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December 26, 2005

「すっきりしないこと」が大事

昨日本屋で色々物色していたら、例の『マンガ嫌韓流』の解説本のようなものが出ていたので少し立ち読み。あ、これだ。出版社は同じですね。
パラパラ見たけど(胸くそ悪くなって、数ページで止めた)、ディベート形式で「白黒つけましょう」という姿勢を貫いているわけだけど、この姿勢こそが怪しいと思う。ディベートでは「あなたはこう言いましたね」と相手の議論を単純化させて、矛盾をついたり例外を提示してやりこめるという手法が採られがちだけど(向こうの意見を単純化させてからなんだから、簡単だ)、そういうのって、端的にアンフェアだと思う。「するの、しないの、どっちなの」とパネラーを問い詰める人相の悪い深夜番組の司会者を見れば、判ると思うんだけど。

あのね、歴史ってそんな単純なものじゃない。一つの歴史的事象も、立場が変われば全然違うものに見えるっていうのは、嫌ほど実感していることでしょ?判りやすい例を出すなら、「加害者」と「被害者」ではまるで見えた「風景」が違っていた可能性すらある。
そもそも『嫌韓流』的思考の最大の矛盾は、「一方的な押しつけられた歴史観はイヤだ」「今までマスコミとかに色々と僕らは一方的に騙されてたんだ」という当の本人が、別の一方的な歴史観(日本人及び我々若い世代は被害者である、という歴史観だよね。向こうが被害者面をするから、こっちも被害者の立場を取ってやれ、という同種報復の原理で動いているわけだ)を押しつけていて、ちっともアウフヘーベンしていないことにあると思うんだけど、どうかな?アウフヘーベンしない会話は、「対話」と呼べない。自分から「対話」の回路を切っておいて、取って付けたようにそのあたりの重要性を巻末あたりで説くのは、欺瞞だよね。

もし君が二ヶ国間を鳥瞰するような大きいことを言いたいなら、自分の出身国の立場を一旦離れてものを考えなくちゃいけない。そして、過去の歴史をふり返るときは、例えば当時の「列強」の立場からも一旦離れて、「植民地側」から同じ事象を見つめてみてはどうかな?多分違った「風景」が見えるはずだよ。例えば、韓国の「親日派」の問題だって、僕がもし当時の朝鮮人エリートだったら、頑張って良い成績とって、日本が作った社会機構の中で出世しようと一所懸命になったかも知れない。「日本人を見返してやる」ってね。
僕が必要だと思うのは、こういう想像力だ。

「すっきりしたい」のは、気持ちとしては判る。もやもやを抱えて生きるのは苦しいからね。実際、人間って、もやもやを抱えたまま生きることが出来ないほど弱くて、もやもやを解消するためなら平気で嘘をついたり自分を騙したりする生き物なんだってことは、数十年前の社会心理学者が証明しちゃっているんだよね(詳しくはフェスティンガーっていう人の「認知的不協和の理論」というのを調べてみてください。結構身につまされるよ)。
でも、すっきりしたいが故に、お互いが「何だよ」といがみ合って、結局は対話すらしなくていい、という覚悟があるかどうか、一度自分の胸に聞いてみるといい。それで良い、というなら、僕はもう何もいうことがない。僕なんかは、勝手にすっきりされたくはないから(「要するに日本人って、こういう連中だよね」と一方的にくくられたくないから)、こっちもすっきりした態度はとらないように心がけたいと思う。

大げさにいうと「すっきりしないこと」って、倫理とか人間性と深い関係があると、僕は思っている。「ためらわない」ことって、大体において「暴力的」じゃない?
だから、「すっきりしないこと」を大事にしたいと思っているだけなんだけど。

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Comments

おっしゃることはよくわかります。『嫌韓流』やら、『国民の歴史』やらの問題点は、まさにそこにありますよね。

でも、例えば韓国の歴史教科書やら、日本批判本の数々は、全然躊躇っていないですよね。これってなんなのか、最近、よく判らないんです。日本の歴史教科書の方が(あの『新しい歴史教科書』でさえも)躊躇いがあると思います。

一時期朝鮮研究をかじった者として、「そのギャップをわれわれはどう埋めるんだろう」と考えてしまう日々なのです。

Posted by: blue hills | December 26, 2005 at 11:14 PM

「すっきり」した話にされがちなのは、私が研究で手を出しているパレスチナもそうです。

イスラエル政府に迫害されるパレスチナ人、という捉え方をされることが一般的ですが、実際中に入ってユダヤ人にもアラブ人にも話を聞くとそんな簡単に割り切れるものではないのがよく分かります。

