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January 20, 2005

公立大学を「効率」大学にすべきか?

今日は講義を1時間終えた後、学部の会議。
自分が発言しなくても、会議というのはボディーブローのように体力を削っていくので、その直後は難しい本を読む気が起こらず、そのリハビリの一環として、毎日巡回しているブログを見ると、内田樹先生が、東京都立大(内田先生は都立大仏文の院のOB)に呼ばれて講演なさったことが書いてあり、その続きで、「首都大学東京」(もはやこのネーミングには、いちゃもんを付ける気すら起こらない。僕の勤務先が将来「古都大学京都」とかにならないことを祈るばかりだ)の新学長予定者の西沢潤一氏と、「首大」を作った首謀者(というか総責任者でもあるはず)の石原慎太郎都知事の新大学に関する「挨拶文」が抜粋されてあり、思わずパソコンの前で大笑いしつつ拍手喝采してしまうほど、両者に対して胸のすく悪口を書いてらっしゃる。僕の笑い声は恐らく4号館の3階に響いたことであろう(気味が悪かったかも知れませんね。学生諸君、ごめんね)。内田先生の西沢・石原批判はつまるところ

日本語運用能力と論理的思考力にいささか難のある学長と、開設される新大学について(というよりそもそも「教育について」)真剣に考える習慣のない政治家によって領導される大学がこのあとどうなってしまうのか、推測することはそれほど困難ではない。

ということに尽きるだろう。そして、本当に残念なことに

首都大学東京の未来の見通しについても若干のコメントを述べさせて頂いた。 私の予測では、首都大学東京は日本の高等教育史に残る劇的な失敗例となるであろうというものである。 都立大学の教育理念を守るために悪戦してきた教員のみなさんや、そこで学びつづけなければならない学生院生の諸君にとってはたいへん気の毒なことであるが、私の予言は悪いことにかんしてはたいへん的中率が高いのである。

という内田先生の予測に、僕も同意せざるを得ない。先行きの不安さから、首都大学は偏差値という点でも大幅に下落していると聞く(当然だろう。僕が受験生でも恐らく避けるだろう。受験生というものは、意外と保守的なものだ)。このような事態を招いたことに対して、どなたかは責任を取るのだろうか?都の職員の方に聞いてみたい。

さて実は、首都大学の問題は他人事ではない。
まず、僕も勤務先が公立大学だし、こういう「scrap & build」のリストラ策で、まずターゲットにされる文学部(人文科学)の人間だからだ。
実は、僕の勤務先も、首都大ほどひどくはないが、要するに「改革」を迫られている。正確に言うと、設置者である自治体を納得させる「改革案」を大学側から出すことを要求されている。しかしその「改革」とはどういう事なのか。こういう言い方は無責任だし、不勉強だといわれるだろうが、どうもよく判らない。僕たちに「改革」を要求している自治体の方も実はよく判っていないのではないか、という節もある。そしてお互いが判らず、お互いの胸の内を忖度し合っていて「結局は向こうの出方次第ですよね」とお互い思っているのかも知れない。でもそう考えているのはノホホンとしている大学側だけで、実際自治体側はけっこう明確なプランをお持ちなのかも知れない。恐らく持っているとすれば「効率的な大学(運営)」ということに尽きるだろう。
そもそも「改革」とは、一言で言えば「効率的」な運営をできる組織に、ということだ(リストラクチャリング、というのは元来そういう意味だったはず)。確かに「効率的」な組織は、非効率的な組織より良いに決まっている。このことに異論はないであろう。
しかし、敢えて古くさいこと言うが、大学って、「効率」だけを求めて良いのだろうか。文学部に限らず、理系でもいわゆるなかなか結果が出ない「基礎科学」の分野が「効率」一辺倒の雰囲気の中で縮小していくのではないか、という危機感が持たれている。「象牙の塔」という批判はもちろん承知している。しかし、今現在「役に立つか立たないか」という超近視眼的なパースペクティブだけで全てを数量化して査定されてはたまらない、というのも本音だ。それは学問の死を意味する。大学が全て「効率」一辺倒で運営されるようになれば、文部科学省あたりが言っている「国際競争力のある日本の大学」は、逆に達成することは出来ないと僕は確信している。
理系の話から横に滑るが、NHKの「プロジェクトX」、あれはおじさんのみならず様々な人の涙を絞っているわけですが、あの番組の肝(プロットといっても良いか)って「会社からムダ扱いされた研究やグループが大逆転する」というカタルシスが大半なんじゃないのか(まあ、この番組では、そうしたグループの努力が実を結んで会社に貢献するわけですが)。営利を追求する企業にしても、辛抱強く結果を待ったからこそ「プロジェクトX 」になったわけだ。況や大学において、多少の雅量を期待するのは、それほどの「悪」なのか。

