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December 30, 2005

鈴木祥子 absolutely ALONE in 京都拾得

20051230jittokuさあ、今年の「ライブ納め」は、敬愛する鈴木祥子さんのライブに決定しました。今年から祥子さんのライブに通い始めて、早5回目。今日のライブ会場は一番最初に彼女のライブを拝んだ(拝んだ、と言う表現が相応しいのは、その時の日記をご覧ください)京都拾得。本日のタイトルは「音、そしてコトバ~あるいは東京で生まれた女~absolutely ALONE IN 京都拾得」というもの。30日、31日二日連続のソロライヴです。

今日は初めて妻と一緒に祥子さんのライヴに行きました。開場30分前くらいに着くと、以前のライヴで知り合いになっていた方々(Rさん、Sさん、Yさん、Mさんご夫妻)と久々の再会。さすが、皆さんしっかり来てらっしゃいます。凍えながら数十分待ち、ようやく開場(待っている間に祥子さんの歌声がかすかに聞こえてきました)。僕たち夫婦は前から20人目くらいの入場でした。ステージから二番目の丸テーブルに僕たち夫婦とMさんご夫妻とYさんが座り、かぶりつきの席にはRさんやSさんなどの歴戦の「猛者」が座りました(初めての時、このテーブルに招いてもらったことから僕の祥子さんのライヴ通いは始まったのでした・・・)。立ち見も出るほどの超満員でした。

さあ、いよいよ祥子さん登場。白のドレスシャツに薄いグレーのプリーツスカートと、今までの中でも一番シンプルに見えた出で立ちでした(このシンプルなお姿に我々男子がぐっと来たことは言うまでもありません)。ステージ上には、おなじみウルリッツァー(電子オルガン)とエレキ、そして元々拾得にあるピアノ。僕のメモによると、歌われた曲目は以下の通りです(常連のSさんに判らなかったところを教えていただきました。ここに記して感謝します)。
見てお判りのように、今日の祥子さん、大盤振る舞いというか、すごくサーヴィスしてくださいました。

1)Blackbird(ビートルズのカバー)
2)untitled(これは「初恋の嵐」のカバー)
3)愛の名前(初っぱなの祥子さん自身の曲がこの曲、というのが何とも・・・(笑)。上記3曲はウルリッツァー)
4)契約(ニューアルバムには入っているんだよね。楽しみ。ここからピアノ)
5)The Days Like These(山下久美子さんに提供した曲のセルフカバー)
6)ただの恋だから(リクエスト)
7)Sickness(ギターで。僕の好きな曲なので、変わったヴァージョンで聞けるのは嬉しい限り)
8)エコロジーバッグ(再びピアノ。おお、この曲確かに良く聞けば結構暗い歌詞だよな。今更気付いた)
9)恋のショットガン(「もう降参だと言いなさい」はい、言います(笑))
10)I'm not a girl, not yet a woman(何とブリトニー・スピアーズのカバーまで!祥子さんによると、ご自身には「おっさんと18くらいの少女が同居している」のだそう。何となく判るなあ、といったら怒られそうですね)
11)NO FEAR / あいすること(最近坂本真綾さんに提供した曲)
12)a happy ending(これまた坂本嬢に提供した曲。祥子さんはイギリスの田園風景をイメージして作った「メルヘンチック」な曲と言っていたが、意外な歌詞が付いた、といっていました)
13)プリヴェ(リクエスト。祥子さん曰く「来ると思った(笑)」。何故に?)

ここまでで第一部終了。ちょっとの休憩を挟んですぐさま第二部が始まりました。

14)両手いっぱい(いやあ、懐かしいなあ)
15)ガラスの林檎(松田聖子っすよ。祥子さんの年代には「(乙女チックな恋愛観の大元である)トラウマとしての松田聖子」という存在がそびえ立っているそうな(笑)。ちょっと遅れた世代の僕にも判る気がしますけど。僕にとっては良くも悪くも祥子さん自身が「トラウマ」というか、もはや払拭できない存在ですけど)
16)舟(祥子さんは自分自身のこの曲と中村うさぎの『女という病』という本を結びつけて考えちゃったらしい。中村うさぎのこの本は、世の中を騒がせた女性の犯人について考察&妄想を巡らせたもの)
17)いつかまた逢う日まで
18)子供の時間(この作品をライヴでっていうのは珍しいと思います)
19)忘却(やっぱり心に沁みるなあ、この曲は)
20)Angel(リクエスト。最初「コードが難しいのよねえ」と自分の曲なのに言っていた祥子さんでしたが、しっかり熱唱してくれました。この曲が好きな僕としてはリクエストしたお兄さんに感謝!)
21)Frederick(パティ・スミスのカバー。ニューアルバムにも入っています)
22)C/G もしくは Houston/Texas(CとGの二つのコードを交互に弾いて、英語で呟く祥子さん。「1979年、私が14歳の時、私はテキサスのヒューストンにいて、同じ頃、カリフォルニアのロサンジェルスでジュディ・シルは孤独に自殺して・・・」という内容。祥子さんが好きになったこの歌手へのオマージュ、といえばいいのかな。)
23)Love/Identified(ガンガン来ましたねえ)
24)道(ニューアルバム収録曲)
25)あたらしい愛の詩(最近亡くなった祥子さんのお知り合いに捧げる歌として。その方はこの曲が好きだったそうです)

