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April 02, 2005

わがこころのよくてころさぬにはあらず

jibutsu_1さて、タイトルの言葉は、『歎異抄』13条の有名な一節ですが、昨日と今日で、内田樹先生の新刊『いきなりはじめる浄土真宗』と『はじめたばかりの浄土真宗』の上下巻本(本願寺出版社、2005)を立て続けに読みました。これは、浄土真宗の僧侶で宗教学者でもある釈徹宗先生との往復書簡からなっている本で、ネット上ですでに公開されていましたから、ご存じの方も多いと思います。相変わらず、読みやすく深いところを突くなあ、と感心し、釈先生の解説も的確だなあと思いました。

タイトルに偽りなし、といいたいところですが、プラスの意味で裏切られます。それは、内田先生がレヴィナス経由のユダヤ教(旧約聖書)の深い読み込みを提示し、釈先生がそこからインスパイアされた浄土真宗の解説を語ることによって、単なる「浄土真宗」の概説本になることを防いでいるからです(後書きで、釈先生も同様のことを言っていました)。

個人的なことを言えば、僕の家は大谷派(東本願寺)の家で、親鸞とか浄土真宗とか、他力とかに関しては、大学で受けた講義もあって(三年生の時に受けた、親鸞とルターを比較宗教学の視点から捉えた加藤智見先生の授業がきっかけでした)、結構自分で読んだり調べたりしたことがあります。倉田百三の『出家とその弟子』も読んだりして(福永武彦とかも読んで、頭でっかちになっていた頃ですね)。その結果、僕は親鸞のお師匠様である法然に傾倒しているのですが(法然の大らかさと高潔さの共存に頭を垂れざるを得ません)、まあ、それは別の話。

この本で印象深かった部分を指摘したいと思いますが、前述のように、内田先生が、浄土真宗に別の角度から光を当てその理解を深めるために持ってきたユダヤ教の話が印象的でした(例えば、1巻の「その3」)。これは僕が以前このブログで言及した前著『他者と死者』にも同じことが書いているのですが、「全知全能の神の存在は、人間を倫理的な方向に導かない」、ということの指摘は、繰り返さなければならない重要な「神義論」の構成要素だと思います。もっというと、勧善懲悪・因果応報は人間を倫理的にはしないということ(浄土真宗も、このエントリのタイトルのように「自分が偉いから悪いことをしないのではない。それはたまたまそういうラッキーな状態にいるだけだ」と教えているわけです)。そういうことを改めて教えられたような気がします。

jibutsu_2このあたりを敷衍して、内田先生は「常識」と「非常識」の往還(こういう言葉は使っていませんが、僕なりにまとめるとこういうことです)にこそ、宗教の「核」があるのではないか、ということを、有名なアブラハムのイサク殺害未遂を元に考察しています(2巻の「その15」)。旧約聖書の「創世記」において、アブラハムは息子のイサクを「山の上に行って、生け贄とせよ」という、神の無文脈かつ超非常識な命令を受けて、泣く泣く息子を山に連れて行って、殺そうとします。しかし、神の命令にそこまで従ったアブラハムを見て、神様は天使を遣わし、寸前で止めてめでたしめでたし、という有名な挿話ですが、内田先生は、以下のように解説しています。

このストーリーラインでなければ、「あなたの常識には外側がある」という被造物としての宗教的覚知と、「あなたはあなたの『常識』を守って、あなたに与えられたスキームの中で、『正しく』生きなさい」という倫理的命令を同時にアブラハムに理解させることはできないからです。(2巻、p.125)

おおざっぱに言って、「宗教」とは、この世界の外側(あの世とか他界とか、天国とか地獄とか、何でもいいですが)の存在への志向性がなければ成立しません。要するに「常識では推し量れない世界」が実在して、それが自分とは無関係なものではなく、それどころか自分を成立させているもっとも根源的なもの、という思いがなければならないでしょう。でも、その「非常識」な世界にばかりかまけることは、普通の人には許されません(許されるのは、一部の「聖者」だけでしょう)。ですから、その「非常識」さを、「常識」に還元できるか否かが、その人の「宗教性」の質を問うことになる、と、内田先生は考えているようです。例えば、オウム真理教の麻原やその弟子たちが見せた「奇跡」について、