「効率化」はある程度必要だろう。そのことに異存はない。しかしそれだけを基準に運営されることは大学の死を意味する。「朝令暮改」的な改革は絶対におこなってはならないと思う。
改革とは名ばかりで、実は儲けたのは看板屋さんだけ、ということにならないことを祈る。これは僕の勤務先のみならず、全国の大学に対してだ。
最後に、最近読んで同感と思った室井尚先生の言葉を引用しておきたい。

ぼくは大学はそれとは全く別の「隙間」の空間でなくてはならないと思っている。つまり、時代の歩みと完全にシンクロしてはならない25時間目の場所こそが大学に残されなくてはならないと考えているのだ。それはぼくが「アート」や「文学」に託しておきたいと考える「空き地」の場所なのだ。システムがすべてを窒息させ、スーパーマーケットの売り場面積を獲得しなければ生き残れないと考える神経症的な世界から距離を取って物事を考えられる場所こそが大学なのだと思いたい。

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大学」カテゴリの記事

Comments

>超近視眼的

だと私も思います。禿同です。

しかし、これをグローバル経済のスピード感にかこつけて「ぜんぜん近視眼的じゃない」という人もいるようです。

以前ある人が、どこかのテレビ番組(失礼、出典失念)で

「今はグローバル化で世の中が以前の何倍何十倍のスピードで動いている。だから、前は評価に100年かかったようなものでも、今は2、3年の評価を見ればよく、ここ数年で結果を出せないものは今後も存在する意義をもたない」

という趣旨のことを言っていたのを思い出しました。

…そんなん言う人はコピー用紙の端っこかなんかで手ェ擦って怪我せえ、と思います。

それにしても、グローバリゼーションと教育改革の関係はもっと突っ込まれていいジャンルだと思いますね。(すいません、とりとめなくって)

porciusさん、コメントありがとうございます。

まず、大学に身を置いていたり、多少なりとも「学問」そのものに敬意を持っている人間は、都立大の改革(と呼べるかは疑問ですが)に対して賛同する、ということはないと思うのですよ。
つまり、「大学で教えている事なんて、どうせ社会に出たら役に立たないんだから」と、どこかの人事部長が持っていそうな考えでもって大学行政がなされようとしているところに、根本的な問題があるのだと思います。

>「今はグローバル化で世の中が以前の何倍何十倍のスピードで動いている。だから、前は評価に100年かかったようなものでも、今は2、3年の評価を見ればよく、ここ数年で結果を出せないものは今後も存在する意義をもたない」

これはまた、すごい意見ですよね。却ってすがすがしいくらいです(笑)。これほどの発言は、僕の友人(某中央官庁官僚)の「文部科学省はまあ二流官庁だからねえ(大学内の君たちは振り回されて可哀想だね)」という台詞に匹敵する衝撃です(この台詞を聞いたとき、あまりの実も蓋も無さに不覚にも笑ってしまいました)。
まあ、porciusさんが引っ張ってきた発言をした人は、大学時代、「学問の楽しさ」に触れることなく卒業しちゃった人なんでしょうね・・・。

はじめまして。内田先生のところからたどってきました。

この前の説明会で都の官僚は、「失敗した場合の責任は誰がとるのか」という質問に対して、「そもそも失敗するはずがないので、そんな質問にこたえる必要はない」と答えていました。

おめでたいかぎりです。

広原もりひろ先生とは、研究会でご一緒しています。 この前、京都での危機の乗り越え方について詳しいお話を伺いました。あんな方が、われわれの総長だったなら、結果も変わっていたのになぁ、と思いました。

あとでトラバします。

Tさま、初めまして。「当事者」からのコメントは初めてです。ありがとうございました。

>この前の説明会で都の官僚は、「失敗した場合の責任は誰がとるのか」という質問に対して、「そもそも失敗するはずがないので、そんな質問にこたえる必要はない」と答えていました。
>おめでたいかぎりです。

