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January 30, 2006

ただ、瞑目するのみ

妻からの情報で、僕と同世代の(卒業年度は一緒。さっき大学の卒業アルバムを見たら載っていた)研究者、横山文野さんという方が亡くなったということを知らされる。実は、半年も前にガンでお亡くなりになっているのだが。彼女の闘病記及び彼女の夫君のブログなどもホームページには掲載されていて、今日一日掛けて、ほぼ全てを読んでしまう。彼女は2002年の健康診断で肺に影が見つかり、その後3年に及ぶ闘病生活を送った(イレッサも使用なさったとのこと)。

ブログを一気読みして、深くため息をつくと共に、今更ですが、ご冥福をお祈り申し上げます。卒業アルバムを見たら、何か見覚えのある顔だった。恐らくキャンパスで幾度となくすれ違っていただろう。僕も長々とあのキャンパスにいたからね。学部は違うけど。

ただ、同世代の学者が、その才能を振るうこともできず病魔に倒れてしまったことが、他人事とは思えず、動揺してしまった(自分でも、面識もない横山さんのことでこれほど動揺するとは思ってもみなかった)。どれほど口惜しかったことだろう。
ついでにいうと、彼女の夫君であるTOMさんの「喪の仕事」をブログでトレースすることとなり、つい自分だったらどうするだろうか、と思ってしまった。
僕がこれほど動揺したのは、それなりに年を取ってきたからかも知れない。もちろんまだ若いつもりだし、亡くなった横山さんも若いが、もっと若いときには「お気の毒様」で済ませていられたことが、結婚したり、社会に出て働いたりして、それなりに人生、というと大袈裟だが生活を積み重ねていくうち、その「生活」の貴重さが実感されてきて、文字通り「他人事」でなくなったからだろう。

ただ、瞑目するのみ。

R. I. P.

January 20, 2006

鈴木祥子ライヴ@カフェ・アンデパンダン 

20060120_008さて、今日も行ってしまいました鈴木祥子さんのライヴ。去年僕が最後に見たライヴが祥子さんの拾得でのライヴ、今年初めてのライブが、このカフェ・アンデパンダンでの祥子さんのライブとなりました。
タイトルは「音、そしてコトバ~あるいは流れゆくエクリチュール~absolutely ALONE in cafe INDEPENDANT」というもの(「流れゆくエクリチュール」というのは、祥子さんの好きなM.デュラスの言葉だそうです)。「カフェ・アンデパンダン」(フランス語で読むんですね。エクリチュールもフランス語だけど)は、三条通りと御幸町通りの交差点にある、もと毎日新聞の社屋を改造したビルの地下にあります。
今日は早めに職場を切り上げて、いそいそと週末の繁華街へ向かいました。開場は7時、ということでしたので、6時台には会場に着いておこうと思い職場を出たら、思いの外バスが早く着いてしまって、5時半頃現地に到着。しかし、既にそこには、いつも祥子さんのライヴではお世話になっている大常連のRさんとYさんが一番前に陣取っていらっしゃいました。さすがだ。やっぱこの人たちには敵わない・・・。僕は前から10人目くらいに並ぶことになりました。
発行されるかも、といわれていた結局整理券は発行されず(整理券が発行されたら、一旦近くのカフェに行って休憩と腹ごしらえをしようと思っていたのですが、それが出来ませんでした。ちょっと誤算)、結局そのままなし崩し的にずっと寒空のもと、並ぶ羽目になってしまいました。

20060120_009いよいよ開場となり、RさんとYさんが、一番前の左側、ピアノの真ん前の「かぶりつき」の席、僕はその右側の席に座りました。7時過ぎ、祥子さんが登場。今日の祥子さんの衣装は、全体的に黒でまとめていました。黒のノースリーブに黒のスカート、そして黒のブーツ。でも、真っ黒なのではなく、ノースリーブは大きな花の模様があり、ブーツにも飾りが付いていました。
以下、今日のセットリストを書き、簡単な感想を挟みたいと思います(写真はスタート直前の舞台の様子です。こういう地下のスペースは、大学時代に友人たちが良く学生劇団で使っていたものと似ているので、何か懐かしかったです)。

