析の当否については、僕などど素人なので、判断する術もない。であるから、この書に対する以下の感想は、まさに僕の印象論でしかないことをお断りしておく。この書のデータ分析に関する書評としてこのページを参照のこと)。
例えば、出生率の高い県と低い県を比較すれば一目瞭然だが、前者はいわゆる「田舎」、後者はいわゆる「都会」である。そして出生率の高い地域に、その出生率を高める要因を求めるような政策提言は、畢竟「日本全体を田舎のような構造にしちゃいましょう」ということとあまり変わらないという、笑えない事態になる。赤川氏の恐れるのは、極端に単純化すればこのような事態である。それは時計を逆回しにするようなものだし、女性は家にいろ、だなんて強制する根拠はもはやどこにもないことも明白である。であるから、我々に求められるべき事は、「これとそれは別」と割り切る気持ち、つまり「少子化対策」と「男女共同参画社会の実現」と「子育て支援」などをとりあえず別個の問題として考えることなのである。そして赤川氏は

著者は「少子化対策として無効だから、男女共同参画社会の実現は必要ない」と主張しているのではない。その逆である。「男女共同参画社会の実現が本当に必要ならば、それが出生率を上げようと上げまいと、もっと極端にいえば、さらに少子化を進めることになろうとも、必要と主張すべきだ」といいたいのである。(p.92)

とある意味「真っ当すぎる」意見を述べる。「出生率を回復するために、男女共同参画が必要なのではない(p.102)」のである。
彼の「男女共同参画は少子化対策にならない」という言葉尻だけを捉えて、彼をバックラッシュの一翼を担う人物と思うのは完全な早とちりだ(赤川氏自身、学会や研究会でそれに類した体験をされているようだ。まあ、バックラッシュ派から下手な引用をされれば、意図せざる利敵行為になるやも知れぬが、それは赤川氏の責任では無かろう)。
この書で彼が何度も強調するように、男女共同参画社会は、少子化対策とは独立しておこなわれなければならない課題なのである。続けて求められるのは、もはや少子化という流れは簡単に止めようがないのであるから、それを織り込み済みにした社会プラン(具体的には年金制度などの見直し)を図るべきということだ。つまり

少子化がもたらす弊害を子ども数を増やすことによって解消するのではなく、子ども数が増えないことを前提としながら、あらゆる制度を、選択の自由に対して中立的に設計していく必要があると考える。子供を産まないことを、わがままとか、ただ乗り(フリーライダー)とか批判するのではなく(それをいうなら、子供を産むことだって「わがまま」であり、支援を受ければ「ただ乗り」だ)、子供を産む/産まないという選択に対して完全に中立的な制度を設計した上で生じる負担に対しては、社会全体で公平に共有することを考えたらよいのではないか。(pp.136-7)

ということである。「まだ充分に男女共同参画社会が実現していないから効果が目に見えて現れないのだ」という言い訳もあるだろうが、これは反証不可能な物言いで、フェアではない(p.101)。「そういうことを言っている内はまだまだ」という台詞は、どんなときにも使える(昔友人に酒の席でこう言われてキレてしまったことがあったなあ。閑話休題)。ゆえに、使うべきではないのだ。

さて、実はここでやっかいな問題がある。赤川氏も述べるように、

厄介なのは、自らが援用しているデータが怪しげな根拠に基づくことを知りながら、男女共同参画という目的のために、あえて戦略的に使い続けている場合(p.95)

