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August 27, 2005

クールビズは有害

今朝の朝日新聞を読んでていて、思わずコーヒーを吹き出しそうになる一面広告が。
去年の今頃、このブログでも取り上げましたが、埼玉県にある全寮制の秀明中学校・高等学校が、またまた驚くべきコピーの広告を打ってくれました。曰く

クールビズは子どもの教育に有害です。
全寮制の秀明は、日本の歴史と伝統をふまえ、「形・姿を正した」教育を行います。

なんの脈絡もなく、学校の広告でクールビズ批判。まあ、「大人がだらしないから、子どもまでだらしなくなる」ということが言いたいんだろうなあ、と思いますが、いきなりすぎです。恐らく、秀明にはジャージで一日中構内をうろついているような先生はいらっしゃらないのかも知れませんね。「日本の伝統」云々は、つっこんでもつまらないので却下。
学校のドレスコード、というのは、僕も実は経験したことがあります。僕が6年前、韓国の短大で日本語教師として働いていたとき、「男性教員は必ずネクタイを締めること」とのお達しがあり、僕らはそれを守らされていました。今の勤め先は、もちろんそういうことはなく、入試業務や、壇上に上がって講義するとき以外は、ほとんど普段着です。まあ、大学って、大人がいいかげんな格好をしても許される場所なので、あんまり参考になりませんね。

さて、もう一度この秀明の広告に戻りますが、実は、僕、この意見に結構賛成の部分があります。クールビズそのものを否定しているんじゃないですよ。でも、「先生は先生らしく振るまい、生徒(学生)はそれらしく振る舞う」という役割演技が、教育という場においては重要だと思うからです。ですから、古くさいかも知れませんが、僕は、学生が僕にタメ口をきくことを、基本的に許しません。まあ、そういう学生は滅多にいませんが。
あと、クールビズ、という外見の問題を考えると、真っ先に思いつくのが、当然最近の小泉首相を中心とした、国会議員の皆さんでしょう。確かに、だらしなく見えるんですよね、申し訳ないけど。逆に言うと、ネクタイを締めてなかったら、こんな人の話なんか聞いちゃいられないよ、と思わせるものがあったりします。クールビズにしていて、それでも威厳を保っていられるかどうか、というのは、結構シビアな問題です。そこまでの境地に達することができれば良いんでしょうけど。僕もそれを目指して頑張りたいと思います(笑)。

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August 25, 2005

旅行先でのトラップ

今日は日本に帰国するだけの最終日。
ソウルも風雨が強く、荒れ模様。BSを見ると、日本にもろに台風が近づいている。旅行の最後に、こういう「トラップ」が待っているとは。
「こりゃ、飛行機は遅れるだろうな。もしかすると、違う空港に着陸とか、下手すりゃ、欠航もあり得るな」といやーな予感。

10時にホテルをチェックアウトをして、ホテル前から発着する空港行きリムジンバスに乗って、一路仁川国際空港へ。僕の登場予定の飛行機は2時半に出発だったので、少し早めの出発だったのだが、午前中ソウルの街中をうろつく元気もなかったので、そのまま空港に向かった。
到着と同時にチェックインしたのだが、早速窓口のお姉さんから、「日本の天候が悪いから、遅れたり、キャンセルされたりする可能性があることをご承知おきください」といわれ、その念書のようなものにサインさせられる。ますますやばいなあ、という感じが高まる。
チェックインの後は、地下の食堂街で、最後の韓国食を食べようと思い、「スントゥブチゲ定食(豆腐を辛く煮込んであるもの)」を食す。辛いけど美味ーい。実は、尾籠な話で恐縮だが、この旅行中は胃腸の調子がいまいちだったのだが、それでもこういうものを欲してしまう・・・。
geumjacdその後は、隣接しているCDショップに行って、色々物色。買ったのは、僕が前に感想を書いたことのある映画「春の日は過ぎゆく」のサントラ。そして、我が敬愛するイ・ヨンエ様最新作「親切なクムジャさん」のサントラも勢いで購入。まだ、韓国でも公開されたばっかりだというのに(笑)。
最近の韓国人の歌手については全く判らないので、六年前に滞在していたときに流行っていたキム・ヒョンジョンという歌手の最新作をチョイス。芸能界での流行廃りの激しい韓国で、まだちゃんと歌手活動をしていることに敬意を表して。
このCDを買い終えてから搭乗ゲートに向かったのだが、予想通り、台風の影響か一時間遅れる、という表示が点滅。アイゴー。しょうがないので、暇つぶしに免税店や書店をめぐったが、この四日間ネットに全く繋いでいなかったな、と思い、一時間W3000のインターネットラウンジへ向かう(30番ゲートの前です)。そこで自分のブログやメールに繋いだり、友達のブログを読んだり、台風情報を読んだりしているうちに時間が経ち、4時前に飛行機は出発。物凄く揺れるかな、と思ったらそうでもなく、拍子抜けして30分は爆睡。この拍子抜けもある意味「トラップ」。
とまあ、結局1時間半遅れで、何とか到着できました。しかも関西空港に着いたら、物凄く良い天気で、なんか悔しい思いをしました。