1)甘い夜(いきなりこれですよ。曲名がなかなか思い出せず。祥子さんも緊張気味なのか、声が少しかすれていた。祥子さんはこの曲を歌っている夢を見たのだそう)
2)Love is a sweet harmony(ニューアルバムから。この曲から声も本調子に)
3)何がしたいの?(これもニューアルバムから)
4)Passion(これもニューアルバム所収。今回のライブで、僕は生でこの曲を聴けて感動しました。Passionというより、Tensionといった方が良かったかも。すごい緊張感がありました。あと、祥子さんが左手をまるでハンマーのように振り下ろすのがすごかったなあ。)
祥子さんはここまでやって「皆さん、私が暗いのは良くご存じでしょうが、今日は特に重めの選曲で(笑)」とあらかじめ宣言。

ここからギターで(ギターを弾く椅子が、まさに僕の至近距離。至福でした)。
5)だまって笑ってそばにいる女(これをギターでやるとは思わなかったなあ)
6)holdmethrillmetrustmeloveme (DVDでしか見たことがなかったから、これも感動)
再びピアノに戻って
7)He hit me and it felt like a kiss(キャロル・キングのカバー)
8)愛の名前(ニューアルバム所収。ライブではこのところ必ずやってくれる曲。歌詞も何となく覚えていました。愛は主観的でもなく客観的でもない。同感)
実はさっき祥子さんは歌詞をど忘れして一曲ギターでやるのを止めていたのですが、ピアノに立て掛けていた楽譜を見て「ごめんなさい、何を歌いたかったのか思い出した・・・」といって再びギターを手に取り、
9)あたしの場所で(実は、僕も喉からこの歌の冒頭部分が出そうだったのだけど、モジモジしていて祥子さんに教え損ねました「祥子さん、「情けない(夕日に)」ですよ」というと、何か変だし)
10)Love Is A Many Splendored Thing(映画「慕情」の主題歌)
ここまでで、第一部終了。

少し休憩を挟んで第二部開始。
11)Body and Soul(ビリー・ホリデイのカバー。アカペラで)
12)シュガーダディーベイビー(祥子さん曰く「私のトラウマソング(笑)」)
この辺りで、何故か祥子さんのMCが暴走。つらつらと話すうちに年齢の話になって、「私、去年40になったんですけど、39と40って、全然違いますよね。若いときは判らなかったけど。over 40の人は会場には少なそうだけど。今歌っている曲は39歳の時までに書いた曲だから、暗いのよ(会場爆笑)。40歳になった今は、「人生は全て流れゆくエクリチュール」というか、何かどうでも良いというか、水に流すというか、どんな愚行も過去のことさって感じで(大意)」という、「40歳になったら、人生に開き直れて、明るくなってきたぞ」というような祥子さんの、なんて言いましょうか、エイジング勝利宣言、いや、違うな、表現が難しいですが、そういうポジティヴな姿勢を伺うことが出来ました。まだ40にならない僕は正直まだ判りませんが、祥子さんはいい年の取り方をしているなあ、と常々思っておりましたから、何となく合点はいきます。
13)忘却(というわけで、暗い曲再開(笑)。「忘れた」僕もいつかあのことに対してつぶやく時が来るのだろうか)
14)Woman is the nigger of the world(John Lennonのカバー。歌詞もすごいよな、確かに。邦題も「女は世界の奴隷か!」だもんね。未だ変化しない現状に怒りを込めて。祥子さん曰く「ジョン・レノンって、なんて正直な人なの、と思いました」)
15)Gimmie Some Life(ライヴで聴くのは初めてだな)
16)Love/Identified(僕、この曲のドライヴ感が好きだなあ)
17)Blonde(15~17曲目まで、立て続けに一気果敢に)
18)曲名失念、洋楽のカバー