ここからアンコールです。
26)ベイビー、イッツ・ユー(カポがないせいで低いコードになったけど、ギターで)
27)Mellow My Mind(ニール・ヤングのカバー)
28)東京で生まれた女(言うまでもなく、BOROの「大阪で生まれた女」にインスパイアされて、の曲。東京と京都を往復する祥子さんの赤裸々な気持ち)
29)フレンズ(上記の「東京で生まれた女」で「最後です」と言っていたのに、もう一曲サーヴィスしてくださいました)

気がついたら、3時間弱のステージ。もうありがたやとしか言いようがないです。全体的な印象ですが、今日はピアノでの弾き語りが主体だったのですが、そのピアノタッチが妙に心に染みました。拾得のピアノ、大分外見はボロくなっているのですが、音は思いの外良いのです。

まだまだ祥子さんの大盤振る舞いは続きます。というのも、3年前の吉祥寺でのライヴをCD化した『Love is a sweet harmony』というアルバムが会場で発売されたのですが、「サインもしちゃいます。キスマークだってしちゃうぜ!!」という驚愕のサーヴィス(笑)。長蛇の列ができたのは言うまでもありません。僕は祥子さんの歌はもうおなかいっぱいというほど堪能させてもらいましたが、現実のおなかが空いていたので、まずは拾得自慢の「豆カレー」を急いでパクつき、食べ終わってから列に並びました。僕の前にいた人はしっかりキスマークをライナーノーツにしてもらっていましたが、僕はCDにサインだけにしてもらいました。祥子さんには「今日は妻と来ているので、残念ではありますが、キスマークは遠慮しておきます」と申し上げたら、「アハハ」と笑ってくださいました。握手した祥子さんの手は細かったなあ。

というわけで、卒論で苦しんでいる教え子を尻目に、しっかり年末を楽しんでしまった僕なのでした。ごめんね。

December 26, 2005

「すっきりしないこと」が大事

昨日本屋で色々物色していたら、例の『マンガ嫌韓流』の解説本のようなものが出ていたので少し立ち読み。あ、これだ。出版社は同じですね。
パラパラ見たけど(胸くそ悪くなって、数ページで止めた)、ディベート形式で「白黒つけましょう」という姿勢を貫いているわけだけど、この姿勢こそが怪しいと思う。ディベートでは「あなたはこう言いましたね」と相手の議論を単純化させて、矛盾をついたり例外を提示してやりこめるという手法が採られがちだけど(向こうの意見を単純化させてからなんだから、簡単だ)、そういうのって、端的にアンフェアだと思う。「するの、しないの、どっちなの」とパネラーを問い詰める人相の悪い深夜番組の司会者を見れば、判ると思うんだけど。

あのね、歴史ってそんな単純なものじゃない。一つの歴史的事象も、立場が変われば全然違うものに見えるっていうのは、嫌ほど実感していることでしょ?判りやすい例を出すなら、「加害者」と「被害者」ではまるで見えた「風景」が違っていた可能性すらある。
そもそも『嫌韓流』的思考の最大の矛盾は、「一方的な押しつけられた歴史観はイヤだ」「今までマスコミとかに色々と僕らは一方的に騙されてたんだ」という当の本人が、別の一方的な歴史観(日本人及び我々若い世代は被害者である、という歴史観だよね。向こうが被害者面をするから、こっちも被害者の立場を取ってやれ、という同種報復の原理で動いているわけだ)を押しつけていて、ちっともアウフヘーベンしていないことにあると思うんだけど、どうかな?アウフヘーベンしない会話は、「対話」と呼べない。自分から「対話」の回路を切っておいて、取って付けたようにそのあたりの重要性を巻末あたりで説くのは、欺瞞だよね。