そんなこと言ったんですか。すごいですね。すがすがしいまでの開き直りっぷりですね。
そもそも「失敗」とはなんぞや、という問答がその後予想されますが、僕は端的に「受験生全体数の減少率を上回る志願者減」が「失敗」と言っていいと思います。もちろん、これは何でも「数値化」して評価しようとする人への嫌みですが。

広原先生、実は僕の赴任前の学長なので、お話ししたことはないんですよ。この前の京都市長選では、もちろん応援しましたが(残念でした)。その後のI学長は、西沢さんの悪口を言ってました(若手の僕に漏らすくらいですから、よほど腹に据えかねることを公立大学協会で言われたのでしょう)。

これからT様のブログをじっくり拝見しようと思います。

保守派による改革、
責任が明らかにならない引責辞任、
中央主導の地方自治。
日本的という単語は容易には使いたくないですが、そんなことが頭に浮かびました。

まーこれまでなされてきた日本社会における種々の改革では、結果としてプラスになったものもマイナスになったものもあるので(JRを再国営化しようなんて、もう定年した共産党員ぐらいしか思わないでしょう)、吉と出るか凶と出るかはわからないですね。

それにしても

>受験生というものは、意外と保守的なものだ

というのは非常にナットクです。

こいけさま

トラックバック先の室井尚先生も言っていますが、普通に考えればおかしいことを、何となく「周り」が支持してしまっている現状が問題なのだと思います。石原個人(国家レベルだと小泉個人)の暴走にだけその罪を帰することはできないでしょう。

都立大の偏差値下落は、当然ですよね。
僕がもし予備校教師でも(そういう稼業を10年ほどしていましたが)、受験生には勧めませんよね。

かわせさま

>そもそも「失敗」とはなんぞや、という問答が>その後予想されますが、僕は端的に「受験生全>体数の減少率を上回る志願者減」が「失敗」と>言っていいと思います。もちろん、これは何で>も「数値化」して評価しようとする人への嫌み>ですが。

 ならば、完全失敗です。説明会では、公募をしても任期制では、まったく人が来ないので、大学組織が崩壊した場合の責任をみなさん問題にされていました。
 実際、応募数は、極端に少ないです。

>広原先生、実は僕の赴任前の学長なので、お話>ししたことはないんですよ。この前の京都市長>選では、もちろん応援しましたが(残念でし>た)。その後のI学長は、西沢さんの悪口を言って>ました(若手の僕に漏らすくらいですから、よ>ほど腹に据えかねることを公立大学協会で言わ>れたのでしょう)。

 なるほど。協会長であったのが、不思議です。4月から恐ろしい日々です。

>これからT様のブログをじっくり拝見しようと思>います。

http://www.kubidai.com もよろしくお願いします。

Tさま

>公募をしても任期制では、まったく人が来ないので、大学組織が崩壊した場合の責任をみなさん問題にされていました。

すごい話ですよね。元々ポストが少ないから、普通は殺到するはずなのに・・・。人文学部も大変だそうですが、法学部も聞く所ではひどい状況だそうですし。ちょうど今日、学生たちと、丸山真男の『日本の思想』を読んでいて、「無責任体系」という言葉がちらつきました。

川瀬さま

 公募は、0とか1しか応募がないものもありました。 危険な大学だということは、やっぱり各方面に伝わるものですね。

 今年度末に抗議の意味で辞職される教員の方の最終講義が先日あったのですが、そこでは、丸山の「軍国主義者の精神形態」を引用されてました。

はじめまして
私のTBした記事に対して早速コメントいただき、ありがとうございました。あんなつたない文章にお答えいただき感謝しております。

ところで昨日、その法学部を追われる形となった先生の最終講義に潜り込んだのですが、その方も丸山真男を引用して現在の状況と対比させていました。

えっ、Shigさん、あの教室にいらしたのですか?

Tさま、shigさま

やっぱり「困ったときの丸山真男」なのですね(笑)。読めば読むほど、やはりすごかったんだなあと感動を新たにしてしまいます。

ところで、お二人にも人気ブロガーR30さんのエントリからのアクセスがきたと思いますが、僕の所にも恐らく100以上の方がR30さん経由できてくれていますが、コメントは無し・・・。うーん。やっぱり受けないのかなあ、こういう話は。

川瀬さま

私がコメントを考えている間にT先生のコメントがあったようですね。

さて、私のところもものすごいアクセスが来ています。で、やはり反応がないです。
R30さんのところのやりとりを読んで思うのは話の前提となることが知られていないからではないかと思います。

