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November 23, 2005

「宗教」論と言うより「家族」論-『カナリア』感想

kanaria昨日あたりから風邪をひいてしまいましたが、休日であることを幸いに、のんびりDVD鑑賞をしていました。今日見ていたのは、オウム真理教をモチーフとした映画『カナリア』です。劇場に見に行こうと思っていたのですが、ついつい忘れてしまい、このたびDVD化されたので、購入しました。
というわけで、いつもの事ながら、ここより下はネタバレですので、お気をつけください。

まず第一印象は、「ここまで架空の教団をオウムそっくりに作っていいのか」と言うこと。この映画では、教団「ニルヴァーナ」が無差別テロを起こし、教団崩壊後、主人公の少年が施設に引き取られるという説明から始まるわけですが、彼の回想シーンの教団の様子は「良くもまあここまでサティアンっぽく作り込んだな」というものでした。信者たちの衣装も、オウムのサマナ服そのものですし(階級が上のものが濃い色、というもの、それっぽい)、ヘッドギアまで!!モチーフといっても、そのまま過ぎるだろ、と思わず画面につっこんでしまいましたが、それだけオウムの衝撃が強かったのも事実ですし、一から架空の教団を作り込むのも大変でしょうから、ここまで堂々とオウムっぽさを追求したことは、映画としてプラスだったと思います。そのおかげで、リアリティも確保できているわけですし。

ストーリーの骨格をかいつまんで話すと、「ニルヴァーナ」というカルト教団に母に連れられて妹と共に入らされていた主人公光一(石田法嗣)は、教団崩壊後、祖父母から引き取りを拒否され、妹だけ引き取られてしまいます。光一は施設を脱走し、東京の祖父母の家に行き、妹を「奪還」して、行方不明の母(テロ行為で指名手配中。配役は甲田益也子)を見つけて共に暮らすことを夢想します。その道中、「援助交際」中暴力を加えられそうになった少女由希(谷村美月)を光一は偶然助けることとなり、精神的に「ホームレス」な二人は共に東京を目指すことになります。

まずこの映画を語るときは、このともに1990年生まれの主人公二人の演技のすばらしさに触れないわけにはいきません。石田法嗣君も谷村美月ちゃんもうまい。美月ちゃんは文句なしの美少女ですし、石田君も感情のコントロールが利かない少年のナイーヴさが良かったです。
周りの俳優陣も、いい味出している人が多かったです。まずは主人公の母親役の甲田益也子さん。甲田さんは80年代にカリスマ的なモデルでしたが、なんなんですか、このアンチエイジングぶりは(笑)。マジで「年を取らない遺伝子」はあるんじゃないかと疑ってしまいますよ(ちなみに甲田さんは1960年生まれ)。甲田さんのクールな雰囲気が、こういう役にぴったりだと思いました。
主人公の二人が東京に向かう途中で出会う(恐らく)レズビアンのカップル、りょうつぐみ。この二人、もっとストーリーに絡むのかなあ、と思ったら、意外とあっけなかったのでもったいなかったです。存在感があるだけ余計に。
あと、光一少年の面倒を見る信者の役の西島秀俊氏。鋭い眼光の彼を見ると、どうしても思い出してしまう人物がいます。それは、オウム真理教幹部だった井上嘉浩(アーナンダ)氏です。ここからは自分の思い出話になりますが、今からちょうど13年前、1992年の東大の駒場祭では、オウム真理教のイヴェントがありました(確か「幸福の科学」のイヴェントもあり、ちょっとした「バトル」があったように記憶しています)。その時僕の同期の宗教学科の友人M君がそのイヴェントに参加し、冗談半分で連絡先を書き残したので、駒場祭の直後、早速M君に電話が掛かり、一度遊びに来ないかと誘われました。そこで、M君は僕と同じく宗教学科のK君を誘い、この3人で東大駒場裏のマンションの一室に向かいました。その時僕たちを「接待」してくれたのが井上さんだったのです。僕もその場で井上さんに「川瀬君は修行の見込みがある。恐らく前世でも修行をしてきた人だ」などと持ち上げられたのですが、僕は冗談にしか思えず、数冊の本をもらって帰宅し(この本は今も僕の研究室にあります)、それっきりでした(今から思えば、結構ギリギリのラインを歩いていたと言うことでしょう)。でも、あのとき僕たちを見すくめた井上さんの眼光はまだはっきりと覚えています。オウム事件はちょうど僕たちの少し上の世代に信者が多かったのですが、僕が宗教学なんて学問に手を染めようとしたきっかけの一つは、オウムのような当時台頭してきた新宗教群に興味を引かれたことであったのも確かで、やはり他人事とは思えない事件なんですね。

映画の話に戻ると、この映画は世俗の倫理とはかけ離れた「宗教」のあり方(このような宗教のあり方にどうしても惹かれてしまう、という気持ちも多少わかるつもりなので)と、当然それと軋轢を起こす「家族」のテーマという二つが中心をなしていると思ったのですが、後半からは宗教がずっと後景に退き、「家族」論が中心になるような気がします。よく「子供は親を選べない」と言いますが、今回のテーマも、まさにこれ。そしてその裏返しとして「大人の側は、子供を選べるのか」という問題が浮上してきます。こういうテーマは『誰も知らない』と共通ですね。もちろん、子供は親を選べない、という問題も大きいと思いますが、自分の子供が、信念故に「犯罪者」になってしまった親の気持ち、ということも考えてしまう、ちょっと年を取った僕です(主人公の祖父に、感情移入してしまう部分があったもので・・・)。
家族という空間では、加害者と被害者が世代ごとにその役割を入れ替えるので、その「救われ無さ」がこの映画のメインテーマだと言えるのかも知れません。主人公の母親は、自殺の直前に「結局お父さんの魂は救えなかった」と告げるわけですし。彼女は光一とその妹朝子に対しては「加害者」なわけですが、思うように育てられなかったと父親に見なされている点で被害者です。
またこの母親は、親子共々救済しようと考えた「善意」の人である点が重要だと思います。オウム事件で何度も語られたことですが、自己欺瞞といわれようが、彼らは自分自身をこの世を救う徹頭徹尾「善意」の人であると信じたがっていたのです。

まとめるなら、もっと宗教をメインテーマしているのかと思いきや、ちょっとはぐらかされた、という感じがしたもの確かです。ラストシーンも、ちょっと唐突。というか、「その後、本当にどうなるの?」とつっこみたくなってしまいました。
というわけで、ラストシーンにあまりカタルシスが得られなかった僕としては、この映画について、ちょっと点を厳しめにせざるを得ません。主人公二人の演技に免じて、5点満点で☆3つ、ってところですか。

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Comments

知り合いが音楽をやっているから、、という贔屓は抜きにして、サウンドトラックがすごくよかったですよ。映画を見た後は、頭の中がぐるぐるしちゃって大変でしたけど…。

さなえさん
えっ、お知り合いなんですか。あの「ずんずん来る」サントラは。

>映画を見た後は、頭の中がぐるぐるしちゃって大変でしたけど…。

僕もです。一番最初、主人公の少年が逃げるところの音が僕には一番印象深いです。

ずんずん来ますよね(笑)
作曲している大友さんは、よく京都に来られるので、去年も一昨年も「一緒に飲んだ人」のナンバーワンな感じです。
演奏も顔見知りの方が多いかも。。。
逃げるシーンの音というと、、、レナードさんの太鼓が響いてるやつだったかな。。あれはかなり印象的です。

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