さて、このエントリのタイトルにつけた「トラップ」なんですが、実は、最大のトラップは、朝にあったのです。僕はNHKBSで最新の台風情報を仕入れようと、チェックアウト寸前までテレビを見ていたのですが、なんとそこではアニメ「フランダースの犬」がやっているではありませんか(しかも最終回近くの回)!!このアニメは、僕と同世代なら、小さい頃見て「トラウマ」になったアニメで、苛められるネロがあまりに可哀想で、正視できず、何度もチャンネルをガチャガチャ回した(当時のテレビは、チャンネルは「回す」ものでした)ものです。というわけで、恥ずかしながら朝っぱらから泣いてしまいました。ひどいよ・・・・。チェックアウトするとき、真っ赤な目をした僕を不審そうな目で見るホテルマンの視線が痛かったです。

皆さん、台風とBSの番組には気をつけましょう(笑)。

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August 24, 2005

ソウルの本屋&マンガ事情

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さて、昨日で「学問的」な事は終わり、朝にフォーラムは解散。
そのままバスでソウルのロッテホテル前まで送ってもらい、僕はまず先輩のK先生と、後輩のF君(韓国のキリスト教を研究中)と三人で、ベタですがロッテホテル裏の繁華街「明洞(ミョンドン)」で、焼き肉(K先生の強い希望による)。愛想の良いおばちゃん(僕は「あーん」までしてもらう羽目に。おじさん、おばさんに相変わらずもてる僕です)が経営しているお店で、生カルビを食べ、昼間から酒(僕は軽くビールでしたが)。
ほんのり顔を赤らめつつ、ソウル中心街の大書店をハシゴ。まずは、ロッテ百貨店の交差点を越えたはす向かいのビルの地下にある「リブロ」というワンフロアの書店。ここは、実は初めてでした。多分、できたのはそれほど昔ではないと思います。その後は、おなじみ、韓国最大の書店の「一つ」(昔は文句なく一番だったんですが、新しいところに大型書店ができたりしたので)である「教保文庫(キョボムンゴ)」。ここでK先生は、最近はまっている「韓流」映画のDVDを大人買い
ここで一旦K先生は宿泊先のホテルに戻り、僕とF君はそのまま学術書を探しました。ここではあまり収穫がなく、地下鉄鍾閣駅の南側にある、これまた大書店の「永豊文庫(ヨンプンムンゴ)」に向かいました。ざっと見た感じですが、教保文庫より、学術書はこっちの方が品揃えが良くなった気がします。韓国の書店も、栄枯盛衰が激しいです。

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そして、サブカル研究者(自称)の僕としては、韓国のマンガや雑誌事情も調べねば、と変な義務感が頭をもたげ、そっちのコーナーにもいって参りました(こっちの方が滞在時間が長かったかも)。さて、マンガについてですが、僕がざっと見たところ、ある意味残念なことに、7割から8割は、日本のマンガの翻訳物で占められていました。しかも、どういう翻訳システムになっているのか知りませんが、あまり作品を選んでいません(笑)。読み続けると確実に頭が悪くなりそうな某ヤンキーマンガや、「このギャグはどうやって翻訳したんだろうか」という疑問ばかりが先行しそうな作品まで・・・。で、ついつい気になって買ってしまったのが写真に上げた森薫先生の『エマ』と、ノナーこと野中英二先生の『魁!!クロマティ高校』です。ちなみに、『クロ高』は、『突撃!!クロマティ高校』と訳されています。大丈夫でしょうか・・・。これから、日本語版と比較して、韓国語のお勉強をしてみようと思います。ざっと見たところ、結構日本語に忠実に翻訳されている(直訳ともいう)ので、却って不安感が増しますが。日本が、このようなマンガを通して、益々誤解されたらどうしよう、などといらぬ心配をしてしまいます。だって、日本人にも元ネタが判る人の少ない『クロ高』の副題まで直訳しているんですよ!!「零点・家出編」とか「プロ野球編」とか(笑)。

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さて、夕方にF君と別れて、再びK先生とホテルのロビーで待ち合わせて、今朝、いきなりK先生が「ソウルに行ったら、あそこに行こうと決めていたんだ」といって予約したお店に連れて行ってもらいました。その店は、仁寺洞(インサドン)という街にある「山村(サンチョン)」というお店です。

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仁寺洞は陶磁器店が並んでいるおみやげ屋ストリートとしても有名ですね。ここは、その名の通り、山菜料理がメインの店で、お昼はカルビ、夜は完全ベジタリアンと、極端な食事をしてしまいました。まあ、結果オーライでしょう。写真のように、山盛りの山菜料理が次から次へと出てくるのです。すごく健康になるような気がします。


