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February 02, 2006

今は既にない「懐かしい」場所へ―『博士の愛した数式』

のっけからお恥ずかしい話ですが、久しぶりに、小説を読んで(その後映画を見て)、涙を落としてしまいました。それは小川洋子さんの『博士の愛した数式』です。

僕は感激屋のつもりですが、「泣く」ことは滅多にないです。一番びっくりしたのは、自分自身です。何が僕の「泣きツボ」だったのか、それを考えつつ、この文章を書いています(最初に申し上げますが、「すごく泣けます」と皆さんにこの作品を推薦するつもりはありません。僕がたまたま泣けただけで、他の方がどう感じるかは判りません。ただの自己分析です)。

これ以降は、ネタバレを含みますので、小説及び映画を白紙で見たい方は読まないでください。

さて実は、僕、昔けっこう小川洋子さんの熱心な読者だったんですが(芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』のサイン本を買ったほどです。あれは神田の三省堂だったな。端正な字でした)、その「甘い」世界からわざと距離をおくべく、この10年ほどは読んでいませんでした。

しかし、映画化もされたということだし(僕の好きな深津絵里が主演だし)、まあたまにはと思って手に取ってみたら、ぐいぐい読んでしまって、今日のテスト監督中(自分が担当している「宗教学」という講義のテストでした)に読み終えて、そのまま夕方に映画まで見に行ってしまいました。実は、テスト監督中読んでいるとき、目頭が熱くなり、焦りました。学生は気付いていなかったでしょうけど、鼻をすする音くらいは気付いたかな。

小川洋子さんの世界って、いつも何らかの濃密で、内閉的な(でも居心地は良い)一種の「共同体」が崩れた後、「私」がそれを一人称で回顧する、というモチーフが多いと思うのですが、この本も、その例に漏れませんでした。特に今回は数学者という設定が奏功しています。物語の端々で出てくる数式の完全な「美しさ(友愛数や完全数の美しさといったら!!)」は、家政婦である「私」と息子の「ルート」と「博士」の3人で形成される「共同体」をより美しくする効果があったと思います。

ストーリーは他のところでも色々書かれているので、簡単に説明すると、天才的数学者だった「博士」は交通事故の後遺症により、80分しか記憶が保てません。そこに、身の回りの世話をする家政婦として「私」が派遣されます。「私」は幼い息子「ルート(この呼び名は、後に博士が付けた)」と二人暮らし。何故か数学と子供を愛する「博士」は、「ルート」をまっすぐに愛し、3人の奇妙で暖かな生活がぎこちなく始まるが・・・というのが骨子です。

で、何で僕はこの作品に涙したのか、とずっと考えていました。
まずは、博士の「記憶」のはかなさという「道具立て」に参った、というのはあるでしょう。若年性アルツハイマーを扱った『私の頭の中の消しゴム』はヒットしましたし、長期連載のマンガには記憶喪失がつきものです(笑)。普段の生活でも、こっちは覚えているけど、向こうは覚えていない、という体験だって、けっこう哀しいものがあります。しかもこの博士の場合は、同じところをグルグル回るだけです(原作の小説では、その「80分のテープ」すら、最後に壊れていきます)。その博士の苦悩(目の前の事態が飲み込めないこと)が伝わってくるシーンがあり、小説でも映画でも、それは白眉のシーンでした。

もう一つは、先日のエントリで早世した同世代の研究者について触れましたが、この博士も、人生の途中で、志半ばで諦めざるを得なかった境遇です。そこにも、僕なども研究者の端くれですし、ついつい感情移入してしまった可能性があります。

そして最後に考えついたのは、この小説(映画もほぼ原作を忠実になぞっているので同じです)、この物語の登場人物が、全て互いをいたわり合っていることを、そしてその関係がいずれ失われていくことも含めて、とても切なく感じたのだと思います(一人称の回顧は、回顧すべきものが既に失われていることを最初から示唆しています)。3人の世界は、あまりにも美しいから。