祥子さんは「この曲で終わりにしようかな、と思っていたんですが、少ないですか?」と聞いてきたので、もちろん僕たちは「もっと」の意を込めて大きな拍手。「何かリクエストあります?」との祥子さんの問いかけに、かぶりつきにいたYさんが「そしてなお永遠に」をリクエストしたら言下に「いやっ!」(でもこれはある意味巧まざる伏線だったのだ・・・後述)、Rさんが「完全な愛」(Rさん、やっぱりこの曲好きなのね)をいうと「ええ、あんな長いのを?」とこれまた却下。結局以下の曲がチョイスされました。
19)イケナイコトカイ(言わずと知れた岡村靖幸のカバー。でも、岡村ちゃんといえば、江口寿史の書いたマンガがちらついて困ります)
ここでちょっとトラブル発生。スピーカーが一つ、音割れを起こしちゃいました。ここで第二部が終了、以下はアンコールです。
20)そしてなお永遠に(祥子さんは「さっきリクエストしてもらって、いやっとか言って済みません。やります」とリクエストに応じてくれ、Yさん大満足。こんな「ツンデレ」攻撃受けちゃ、ファンの男子はひとたまりもないっすよ。「「完全な愛」は難しいので、また今度ね」とRさんにも言っていたし。ギターでの弾き語り)
21)すいか(これもギターで。今冬だけど)
22)夏はどこへ行った(ギター。これも今冬だけど。リクエストに応えて)
23)光の駅(これは昨年末の拾得でもやろうとして止めた曲。今回も祥子さんの中ではいまいちフィットしなかったようで、はしょって終了)
24)Happy Someday(ここからピアノ。なんか、最後の方が自然とサイモン&ガーファンクルの「59番街橋の歌」にスライドしていきました)
25)道(ニューアルバムのラストを飾る曲。ライヴもこの曲で締めとなりました)

いやあ、「これで終わろうと思うんだけど」とか言ってからも多くの曲を歌ってくださり、今回もまた大サーヴィスをしてくださった祥子さん、大感謝です。
そしてライヴのあとは、このところ恒例のサイン会。今回は、25日に発売予定のニューアルバム「鈴木祥子」(自分の名前そのままのタイトル)が会場先行発売され、僕も当然それを買って列に並び、ライナーノーツにサインをしていただきました。
20060120_011その後、Yさんと立ち話をしていたら、この前このブログにコメントを書き込んでくださったHN十六夜さんが僕を発見して話しかけてくれて、しばらく3人で話しました。大分会場も人がいなくなったのを見計らって、僕は十六夜さんに「せっかく遠くからいらしたんですから、祥子さんと写真を撮ってもらったらどうです」と、「その後なし崩し的に自分もご相伴にあずかろう」という計算(下心)のもと、お勧めしてみました。やはり、一人でお願いするのは勇気がいりますので、僕と十六夜さんは二人して、サインが終わりそうな祥子さんに近づいていって、「一緒にお写真、お願いします」と言って、二人とも撮っていただきました。十六夜さん、ダシに使ってしまい申し訳ありません(笑)。皆さんは左のしょぼくれた男の存在は無視してくださってけっこうです。祥子さん、ありがとうございます。妻よ、許せ(笑)。
というわけで、浮かれ気分で本当にスキップしながら地下鉄の駅へと急いだ僕なのでした。腹減ってたけど。

January 15, 2006

正しく哀しみ、正しく快復すること―須藤真澄『長い長いさんぽ』

nagainagaisampo今日、本屋に寄ってみたら、空色の表紙が目に入りました。僕が昔から愛読している、須藤真澄先生の新刊『長い長いさんぽ』でした。
須藤先生の愛猫「ゆず」が昨年亡くなりました。須藤先生はゆず君を熱愛していて(まさに猫可愛がりです)、長らくショックだったようですが、このたびその想いをこのような素晴らしい作品にして昇華して、届けてくれました。
実は僕、この作品を自分の研究室で息抜きに読んでいたのですが、思わず目頭が熱くなり、危うく学生に泣き顔を見られるところでした(学生がなかなか書きかけの卒論を持ってきてくれないので、却って助かりました)。

さて、精神分析の祖であるフロイトは、愛する対象を亡くしたとき、人はどのようなプロセスを経て快復するか、ということを考えました。一般に「喪の仕事(mourning work, Trauer arbeit)」と呼ばれるものです。思い出すだけで胸が苦しくなる、そんな時期が「喪の仕事」の初期過程であるわけですが、それを乗り越えないと、次のプロセスに進んだように見えても、また「ぶり返す」ことをフロイトは指摘しています(喪の仕事を先延ばししたり、ごまかしたりすると、それが「抑圧」となって心の奥に澱のように溜まり、神経症を引き起こすとフロイトは考えました)。要するに、精神分析の教えるところの重要な点は「人間は正しく哀しめば、正しく快復する」ということだと思います。僕は精神分析の知見で最も重要な点はここにあると個人的には思っています。
この作品は、まさに須藤先生の「喪の仕事」そのものだと思います。そして、哀しみをここまでの作品に仕立て上げる須藤先生の強靱さにも打たれました。

