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March 19, 2005

『恋愛の昭和史』読了

このところ衝動買いすることが多く、散財していたので、今日は「緊縮財政」ということで自宅でひねもす読書。まあ、昨晩も「大人買い」した岡田あーみんの『お父さんは心配性』『こいつら100%伝説』を読みふけっていましたが・・・(改めて読むと、よくこんなものを『りぼん』が許していたなあ、と驚愕)。

今日は「活字を読もう」と、一昨日買った小谷野敦さんの新刊『恋愛の昭和史』(文芸春秋、2005、\1800)を早速読了。結構分厚く、昼過ぎから読み始めて、しっかり夜までかかってしまいました。相変わらず面白い。
僕はやはり小谷野さんの文章と、その「情報量」が好きなんだなあと再確認。いつも読み終わった直後は「物知り博士」になった気になれます。今回もほとんど読んだこともない戦前の通俗小説についての知識が得られて、僕は満足(特に、石坂洋次郎や平林たい子については、人間的な面も含めて興味が出てきました)。小谷野さんは本文中で

恋愛小説や恋愛論の秀作は、恋愛の下手な者たちによってこそ書かれうることを、この事実(「醜男」であった菊池寛がそういう人だったこと―引用者註)は示しているように思われる。それはやはり醜男でもてない男だったスタンダールがそうであったように、あるいは現代日本の美男作家の恋愛小説がちっとも面白くないように。(p.51)

といっていますが、この本も上記のような「心意気」で書かれたものなのでしょう、恐らく。
タイトルの通り、「恋愛」というのを中心にすえた昭和文壇史といった趣のこの本、相変わらずの法界悋気の炎が上記のようにボボボと所々で燃えさかっているのはご愛敬ですが(笑)、僕が特に「おおっ」と思ったのは、

「第九章 ジッド『狭き門』の深く広い影響について―芹沢光治良、福永武彦」

「第十六章 学歴と恋愛―学校の恋愛文化」

の2章です。まず、前者については、僕が福永武彦の大ファンである、ということが大きいのですが、小谷野さんは福永の『草の花』に見られるような不健全なほどの精神性優位の恋愛観(プラトニックラブ至上主義ですね)に対してはっきり「否」を突きつけ『草の花』を「有害な図書」とまで言い切っています(pp.182-5)。まあ、そうかも知れないなあ(僕もその思想に洗脳されて、不毛な学部生時代を過ごしてしまったかも・・・)と思いつつ、一つだけ反論するなら、『草の花』の最後の章で、主人公が愛した女性の口を借りて、そのような「精神主義的な恋愛」について、福永はちゃんと批判しているのではないかと思います。詳しいことは、どうぞ『草の花』をお読みください(と薦めちゃいます)。

後者については、「大学における恋愛」という、ちょっと(?)前まで僕が悩まされていたテーマでもあるからです。本筋とは関係なのですが、都立高校など、公立高校が凋落し、その代わりに中高一貫の男子校が東大合格者を量産するようになって、ますます異性に不慣れな男子が東大に集まることとなってしまったというくだり(p.299)には、思い当たる節がありすぎて爆笑。え、僕ですか。僕も、六年一貫の男子校出身でした・・・(あの六年間はなかったことにしてください、と思っています)。でも、中高一貫の女子校だって、学内のギクシャクした雰囲気作りに一役買っていた気がしますが、まあ、これは程度の問題でしょう。もともと東大は男子が圧倒的に多い大学でしたし。

この浩瀚な書でも、「誰でも恋愛はできる」というイデオロギーに対する批判のトーンは一貫しています。ですから、氏の愛読者である僕としては、新しい提言というのはなかなか見出し難かったのですが、戦前から、意外と問題は進歩していないんだなあ(逆にいえば、戦前も結構進んでいたんだよなあ)という感慨を新たにしました。こういう感慨って、妻経由ですが、平塚らいてう、与謝野晶子、伊藤野枝、山川菊栄らの論争を知ったときにも思いましたが。

近代日本文学に(ゴシップ的にも)興味のある方に、おすすめです。

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Comments

中高一貫男子校で『草の花』ですか!
いやぁ、痛い痛い!
「何故星を見ようとしないんだ?」
う~ん、じたばたじたばた。

わたしの場合、さらに庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』にとどめを刺された感があります。

何年も前に、
「私は、恋愛は苦手(嫌いなわけではない)だが、恋愛論は得意である」
という一文ではじまる小論を書いたことがありました。
いまや、恋愛論も書けなくなりました。

Posted by: おーつか | March 20, 2005 at 02:23 AM

おーつかさま

まあ、今から振り返ってみると、「彼女のことを思って悶えないような恋は本当の恋ではないんだあああ!!」とばかりに悶えまくっていた過去の自分を思うと、穴があったらそこに埋めたい気持ちです(笑)。その時分に書いた「恋愛方法序説」という僕の駄文をまだ持っている方、どうぞ処分をお願いします。

まあ、それはさておき、福永は、やはり僕には「恋愛の不可能性」を教えてくれたかけがえのない作家なのですけどね。ちなみに庄司薫は読んでいません。

Posted by: 川瀬 | March 20, 2005 at 11:46 PM

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