たとえば「効率」という言葉ひとつとっても、自治体のいう「効率」とは違っているような気がするし、あるいは分けなくてはならない問題が一緒にされていたりしています。あの議論に加わりたい気はあるのですが、論点をもう少し整理してもらえないとちょっとつらいです。

shig様及び皆さま

この数日、いつもの2倍以上の訪問者が来てくださり、R30さんの人気のほどを思い知らされたのですが、やはり反応はほとんどありませんね。トラックバックを送ってくださったブロガーの方は数名いらっしゃいますが。

で、僕が論文やら様々な学内業務をこなしている内に、僕の気持ちを代弁してくださっているブログも出てきましたので、、それをとりあえず貼り付けておきます。


・乾門さま
「大学が好きなんだからしょうがないじゃない」
http://d.hatena.ne.jp/inuimon/20050126

・Tさま
「クビ大(=首都大学東京)構想への幾つかの誤解?」
http://blog.livedoor.jp/remember309/archives/13285887.html

・内田樹先生
「止まらない大学の凋落」
http://blog.tatsuru.com/archives/000726.php


僕が強調したかったことは、要するに「マーケティング」という切り口で「大学」というものを近視眼的に捉えること自体の「貧しさ」なのです。ですから、「マーケティング的な見地から」色々述べていると自らおっしゃるR30さんとは最初っから擦れ違いだったような気がします。
ついでに文学部の人間らしく「嫌味」を言うと、R30さんの適当な「文明論」はツッコミどころ満載です。あの場ではそういうことをしても仕方ないからと思ってしませんでしたが、彼の論旨の運びを見ると「こういう適当な言説を斬るためにも文学部はやはり必要(笑)」と思いましたよ。例えば僕が「わっちゃー」と思ったのはこの部分です。

----ここから引用-------------------
元々日本の属する東アジア儒教文化圏というのは徹底的にプラグマティズムを重んじるので、「芸術」とか「学問」それ自体を敬い、慕うという考えはなかった。古代中国では天文学、測量術、代数学など実益的な学問が飛躍的な発展を遂げたが、古代ギリシアで最も重視された幾何学、形式論理学、弁論術など「学問のための学問」みたいなものはほとんど進歩しなかった。また、芸術という点でも写実的な彫刻様式を完成させたギリシアに対し、中国にはインドから仏教と結びついた美術が導入されるまで、まともな芸術がなかった。
----引用終わり-----------------

一々ツッコミませんが、この文章を読んで、一つもツッコミを入れられなかったら、その人は文学部の教員としては失格でしょうね。

川瀬さま

こういうことはしたことがないので乱入ってことになるのかもしれませんが、国立大学の法人化もこの首大の問題も含め、以前から思っていたことが話題になっていて、しかも回答が示されていないので、私の回答を記させていただきます。

大学経営の効率化を本当に進めたいのであれば、教育と研究は金だけを与えて管理しない=効率化を要求しないことが最も効率的であるというのがこの問題の逆説的回答です。真に価値ある研究成果は自由な環境からしか得られないものです。仮にその成果を生み出すたった1人の自由を保証するために999人の、与えられた自由をただ無駄に享受する人間が現れるとしても、それ以外に方法がないのですからそうする以外に真の学問的成果を挙げることはできません。見かけの効率化を追求すればするほど自由はなくなり意欲はなくなり成果はなくなるのです。如何に管理しないか、それこそが学問を最も効率よく実施させる唯一の方法なのです。ですから「効率化か自由な研究か」という二者択一の議論は不毛です。

管理しないと研究者は何をするかわからない、とよく言われます。しかし何をするかわからないから予期せぬ成果が生まれるのであり、やればできることだけやっていたのでは学問に進歩はないのです。そして人は何かをやれといわれるからやるのではないのです。それぞれ何かをやりたいからやるのです。それが好きだから研究し、教えることが楽しいから教えるのです。従って、やりたいことのある人間だけで学問の府を構成すること。それだけが大学の経営者が考えることだといえます。それ自体大変難しいことなのに、そしてそれに日本の大学は成功してきたとはとてもいえないのに、学問をする機関を経営することの意味を理解していないまま権力を振るっている現状は情けない限りです。