もし君が二ヶ国間を鳥瞰するような大きいことを言いたいなら、自分の出身国の立場を一旦離れてものを考えなくちゃいけない。そして、過去の歴史をふり返るときは、例えば当時の「列強」の立場からも一旦離れて、「植民地側」から同じ事象を見つめてみてはどうかな?多分違った「風景」が見えるはずだよ。例えば、韓国の「親日派」の問題だって、僕がもし当時の朝鮮人エリートだったら、頑張って良い成績とって、日本が作った社会機構の中で出世しようと一所懸命になったかも知れない。「日本人を見返してやる」ってね。
僕が必要だと思うのは、こういう想像力だ。

「すっきりしたい」のは、気持ちとしては判る。もやもやを抱えて生きるのは苦しいからね。実際、人間って、もやもやを抱えたまま生きることが出来ないほど弱くて、もやもやを解消するためなら平気で嘘をついたり自分を騙したりする生き物なんだってことは、数十年前の社会心理学者が証明しちゃっているんだよね(詳しくはフェスティンガーっていう人の「認知的不協和の理論」というのを調べてみてください。結構身につまされるよ)。
でも、すっきりしたいが故に、お互いが「何だよ」といがみ合って、結局は対話すらしなくていい、という覚悟があるかどうか、一度自分の胸に聞いてみるといい。それで良い、というなら、僕はもう何もいうことがない。僕なんかは、勝手にすっきりされたくはないから(「要するに日本人って、こういう連中だよね」と一方的にくくられたくないから)、こっちもすっきりした態度はとらないように心がけたいと思う。

大げさにいうと「すっきりしないこと」って、倫理とか人間性と深い関係があると、僕は思っている。「ためらわない」ことって、大体において「暴力的」じゃない?
だから、「すっきりしないこと」を大事にしたいと思っているだけなんだけど。

December 18, 2005

「試みない」教師

今日は某学会の会議があり、夜は親しい先生と4人ほどで会食。「昨日飲み過ぎた」なんて言っていたKJ先生も、韓国からのL先生も、なんだかんだで結構お飲みになり、予定より2時間ほど延長してだらだら飲んでしまった。
四方山話の中で、今現在の学生指導や、自分の昔の指導教官の思い出話(苦労話)となった。その時つらつら思ったこと、思い出したことを少しメモしてみたい。

まず、先生の中には最初にガツンと強烈なジャブを打ち込んできて、倒れなかった者だけを弟子と認める、という人がいる。こういうタイプの先生は、結構昔は多かったと思う。KJ先生が昔からお世話になり尊敬している(僕も学問的には尊敬している)KY先生なんかが、どうもそういうタイプだったようだ。実は、昔僕も某研究会で初対面にもかかわらずこのKY先生に怒鳴られた経験があり、その様子は想像がつく(後述)。
昔から親しいSS先生は、留学先でそういう指導教官にぶち当たり、最初は大変苦労されたとのこと。そりゃ、留学していきなりそんな先生では、へこむに決まっている。でも、SS先生は思い切って彼の下に何度も足を運んで、個人的な悩みなども打ち明けるうち、逆に可愛がってくれたとのこと。「災い転じて」何とやらだ。
この手の先生は、その「洗礼」というか、「通過儀礼」を乗り越えて自分の下に残った者、要するに「その懐」に飛び込んできた人間には急に親身になる、というのがその共通項のようだ。「味方にすると心強いが、敵にすると怖い」という典型的なキャラクターでもあるわけだ。親分肌、と言っても良い。美少女なら「ツンデレ」と笑って済ませられるかも知れないが、僕はこのように学生をいきなり試みて、イエスかノーかを突きつけるようなやり方は、教師が執るべき態度ではないと、個人的には思っている。
「神よ、我々を試みに遭わせませぬよう」と祈るクリスチャンというわけではないが、最初は寛大にとりあえず受け入れて、その後徐々に接して人となりをお互い観察し、合わなければ去りたまえ、という態度こそが、本来大学教師が執るべき姿ではないかと思う。それは大学という場で学生と対峙する際の最低限の礼儀ではないか。僕のような能力の乏しい若造なら、なおさらである(僕の場合、いきなり学生を怒鳴るなんて、性格からしてできないけど)。