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そして、ここはその精進料理だけが素晴らしいのではなく、何と韓国の伝統舞踊のショーまであるのです。写真は、まるでムーダン(巫女)のような踊りのと、三人がジャーンジャーンと銅鑼や太鼓をかき鳴らしながら回る激しい踊りです。こんないいところに連れてきてくださったK先生には感謝です。ここは結構有名なところですから、ガイドブックにも載っていますよ。おすすめ。外人さん(僕たちもですが)の比率も高かったな。

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夜は約30000ウォンのフルコースだけなので、迷いません(笑)。あと、濁り酒がうまかったです。帰りはフラフラ。こうしてソウルの夜は更けていったのでした。

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August 23, 2005

水雲教見学

フォーラムの二日目は、午前中に、それぞれの部会での議論を司会者が全員に紹介し、総合討論。第三部会は、何故か若輩者の僕が諸先生方をさしおいて昨日行われた議論をまとめて紹介する羽目に(若輩者だから押しつけられた、という意見はさておき)。

2005nikkan_049昼食後、バスに乗って、大田(テジョン)の郊外にある鶏龍山(ケリョンサン)という聖地に向かう。ここは何故か韓国新宗教の本部が集まる「メッカ」で(って変な表現だな)、その理由は風水とかから説明されたりもしますが、実際のところ、よくわかりません。日本でも、富士山の周りに新宗教の施設が多いことも連想されます(オウム真理教だって、実はそうでした・・・)。
今回は、その中でも「水雲教」という教団を見学させていただく。

2005nikkan_056これは、東学の流れをくむ新宗教で(そもそも「水雲」とは、東学教祖の崔済愚の号)、僕も名前だけは聞いていたが、実際見るのは初めて。この教団の名前は、植民地時代の資料である『朝鮮の類似宗教』(村山智順著、朝鮮総督府、1935)という報告書にも見えるが、後に、真宗大谷派に半強制的に吸収合併された。

2005nikkan_058現在の教団は、その流れを汲みつつ、話によると最近また大きくなりつつあるそうで、手元にある『韓国新宗教実態調査報告書』(円光大学校宗教問題研究所編、1997)によれば、信徒数はおよそ6万人ほどなのだそう。この教団の教祖は李象龍(1822-1938)という人物で、教団では「水雲天師」と呼ばれている。先述の通り、「水雲」とは東学教祖の号であり、彼はその一種の「生まれ変わり」というか、魂の継承者として位置づけられているようだ(いわゆる「ダライ・ラマ方式」ですね←今、勝手に名付けた)。

2005nikkan_077今回は特別に、朝夕行う儀礼を見せていただく。いただいた儀礼の説明書(今回の学会テーマが「宗教と儀礼」なので、韓国側運営委員が、儀礼を重視するこの教団を見学先に選んでくれたのだ)を書き写すと、以下の通りである。
1 開式宣言・打鐘、2 明燭焚香、3 礼参奉告、4 呪文奉頌、5 祝願文告由、6 神衆壇礼、7 四方拝礼、8 説教、9 互相拝礼、10 閉式
呪文は、著しく仏教色が強い(4番目の呪文は、東学の当初からある本呪文だが、その他はほとんどが仏教っぽい呪文)。東学も「儒・仏・道」の三教を統一した教え、と自らを規定していたが、この水雲教は、その中でも特に仏教色を前面に押し出して、他の教団との違いを押し出そうとしたのだろうか・・・。そして、この儀式の後は、この教団の「パラチュム」という踊りを見せていただく(「パラ」とは小さな銅鑼のこと。「チュム」とは踊りという意味)。 

2005nikkan_093他の堂内を見せていただくと、中には「釈迦」「孔子」「老師」「檀君(朝鮮の始祖神)」「教祖」が祀られている。そして、写真にあるような立派な仏は、実は植民地時代に東本願寺から送られ、今まで大事に保管されているものだそうだ。東本願寺は、数年前まで、植民地時代に奪ったこの教団の石塔を倉庫にしまっており、ようやく数年前にそれを返還、正式に謝罪し、仏像を保管していた教団本部に代表団が訪れたそうだ。いやはや。
天気も良く、暖かく迎え入れてくださった教団に感謝。

