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March 23, 2006

贈る言葉

 皆さん、ご卒業おめでとうございます。めでたいのか、おめでたいのかよく判りませんが、とにかくおめでとうございます。

 さて、君たちの学年は、僕にとっては忘れられない学年になりそうです。と言うのも、僕はこの大学に4年前に着任しましたが、それと同時に入学したのが君たちだったからです。つまり、1年生の時から卒業までを見送った、最初の学年ということになります。これは僕の教員生活で、最初で最後のもの、ワン&オンリーですので、忘れがたい、と思っているわけです。もちろん忘れがたい理由は他にも色々ありますが、差し障りがあるので、この場では申しません。

 君たちを見ていると「人間は4年間でここまで成長するものか」と非常に驚いた面もあります。特に、卒論に取り組んだこの半年間で驚くほど見違えた人もいます。逆に、それまでの3年半は何をしていたのか、ということも言えるのですが。

 ちょっと話はそれますが、僕などはよく、夜、布団の中で学生時代の恥ずかしい思い出が突然湧いてきて、その恥ずかしさに身悶えすることがあるのですが、君たちを見ていると「学部生って、こんなもんだったっけ」とホッと一安心して心の平安を得たこともありました。特にゼミ合宿や飲み会で君たちがお酒の勢いでばらしてくれたことを聞くにつけ、僕の若い頃はそんなに間違っていなかったんだと確信が持てました。ありがとうございます。つまり、成長しても、してくれなくても、どちらにしても、僕の心にとって君たちは「有り難い存在」でした。

 今、卒論の話をしましたが、数ヶ月前まで、君たちも苦しみ、教員側も苦しんだ卒業論文の思い出が、これまた思い出したくもないのに走馬燈のように駆けめぐります。これも一種のPTSDによるフラッシュ・バックでしょうか。

 去年の卒業生、つまり君たちの一つ上の学年の諸君も、「個性的」な学生が多く、その指導には結構苦労しました。皆さん、先輩の顔を思い浮かべて、思い当たる節があるでしょう。特にそこで笑っている人。  去年の今頃は「ここまで指導に苦しむ学年はないだろう」と思っていたのですが、あに図らんや、その読みは甘かったです。次の学年たる君たちにこれほど苦労させられるとは、神ならぬ僕には見通すことはできませんでした。君たちで心当たりのある人は、しっかり反省して、社会人になってもその気持ちを忘れないでください。僕も「人を見る眼の甘さ(無さ)」を虚心坦懐に反省しなければなりませんが。

 さて、卒論の「効能」ということを考えてみますと、論理的思考をこれで養えた、という効能を声高に主張するのは、君たちの卒論の出来を考えるとちょっと躊躇してしまいますが、一つ確実なものがあります。それは「自信」です。社会に出られても、「私ですら、卒論、どうにかなったんだから」というポジティヴな方向で考え、何事にも立ち向かうようにしてください。もしかしたら、卒論の効用は、そういうポジティヴ・シンキングの元になってくれることだけなのかもしれません。

 さて、君たちが卒業式の後開催してくれる「謝恩会」というものがあります。今年もしてくださるそうですね。ありがとうございます。去年まで僕は「謝恩だなんて、そんなにたいしたことはしていないのに」と申し訳ない気持ちでしたが、今年からは「謝恩してくれ」という気持ちで一杯です。しっかり謝恩されたいと思います。

 今後の君たちの人生が素晴らしいものであるようにお祈りいたします。これだけは冗談ではありません。皆さんの前途を祝します。

March 21, 2006

追いつめられての「自画自賛」

このところ、最寄り駅のポスターで、気になるのがあります。

それは、政府の「構造改革」称える内容のもの。テレビCFでも、竹中直人氏が、やってますよね。あれです。この二週間ほどで、僕が覚えているだけで三種類くらい張り替えられています。「コンビニでも薬が買えるようになったのは、構造改革のおかげです」とか、そういう(まあどうでも良さそうな)キャプションがついているわけですが、この宣伝って、どうでしょう。

