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July 18, 2005

all or nothingは不毛

いろいろなブログを徘徊(巡回)していて、ふと思ったことを。

たびたび「炎上」と称する事態がブログ界で起こっています。
まあ、ようするに、掲示板でも良くありますが、コメントし合っている内にヒートアップして、最終的には不毛な揚げ足取りに終始して、そのブログが終わってしまう、というような事態で、これはネットというコミュニケーションでは良くあることで、現象だけ見れば、別に新しくも何ともないと思います。実際、ネット上の感情的諍いをflaming(炎)といっていましたし。僕が2ちゃんねるにホンの少しだけコミットしていて、直ぐに辞めたのは、こうした「罵り合い」がホント、体に悪いと思ったからです。もうちょっとまともなストレス発散の方法を見つけよう、と思ったまでです(僕は2ちゃんねる全てをバカにしていません。中には真摯な議論もあるでしょう。砂金を探すような作業になるでしょうけど。ただ、情報ソースが2ちゃんねるだけだったり、「世の中所詮2ちゃんのような世界なのだ」などと言う人間は徹底してバカにします)。

僕は幸い、ひどい罵詈雑言や荒らしの書き込みによる被害は受けてきませんでしたが(まあ、そういう発言は面倒くさがらずにサクサク削除もしてきましたけど)、ブログの場合は、掲示板と違って、ある程度その書き手の個性が問われる(と言うか、ばれていることが多い)、というのも大きな問題だと思います。そのブログを読む人が、そのブロガーをまるで実際の知り合いの如く丸ごと「好き」か「嫌い」かという両極端な陣営に分かれてしまい、その両者によるディベートがコメント欄なんかで始まると、結局は「荒れ」ちゃいますよね。
僕は、そこにこそ問題があると思います。丸ごと「好き」か「嫌い」か、という考え方自体が、僕は不毛と思います。

例えば僕は、このブログでも何度も言及しているように、内田樹先生を非常に尊敬しており、ブログも本も殆どすべて読んでいますが、内田先生のおっしゃることを全て鵜呑みにしているか、といえばそうでもありません。特に、フェミニズム関係や―内田先生はある程度戦略的になのでしょうけど―例の三砂ちづるさんの『オニババ本』擁護などは、「そうかなあ」と首をひねっています。以前、特にこの本をめぐって、内田先生及びブログの読者の間で、激しい意見が交わされましたが、どうも全体的に見て、表題に掲げた「all or nothing」的な思考枠組みに捕らえられている人が多かったように見受けられます。全面賛成か、全面否定かの二者択一。勢い議論も「何よ」「何だよ」というのに終始してしまったような気がします。僕は、この議論に関してはどちらかと言えば「反内田先生」だったわけですが、その他の議論については「やはり鋭いなあ」と素直に感心したりしていました。

僕が個人的心掛けていることは、特に日頃尊敬する人の言説に対してですが(まあ、嫌いな人の言葉には常日頃耳を傾けませんけど)、「全てを鵜呑みにしない」「ここはいつも通り素晴らしいけど、そこはちょっとなあ」というような態度を、どこかで保持することです。どこまで実行できているかは怪しいですが(笑)。僕をご存じの方から「川瀬、好き嫌い激しいくせに。嘘つけ!」と言われそうですね。
「ここは良いけどあそこはダメ」という距離の取り方は、特にネット上でしかつきあいのない人に対しては必要な「コミュニケーション・スキル(敢えてこの言葉を使います)」だと思うのですが・・・。実際の友人や師弟関係にある人に対しては、結構浪花節的に全面的にとりあえず認める、と言う態度を僕は取ってしまいますけどね。

以上、思いつきでした。

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Comments

はじめてblogの方にお邪魔します、確かにコンサート、すごく行ってますね(笑)。疑う事が学問のはじめと言いますが、組織に入ってしまうとなかなか難しい点でもあるかと思います。距離の取り方、確かにそうですね。私もblogを作ったら、さくさくやれるように頑張ってみます(笑)。

ふるさわさま
組織での距離の取り方、遅ればせながら数年前「社会人」になった僕には突き刺さる思いです(笑)。まあ、「組織」と言っても世間一般から見ればユルユルの「大学」なわけですけど。
実際にお世話になっている方(例えば指導教員)とかにはある意味盲目的にお仕えして、そこから学ぶ、という体育会的なものもありかと思うのですが、ネット上ではそういうのは無理ですし、やる気もしません。
「全人的なつきあい」って、やはり実際の接触が大きいと思います。本やネットだけでは触れられないもの、というのも、確かにあると僕は思っています。
話が大きくなりすぎましたね・・・。