があるのだ。これは前述の「意図せざる利敵行為」と関係がある問題だ。要するに、その言説の社会的・政治的な機能の、メタな次元の問題設定である。
実は、僕がこの書に対して持っていた一種の違和感、もっと正確に言語化すれば「赤川さん、ここまでいわなくても良いのに」という気持ちは、まさに上記のようなことを僕が考えていたからである。僕などは、多少の誇張やはったりは、事態を改善するためには手段としてやっちゃっても良いと考えているものだから(「マキャベリズム」や「責任倫理」というほど大げさに考えてはいないが、それに近い)、今まで主にフェミニズムにおいて語られてきた戦略的な言動を一概に批判する気にはなれない。そういう物言いは、言わないより言った方が良いに決まっているのだから。しかし、自らの「正しさ」を過度に強調する言動は、一度綻びが見えると、途端につけ込まれる危険性があるのも確かだ(辻元清美氏の事件はその典型例だと思う)。赤川氏も実はその辺りを心配しているのではないだろうかと思った。僕はそこに氏の誠実さを見る。
さて、続けて「正しさ」の危険性をもう一つ思いついたので、書き留めておきたい。
「男女共同参画のプランは、少子化対策に役立つ」という言われ方が今までになされ、この言説が支配的なわけだが、このように「役に立つ」ことを強調して存在理由を語るというのは、実は危ない。単純な話だが、役に立たない、ということがばれれば、その正当性・存在理由をあっという間に失ってしまうからだ。
僕が思いつく例では、例えば大学、特に僕も属する文学部などは、最近だと世間様や設置者に対して如何に役に立つかというのを主張しないといけない羽目に陥っているが(そして「文学部は決して無用の長物ではありませんよ」というような適当な作文を作製することを強いられている)、その論拠が崩れたら「じゃあいりませんよね」と手のひらを返される危険もあるのだから、少子化論議同様慎重に事は運ばねばならない(もちろん僕は、文学部、もっと言えば人文学がムダだなんて思ってはいません。当たり前ですが)。
話が少しそれてしまったが、僕がこの書から得た「教訓(敢えて言えば、である)」は、ありきたりながら、「正しさを押し出すことの危険性」である。個人的には「是は是、非は非」と一貫性のあるようなことを言いつつ、時には「嘘も方便」なんていうずるいバランスが取れれば、と思うのだが、僕では無理だろうな。人間が単純にできているから。無理だと思うから、こうしてこの場で書いてしまうわけですが。

さて、繰り返すが、氏の主張はひどく真っ当である(少なくとも僕にとっては)。特に、結婚する、子供を作るというような、人生における個々人の選択に対して、国や制度が介入することができないであろうし、するべきではない、という氏の言葉は玩味せねばならない。

「してもいいし、しなくてもよい。してもしなくても、何の利益も不利益も受けない。何のサンクション(懲罰・報奨)も被らない」という原則である。これが「選択の自由を保障する」という言葉の意味である。(p.111)

ともかくこの書は「少子化」問題を考える際には必読であろう。学生にも薦めようかな。

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Comments

タイトルの元ネタは、
「殴ってなぜ悪いか。(貴様はいい。そうしてわめいていれば気分も晴れるんだからな。)」
らしいですね。
あとがきに書いてあったとかなかったとか。

umetenくんへ

元ネタ情報はその通りです。本文にちゃんと書いてありました。
でも、赤川先生は、どちらかというと、ボトムズとかレイズナーの高橋監督がごひいきのようです(笑)。

あと、赤川先生自らweb上での批評をブログで集めています。

http://manapun.cocolog-nifty.com/test/

書評、ありがとうございました。

この際、ボトムズ予告集を貼っちゃいます。

http://homepage2.nifty.com/yu1/votoms/av_yokok.html

とりあえず今日、再度見た回の予告です。

第23話予告より

 嵐が吹かねば、太陽が輝かぬとするなら、大地を走る無謀な風となろう。戦いの果てにしか安らぎは来ないものなら、己の血のたぎりに身を任せよう。それぞれの運命を担い男たちが昂然と顔を上げる。
 次回「横断」。放たれた矢は、標的を射るか。地に落ちるか。

ぶんさま、ご本人自らのコメント、ありがとうございます。

じつは、僕「ボトムズ」はほとんど見ていないんですよ。見よう見ようと思いつつ、いつの間にか月日が経ってしまった・・・。この次回予告、何か赤川さんご自身の決意表明のようにも見えてきますね。かっこいい!

「レイズナー」はリアルタイムで見ていたので好きですし、けっこう憶えています。当時の『OUT』に毒された(笑)歪んだ見方だったかも知れませんが。

 川瀬さん、酔っ払いのコメントにわざわざありがとうございます。決意表明などというと、高橋監督に怒られます(笑)。

 高橋監督作品は、予告編が凝ってますね。ダグラムもレイズナーも、かなりよかったと思います。

 それにしても『OUT』読んでおられたんですか? ツワモノですねぇ。(^^)

 では、よいお年を。ぜひ来年は、いずこかでお会いしましょう。

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