川瀬さま

はじめまして。
タイトルに惹かれて参りました。

私のように現実を知らない「下等遊民」からすると、大学に対してまだ淡い期待を抱いてしまったりするのですが、現実はかなり違うようですね。

大学で学ぶということは学問を学ぶということであり、それはいますぐ、そのまま利用できるものではなくとも、その人のベースになるものであると思っています。「素」の部分が欠落もしくは著しく貧困な方が実学を教えるとすれば、それは軸のないものになってしまうと思います(現にそういう方向にシフトしているようにも私には見えますが)。
「改革」という名の下でさまざまなものが十分な検討・論議をされることなく切り捨てていかれていますが、学問もその波に抗えないということはとても寂しいことです。
せっかくの掲示板を汚すような文章で申し訳ありません。

同姓@工学系さま、のんちゃんさま、コメントありがとうございます。

僕の言いたいことをお二人が言ってくださったような気がします。特に同姓@工学系様の

>効率化を要求しないことが最も効率的であるというのがこの問題の逆説的回答です。真に価値ある研究成果は自由な環境からしか得られないものです。

というのは、僕が言いたかったことそのものズバリです。そしてのんちゃんさまの

>大学で学ぶということは学問を学ぶということであり、それはいますぐ、そのまま利用できるものではなくとも、その人のベースになるものであると思っています。「素」の部分が欠落もしくは著しく貧困な方が実学を教えるとすれば、それは軸のないものになってしまうと思います(現にそういう方向にシフトしているようにも私には見えますが)。

と言うのも、その通りだと思います。大学と言うところは、社会に出て直ぐに役に立つものを提供するところではなく、色んな場面に対応出来るような「基礎力(=適応力)」を付けるところだと思います。

そして、僕が言いたかったことは、敢えて「経営学的」なタームを使えば、「マーケティング」を元にして例えば新学科を立ち上げたり、古いものを潰したりすることが、長期的な観点から見て場、まさに「非効率」そのものだ、と言うことです。例えば「学生の好み」だとか「社会のニーズ」に合わせてそういうことをしてしまったら、結局は長期的には使い物にならない学生と教員を生み出すだけだと思います(これは、リンクを張った先で内田樹先生がおっしゃっていることの焼き直しですが)。

>大学と言うところは、「基礎力(=適応力)」を付けるところだと思います。
これが答えだとは思うのです。しかし、問題はどこにあったか。
話を蒸し返して申し訳ないのですが、やはり「教育」と「研究」のどちらにどの程度重きをおくか、という教員の姿勢にこそ、問題の根源が凝縮されているのだと思います。
それに目を向けないからこそ、自己の意識を俯瞰しないからこそ、取ってつけたような「改革」を目指し、またそれに抵抗するといったようなクダラナイ政争が続いているのです。
必要なのは「改組」ではなく「改心」だという点が、この問題の腐った根なのです。
そして、「研究」主義の教員に育てられた教員予備軍が、それを「絶対」視しがちであるという悲惨な自滅的な内向きな再生産も見られます。

この件に関して何回はなしても「Kお姉さま」と私の意見は平行線です。

ぶっちゃけ、「基礎力」なんてどんな専門からでもある程度共通したフォーマットとして導き出せるのだから、それを提示する=専門を噛み砕いてやるという努力=教育を、今こそ意識しないと、小手先の改組で生き延びた場など跡形もなくなるのは必定でしょう。

umetenくんへ

手厳しいコメントですが、そうですね。マックス・ウェーバーも、研究と教育、両方出来なくちゃダメだ、と言ってますから、ウェーバーの小指の先にもならない僕などは、結構「教育」方面に粉骨砕身してきたつもりです。勿論、その教育と言うのが「研究」を学生に還元する行為ではあるのですが。そして、ついでに言うと、その「教育」を等閑視する流れでこの20年ほどは推移してきたと思います(教養学部の解体はその流れです)。

大学は研究が主体で、教育は二の次、と言うことが言えるのは、正直言って東大と京大とか、旧帝大と、超有名私大くらいだと思います。ほっといてもある程度学生が「勝手」に勉強してくれるような大学のことです(ですから、僕の経験でも教え上手な先生は東大には多くはなかった気がします。「教わる前にやっていて一人前」という言い訳を教員の側が持っていましたからね。そしていう環境で育った我々がこういうエートスを持っていることは想像に難くないでしょう)。

というわけど、僕個人も、質を落とすとかいう意味ではなく、まずは基礎力をつけるべく「教育」に力を入れるという方面でこれからも動くつもりです。

ところで聞きたいのですが、umeten君が受けてきた教育はどんなものでしたか?

