« 澤野工房コンサート再び | Main | 「試みない」教師 »

December 08, 2005

講義と教師はあくまで触媒

毎週授業準備に追われているうちに、ふと「大学の講義や教師っていうのは、あくまでも触媒だな」と思う。

もちろん、役立つ知識や、ものの考え方もある程度提供しているつもりだが、大事なのはその講義やゼミで与えられる「よりものを深く考えるようになるきっかけ」だと思う。つまり講義や教師は、学生個々人が成長するための触媒だと思う(触媒に過ぎない、と言っても良い)。僕自身、ちゃんと触媒の役目が果たせているかは甚だ心許ないのだが。

単なる技術や能力を引き上げることは、ある意味方法がかっちりしていれば難しくはない。極端な話、ある教科書を与えて「全部暗記してテストに合格しなければ不可」と言えばいいのだから。そのような教育もある程度必要なのは承知しているが(特に初級の語学はそのようなトレーニングが必要だろう)、大学、特に人文系の学問なら、そういうトレーニング的なお勉強から一歩踏み出して然るべきであろう。

話を戻せば、つらつら僕が受けてきた講義やゼミを思い出すに、実は個々の授業やゼミの内容は結構忘れているが(先生方、申し訳ありません)、
「あの先生の話は面白かったなあ」
「あの本を読むきっかけにはなったよな」
「ゼミのあとの飲み会が毎回盛り上がったよな」
という形で記憶していることが多い。であるから、僕の講義も学生の皆さんから
「川瀬先生の授業って、何となく面白かったよね」
「卒論には役に立たなかったけど、刺激になったよね」
と数年後同窓会で思い出してもらえるような講義をしたい、というのが、目下の野望である(笑)。逆に言えば、それ以上は望んではいない。

なお、僕のゼミでは個人発表(自分が選んだテーマで一時間ほど人前でプレゼンする)をさせているのだが、これはお互いに知らないことを教えあって学び合う(出来れば高め合う)という経験をしたいからである。僕のゼミは、各人がお土産を持ち寄ってみんなに振る舞う「ポトラック・パーティー」を目指しているわけだ。
もちろん、僕も学生に「高めて」もらっている。僕の雑学振りは、結構学生諸君、以前なら大学院での学友に支えられた部分が大きい。
また、僕は有益な「耳学問」を彼らに要求するずるい教師でもある(僕は学生から聞いた知識を翌日の教員同士の飲み会で披露したりする軽薄な男だ)。だから僕は学生に具体的には「僕の知らない本を読んできて、僕をびびらせろ」という要求をしている。

僕はやはり教えるというよりも、彼らが自身の興味を自分で深めるように促す「触媒」でありたい。そして何人かの学生は僕の期待以上のことをしてくれて、僕は果報者だと思っている(先日ゼミ合宿に行って数名の発表を聞いたのだが、やりとりも含めて結構感心・感動した。このエントリはその感動に触発されたものである)。

|

« 澤野工房コンサート再び | Main | 「試みない」教師 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/34862/7520115

Listed below are links to weblogs that reference 講義と教師はあくまで触媒:

« 澤野工房コンサート再び | Main | 「試みない」教師 »