「殺す側」にならないことは可能か?―ホテル・ルワンダの問い
ネット上での署名活動がもとで日本公開が決まった映画「ホテル・ルワンダ」を見てきました(実は、僕も及ばずながら、ネット署名した一人です。)。
昨日同僚のA先生(アフリカをフィールドとする文化人類学者)が「日曜日に夫婦で見てきたんだけど、あれはすごい映画だよ。僕なんか、モデルになったあのホテルに泊まったこともあるから、感情移入してしまってねえ」と熱くおっしゃっていたので、これは急いで見なければと思い、京都みなみ会館に行きました。
この映画の内容及び、素になった凄惨な実話については、公式サイト及び、「ホテル・ルワンダ」公開に一役買った映画評論家の町山智浩氏のこのエントリをご覧ください。
以下では、僕がこの映画を見て思ったことを箇条書きにしてみたいと思います。
1)普通の人ができる「抵抗」
まず感動したのは、主人公のポールの人柄でした。彼は決してスーパーマンではありません。彼は高級ホテルのマネージャーで、軍上層部や外国人など様々なコネクションをもっていたのですが、生き延びるために、彼らに電話を掛け、時には賄賂を送り、様々に知恵を働かせて、あくまでも「加害者側」に加担することを拒否し続けます。果たして我々の何人が、彼のように、多数派かつ加害者側の「特権」を捨てることができるでしょうか(ポールは虐殺を実行した多数派のフツ族の出自でした。妻はツチ族でした)。一番考えさせられたのは、このことです。そしてこのことが、この映画を貫く問題意識だと思います。「自分さえ助かればいい」と決して考えなかった点で、ポールは英雄なのです。
2)「恥」ということ
これを見た人、特に先進国の人間は、映画の中でホアキン・フェニックスが演じるカメラマンのように「恥じ入る」しかないでしょう。ポールは「国連も来ているし、あなた方が全世界に情報を流してくれているんですから、国際社会も我々を見捨てるなんてことはないでしょう?」と問うと、カメラマンは「いや、映像を見て、まあ怖い、といってそのまま食事を続けるだけさ」と自嘲気味に答え、事実、先進国(ツチとフツの対立の基礎を作ったのも植民地政策でした)はルワンダを完全に見殺しにします。
我々はルワンダを見殺しにした、ということをもはや忘れられません。では次にどうするべきか。
上にも書きましたが、ポールのように普通の人として、隣人を殺す側に回らないこと。その決意をするしか、我々の「恥」を雪ぐ方策はないと思います。
なお、前述の町山智浩氏がパンフレットに書いた文章も秀逸です。その全文は、このサイトをご覧ください。
とにかく、重たいテーマの映画ではあります。2時間、見るのがこれほど辛い映画も久しぶりでした。しかし、ご覧になることをお勧めします。

Comments
こんにちは。
(すみません、トラックバックを2回送ってしまいました。)
私も今日観に行ってきました。
Posted by: くろさき | March 08, 2006 at 11:02 PM
くろさきさま(TBは修正しました)
確かに僕の意見は「世界で起こっている虐殺に対して目を開く」事と「身近な問題として考え、自分は何をできるか(何を拒めるか)」ということの中間、といったところでしょうね。
世界中の恐ろしい事件について、全てに通暁することもできませんから、勢い選択的になりますけど・・・。
でも、基本的には、僕も後者のことを考えています。町山さんが挙げているように、一番判りやすい事例が、関東大震災の時の朝鮮人虐殺ですけど。
Posted by: 川瀬 | March 08, 2006 at 11:33 PM
東西大でお目にかかりました院生の浜です。見てきました。ご紹介ありがとうございました。
Posted by: はま | March 13, 2006 at 05:38 PM
浜さん、お久しぶりです。
どういう感想を持たれたか、今度教えてください。
Posted by: 川瀬 | March 13, 2006 at 08:45 PM
ポールは「英雄」なので、
普通な人の私には真似ができないな、と思いました。
何を食べたらあんなグレイトな人になるんでしょうね。
Posted by: 気球 | March 19, 2006 at 10:06 PM
気球さん、形容矛盾っぽいですが、ポールさんは「英雄的な普通の人」なんだと思います。
Posted by: 川瀬 | March 20, 2006 at 05:47 PM
ご無沙汰してます。 お元気ですか? ちょっとTB はらせていただきましたので、ごあいさつです。
Posted by: コンドウ | June 08, 2006 at 01:18 AM