一言で言えば、政府が自画自賛しているんですよね、「構造改革」の成果を。こういうのって「慎みがない」っていいませんかねえ。最近のベストセラーを借りていえば、「国家の品格」がないというか(笑)。
「国民の皆さんはよく判ってないようだから敢えて自分で言っちゃうけど、俺ってすごくない?」というプロパガンダを、それこそ税金で垂れ流しているわけですよね。まあ、何でも税金が税金が、というほど、僕はケチではないつもりですが、この宣伝費用で、構造改革に関する別のことができるんじゃないかなあ、とは思います。

こういう自画自賛宣伝(プロパガンダ)を打たなければならないというところに、既に現内閣の「末期症状」が現れている、というのは、穿ちすぎでしょうか。追いつめられての「自画自賛」。僕の目にはどうしてもそう映ってしまいます。僕個人としては、こんなプロパガンダ、目の前から消えて欲しいのですが、本当に現政権の「末期症状」ならば、そのことだけは言祝ぎたいと思います。

「鼓腹撃壌」というような理想郷を思うほど夢想家ではないつもりですが、そこそこちゃんと治まってれば、それほど「俺ってすごいだろ?」ということは言わなくても、国はちゃんと回っていきます。あまりに自画自賛が過ぎると、お隣の某独裁国と、似てきてしまいますよ。それは非常にみっともないです。

March 07, 2006

「殺す側」にならないことは可能か?―ホテル・ルワンダの問い

ネット上での署名活動がもとで日本公開が決まった映画「ホテル・ルワンダ」を見てきました(実は、僕も及ばずながら、ネット署名した一人です。)。

昨日同僚のA先生(アフリカをフィールドとする文化人類学者)が「日曜日に夫婦で見てきたんだけど、あれはすごい映画だよ。僕なんか、モデルになったあのホテルに泊まったこともあるから、感情移入してしまってねえ」と熱くおっしゃっていたので、これは急いで見なければと思い、京都みなみ会館に行きました。

この映画の内容及び、素になった凄惨な実話については、公式サイト及び、「ホテル・ルワンダ」公開に一役買った映画評論家の町山智浩氏のこのエントリをご覧ください。

『ホテル・ルワンダ』は現実版『ドーン・オブ・ザ・デッド』だ

以下では、僕がこの映画を見て思ったことを箇条書きにしてみたいと思います。

1)普通の人ができる「抵抗」
まず感動したのは、主人公のポールの人柄でした。彼は決してスーパーマンではありません。彼は高級ホテルのマネージャーで、軍上層部や外国人など様々なコネクションをもっていたのですが、生き延びるために、彼らに電話を掛け、時には賄賂を送り、様々に知恵を働かせて、あくまでも「加害者側」に加担することを拒否し続けます。果たして我々の何人が、彼のように、多数派かつ加害者側の「特権」を捨てることができるでしょうか(ポールは虐殺を実行した多数派のフツ族の出自でした。妻はツチ族でした)。一番考えさせられたのは、このことです。そしてこのことが、この映画を貫く問題意識だと思います。「自分さえ助かればいい」と決して考えなかった点で、ポールは英雄なのです。

2)「恥」ということ
これを見た人、特に先進国の人間は、映画の中でホアキン・フェニックスが演じるカメラマンのように「恥じ入る」しかないでしょう。ポールは「国連も来ているし、あなた方が全世界に情報を流してくれているんですから、国際社会も我々を見捨てるなんてことはないでしょう?」と問うと、カメラマンは「いや、映像を見て、まあ怖い、といってそのまま食事を続けるだけさ」と自嘲気味に答え、事実、先進国(ツチとフツの対立の基礎を作ったのも植民地政策でした)はルワンダを完全に見殺しにします。
我々はルワンダを見殺しにした、ということをもはや忘れられません。では次にどうするべきか。
上にも書きましたが、ポールのように普通の人として、隣人を殺す側に回らないこと。その決意をするしか、我々の「恥」を雪ぐ方策はないと思います。