さて、先ほど少し触れた大御所のKY先生に怒鳴られた件だが、先生と僕の名誉のために付け加えておくと、まずKY先生はお年のせいで少し耳が遠く、僕の発言を聞き違えた可能性がある(事実、僕の発言ではなく、僕がコメント中に引用したある発言に対して「何を言うとるのか!」という一喝だったのだから)。でも、僕はその場で硬直してしまった。そして慌てて「ちょっと先生、それは誤解です」と僕は弁明したが、それには聞く耳持たない、という感じの態度をとられた。でも、本当の問題はその後に起こったのだ。KY先生の「高弟」(敢えてこのような表現を使う)のお一人のMG先生という方が、夜の懇親会の時に僕のところに近づいてきて
「川瀬さん、KY先生はああいう方だから(気を悪くしないでくれ)。でも、彼は一度認めた人間は、とことん面倒を見てくれる人だから」
と言ってきたのだ。怒鳴られてショックを受けている僕を気遣って言ってくれたのであろうMG先生には申し訳ないが、その時僕は敢えてKY先生を嫌いになることに決めた。もっと言えば、カリスマとその取り巻きたる高弟たち、という世界に入っていけないものを感じてしまったのである。学生が先生を甘やかしている例が、眼前に現出してしまったのだ。僕は、そういうのは、端的に節度がないと思う。

僕は幸い指導教官のSZ先生が大変温厚な方だったので(厳しくなかったということではない。実は大変厳しい方だと僕は感じていた)、先生から一喝されてショボン、という経験がない。他に大学院でお世話になったKZ先生や、C先生、YN先生からも可愛がっていただいた。まあ、僕がそういうところには嗅覚が利く質で(笑)、危険な香りがする先生(別にちょい悪オヤジ、という意味ではありません)には極力近づかなかっただけの話である。でも、同じような薫陶を受けるのなら、別に歯を食いしばって頑張らなくても、人柄の良い先生に付けば良い(そっちの方が合理的ですらある)と考えたことも確かだ。

自戒を込めて言うが、教師と学生の距離感というのは、本当に難しい。突き放さず、密着しすぎず、程よい距離を共同作業で築き上げていきたいと個人的には願っている。少なくとも、いきなり学生を試み、一喝でもって学生を支配下に置くような教師(そしてその後学生に甘やかされるような教師)にはなりたくはない、と思っている。ですから、勝手なお願いなんですが、学生の皆さんは、僕にそういう気配が見えたら、僕を傷つけないように遠回しに忠告してください(笑)。

December 08, 2005

講義と教師はあくまで触媒

毎週授業準備に追われているうちに、ふと「大学の講義や教師っていうのは、あくまでも触媒だな」と思う。

もちろん、役立つ知識や、ものの考え方もある程度提供しているつもりだが、大事なのはその講義やゼミで与えられる「よりものを深く考えるようになるきっかけ」だと思う。つまり講義や教師は、学生個々人が成長するための触媒だと思う(触媒に過ぎない、と言っても良い)。僕自身、ちゃんと触媒の役目が果たせているかは甚だ心許ないのだが。

単なる技術や能力を引き上げることは、ある意味方法がかっちりしていれば難しくはない。極端な話、ある教科書を与えて「全部暗記してテストに合格しなければ不可」と言えばいいのだから。そのような教育もある程度必要なのは承知しているが(特に初級の語学はそのようなトレーニングが必要だろう)、大学、特に人文系の学問なら、そういうトレーニング的なお勉強から一歩踏み出して然るべきであろう。

話を戻せば、つらつら僕が受けてきた講義やゼミを思い出すに、実は個々の授業やゼミの内容は結構忘れているが(先生方、申し訳ありません)、
「あの先生の話は面白かったなあ」
「あの本を読むきっかけにはなったよな」
「ゼミのあとの飲み会が毎回盛り上がったよな」
という形で記憶していることが多い。であるから、僕の講義も学生の皆さんから
「川瀬先生の授業って、何となく面白かったよね」
「卒論には役に立たなかったけど、刺激になったよね」
と数年後同窓会で思い出してもらえるような講義をしたい、というのが、目下の野望である(笑)。逆に言えば、それ以上は望んではいない。

なお、僕のゼミでは個人発表(自分が選んだテーマで一時間ほど人前でプレゼンする)をさせているのだが、これはお互いに知らないことを教えあって学び合う(出来れば高め合う)という経験をしたいからである。僕のゼミは、各人がお土産を持ち寄ってみんなに振る舞う「ポトラック・パーティー」を目指しているわけだ。
もちろん、僕も学生に「高めて」もらっている。僕の雑学振りは、結構学生諸君、以前なら大学院での学友に支えられた部分が大きい。
また、僕は有益な「耳学問」を彼らに要求するずるい教師でもある(僕は学生から聞いた知識を翌日の教員同士の飲み会で披露したりする軽薄な男だ)。だから僕は学生に具体的には「僕の知らない本を読んできて、僕をびびらせろ」という要求をしている。