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August 22, 2005

日韓宗教研究フォーラム参加

hanshin_univさて、このたび、「第三回日韓宗教研究フォーラム」という学会に参加してきました。これはその名の通り、日本と韓国の宗教研究者の有志が集う催しで、隔年で2001年から行っており、今回が三回目となります(一回目の会場は韓国学中央研究院、二回目の会場は大谷大学)。実は、この集まりの原型となるシンポジウムが、1993年から六年連続で行われてきており(6回に及ぶこのシンポジウムの成果は、柳炳徳・安丸良夫・鄭鎮弘・島薗進編『宗教から東アジアの近代を問う-日韓の対話を通して』ぺりかん社、2002年、にまとめられました)、この集まりはそれを継承するものです。僕は、その前身のシンポジウムの第二回目から関わっており(あのときは、まだ修士でした・・・)、現在は日本側運営委員の末席におりますので、参加してきたわけです。
今回の会場は、ソウル郊外(といっても結構遠いけど)にあるHanshin大学校。別に、関西人が好きなチームとはなんのゆかりもなく、元々「韓(国)神(学)大学校」というミッション系の学校だったのですが、一種のUI(University Identity)といえばいいでしょうか、名称をアルファベットにしたそうです。写真は、会場になった建物と、大学が作ってくださった横断幕です。韓国は、何かあるとこうして横断幕を作ります。
今回のフォーラムは、総合テーマを、横断幕にあるように「宗教と儀礼」と定め、三つの分科会に分かれ、またそれぞれテーマを設定し、各分科会6人ずつ、計18人の方に発表していただきました(日韓半分ずつ)。僕は第三分科会の司会でした。他の部会はちゃんと参加できませんでしたので、自分が司会をした第三分科会についてだけ、少しメモします。
この分科会のテーマは「国家と死亡者儀礼」というものでした(ちなみに、他の分科会のテーマは「近世社会と宗教儀礼」「儀礼の調査方法論」)。これは主に近現代がターゲットになる分科会で、非常にポレミカルなテーマだったと思います。日本においては靖国問題はもちろんのこと、広島・長崎、沖縄、空襲による死者と、日中戦争・太平洋戦争時の死者たちをどう弔うかは、いまだに大問題なのはいうまでもありません。お隣の韓国では、使い古された表現ですが、「激動の戦後史」を簡単に振り返るだけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、「済州島4・3事件」(1948年に済州島で起きた虐殺事件)、数々の民主化闘争の頂点に位置する「光州事件」など、弔うべき死者たちの魂の行方は、日本同様色々難しい問題があります。「誰が」「誰を」「どのような目的で」祀るか、というのは、どうしても単純な一つの物語には収めることができない問題です。これは、追悼の方法の複数制、という議論にもつながっていきます(僕が思うに、靖国神社の最大の問題点は、この「追悼の方法の複数制」の事実上の否定にあります。事実、幾つかの発表で紹介されたのは、国家や自治体の主催ではない慰霊のあり方でした)。
そして、特に戦争死亡者という存在は、どうしても「一国の問題」を越えてしまう広がりを持つことが確認できたと思います。靖国に祀られている朝鮮・台湾出身者の問題はもちろんですし、非戦闘員の犠牲者、日本がアジアで殺した様々な人々。そして戦後の韓国においても、加害者としての軍という存在が、現代史のあちこちに足跡を残しているのは、紛れもない事実です。つまり、皮肉なことですが、日本と韓国は、戦前・戦後を、まるでリレーするかのように「軍人顕彰」のシステムを温存してきたと思います。そして、それを温存せしめたのは、戦後東アジアを覆った、「冷戦」という暴力システムでした。
このような問題は、当然ながら、単なる宗教研究の枠を越えて、政治的なイシューを色々想起せざるを得ませんでした。そういう意味で、手前味噌ですが、まあまあ成功だったかな、と思います。ホント、この問題って、ポストコロニアルな問題なんだなあ、と改めて確認した次第です。

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August 20, 2005

鈴木祥子様 in バースデイ・イヴ・ライヴ

今年の6月、三回も敬愛するシンガーソングライターの鈴木祥子様(以下、祥子さん)のライヴに通って、このブログで、血迷ったエントリ(その1その2その3)を書きましたが、またまた書かせていただきます。

clc今日、鈴木祥子さんの「バースデイ・イヴ・トークライヴ」が大阪本町の「contents label cafe」というお店で開かれました。実は、21日は祥子さんのお誕生日でして、その前日をお祝いするライヴだったわけですね。しかも、今度のお誕生日は、「四十路突入」記念でもあります(話は飛びますが、「女性に年を聞かないのがエチケット」というのは、僕は悪しき習慣だと思っています。みんな祥子さんみたいに、堂々としてれば良いんですよ。年齢については、無理して言うものでもないし、無理して隠すものでもない、というスタンスが良いですね)。

このライヴは、オフィシャルホームページ上で、こっそり、という感じで告知されており、僕も最初は知りませんでした。そんな僕に、先月一本の電話が掛かってきました。この前のライヴで仲良くしていただいた、大常連のYさん(仮名)からでした。
「もしもし、こんにちは。いきなりだけど、川瀬さん、最近祥子さんのホームページ、見ましたか?」
「いや、最近は見ていないですけど、何かありましたか?」
「8月に、大阪でライヴがあるって告知があったんですが、川瀬さんも行きます?」
「えええええ、もちろんもちろん」
「実は、僕、さっき電話で4人分予約しちゃって。じゃあ、川瀬さんをその一人ということにしましょうか
「おおおおおおお願いします。ありがとうございます(と携帯をもったまま深々とお辞儀)」
「いけなくなったら、僕に掛けてきてください。それじゃまた」