なお、前述の町山智浩氏がパンフレットに書いた文章も秀逸です。その全文は、このサイトをご覧ください

とにかく、重たいテーマの映画ではあります。2時間、見るのがこれほど辛い映画も久しぶりでした。しかし、ご覧になることをお勧めします。

March 05, 2006

「Z GUNDAM Ⅲ 星の鼓動は愛」感想

今日は休日らしく過ごそうと思い、買い物と映画に行ってきました。
最初は「ミュンヘン」とか「ホテル・ルワンダ」とかを見ようかと思ったのですが、まだ病み上がりで体力が回復していないので、ちょっと日和って、公開されたばかりの劇場版Zガンダム(以下「ゼータ」)の最終作「星の鼓動は愛」を見に行きました。前の二作も既に見ていますしね、もはや義務と思い新京極のMOVIX京都に行ってしまいました。

ということで、以下は物凄くネタバレのおそれがありますので、未見の方はご注意願います。

さて、まず初っぱなから申し上げますと、一番びっくりしたのはやはり何と言ってもエンディングでした。だって「ハッピーエンド」なんですよ、奥さん!!(文字を反転させました)劇場で配られたアンケート用紙で「エンディングはいかがでしたか」という項目があったのも、むべなるかな。これには本当にびっくりして、思わず「うっそー」と呟いてしまいました。
テレビの本放送があった頃、僕は中学生でしたが、ビデオに撮った最終話を繰り返し見ておりました。最終の二話は、非常に緊張感がある演出で、しかもその悲劇的なラストが僕のトラウマとなり、忘れがたい作品になっていたのでした(僕の一世代上の人なら、恐らく「イデオン発動編」がトラウマになっていると思います)。ですから、この映画は僕のゼータ観をひっくり返すものとなりました。僕なんか「いつカミーユが狂うのか」と最後の最後までハラハラしていたら、肩すかしを食らって、先ほど言ったように「うっそー」と呟いてしまったわけです。

以下、見ながら思いついたことを箇条書きにしたいと思います。

1)シロッコが「教祖」のように描かれていることに今更ながら気付きました。サラは教祖を崇拝する信者のようなふるまいを見せますし(死に方もまさに殉死)、「時代を変える」ということが、ジュピトリス・カルト(勝手に命名)の信念のようですし。

2)カツが本当に邪魔。子供心にも、こいつはダメだなあ、と思っていたんですが、大人になってから見ると、カミーユでなくても撃ち殺したくなるくらい邪魔です(笑)。

3)シロッコのエリート意識が強調され(歴史を動かしてきたのは、限られた天才達だけ」とか言ってたっけな)、それが「叩くべき悪」として描かれていて、分かり易かったのですが、基本的にハマーンもシャアも、それほど遠いところにはいないよなあ、とも思いました(みんなお互いを「俗物」扱いしているんですもんね)。みんなけっこう「愚民観」を前面に押し出すもんなあ。「愚民どもが」なんて榊原良子様の声で言われた日には、もう、萌えますけど。

4)良くガンダムは「リアル・ロボット」ものの元祖だとか、政治的なものや軍隊というものを描いた先駆とされています。もちろん、これは間違いではないのですが、実は、すごく非合理なオカルト的なものもガンダム、特にこのゼータにはあります。「ファースト」までの「ニュータイプ」概念は、簡単に要約すれば、宇宙で人類が活動するようになって、知覚が発達して、人同士が理解し合える可能性が高まってきた(戦場においては、その能力が有利になる)、というものでしたが、もはやゼータにおけるニュータイプは、それを超えて、完全に超能力になっています。だって、気合いでビーム跳ね返したりモビルスーツを金縛りに遭わせたりするんですよ(笑)。もう一つ言うと、「幽霊」の話にもなっていますね。「ファースト」でも、死んだはずのララァとアムロは喋ったりしていますが、ゼータでは死者からエネルギーをもらうまでに「進化(?)」しています。
で、ちょっと宗教学者として真面目に考えたのは、こういうガンダムでの「死者との交流(幾分かシャーマニック)」というモチーフは、日本では案外すんなり受け入れられるかも知れないけど、外国ではどうなんだろう、という疑問です(ご存じの方がいらっしゃれば、ご教示願います)。