 けれども、そのあとに、その霊的な覚醒をどうやって「市民としての適切なふるまい」にリンクさせるか、ということにはたぶん一秒も頭を使っていません。逆に、「市民としての適切なふるまい」を自分たちの教理に合致するように変更しようとしました。自分たちに反対する人間はみんな殺してもいい、それが真の正義の実現であるという「非倫理的」結論は、あらゆるファナティズム(狂信主義)に共通するものですが、その発想がどれほど「凡庸」なものであるかに彼らはたぶん気がついていません。私はこれを「頭が悪い」と思ったのです。(2巻、p.64)

と、「常識」に帰ってこれなかった彼らを批判していますが、僕もその通りだと思います。釈先生が言及されていますが(1巻、p.99)、仏教がそもそも抱える矛盾、すべてを捨て去らねばならないのに、「解脱」とか「救い」という目的に執着せざるを得ないという矛盾に、オウムは無自覚であるか、それを深層心理に押し込んでしまった嫌いがあると僕個人は思っています(実際、事件後の彼らのアジトに行ったときに、その疑問をぶつけてみましたが、はかばかしい回答は得られませんでした)。

この本は、往復書簡ですから読みやすいし、浄土真宗とユダヤ教のエッセンスが少なくとも分かったつもりになれる、お得な本だと思いました。釈先生の、所々に挿入される宗教学的な解説も有用です。

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Comments

昔々浄土真宗を6年間学んで(学ばされて=必修)いたので
久しぶりにこちらで見てとても懐かしく思いました。
当時子供だった私には「歎異抄」は激しくチンプンカンプン
でしたが今(それなりに)大人になったので改めて
読んでみたいなぁと。↑の本、図書館においてるかなぁ…。

attnさま
6年間、ということは、そういう中高で過ごされたのでしょうか。
歎異抄は難しいですよね。やはり深いなあ、とは思いますが。
僕が初めて歎異抄を読んだのは大学生の時ですが、「自分は悪人だ」と自覚できるってことは、僕は善人なのかな・・・と堂々巡りになってしまったことを思い出します(笑)。

ちなみに僕は、7年間浄土真宗系の某高校・大学でした。ある意味で「仏教原理主義」的な教育を受けてきたので、真宗には、未だにアレルギー反応を起こしてしまいます。(笑)それとも僕の信心が足りないのでしょうかねぇ~。僕とは根本的な「何か」が違うと思って、悩んだこともありました。それが何かはわかりませんけど。『歎異抄』は難しいですね。やはり僕は法然さんの寛容さに魅力を感じます。

amgunさま

そんなに「仏教原理主義」みたいな教育をされたのですか。意外だなあ(そういう学校は少ないと思っていたので)。

法然のいいところは、親鸞とか在家の弟子には「結婚して念仏したければそうすればいいし、もし独身でいられるのなら独身のままでいなさい」とか「お酒も、ホントはあんまり飲んじゃいけないんだけど、世の習いですし」とか、そういう寛容さを示しつつ、自身は恐ろしく厳格な僧侶としての一生を全うしたというところに、尊敬の念を持っています。倉田百三は「法然・親鸞」の順番だったから浄土宗・浄土真宗は発展したのだ、逆だったらえらいこっちゃ、というようなことを書いていますが、同感ですね。

>寛容さを示しつつ、自身は恐ろしく厳格な僧侶としての一生を全うした

私は真宗ではなく浄土宗系の中学・高校でしたが、道徳の時間でもこの↑ように教わって、ああいいなあこの人はと思った記憶がありますね。月1回、某お寺(徳川家菩提寺)でのお説教があったんですが、その内容やテンションも、イタくおおらかだった気がします。
で、その後に「カトリック系僧兵集団」が母体の大学に行くわけですが(笑)、多少落差があって驚きました。

porciusさん、高校では「一枚起請文」、暗記させられたのでは?

>「カトリック系僧兵集団」

思わず笑ってしまいました。世界で一番強いかも知れない「僧兵集団」ですよね、今も。

>一枚起請文

それはもう。浄土宗宗歌とともにバッチリ生徒手帳にまで書いてございました(笑)

>世界最強伝説

実際の武力云々はともかく、それ以上に強大な精神的影響力というか、カトリック右派の牙城としての隠然たる威光がありますもんね。

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