映画では、深津ちゃんが良いのは当然として(ファンの贔屓目)、やはり博士役の寺尾聰さんが素晴らしいですね。

人によっては物足りない、という人もいるでしょうが、僕はこの小説の終わり方が好きです(映画の方が少しドラマティックに作っています)。

というわけで、久々に読んだ小川洋子さんですが、やっぱうまいです。帰り道で、その書店にある彼女の文庫を全部買ってしまいました・・・(昔読んだものは買いませんでしたが)。この『博士の愛した数式』は、恐らく読み返すこととなるでしょう。

追記:映画の中で「あれ、あれは小川先生では?」と思ったら、やはりそうでした。ある場面でカメオ出演なさっています。僕は小川先生の目の前にいた高村薫似の女性に気を取られていて、思わず見落とすところでした。

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Comments

こんにちは。
私は小説しかまだ読んでおりません(映画は近いうちに
観ようかと)が、今までにない読後感のあった作品でした。
日常の小さなふれあいが、あの設定によって極めて濃密な
ものとして提示されているように思えました。
別の話ですが小川さんはほんとにタイガースが好きなんだなあ、と(笑)。

>深津絵里
実は私も好きなんですよ、深津ちゃん(笑)。
だからこそ映画も観る必要がある。
一項設けて彼女については書いてみたいと考えています。

Posted by: 虎哲 | February 04, 2006 at 11:02 AM

虎哲さん
昨日、マンガ版の『博士~』(作画:くりた陸←回文です)にまで手を出した川瀬です。病膏肓に・・・ってところです(笑)。
あの穏やかそうな小川先生が、筋金入りのタイガースファン、というのが、彼女の「コク深さ」、というか恐ろしいところです(笑)。
ふかっちゃん(もう僕もこう呼びます)は、彼女のデビューの時から、何か気になっていたのですよ。あのころはすごくボーイッシュだったよな(映画『1999年の夏休み』とか)。

Posted by: 川瀬 | February 04, 2006 at 01:10 PM

というわけで、映画を観に行ってきました。
皆さんうまいですねえ。寺尾聰はさすがです。
ふかっちゃんは主演映画はなんと10年ぶり!
なんですが、こういう静かな作品が実に合っていると思いました。
ただ、数式やタイガース関連をどう話に盛り込むか、という点で
映画化するとちょっと難しかったんだろうなあ、と感じましたです。

Posted by: 虎哲 | February 11, 2006 at 11:09 PM

祥子さんのことで、以前おじゃましました。hatenaに続き、こちらにも(^_^;)
私も、読んで、見ました。せっかくなので、TBさせていただきますね。良かったら、読んでみてください。
>帰り道で、その書店にある彼女の文庫を全部買ってしまいました
笑っちゃいました。
小川さんの隣の人、誰かに似てて、あの方も有名な方?と私も考えてましたが、高村薫似だったのかぁ。
川瀬さんも深っちゃんファン、しかも古いということは、“うさぎ”って言えばわかります?わかる方がいるとうれしーのですが(笑)。
興味があれば、こちらをご覧下さい↓
http://kaede-pi.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_cb64.html

今回、プロフィールも見させて頂きましたが、ジュゴンが好きとは!
私も大好きです。
京都の方なら、鳥羽水族館、近くていいですよね~。行かれたことあります?
なんか長くなっちゃって、失礼しました。。。


Posted by: しずく | March 04, 2006 at 08:26 PM

しずくさま
コメントありがとうございます。結局他の本を読むのが忙しくて、まだ小川さんの小説は一冊しか読んでいません。

残念ながら深津ちゃんの「うさぎ」、判りませんでした。というのも、僕は90年の大学入学から結婚するまでの8年間、下宿にテレビがなかったものですから(こういうと、みんなびっくりしますが、意外と無くても耐えられます。今はネット依存症気味ですけど)。

ぢつわ、まだ鳥羽水族館、いったことがないのですよ。この前沖縄では、沖縄県立博物館で、ジュゴンの骨格標本を見てきました・・・。

Posted by: 川瀬 | March 04, 2006 at 10:53 PM

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Tracked on March 04, 2006 at 08:12 PM

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