5)実は、今回見て、僕が一番考えさせられたのは、レコア・ロンドというキャラクターについてです。彼女のようなキャラクターを見ると、やはりガンダムを一度ジェンダー的な視点から分析する必要性を感じますね。まだ僕には用意が無くて、ちゃんとはできませんが。
二十年前に見ていたとき、彼女の行動や性格が判らず混乱したのですが、そこそこ「大人」になってみると、子供っぽい我が儘さとは違う彼女の衝動というものが、何となく理解できてしまったような気がします。ここで問題になるのは、「女として」ということです。レコアは、戦争ばかりして自分を省みないエウーゴの男性(具体的にはシャア)を見限って、これまた女性を道具としてしか見ないシロッコという男の下に居着くことになります。そこで彼女は妙な「安定」を感じるわけですが、その理由を「女として生きている実感を感じさせてくれる」というものだと告白するわけです。ここで唐突に思い出したのが、これまた富野監督の「イデオン発動編」のキャラクター、ハルル・アジバとカララ・アジバです。ストーリーを掻い摘んで言うと、二人は敵味方に分かれて、結局ハルルは妹カララを撃ち殺すのですが(すげー凄惨な話だよな、やっぱり)、その殺害の理由が、女として生きたカララにハルルが嫉妬した、というものでした。愛する人と一緒になり、その子供を身ごもったカララに、それが叶わなかったハルルが感情を爆発させたのです。富野監督の作品では、「女として生きようとする」業の深い女と、それをたしなめる女性(ゼータならエマ)が手ひどい扱いを受けているような気がしますね・・・。「女として(その裏返しで「男として」)」、ちょっと考えてみたいテーマです。

さて、衝撃のエンディングの後、劇場に灯りが点り、帰り支度をしているとき、僕の後ろにいた男の子の集団が感想を言い合っているのを耳にしました。曰く

「これ、要するにファ・ユイリィ・エンドってこと?」

思わず「うまいこというなあ」と思って笑ってしまいました。今まで富野監督の作品では、何度も「バッド・エンド」を繰り返し見てきたからね、たまにはこういうのも良いでしょう。

March 01, 2006

捲土重来を

例の永田寿康議員が提出した「ホリエモンメール」疑惑、結局「大山鳴動して鼠一匹」という結果になりそうです。そういえば、僕の友人、昔永田議員が初当選したときのボランティア・スタッフだったんだよな・・・(彼は今回の騒動をどう思っているだろうか、今度聞いてみよう)。

もちろん、彼の詰めの甘さ、脇の甘さは批判されて然るべきだと思います。僕も正直言って、失望しました(電子メールなんて、一番偽造しやすいものなんじゃないかなあ、と素人考えながら思いましたし)。民主党の現党首の政治姿勢が気に入らない僕としては(僕は「ヘタレ左翼純情派」と自称しています)、これによって党首が退陣を迫られるというシナリオも良いかな、などと思ったりもしましたが、それもなしになりそうです。これもちょっと残念。

さて、僕は実は、永田さんのおっちょこちょい振りをあまり嗤う気にはなりません。逆に、結果的に「勇み足」であったとしても、追求をしなかったよりはまし、と思っています。同様のことは、過去の辻元清美さんにも思っています。二人とも詰めが甘く、本当に惜しまれます。
ですから、僕が野党議員に願っていることは、もっと意地悪に、ずるがしこくなってくださることです。
捲土重来をこっそり期待しています。失望するのも絶望するのも、簡単すぎて気に入りませんから、もうちょっと期待したいと思います。「アホンダラ、もっとしっかりしてくれよ」と歯がみしながら

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