とまあ、こういう感じで、ホント、人様の好意に甘えることばかりで世の中を渡っている川瀬です。済みません。ほんと、前回もお世話になったRさん(バナナホールで最前列の席を取ってくれた方)といい、いい人たちや・・・(60名のキャパで、すぐ締め切りになったようです)。

board会場は、全く初めてのところ。僕は大阪の堺に生まれ育ちましたが、高校までの遊び場といえば、大体難波か心斎橋止まりで、その先の本町の方は、ビジネス街というイメージしかなかったのですが、今回の会場は、そういう中にちょっぴり周りから浮いているおされ空間を醸し出していました。
会場には、早めに着いたのですが、どうもリハでトラブルがあったらしく、30分遅れの入場、開始となりました。しかし、待っている間、リハ中の祥子さんの声や演奏が漏れ聞こえてきて、ちょっぴりお得な気分でした。開場を待っている間に、そういうのが聞こえてきたら、一気に期待が高まりますよね。思い出したのが、12年前のzabadakの「のれん分け」コンサート(上野洋子さんがzabadakから脱退したコンサート)。会場が日比谷野音で、早めに日比谷公園に来てしまった僕や数名のファンは、リハーサルの声や音が漏れ聞こえてきたので、サルのように金網に登ろうとして、係員の人に怒られちゃいました(登っても、中は見えません)。てへっ。閑話休題。

さて、今日の会場は、ちょっと60人のキャパとしては正直言って狭かったですが、それだけ距離が近かったです。キーボードの前にはゴザが敷かれていて(昔見た友人の学生劇場を思い出しましたよ)、そこに10人ほど座り、その後ろや壁に椅子が並んでいました。僕とYさんとご友人は、ゴザ席の真後ろの椅子席の二列目に。
7時前に、黒いタンクトップ(胸には赤い花の飾り)を着た祥子さんが登場。いよいよライヴ開始です。以下、曲目と簡単な感想を書きます。

1)Horses(Rickie Lee Jonesという歌手のFlying Cowboyというアルバムに所収。娘に対して「ママが守ってあげるから」といった内容の歌)
2)Ooh Baby Baby(Laura Nyroが歌っていた。ローラ・ニーロも誰かのカヴァーとして歌っていたそう。その歌手失念)
3)この愛を(「二人はとても似ていたので恋することは簡単でした」という歌詞が印象的。そうだよな、似たもの同士は楽な面と、そうでない面がありますよね。「川瀬君とは、似たもの同士だから、気が合うと思うけど、恋人にはなれない」というニュアンスのことを昔誰かに言われたような気がする)
4)モノクロームの夏(「何かリクエストは?」という祥子さんの問いかけから。最初「ステイションワゴン」という曲がリクエストされたのだが「あれって冬の曲でしょ。もっと季節感を(笑)」と祥子さんが言ったので、他の人がこの曲をチョイス)
5)あたらしい愛の詩(「これは6年前に作ったんだけど、今思えば、東京から離れて京都に住んでいる現在の私を予言しているみたい」と祥子さん)
6)Sickness(「希望という病」というフレーズが心に残る名曲、だと思う)
7)水の冠(祥子さん自身、この曲がお気に入りなんだなあ、って思う)

favoriteさて、ここで「第1部」が終了し、今回のこのイヴェントを企画した竹腰康広さんと、シンガーソングライター関美彦さんを交えてのトークショー。ここでの話題は「血液型(祥子さんはB型、他の二人はA型。祥子さんは「A型に挟まれると、しゅんとしちゃう」とか言っていた)」と「移り住んだ京都の話題(鴨川がお気に入り)」と「洋楽のディープな話(「初期のボブ・ディランが好きな40女ってどうよ?」と言っていた)」がメインでした(笑)。写真は、その時配られた、祥子さんの好きなアルバムなどの解説のビラです(クリックで拡大)。祥子さん、渋好み!このトークショウの時、主催者側から、バースデイケーキが送られ、みんなで「Happy Birthday to You」を歌いました。ケーキの上にはろうそくが二本。「これって、一本は二十歳という、すごく重たいろうそくだよね(笑)」と祥子さん。

その後は、関さんのソロ曲が何曲が続き(以前の拾得のライブではバンド形態だったが、今回はアコギ一本のしっとりモード)、最後に祥子さんと、バート・バカラックの名曲をデュエット。
8)I' ll never fall in love again