一読をおすすめします。

January 06, 2006

25メートル泳ぎ切ってくれ

卒論を抱えた皆さんへ

最近は僕がどこに行こうが逃げようが、メールという素晴らしいもののおかげで(当然、僕が皆さんと同じくらいの時は、こんな便利なものはありませんでした)、書きかけの卒論を送りつけられるようになり(皆さんにとっては可能形、僕にとっては受動形)、お正月から今日までで、およそ6本の書きかけの卒論を読む羽目となりました。さすがに疲弊してきました。

個々人には、朱を入れたものを渡して個別指導をしていますので、ここでは、皆さん全体にちょっと抽象的な「お説教」をしたいと思います。

皆さんの論文は、なかなか良くまとまっているのもありますし、目の付け所が鋭いものもあります。僕も君たちを指導しながら、全く知らないことを吸収させてもらっています。

でも、全般的に言えるのは、君たち、ちょっと諦めのいい人が多いと思います。どういう事かというと、「ま、この程度で良いよね」という感じで止めてしまって、せっかくの着眼点が生かされていなかったり、細かいミスが結構あったり(注でページ数を示していないとか、誤字脱字は言うまでもありません)、もうちょっとで良いのが・・・というのが今の段階では多いのです。まだ〆切まで一週間ちょっとある段階でここまで、という言い方もできますが、僕としては、水泳で喩えると、25メートル泳ぎなさい、とこっちは言っているのに、20メートルほど泳いでプールの真ん中で足をついて「もう結構泳いだんだから、このあたりで良いでしょう」と僕を振り返って見ている、という感じがするのです。非常にもったいないことです。あと2掻き、3掻きでゴールなのに。

提出日ギリギリまでやってしまうという諦めの悪さはもちろん論外ですが(毎年いるんだ、こういうのが。そうならぬように)、もうちょっとディフェンシヴに振る舞ってください。具体的には、達成できない目標などを「はじめに」で打ち立てるな、ということです(笑)。そういう「最初の宣言(看板)に偽りあり」というのを我々は見逃しません。「ディフェンシヴに」というのは、ちょっと小ずるく立ち回れ、という意味です。提出日の前日にプリントアウトと製本が終わっているくらいの「諦めの程々の悪さ」と要領を期待しています。

僕個人が君たちに行っている指導は、基本的には「論文の形式」のことだけです(もっとこの辺りを深くつっこめ、という類の指導は行っていますが)。内容については、個々人の努力と能力に委せています(そこそこ委ねられるのですから、君たちは優秀なのです。自信を持ってください)。ですから脚注とか、章立て、段落、誤字・脱字、そういうことばかりチェックしています。でも、こういう形式上の基本的な事を疎かにしていると、本文でなかなか良いことを言っていても、僕たち教員は「20メートルだな」と判断せざるを得ません。そう思われたくないなら、僕たち教員の意地悪そうな顔(笑)一人一人を思い浮かべながら、「先生に突っ込ませてなんか、やるものか」という気持ちで書いてください(僕も最近、君たちへの個人指導で「口頭試問の時、○○先生ならこう突っ込んでくるかも知れないよ」と脅しを掛けているでしょ?あれはディフェンスのシミュレーションです)。形式上のしょーもないことでケチを付けられても、つまらないでしょ?そういうミスをなくす姿勢が「ディフェンシヴ」であり「25メートル泳ぎ切ること」でもあるのです。
内容についての突っ込みなんて、我々のような「プロ」だろうが、突っ込まれるときは突っ込まれます(学者って、そういう商売です)。僕もこの前、偉い先生数名に囲まれて満身創痍で帰ってきたこともあります(笑)。内容への突っ込みは、当たり前のことですから、それは恐れずに(もちろん、手を抜けといっているのではありません)、まずは細かいミスを徹底的になくしてみてください。

ご健闘を祈ります。

追記:TBを送ってくださった弓山先生も、似たような思いでいるらしい。難しいよなあ、「要領良く」とは思うけど、あまりにも要領が良いと(「これくらい叱られるのは想定内」と想定しちゃうことも含めて)ちょっとだけ腹立たしいだなんて、教員側の勝手な思いなんだけどね。

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