悲しくなるのは、英語もろくに話せない現地語なんか挨拶程度のジャーナリストの方々がパレスチナで一方的な話を取材し発表することです。それも大切なことなのでしょうが、一般イスラエル人の気持ちに一切思いを寄せないような報道を外人がしても話がこじれるだけなように思います。

イスラエル・パレスチナでは中立ということはあり得ないという言葉に私は賛同しますし、自分がパレスチナ側の人間だというのも自覚しています。
でも川瀬さんと同様、私も「すっきりしないこと」を大切にしたいと思っています。外人研究者ですから尚更。
それと社会的に意義のある研究とを両立させるのは非常に難しいですし、どこでバランスを取るかは本人次第となるのでしょうけれどね。

Posted by: 立田 由紀恵 | December 27, 2005 at 04:49 AM

blue hillsさん(意味深長なHNですね)、僕も韓国研究者の端くれとして、似たような思いを持つことはあります。僕はただ向こうが躊躇わないからと言って、こっちも同様な態度に出れば、拳の収めどころが見つからないだろう、と思います(殴り合いは不毛です)。
ただ『嫌韓流』を読んで「目が覚めた!」とか言っている人(一番の問題は、永年の洗脳がこんな本一冊で覚める、と思い込んじゃっていることなのですが)は、2ちゃん的な「陰謀史観」でもって全てを処理しがちになるので(どんな言葉も「敵対勢力のプロパガンダ」というように処理しちゃいがち)、なかなか声が届かないんですよね。

立田さん、コメントありがとうございます。このエントリはもちろん例のマンガに触発されて書いたものですが、ガザ地区の「壁」を念頭に置きつつ書きました。あの「壁」こそ「もう良いよ、対話なんて」というイスラエル側の倦怠の象徴のように思えたので。
パレスチナ、イスラエル共々「一枚岩」なわけはないのは当然なのですが、メディアではなかなか伝わってきません(ユダヤ系アメリカ人の監督が作った『Promises』という映画は僕も見て、このブログで感想を書きました。この映画はその微妙なところと、仲介者になり得る「第三者」という存在を描いていて、感動しました)。
あるイシューに対して完全に中立であることなどはないと思いますし、特に自分が関わってくると尚更ですが、立田さんが以前使っていた「説得力のあるプロの楽観主義者」という言葉、僕は好きだなあ。

Posted by: 川瀬 | December 27, 2005 at 02:13 PM

いつも川瀬さんのお話はとてもためになります。今回すっきりしないことが「大事」ということにすっきりしました(笑)。私は、研究会等で自分の思うことが上手く言えなくてもやもやしていたのですが、そのことの大切を改めて感じ、それを解明する努力を怠らずにいたいと思いました。研究室にほぼ入れ違いで直接いろいろお話できなかったのが残念です。

Posted by: chi-o | December 27, 2005 at 08:38 PM

chi-oさん、僕たちの研究対象って「これだ」と断定できる代物じゃないですよね。「こうかもしれない」「いや、こうとも言える」という感じで延々「~をめぐって」と論文のタイトルを付けて、実際その周りをグルグルしているだけというか(笑)。
だから、僕のゼミでは学生がいつも「もやもや」を抱えたまま帰ることになります。だって結論出るような話はしませんからね。もちろん前進するためにはある程度の妥協をして決断しなければいけませんが「もしかしたらこういう見方もあるかも」と片足を掛けておくのは、リスク分散からしても賢明だと思います。上では抽象的且つ倫理的な書き方をしましたが、「複眼視的な思考」は結局リスクマネージメントに欠かせない、と僕は思っています。

Posted by: 川瀬 | December 28, 2005 at 01:31 AM

川瀬様お久しぶりです。
あの本に書かれているようなことは、ネットで転がっていることなのでどうも金を出して買う気ににもなれませんでした、ネット右翼気味の私です。
「すっきりしないこと。それを大事にしなくてはならない。」確かにそのとおりで自分の国の立場を離れてものをみることが世界中にある「宗主国」と「旧植民地」の問題を考えることにつながり、しいてはこれからの国際関係を見ていく教材となると思います。まぁあの本に関してはプロの方の出馬を待たず、ここら辺のサイトに任せておけばいいと思います。

http://himadesu.seesaa.net/article/6084278.html

嫌韓流ごときの駄本より私が気になるのは
この本(解説を書いているのは小森陽一氏)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309243517/qid%3D1135779790/249-1806651-5450752
に関してネット上でもあまり語っておる人が少ない。ということです。日本で留学経験のある韓国人が韓国のナショナリズムに批判の目を向け始めた。
こちらの書評が本当とすれば
http://www.doblog.com/weblog/myblog/33838/1946197#1946197
日本の知識人はこの本に語ることが「嫌韓廚」への利敵行為になると思って論評を控えているのかもしれません。