そして、ここから、「第3部」突入。
9)真夏の夜の事(by初恋の嵐。前の拾得のライヴでも歌っていた。この曲、祥子さんの声に合っている。)
10)夏はどこへ行った(懐かしい曲。「夏」だしね。これは、Yさんのリクエスト)
11)La La Means I Love You(主催者の竹腰さんのリクエスト。「さびの部分しか覚えてなーい」と言いつつ、結構歌ってくれた)
12)完全な愛(これは、今回来られなかった常連のRさんのリクエストに、祥子さんが二ヶ月越しに応えてくれたもの。前回は「歌詞を忘れた」とリジェクトされたので。Rさん、悔しがるだろうな・・・。思わずYさんと顔を見合わせて「わっちゃー」と言ってしまった)
13)海辺とラジオ(これもリクエスト。季節感ぴったりの「明るい夏の曲」ですね)
14)どこにもかえらない(これも懐かしい。ジャズっぽく、結構お遊びの利いたアレンジだった)
15)帰郷(「私、Aマイナーで始まるような暗い曲ばっか創ってるね」と祥子さん)
16)Dreams Come True(カヴァー。祥子さんの好きなJudee Sillの曲。このシンガーは、銀行強盗までやって、最後はオーヴァードーズで死んじゃう、波瀾万丈すぎる生涯を送った人だが、死後26年経って、ようやくアルバムが出たそう。祥子さんの琴線を揺さぶるものがあったそうな。そのアルバムに歌を入れていない、いわばカラオケバージョンがあるので、それに合わせて祥子さんが歌うという試み)
17)優しい雨(アンコール。これも竹腰さんのリクエスト)

とまあ、終わってみれば午後10時過ぎの長丁場。ファンとしては嬉しいんですが、帰りの電車を気にする人もちらほら。
僕も明日から韓国に出張ですので、名残惜しかったのですが、Yさんたちにご挨拶して、そそくさと会場を後にしました。
あ、そうそう、追加情報を。祥子さんは、実は7月にレコーディング予定だったそうですが、喉を痛め、今度の9月に順延されたそうです。もしかしたら、そのままニューアルバム製作するかも・・・と言っていました。楽しみです。

祥子さん、今日はありがとうございます&おめでとうございます。ホント、僕がもし女だったら、祥子さんのような「年の取り方」をしたいと切に願うことでしょう。いや、男でも見習いたいところなんですけど。祥子さんはハンサムすぎる

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August 18, 2005

石庭を眺め、悟りを得るか?

今日は、妻と酷暑の中、京都散策。
彼女のリクエストで、まずは龍安寺に向かう。あの枯山水の庭園があまりにも有名だ。
僕も、恐らく幼い頃父に連れられてきたような記憶があるが、大きくなってからは、実は初めて。 さすがに、外国人観光客も多く、にぎわっている。胸に「鎌倉」とか大きく書いてあるTシャツを着ているような、ほほえましい観光客だ(笑)。でも、僕が着ている「Oxford」(これは両親のイギリス土産)、「Princeton」(これはプリンストン大学から京都に留学に来ていた友人からいただいた)とか、そういう大学名が入ったTシャツも、もしかしたらかなり恥ずかしいものかも。人のことは言えない。

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いやあ、この石庭を眺めても、やはり、悟りの道は険しいです。寺のパンフレットの石庭の説明は、英語の方が充実している感じ。ちょっと引用すると、

It is up to each visitor to find out for himself what this unique garden signifies. The longer you gaze at it, the more varied your imagination becomes. (試訳:この独特の庭の指し示すものは、訪れた人が自分の中に何を見いだすかということに依る。この庭を眺めれば眺めるほど、想像は様々な形を取るようになる)

なるほどね。

この庭園の先にある「つくばい」も拝見。「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」と読める。
これを図案化したお菓子もあったなあ。

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龍安寺を後にして、そのまま南に下って、もう一つ有名な石庭をもつ妙心寺に向かう。ちなみに、龍安寺も、臨済宗妙心寺派の一つ。地図で見たら近いかな、と思ったけど、結構辛かった。

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妙心寺退蔵院の石庭。「陽の庭」と「陰の庭」と、対照的な庭が造られている。
両方とも今度は、こんな暑い最中ではなく、もうちょっと涼しいときに落ち着いて眺めたい。この暑さの中では悟れるものも悟れない俗人な僕です。

この二つのお寺をめぐるだけで、結構体力を消耗し、そのままJR花園駅から帰宅。

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August 12, 2005

「追悼」の後

「追悼」ということを、ぼんやりと考えることが、このところ多い。
8月は、どうしてもそのような季節だし、今読んでいる赤澤史朗先生の『靖国神社』(岩波書店、2005)の影響もある。まだ途中だが、なかなか面白い。以前、恥ずかしながら、靖国問題に関しては、卒業論文でも触れたりしたことがあるのだが、要点をいえば靖国神社はやはり「特殊な宗教施設」なのであり、「特殊でありながら、普遍的・国民的であること(国民というのは、「非国民」も含むのだ)」は無理、ということだ。
閑話休題。
今晩は日航機事故、すなわち「御巣鷹山」20周年という事で、特番やニュースで、その映像が流れまくった(余談だが、父とつきあいのあった象印の社員の方も、この事故で亡くなっていたはず。父の書斎で、その追悼文集を見つけたことがある)。「あの20年前を忘れない」と言ったかと思ったら、それにあわせるかのような日航機のエンジントラブル。これは何かの警鐘か?

