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January 15, 2006

正しく哀しみ、正しく快復すること―須藤真澄『長い長いさんぽ』

nagainagaisampo今日、本屋に寄ってみたら、空色の表紙が目に入りました。僕が昔から愛読している、須藤真澄先生の新刊『長い長いさんぽ』でした。
須藤先生の愛猫「ゆず」が昨年亡くなりました。須藤先生はゆず君を熱愛していて(まさに猫可愛がりです)、長らくショックだったようですが、このたびその想いをこのような素晴らしい作品にして昇華して、届けてくれました。
実は僕、この作品を自分の研究室で息抜きに読んでいたのですが、思わず目頭が熱くなり、危うく学生に泣き顔を見られるところでした(学生がなかなか書きかけの卒論を持ってきてくれないので、却って助かりました)。

さて、精神分析の祖であるフロイトは、愛する対象を亡くしたとき、人はどのようなプロセスを経て快復するか、ということを考えました。一般に「喪の仕事(mourning work, Trauer arbeit)」と呼ばれるものです。思い出すだけで胸が苦しくなる、そんな時期が「喪の仕事」の初期過程であるわけですが、それを乗り越えないと、次のプロセスに進んだように見えても、また「ぶり返す」ことをフロイトは指摘しています(喪の仕事を先延ばししたり、ごまかしたりすると、それが「抑圧」となって心の奥に澱のように溜まり、神経症を引き起こすとフロイトは考えました)。要するに、精神分析の教えるところの重要な点は「人間は正しく哀しめば、正しく快復する」ということだと思います。僕は精神分析の知見で最も重要な点はここにあると個人的には思っています。
この作品は、まさに須藤先生の「喪の仕事」そのものだと思います。そして、哀しみをここまでの作品に仕立て上げる須藤先生の強靱さにも打たれました。

一読をおすすめします。

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Comments

度々、お邪魔します(^^;)
「ゆず」の本が出たんですね!いつだろうとずっと心待ちにしていました。
わたしも須藤さんの作品が大好きです。最初に読んだのは6年前くらい。本当はネコよりもイヌ派なのですが、「ゆず」の漫画を読んでからは少し見る目が変わってきました☆観察力の鋭さは愛情の証でしょうね。。。早速、本屋さんで探してこようと思います!

十六夜様、是非買って、感想をお聞かせください。
僕も、大昔『Comic Box』という雑誌に子猫だったゆずを描いたマンガを読んで以来(16年前か・・・)、ずっと須藤さんを追いかけているせいか、ゆずのことは他人事とは思えません(そういう人は全国で山のようにいると思いますが)。

川瀬様、昨日読みました。
「長い長いさんぽ」の意味が分かった瞬間、涙が止まりませんでした。
そして、カラーの扉絵のところ。あの風景の色や線やすべてに須藤さんの悲しみが塗り込められているようで、その感情が迫ってくるように感じて、胸が苦しかったです。
大切な存在を亡くすということに、動物も人間もないなぁと思いました。というのは、須藤さんの本を読みながら自分が肉親を亡くしたときと全く同じ気持ちだと思ったからです。
悲しみの只中にいる須藤さんをストーリーのなかで感じながら、でも、決していやな気持ちにはなりませんでした。それは、ただ悲しみを羅列するだけのお話ではなかったから。誠実に「悲しみと向き合った」姿勢を見せてくれたから、かもしれません。川瀬様の「正しく哀しみ、正しく回復すること」そのとおりだなぁと思いました。

遺体をやいてもらってお骨をひろう儀式、あれは遺族にとってなんて残酷なことだろうと思います。信じたくないのに、目の前につきつけられる。悲しまずにはいられない。でも、それこそが必要なことだったんだと今は思います。以前、葬儀は形だけだと思っていましたが、実際に自分が経験してみると、過程に意味はあって、現実を受け入れる為、そして自分自身がまた生きていく為にも大切な儀式なのだと思いました。

長くなってしまってごめんなさい。
本当に、心からゆずの冥福を祈るとともに須藤さんご夫婦の幸せを願います。。。

十六夜様、詳しい感想をありがとうございます。
僕の方から、十六夜さんの感想に付け足すことはありません。僕が思っていたことを代弁していただいたような気がします。おっしゃるように

>誠実に「悲しみと向き合った」姿勢を見せてくれたから

僕もこの作品が読めたのだと思います。ごまかしたり、独りよがりなものとなっていないところが「すごい」と僕も思ったのです。

正しく哀しむのって意外と難しいですよね。大切な人を失う悲しさはもちろん、些細なことでも傷つくことには臆病になってしまう。「キツネとぶどう」のお話ではありませんが、自分のつらさや哀しみに対峙するのは勇気がいります。でもそうしないと結果的にはもっと苦しむことになるのですよね。身に沁みました。

chi-oさん

>正しく哀しむのって意外と難しいですよね。

そうなんですよね。そこに、例えば「許す」「許さない」の問題が絡むと、一層ややこしくなります。最終的には対象を許すのと同時に「自分を許す(許さない自分を解放する)」という方向に持っていかねばならないのでしょうけど。
「ぶどう」で思い出しましたが、川原泉のマンガ「美貌の果実」で、うろ覚えですが「俺はこいつに会ったら言いたいことが山のようにあったんだ。でも、山のようにあったので憶えきれずに忘れてしまった」という台詞があったと思います。この台詞なんか、人も許すのと同時に自分をも許す、というものとして僕は読んじゃいました。

なるほど~。自分も許すって結構盲点ですが、実はそれがないと本当には解放されないのかも。相手ではなく苦しめているのは自分自身だったことに私もつい先日気がついたことがあります。いい台詞ですね。

>自分も許すって結構盲点ですが、実はそれがないと本当には解放されないのかも。

偉そうに言ってしまいましたが、こういう事を僕が考えたのは、僕が人一倍恨みがましい人間だからです。何たってさそり座だし(笑)。

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