この話題については、同業者として言葉が出ないくらいに暗澹たる思いにかられます。公立大学の問題にとどまらない、日本の学問のあり方に関わる話ですよね。決して大げさではなく。
都立大学国文学専攻学生・院生有志の会のサイトはもう見ているでしょうか。
あそこの経緯を読むと、人文学研究の一つの終焉、とでも言いたくなるくらいの状態だと感じます。
これは文科省の知人からきいた話で私も昨年確認したのですが、大学改革に関する政府の諮問機関(ごめんなさい、名前失念…中教審ではありません…)のメンバーには、驚くべき事に人文科学系の人が一人も入っていません。政府に知恵を貸す機関の中に、そもそも人文系の研究に詳しい人が一人もいないということです。これでは人文系が見捨てられても仕方ないな、と妙な納得をしてしまいました。
彼の話では、高等教育改革については、アメリカ型の効率主義、結果重視をおしつける政府と自分の権益を守りたい(?)文科省との間でも、熾烈なやりとりがあるのだそうです。
とりとめありませんが、雑感まで。

こんにちは。ブログを大変楽しく拝見しております。
R30さんのところからやってきた者ですが、アクセス数増加の割にコメントが少ないということなので、都民税の負担者(負担額は高々一千万円程度ではありますが)の立場からいくつかコメントをさせて頂ければと思います。

まず、どんな研究機関においても、研究者が資金負担者に「どんなリターンを提供しているか」という説明責任を負うのは当然のことと思います。世間では社会保険庁のグリーンピア事業なども批判されているようですが、同様に資金負担者に求められていない活動を資金負担者の費用で勝手に行う行為は許されるものではありません。

ここで、もし研究者が説明責任から逃れて自由な研究を行いたいのであれば、取り得る選択肢としては研究費用を自腹で負担するか文句を言わないパトロンを見つけるべきであって、文句を言う資金負担者の考え方を「貧しい」と批判する行為は不毛でしかなく、資金負担者からすれば「大きなお世話」となるだけの話かと思います。

また、効率一点ばりの近視眼的な立場からは何も生まれない、ということですが、そもそも何かを生む必要があるのであれば、それはその何かを必要とする組織なりが長期的な視野に立って研究開発に投資すればよい話で、現状資金負担者に必要とされていないものをわざわざ生みだしたとしてもそれは全くの無意味だと思うのです。

>ついでに文学部の人間らしく「嫌味」を言うと、R30さんの適当な「文明論」はツッコミどころ満載です。あの場ではそういうことをしても仕方ないからと思ってしませんでしたが、彼の論旨の運びを見ると「こういう適当な言説を斬るためにも文学部はやはり必要(笑)」と思いましたよ。例えば僕が「わっちゃー」と思ったのはこの部分です。
>
>----ここから引用-------------------
>元々日本の属する東アジア儒教文化圏というのは徹底的にプラグマティズムを重んじるので、「芸術」とか「学問」それ自体を敬い、慕うという考えはなかった。古代中国では天文学、測量術、代数学など実益的な学問が飛躍的な発展を遂げたが、古代ギリシアで最も重視された幾何学、形式論理学、弁論術など「学問のための学問」みたいなものはほとんど進歩しなかった。また、芸術という点でも写実的な彫刻様式を完成させたギリシアに対し、中国にはインドから仏教と結びついた美術が導入されるまで、まともな芸術がなかった。
>----引用終わり-----------------
>
>一々ツッコミませんが、この文章を読んで、一つもツッコミを入れられなかったら、その人は文学部の教員としては失格でしょうね。

私は残念ながらこの方面の教養が不足しているので(実生活には全く困りませんが)ツッコミどころがわからないのですが、「『わっちゃー』と思った」と書くヒマがあるならせっせと説明すべきかと思うのです。逆にこういう説明機会の放棄(アカデミズムの思い上がりとまではいいませんが)が現在の資金負担者の反感を買っているのではないでしょうか(少なくとも私はそうです)。研究費用をご自身で調達されているならば文句を言う筋合いはなく、全く問題ないとは思うのですが。