暑さで働かない頭でもやもや思ってネットサーフィンしていると、ジャーナリストの綿井健陽君の文章に出会った。引用すると、

このところの8月6日、9日の広島・長崎、12日の日航ジャンボ機墜落から20年、そしてまもなく迎える15日の終戦記念日を前に、いろんな追悼や祈りの 光景があちこちで続きますが、追悼の次、祈りの次に、何をするのか、何をすべきか、何をしてはいけないのか、何を記憶すべきかが、いま最も重要なことに違 いないのでしょう。

そうなのだ。「追悼」とは、実は死者の側を向いているのではなく、生者に相対する「行為」なのだと思う。時には痛切な自己反省、ということも含めて。

我々は、死者の冥福を祈った、何を今までしてきただろう。

我々は、想像力によって、死者の声を聞く、いわば「依り代」になることができる。しかし、「憑かれた」ふりをして、死者の言葉だと偽り、自分の気持ちを述べる者の、なんと多いことか。僕はそのような「墓暴き」に積極的に関わるつもりはない。しかし、我々を見守ってくれているであろう死者に対して、恥ずかしくないような生き様を見せたいと思う。そして、死者をして安らかにせしめたいと思う。ただそれだけだ。

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August 05, 2005

戦前と戦後を結ぶもの

今日、一つ簡単な講演をしました。

8月2日から7日まで、京都の立命館大学国際平和ミュージアムにおいて、第二十五回「平和のための京都の戦争展」という展示が、市民団体によって行われています。そのプログラムの一つに、日本史研究会主催シンポジウム「植民地・戦争と問いなおす-知の暴力と可能性」という催しがあり、僕がお話をすることになりました(もう一人、京大院生の小林敦子さんが高見順を中心に、戦時期の日本知識人についての問題をお話しなさいました)。

自由に話してくれて良い、ということで、僕は、ちょっと敢えてポレミカルな話題として、「親日派」という問題を語りました(タイトルは「いわゆる「親日派」問題について」)。ポレミカル、というのは、このところの「教科書問題」に代表されるような「歴史認識問題」において、避けて通れない部分を敢えて「つつく」という意味でです。親日派、というのは字義通りに取れば、日本に親しい人を指すわけですが、韓国においては、歴史的な意味が付与されて使われる言葉で、有り体に申せば、「日本に媚びを売った売国奴」というようなニュアンスの、ほとんど罵倒語に近い響きがあります。これは過去の話ではなく、今現在も「親日」をめぐって、例えば選挙の際にその候補の父親が過去に植民地権力に協力していたか、つまり「親日」だったか否か、というのが問われたりもします。以下、講演の内容をかいつまんでお伝えします。

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今回の講演で僕が取り上げたのは、李容九(이용구、1868~1912)と、玄永爕(현영섭、1907?~没年不詳)という人物です。共に、植民地時代の代表的な「親日派」と目されている人です。

李容九は、東学(韓国の新宗教の嚆矢)信者で、1894年の甲午農民戦争にも参加した人です。この人は後に、「一進会」という団体を造り、その団体が日露戦争時に日本軍を助ける活動をしたり、玄洋社の内田良平と交友を結び「日韓合邦請願書(合邦上奏文)」というものを提出したりして、非常に評判の悪い人です。

もう一方の玄永爕は、1930・40年代に、「朝鮮人は努力して、日本人以上の日本人となるべきだ」という主張をして、極端な「親日」言論活動を繰り広げた、朝鮮人エリートの一人です。

僕の話を簡単にまとめると、こういう「親日派」を単に糾弾するだけでは、片手落ちだということです。彼らが何故、そこまでの「親日」活動に走らざるを得なかったのか、ということを、特に日本人の側は考えねばならないと思います。要するに、当時の日本側から、朝鮮人に掛けられたプレッシャーへの「想像力」の必要性です。
これは、国レベルでも同じ事が言えて、例えば日露戦争後に、当時の大韓帝国と結んだ「第二次日韓協約」「韓国併合条約」についてですが、このところ、ある会社の教科書―どこの会社か、ということは面倒くさいので省略しますが―では、この条約は国際社会から認められた「合法的」なものであった、なんていうような主旨のことを主張したりしております(ネット上でも、このような意見をお持ちの方が多いようですね)。でも、これは僕から言わせれば、まさに「想像力」の欠如だと思います。まず、当時、日本政府が韓国政府にどのような「脅し」をかけていたのか、ということを考えねばなりません。確かに、はんこを押した条約は「合法的」でしょうけど、これはいわば、ヤクザに監禁されて「ここにハンコ押せば、楽になるでえ」と言われて押さざるを得なかったようなものだと思います。韓国においては、無茶な形で結ばされた条約だからそもそも無効であるという意見もあるのですが(ソウル大学の李泰鎮教授の意見です)、僕はちょっと違って、第二次日韓協約や韓国併合条約などは、「合法だけど非道」という見方を取っています。そもそも、国際社会に認められていた「合法性」というのは、列強、つまり帝国主義国家間の「紳士協定」であったことも見逃してはならないでしょう。イギリスもフランスもアメリカも、自分が植民地を持つがゆえに、日本の行動を「合法」としたに過ぎません。ここで僕が申し上げたいことは、違う立場から、特に「やられた側」から立ってものを考えてみる、という想像力の必要性です。「合法」ゆえに正しいのではなく、「合法」ゆえに非道な場合もあるのです。