この問題(ブログでのコメンテーターとの距離のとり方)については、やまだ紫先生のお連れ合いでもある白取千夏雄先生のブログが、大変素晴らしいと、日ごろ感歎しております。コメンテーターとのケンカの作法、コメンテーターへの率直な謝罪など。さすがやまだ先生のお連れ合いです、伊達じゃござんせん。(えっ、問題発言かしら・・・)

natunohi69さん(お久しぶりですね)
こういう話題で、あなたが書き込まれたので、思わず苦笑してしまいました。

>白取千夏雄先生のブログ

最近拝見していませんが(やまだ先生のご病状を知るために数ヶ月前は頻繁に覗いていましたが)、今度また見てみることにします。

上で僕が書いたことは、要するにネット上のつきあいは部分的にならざるを得ないのだから、「それはそれ、これはこれ」と割り切る方が良いだろう、という、ただそれだけのことです。ですから、例えば僕は、あなたが以前僕に噛み付いてきたときのお作法は正直言って気に入りませんでしたが、あなたのマンガに対する「選球眼」(やまだ紫先生やこうの史代先生をあなたは大変高く評価していますよね、僕も同感です)は非常に良いな、と思っています。偉そうな物の言い方ですが。

「世の中所詮2ちゃんのような世界なのだ」とかってジゴロMは言ってたなぁ(笑)。
ここ2週間でブログ世論とトラバ攻勢を経験したけれど、確かに、従来の掲示板のバトルからどこまで進化したかというのは、少々疑問にも思ったね。
「相手にエンエンからみ続けることは可能」ってつくづく思うし、何しろ、本題を次第に離れてしまい、相手の議論の組み立ての微妙なスキをつっついて反論した気になってるものも多い。「確実に」「あらゆる」「全ての」などの確定的(というか「強意」の場合も多いと思うんだけど)な形容句はまっさきに攻撃の対象にされるね(笑)。
でもまぁ徹底して無視して、身辺雑記を書き連ねていくという「儀礼的無関心」が発動できるのはブログの隠れた良さだったりして。

こいけくん

>「相手にエンエンからみ続けることは可能」ってつくづく思うし

そうですね。僕はそういうの、不毛だと思っているんですよ。なるべく絡まれないような文章を書く、という防衛策は施しているつもりですけどね。

あと、自分でも反省するときがあるんだけど、「儀礼的無関心」(ゴッフマンの言葉が、これだけネット界で広まるとは思わなかったね)の匙加減が難しい。徹底して無視して、こっちが悪者になったような気がするときもあるし(笑)、メールやコメントを送って全く反応がないと自分でも予想以上に傷ついちゃったりしてね。

パソコン通信時代以来、「メールや掲示板のレスは来なくて普通、来たらラッキー」と思うようにしています。

ところでブロガーでもトラックバックの張り方間違ってる人、結構いるね。

>こういう話題で、あなたが書き込まれたので、思わず苦笑してしまいました。

いや、私がこういう問題(罵詈雑言や荒し)をひき起こしている一人である自覚はあるのです。何か、酒癖が悪いのに酒が好きというか、川瀬先生はじめ他人様にいやな思いをさせ自分も消耗するのに(しているんです、実は)絡むようなコメントをしたがるコメント依存症というか?
今回の川瀬先生のブログ、及び、ご丁寧にレスまでいただき非常に勉強になりました。ありがとうございました。「all or nothingは不毛」という今回のお題はまさに私のために書いていただいたような記事ではないかと(あ、また絡んでます、「儀礼的に」無視して下さい)


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『パタリロ』が好きです。((『パタリロ西遊記』はイマイチでしたけど。)) というのはさておき、 ブログでの論争だとか、コメントだとかの様子を見ていると、どうにもあの「なんだとはなんだとはなんだとはなんだ!」というセリフが頭に浮かんでならない。 相手の意図を酌めずに、または文脈を読み取れないままに反応し、そしてそのまま、相手の意図を酌もうとも、文脈を読み取ろうともせずに判断、解釈をして、一方的に絶縁宣言をするといったような事態が、事の大小を問わず、あちこちで起こっている。 少なくともそんなような気... [Read More]

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