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December 18, 2005

「試みない」教師

今日は某学会の会議があり、夜は親しい先生と4人ほどで会食。「昨日飲み過ぎた」なんて言っていたKJ先生も、韓国からのL先生も、なんだかんだで結構お飲みになり、予定より2時間ほど延長してだらだら飲んでしまった。
四方山話の中で、今現在の学生指導や、自分の昔の指導教官の思い出話(苦労話)となった。その時つらつら思ったこと、思い出したことを少しメモしてみたい。

まず、先生の中には最初にガツンと強烈なジャブを打ち込んできて、倒れなかった者だけを弟子と認める、という人がいる。こういうタイプの先生は、結構昔は多かったと思う。KJ先生が昔からお世話になり尊敬している(僕も学問的には尊敬している)KY先生なんかが、どうもそういうタイプだったようだ。実は、昔僕も某研究会で初対面にもかかわらずこのKY先生に怒鳴られた経験があり、その様子は想像がつく(後述)。
昔から親しいSS先生は、留学先でそういう指導教官にぶち当たり、最初は大変苦労されたとのこと。そりゃ、留学していきなりそんな先生では、へこむに決まっている。でも、SS先生は思い切って彼の下に何度も足を運んで、個人的な悩みなども打ち明けるうち、逆に可愛がってくれたとのこと。「災い転じて」何とやらだ。
この手の先生は、その「洗礼」というか、「通過儀礼」を乗り越えて自分の下に残った者、要するに「その懐」に飛び込んできた人間には急に親身になる、というのがその共通項のようだ。「味方にすると心強いが、敵にすると怖い」という典型的なキャラクターでもあるわけだ。親分肌、と言っても良い。美少女なら「ツンデレ」と笑って済ませられるかも知れないが、僕はこのように学生をいきなり試みて、イエスかノーかを突きつけるようなやり方は、教師が執るべき態度ではないと、個人的には思っている。
「神よ、我々を試みに遭わせませぬよう」と祈るクリスチャンというわけではないが、最初は寛大にとりあえず受け入れて、その後徐々に接して人となりをお互い観察し、合わなければ去りたまえ、という態度こそが、本来大学教師が執るべき姿ではないかと思う。それは大学という場で学生と対峙する際の最低限の礼儀ではないか。僕のような能力の乏しい若造なら、なおさらである(僕の場合、いきなり学生を怒鳴るなんて、性格からしてできないけど)。

さて、先ほど少し触れた大御所のKY先生に怒鳴られた件だが、先生と僕の名誉のために付け加えておくと、まずKY先生はお年のせいで少し耳が遠く、僕の発言を聞き違えた可能性がある(事実、僕の発言ではなく、僕がコメント中に引用したある発言に対して「何を言うとるのか!」という一喝だったのだから)。でも、僕はその場で硬直してしまった。そして慌てて「ちょっと先生、それは誤解です」と僕は弁明したが、それには聞く耳持たない、という感じの態度をとられた。でも、本当の問題はその後に起こったのだ。KY先生の「高弟」(敢えてこのような表現を使う)のお一人のMG先生という方が、夜の懇親会の時に僕のところに近づいてきて
「川瀬さん、KY先生はああいう方だから(気を悪くしないでくれ)。でも、彼は一度認めた人間は、とことん面倒を見てくれる人だから」
と言ってきたのだ。怒鳴られてショックを受けている僕を気遣って言ってくれたのであろうMG先生には申し訳ないが、その時僕は敢えてKY先生を嫌いになることに決めた。もっと言えば、カリスマとその取り巻きたる高弟たち、という世界に入っていけないものを感じてしまったのである。学生が先生を甘やかしている例が、眼前に現出してしまったのだ。僕は、そういうのは、端的に節度がないと思う。

僕は幸い指導教官のSZ先生が大変温厚な方だったので(厳しくなかったということではない。実は大変厳しい方だと僕は感じていた)、先生から一喝されてショボン、という経験がない。他に大学院でお世話になったKZ先生や、C先生、YN先生からも可愛がっていただいた。まあ、僕がそういうところには嗅覚が利く質で(笑)、危険な香りがする先生(別にちょい悪オヤジ、という意味ではありません)には極力近づかなかっただけの話である。でも、同じような薫陶を受けるのなら、別に歯を食いしばって頑張らなくても、人柄の良い先生に付けば良い(そっちの方が合理的ですらある)と考えたことも確かだ。

自戒を込めて言うが、教師と学生の距離感というのは、本当に難しい。突き放さず、密着しすぎず、程よい距離を共同作業で築き上げていきたいと個人的には願っている。少なくとも、いきなり学生を試み、一喝でもって学生を支配下に置くような教師(そしてその後学生に甘やかされるような教師)にはなりたくはない、と思っている。ですから、勝手なお願いなんですが、学生の皆さんは、僕にそういう気配が見えたら、僕を傷つけないように遠回しに忠告してください(笑)。

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Comments

CZ先生だけわかりました~

僕なりに、とても頷き頷き読みました
僕の場合は、
指導教官とのやりとりは最悪とはいいませんが、
CZ先生だったら、研究を続けている可能性は少なくない、
と、かなり勝手なことですが、そう思ってます

TY先生に書いてもらった推薦状には、
「知的フットワークが鈍重」と書かれましたよ 涙涙
これだけはいまでも心に引っかかる

もっと解放の神学を観る視野を広げろ、
といわれ、それでも神学者の個人研究の論文を出した過去があり、

その後に推薦状の作製を頼んだのですが、
どうぞ、頑張ってください、といって渡された、
医学部学士編入出願時の推薦状には、
そうかかれました
読んだ方は、バカとしか解釈できないでしょうに

博士過程の指導教官のK先生は、
僕の名前も忘れがちなワリには、
書きたくない、やめないで続けろ、
と推薦状を書いてくれないので、
結局CZ先生に手厚い推薦状を書いていただきました!
結婚式には呼びたいくらい感謝してます

あ、自分話オンリーでスイマセン

おきしおくん、そんなことがあったとは・・・。僕は学振の推薦状などで不当なほど褒めてもらったことはあったけど。

僕の言いたいことは簡単なことなんですよ。学識とかを言い訳に、性格の悪さは弁護できないだろう、と(笑)。それだけなんです。上に書いたKY先生は、なまじべらぼうにできる人だから教え子たちが萎縮しちゃってねえ。フーコーの権力論とかも押さえている人がどうしてこうも「権力的」なのか。「フーコー読みのフーコー知らず」と僕は呼んでいます(笑)。
僕だって厳しく接したり、時には柄にもなく「説教」したりするときもありますが、学生の「忠誠心」を試したりしていないか、という自己省察くらいはしないとダメだと思います。そういう省察を怠った人間が「ハラスメント」教員ですしね。

よ~~~くわかりました!

医者はそんなひとウジャウジャいるように、
学生からは見えます。
僕も自戒しつつ将来に備えます

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