Posted by: 如月イレブンth | December 28, 2005 at 11:43 PM

如月さま、お久しぶりです。
ご指摘の本、一応買ってはいるのですが、まだ読んではいません。ですから論評はできないのですが、「利敵行為」と思って論評を尻込みする、という側面は確かにあるかも知れませんね。

僕が良くつきあっている韓国人の大学教員は、上記の本の著者同様日本留学経験者だったり、少なくとも日本との学術交流を望んでいる「親日的」な人なわけで、僕自身の体験として、韓国人とのつきあいでそれほど嫌な目にあったということはありません。ですから僕の「体験」に多少の「甘さ」があるのは自覚しています。
しかし、『マンガ嫌韓流』を鵜呑みにしている人は、まさに「脳内韓国人」だけを相手にしているのでは、と危惧しています。一昔前は、日本に留学してきた韓国人が「日本人が思った以上に親切なのにびっくりした」と言っていましたが、逆もしかり。生身の触れあいって、バカにできないと思います。

あと、『嫌韓流』批判のブログ、これまたすごいですね。ここまでやる元気は到底ありませんので、助かります(笑)。

Posted by: 川瀬 | December 29, 2005 at 12:57 AM

正論のように聞こえますが、韓国人同様に日本人も感情を持った人間であることを無視しています。
韓国人は歴史を「すっきり」させています。
歴史を問題にして若い世代に対しても
「犯罪者の子孫であることを自覚しろ」
「謝罪しろ賠償しろ」
「土下座しろ」
と侮辱、強要しています。
日本人に生まれたという理由だけで非難されることは明らかに差別です。
この差別がなくならない限り「嫌韓流」は無くなりません。
差別と戦うために解同みたいに過激になり、民族対立が先鋭化してく危険性もあります。
「すっきり」させすぎる韓国人が変わらない限り、第二、第三の『マンガ嫌韓流』は出続けると思います。

土下座・謝罪を強要される高校生たち
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k373.html
韓国人男性と結婚した日本人女性の土下座
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k356.html

Posted by: CON | December 30, 2005 at 01:51 PM

こういう熱い議論って結構好きだから、いきなりニューヨークから乱入。

ニューヨークにいると、朝鮮半島の人や中国人とは、とても他民族とは思えないほどよく分かり合えるし仲がいいんですけどねえ。兄弟姉妹みたいなもんですから。

韓国や中国、北朝鮮を嫌いにさせるような情報が、最近盛んに日本のマスコミで流されているのは、きっと憲法を変えたい連中の策謀だと思いますよ。最近、不自然に多いですもん、そういう内容の報道が。ブッシュが911を利用してアメリカ人を怖がらせ、国民を戦争に賛同させていった方策と同じです。小泉が靖国に参拝するのも、近隣諸国と仲良くなりすぎると武装できなくなるからっていう腹があるんじゃないんですかね。きっとあちらでも反日感情をあおる連中がいるんでしょうけど。

そういう人たちの罠にまんまとはまらず、われわれは冷静にお隣同士仲良くしたいものです。ひどい目に合うのは、政治家じゃなくて一般の市民なんですから。国は関係なくね。

CONさん、韓国人はすっきりさせすぎてるっておっしゃいますけど、CONさんも随分すっきりしすぎてるんじゃないですかねえ。まずは自分がすっきりするのをやめないと、相手もやめてくれませんよ。

Posted by: ベジタブル・ソーダ | January 10, 2006 at 11:38 AM

ソーダさん

>CONさん、韓国人はすっきりさせすぎてるっておっしゃいますけど、CONさんも随分すっきりしすぎてるんじゃないですかねえ。まずは自分がすっきりするのをやめないと、相手もやめてくれませんよ。

代弁してくださってありがとうございます。僕が言いたかったのは、そういうことなのですが、CONさんをはじめ何人かの人には、理解してもらえなかったようです(「理解」です。「納得」ではありません。念のため)。「向こうから先に止めるべきだ」と思うのはご自由ですが、僕は、侵略し植民地化した日本側が先に「すっきりすること」から手を引くのが筋かな、と思っているだけです。

Posted by: 川瀬 | January 10, 2006 at 09:43 PM

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