僕はやはり教えるというよりも、彼らが自身の興味を自分で深めるように促す「触媒」でありたい。そして何人かの学生は僕の期待以上のことをしてくれて、僕は果報者だと思っている(先日ゼミ合宿に行って数名の発表を聞いたのだが、やりとりも含めて結構感心・感動した。このエントリはその感動に触発されたものである)。

December 01, 2005

澤野工房コンサート再び

今夜は、僕にとって二回目の「澤野工房コンサート」でした。澤野工房はこのところじわじわ有名になっているジャズレーベルで、僕も愛聴しているのですが、去年複数のアーティストを呼んでコンサートを開いてくれたのですが(去年のレポートはこちら)、今年も会場も同じなんばHatchで開催してくれたのです。
もう、今日は教員会議が終わったら大阪まですっ飛んでいきましたよ。僕の祈りが通じたのか、予想より早く終わってくれてラッキー。開演15分前に会場に滑り込むことができました。

まず、レーベルの代表の澤野社長からの挨拶があり、さっそく僕が最もこのレーベルで愛しているジョヴァンニ・ミラバッシのグループの演奏が始まりました。今日のメンツは以下の通りです。
ジョヴァンニ・ミラバッシ Giovanni Mirabassi (p)
ジルダ・ブクレ Gildas Bocle (b)
ルイ・ムタン Louis Moutin (ds)
フラヴィオ・ボルトロ Flavio Boltro (tp)
いきなり挨拶も無しで、どんどん弾いていってくれます。今日の曲構成は、最新作『Prima o Poi』の曲がほとんど。メモしたセットリストを以下に書き写します。

1)Ero Io
2)La Canzone di Marinella
3)Barcarole
4)Llôro
5)Gettin' In~Theme from Howl's Moving Castle
6)L'ingenere
7)Il Bandolero Stanco
8)Symphomaniax

ミラバッシは相変わらず猫背の姿勢で、まるでピアノの中に入り込んでいくような感じで弾きます。ドラムのムタンは、相変わらずお茶目な人柄で、サービス精神満点。超絶ドラムでお客さんをあおるような感じでした。ベースのブクレは両脇の二人が揺れながら演奏するのに比して、背筋を伸ばして淡々とこなす、という印象がありました。で、今回の目玉でもあるトランペッターのボルトロさん。いやあ、かっちょいいですわ。
演奏ですか?もちろん、とろけましたよ。何回聴いても飽きません。実際、ミラバッシのアルバムは研究室でもしつこいくらい流していますが、未だに飽きが来ません。今回も何度でもこのまま聴いていたい・・・と思わせる演奏でした。いやあ、音楽を表現する語彙って、難しいですね。
結局、今回ミラバッシが喋ったのは、演奏後のメンバー紹介と「サンキュー」だけ(笑)。まあ、フランス語やイタリア語で話されてもわかりませんけどね。一時間ちょっとの演奏時間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。

休憩を挟んで、後半は北川潔のトリオ。メンバーは以下の通り。

北川 潔 (b)
ケリー・バロン Kenny Barron (p)
ブライアン・ブレイド Brian Blade (ds)
実は休憩時間、空きっ腹なのにもかかわらずビールを流し込んでしまい、連日の疲れと相まって、結構酔っぱらってしまいました。でもこのトリオの音は、ちょっとバーボンのロックでも傾けながら聴くのが相応しいって感じの「大人の音」だと思いました。酔っぱらった僕の脳みそに、静かにしみこんでいくというか・・・。

約三時間のステージが終わり、最後は全員の演奏者が出てきて、多くの観客のスタンディング・オベーション。
そして今年も去年同様、終わった後のサイン会を開いてくれました。
僕も会場で買った先行販売のDVD(去年の東京公演をDVD化したもの)に、今回出演のミラバッシグループ四人にサインしていただきました。

20051201sawano_005
その様子をこっそりパチリ。で、以下がしてサインもらったDVDです。

liveinjapan

判りづらいでしょうが、左からミラバッシ、時計回りにボルトロ、ブクレ、ムタンのサインです。ムタンさんだけ、銀色のマーカーでサインしてくださいました。下手くそな発音で「merci」と言いました。

欲を言い出せばきりがありませんが(「コンサート回数を増やせ」、とか「もっと小さなハコでじっくり聞かせて欲しい」とか)、毎年の恒例行事としてこういうコンサートを開催してくださるなら、僕は満足です。澤野工房、ずっとついていきます!!

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