以上、まとまっておりませんが、本件について感じたことをコメントさせて頂きました。最後までお読みくださりありがとうございました。

monaさま

>都立大学国文学専攻学生・院生有志の会のサイトはもう見ているでしょうか。

はまだ見ていません。kubidai.comだけでも、大変ですから(記事の量が)。でも、文学系は軒並み「壊滅状態」だと言うことは情報として知っています。
どうやったら、人文科学の灯を消さずにいられるのでしょう。もういやになっちゃった、といいたいところですが、そういうわけにもいきません。人文系に限らず、どんな学問でも、上記の「同姓@工学系」さんがおっしゃっているように、自由な環境こそが学問の命なのだ、と言っていくしかありませんよね。


vladmirさま、コメントありがとうございます。
タックスペイヤーとしてのご意見、大変傾聴すべき点もあると思いますが、ちょっと大学側の人間として言わせてください。

まず、R30さんにしてもvladimirさんにしても誤解があると思うのですが、僕たち研究者はけっこう「お上(敢えてこう言います)」に対して「いかに我々の研究が有用なものであるか」というようなプレゼンテーションは、結構やっているのです。懐手してお金が下りてくるのをただ待っている、と思われては困りますし、他の研究者の方々にも失礼に当たりますので、この点は弁明させてください。

公立大学のものとして、税金を払ってくださっている方への説明が足りない、これは事実でしょう。また、そういう機会も足りないということも反省すべき点だとは思います。しかし、例えばR30さんが典型的ですが、「都立大が消滅しようが、僕の生活には何等影響がないし」というような「生活実感」だけを基礎に物事を語られては困るのです。確かに大学がいくつ無くなろうが、すでに大学から離れている人間にとっては痛痒は感じないでしょう。しかし、都立大の場合ですとまだそこに通う学生もいますし、そこで働く教員もいるわけです。そういう人たちに対して、余りに冷淡だなあ、という印象を僕はぬぐえません。

>現状資金負担者に必要とされていないものをわざわざ生みだしたとしてもそれは全くの無意味だと思うのです。

敢えて大きな事を言いますが、優れた学問というのは、そんなスケールの小さなものではないと思います(自分のスケールの小ささは棚に上げますけど)。
例えば都立大から、世界的な発見や発明が生まれたとしても、都民の生活に何ら益するところがないからムダ、という考え方はおかしいのではないでしょうか。

簡単ですが、お返事になったでしょうか。

川瀬様

 お久しぶりです。結構、盛り上がっていますね。

 またトラバします。

川瀬さま
ご返信ありがとうございます。
科研費の仕組みなどは一応心得てはおります。が、私の論点はそういった公的な資金を各研究に突っ込む必要があるのかどうか、ということです。何事も「やりたい人が自分の資金でやればいい」というのが本筋かつまっとうな論理ではないでしょうか?なぜ資金の出し手にまったく関係のない分野にその資金が投入されなければならないのか、というあたりが深い疑問です。

>しかし、例えばR30さんが典型的ですが、「都立大が消滅しようが、僕の生活には何等影響がないし」というような「生活実感」だけを基礎に物事を語られては困るのです。

困ると言われても困るのです。事実資金の出し手がいて、その出し手が無駄だと思っているわけですから。(もちろん税金の払い手が全員そうだということはないでしょうが、この不況下では大半の払い手が(議題設定されれば)同じように返答すると思います。)

>確かに大学がいくつ無くなろうが、すでに大学から離れている人間にとっては痛痒は感じないでしょう。しかし、都立大の場合ですとまだそこに通う学生もいますし、そこで働く教員もいるわけです。そういう人たちに対して、余りに冷淡だなあ、という印象を僕はぬぐえません。

これはまさに、なくてもいい既得権益をなんとか維持確保しようとする人々の姿とまったく同一ではないでしょうか。生活がかかっているのは承知していますが、「生活している」のはあなたがただけではないのです。ハローワークをのぞいてみたことはおありですか?

>敢えて大きな事を言いますが、優れた学問というのは、そんなスケールの小さなものではないと思います(自分のスケールの小ささは棚に上げますけど)。

ピタゴラスの研究が収益化するまでには1000年以上のスパンで時間がかかっていますが、仮に現在同様の基礎研究をやっている人がいたとしても、必ず資金の出し手は民間に存在すると思います。また、本当にやりたい研究であればシュリーマンの例を引くまでもなく「自己の資金で」研究すべきだと思うのです。人文系分野の研究がそういった資金調達手段を全て公共機関に委ねているとしたら、それはリスク管理的に非常に不健全である気がしてなりません。