また、二人の「親日派」の問題に戻ると、彼らの「親日活動」の背後には、凄まじいばかりの日本人による朝鮮人差別と、その境遇から何とかして逃れたいともがいていた様子がうかがえます。裏返せば、彼らの活動は、朝鮮人が日本人化することによって「差別の克服」という目標を果たそうとしたもの、と見ることも可能だと思います。要するに、親日的な人士の多さをもってしても、日本の統治のすばらしさの証明には、何らならないのです。
また、彼ら自身の自国観、即ち朝鮮観ですが、これは、日本人の朝鮮観が多分に内面化されたものだと思います。「オリエンタリズム」という議論は、エドワード・サイードという人が広めたものですが、僕は、彼らのように、宗主国の差別的な眼差しを、植民地の人々が内面化してしまうこともオリエンタリズムの重要な問題だと思っています。テリー・イーグルトンというイギリスの学者は、次のようにコンパクトにこの問題を指摘しています。

女性や植民地主体を抑圧するには、女性であること、植民地の人間であることが低級な生活様式であると定義するだけでは不十分である。彼らには、積極的にこの定義を教えつづけないといけない。そうこうするうちに、この教えを身につけた優秀なる卒業生が生まれ、自分のことを自信をもって低級であると立証することになろう。(テリー・イーグルトン(大橋洋一訳)『イデオロギーとは何か』平凡社ライブラリー、1999年、17頁。)

日本人は、韓国における「親日派」問題を、対岸の火事と見るのではなく、この問題を構成するメンバーの一人として考えるべきなのではないか、といって、この講演を終えました。

発表後に、在日コリアンの方々(お年からして恐らく一世と二世の方でしょう)から、次々と質問およびコメントが。その中で、一番印象的だったのは、恐らく在日二世の方だと思いますが、

「自殺した国会議員の新井将敬なども、植民地時代と同様、『日本人以上の日本人』になろうとした悲劇なのではないか。我々は今も名前も自由に名乗れず、民族教育もできず、その扱いは戦前と実は大きく隔たっていない」

というご指摘でした。つまり、戦後60年経っても、朝鮮人・韓国人に対する差別の「力学」は、思いの外変化していないのではないか、という鋭い問題提起です。「ポストコロニアリズム」という言葉が思想界で流行っていますが、これは、植民地支配は終わったはずなのに、植民地の負の遺産ともいうべきものがまだそこかしこに残っている状態に苛立っている状態を指すと、僕は思っています。ややこしいですが、「ポスト」つまり「後」なのにも拘わらず、本当に「ポスト」になっていない状態を批判する立場だと思ってくだされば結構だと思いますが、上記のご指摘などは、まさに「ポストコロニアル」な問題提起なわけです。ということで、講演が終わった後、もう一度「ポストコロニアル」ということを噛み締めました。僕がお教えしたというより、幸いなことに、この在日コリアンの方など、参加してくださった方から教えられることが多かった催しでした。

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August 01, 2005

「Little Birds」再び

今日は、学生たちとジャーナリスト綿井健陽氏の「Little Birds」を、見に行きました。僕にとっては、二度目の鑑賞です(詳しい内容は、以前の僕のエントリをご覧ください)。

現在京都では東寺横の「みなみ会館」というミニシアターで、一日一回上映しているのですが(5日まで)、運の悪いことに、京都での公開期間が、僕の勤務校の試験期間とちょうど重なっておりまして、大っぴらに学生諸君に「試験勉強を投げ捨ててでも見に行きなさい」と薦められないのが残念です(本音としては、試験勉強を適当に終えて、2時間この映画に費やして欲しいところですが)。
ということで、今日つきあってくれたのは、試験が少ない3、4年生の諸君。現地集合にして、会場に着いたら、今日は「1日」ということで、金額が1000円ぽっきりでした。すっかり忘れていました。何となく得した気持ちになって、会場に入り、画面に見入りました。これは、何度でも見るべき映像だと、改めて確認。

ということで皆様、もう一度アナウンスさせていただきます。

お近くで「Little Birds」が上映されている、もしくは上映予定でしたら、万障お繰り合わせの上ご覧ください。

今日、改めて思ったのは、「戦争による死とは、犬死にに他ならないのだ」ということ。「大義」のため、「お国」のため、「家族」のため、そして「平和」のため。そんな言葉は全て大嘘だと思います。生きていれば、もっとその人は国にも、家族にも、そして平和にも役に立っていたはずです。戦争は何故いけないか。それは「戦死」とは、「犬死に」だからです(それ故、その「無意味」さに耐えられないから、顕彰施設が必要とされるのです)。僕は敢えて単純にそう思います。

追伸:綿井君のブログによると、彼は先週サマワを取材し、現在帰国の途についているようです。何はともあれ、無事で良かった。

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