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December 13, 2004

野望のために・・・

今朝、新幹線に乗って京都へ戻る。ちょうど着いたらお昼時だったので、そのまま最近お気に入りの伊勢丹の上にある「京都拉麺小路」へ行って、妻に(コレステロールの件で)叱られそうな昼食。

matsushitaseikeijuku新幹線の中では、大概は眠っているのだが、今日はなんだか目が冴えてしまったので、新書を一冊読破。
読んだのは出井康博『松下政経塾とは何か』(新潮新書、2004)。このブログでも前に買ったことはメモしておいたのだが、その「野望の王国」ぶり(笑)を拝見しようと思って、リュックに入れておいたのだ。

最初、この本は細川元首相への直撃インタビューから始まっている。最近細川氏は「陶芸家」として生きているらしいが、その展覧会に著者は出向き、日本新党と松下幸之助の構想の関係を問いただすが、細川氏が言下に否定するシーンがこの本のマクラ(実際は大ありらしいのだが・・・)。その辺りの描写や、展覧会に対して「隠遁生活を気取りながら、社会との関わりを完全に断ちきる勇気はないのである」(p.8)なんて書く当たり、どうもこの著者のストレートすぎる好悪の感情が表に出ている嫌いがあるが、これ以降の現在国会議員や地方議員、地方首長などになっている松下政経塾の面々の描写は生き生きとしており、一気にに読めてしまった。特に、この本の中で大きく取り上げられている山田宏杉並区長や(思い出話になるが、この区長が「つくる会」の教科書に肩入れするような態度をとったので、数年前杉並区役所を囲むデモがあり、僕もそれに参加した。あの時は山住正己先生も先頭にいらした。今の都立大の惨状をご覧になって、先生も草葉の陰でどう思われているか・・・)、中田宏横浜市長の人間的な「えぐみ」の描写は面白かった。
ノンフィクションの通弊かも知れないが、一部「講談師、見てきたような・・・」という気がしないでもなかったが、最初に細川氏に毒づいた著者派の反骨ぶりは、最後まで貫かれており、「松下政経塾は、すでにその役目を果たし終えたのではなかろうか」(p.203)という結論に至る。簡単に言うと、国家百年の計を考える「志士」たちを養成する現在の「松下村塾」たらんとした松下政経塾が、単なる政治家養成機関(政治家になるノウハウを教えるだけ)に成り下がったと著者は見ているわけだ。

本書の内容は、担当編集者の紹介記事(上記のリンク先)に書いてあるのでここでは繰り返さないが、この本を読んで、僕は前々からこの「松下政経塾」に感じていた一種の「違和感」が多少氷解するのを感じた。
まず、第一は、この塾に入って来るような政治家志望の青年は、僕なんかよりもよっぽど「保守的」な人が多い、ということ。当たり前といえば当たり前なのだが、ついぞこの塾に入る人のメンタリティに思いを馳せたことがなかったので、その点「目から鱗」だった(これは僕の愚鈍さの証明だが)。僕が彼らに感じていたのは、この「保守性」への違和感だったのだろう。もう少し詳しく言うと、生まれたときから豊かな「日本」そのものを享受していて、それに対する疑問が最初からぬけおちている、という類の「保守性」だ。例えば、旧聞に属するが、この塾出身の高市早苗氏の「私は戦争に行っていないから、戦前の日本の責任をとることはぴんと来ないし、そう振る舞うつもりもない」、と明言したことなどへの違和感だ。

そして、その「保守性」が、悔しいことに(笑)、僕の内部にも確実に存在する「保守性」だと言うこと。思いっきり最初から自民党、というよりは、民主党的、もっといえば一昔前の「新党さきがけ」的なメンタリティだと言うこと(僕が過去に政権与党に票を投じたのは、確か「さきがけ」だけだったと記憶している)。ドラスティックな改革は避けつつ、でもちょっぴり反体制でいたい、という、まあ虫の良い考えですね。確か宮台真司さんの本にも「東大生はさきがけ支持者が他の社会集団に比べて有意に多い。まさに東大生らしい現象だ」と皮肉を言っていた記憶がある。下世話な言い方をすれば、僕から書生臭さを多少抜いて、「人間、とにかく上に立たなきゃ話にならないでしょ」という感じの脂っこさを加えれば、恐らく政経塾の皆さんに大分近づく気がする。

将来政治へ「野望」を秘めた人も、それをシニカルに見る人にもお薦めだ。

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