>例えば都立大から、世界的な発見や発明が生まれたとしても、都民の生活に何ら益するところがないからムダ、という考え方はおかしいのではないでしょうか。

これはなぜでしょうか?仮にその世界的な発見や発明が各企業などにライセンスされ、その収益が都民に還元されるならば確かに素晴らしいことですが、そうでないならばまったくおかしな話だと思います。世界的な発明や発見に刺激される人々がいたとしても、その「世界的な発明や発見」が都立大で行われなければならないという理由は何一つ存在しないからです。

それと、これは教養を深める意味で他意はないのですが、上記R30さんの言説に対するツッコミをお願いできれば嬉しく思います。
駄文失礼致しました。

vladmirさま、一言だけ。

>何事も「やりたい人が自分の資金でやればいい」というのが本筋かつまっとうな論理ではないでしょうか?なぜ資金の出し手にまったく関係のない分野にその資金が投入されなければならないのか、というあたりが深い疑問です。

あのー、これってまさに「税金」が抱える問題ですよね。我々は働いている限り税金を払っているわけですけど、その使い方を事細かに一々精査していますか?
大学のムダ、というのに批判の目を向けられるのはけっこうですし、正しいことと思いますが、大学での研究は好事家が好き勝手にやっているものではなく、公共性があると僕は思っています。「何であなたがたの研究のお金を出してやらなくちゃいけないわけ?」というのは「何で僕の税金で僕が絶対に行かないような山奥の道路を造っているわけ?」と同じ文句の付け方のように思えますが。

で、ついでにR30さんへの簡単なツッコミを。
1)古代中国の諸子百家において、いわゆる「雄弁術」や「論理学」的な思考も発達したことは高校生の教科書にも載っていることでしょう
2)仏教が入ってくるまでまともな芸術がなかった、とはこれいかに?今中国の国宝展をどこかでやっていると思いますが、ちょっと暴論が過ぎますね。
3)ギリシャの彫刻は写実的、というより「理想型」を追い求めた観念的なものだと僕は思っています。人間の理想型としての神々のフォルムですから。「写実的」というなら、一人一人顔が違うと言われている秦の兵馬俑の方がよっぽど「写実的」でしょう。
4)儒教が形式主義的になって、プラグマティズムから離れたというのも歴史を見れば判ると思います(そもそもぼくには儒教的プラグマティズムという用語が意味不明ですが)。

簡単ですが、こういうつっこみです。

川瀬さま
ご返信ありがとうございます。

>あのー、これってまさに「税金」が抱える問題ですよね。我々は働いている限り税金を払っているわけですけど、その使い方を事細かに一々精査していますか?

していくのは義務だと思っていますし、現にこうやってご質問させて頂いているのも精査の一環のつもりです。

>大学のムダ、というのに批判の目を向けられるのはけっこうですし、正しいことと思いますが、大学での研究は好事家が好き勝手にやっているものではなく、公共性があると僕は思っています。

さてここです。私などは教養が貧しいせいもあって、とかく文学部の研究などはほとんど好事家が好き勝手にやっているに等しいと思っているのですが、川瀬さまは具体的にどの辺りに公共性があるとお考えですか?また、それは好事家の手によって研究され得ないものなのでしょうか?

>「何であなたがたの研究のお金を出してやらなくちゃいけないわけ?」というのは「何で僕の税金で僕が絶対に行かないような山奥の道路を造っているわけ?」と同じ文句の付け方のように思えますが。

これは仰る通りですね。そして道路と同様にムダな研究も批判されるべきです。

また、R30さんの言説へのツッコミも併せてありがとうございました。大変勉強になりました。

川瀬さま

こんにちは。
私の新しいエントリにトラックバックさせていただきました。

のんちゃんさま、TBありがとうございました。
コメントも残しましたので、宜しくお願いします。

かわせ様

 コメントありがとうございました。
 ところで、先週、そちらの大学の教職員組合の集まりで「大学が壊れるとき 都立大学の場合」という講演があったかと思いますが、反響など、いかがでしたでしょうか?

 

Tさま

>ところで、先週、そちらの大学の教職員組合の集まりで「大学が壊れるとき 都立大学の場合」という講演があったかと思いますが、反響など、いかがでしたでしょうか?

池田恒男先生(龍谷大教授、前都立大教授)にお越しいただきました。残念ながら、僕自身はその直後にテスト監督があったものですから、この学習会には参加できなかったのですが、そこそこ人は集まっていたと思います。今度同僚にその時の様子を聞いてみます。

かわせ様

 なるほど。お知らせは、伝わっていたのですね。

 

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