« July 2006 | Main | September 2006 »

August 26, 2006

世界宗教者平和会議出席

本日、国立京都国際会館(けっこう昔に建設されたようですが、立派なものでした)で始まった「世界宗教者平和会議(WCRP)」第8回世界大会に出席してきました(この大会は29日まで)。この集まりはその名の通り、世界中から宗教者が集まり、宗教間対話を通じて平和に向けて共に歩もうという意図の下、組織されたもので、発祥の地は何とのこの京都でした(第一回大会は1970年に京都で開催)。僕は何故か大会本部(日本本部は立正佼成会が担当しています)から招待状(参加費は払いますけど)が来たので、折角京都で行われるし、この目で宗教間対話の現場を見られるなら、と思い参加することに決めたのです。宗教学や平和学で「宗教間対話」の重要性、必要性は嫌ほど説かれてきましたが、実際その「現場」を見ることはほとんどないといっても良いでしょう。故に、この大会は非常に貴重な機会だと思います。
今週の朝日新聞の夕刊にも、この会議に関する記事が出ていたのですが、不安を煽るような書き方で、ちょっと小心者の僕はビクビクしながら会場に向かいました(笑)。まあ、確かにこの数年で、「911」の他にも宗教が絡んでいるテロは数え切れないほど起きてしまいましたし、他宗教の指導者と話し合いを持つだけで「あいつは裏切り者だ」と視野狭窄に陥っている勢力が存在するのもまた事実です。

さて、朝十時半から開会式が始まったのですが、それに先立つ持ち物及び身体検査は、空港でのそれと全く同じの厳戒態勢(金属探知機のゲートをくぐって、体の隅々まで調べられました)。カメラも持ち込み不可、といわれて、結局パンフレットとペンだけを持って入場しました。
僕は少し遅めに行ったら、メイン会場は超満員で既に空席もなく、“It's Greek for me”の英語をたっぷり聞かされました(同時通訳のイヤホンは各席にあるのですが、僕はそれを手に入れられなかったわけです)。で、ぼーっと突っ立ったまま巨大スクリーンを見ていたのですが、あれ、なんかこの5年間ほど嫌になるくらい見たあの白髪の長髪(挑発)の人が現れたぞ。あれは・・・。もうお判りですね。日本国内閣総理大臣小泉純一郎その人でした。僕は事前に知らされていなかったので、ちょっとビックリ。この手の国際会議に政府の偉いさんが挨拶することは珍しくありませんが、ビデオレターくらいが大半だと思っていたので、いきなりのご本人登場は素直に驚いてしまいました(ちなみに晩餐会では、山田京都府知事が来ていました)。で、スピーチ内容ですが、文面を素直に受け取れば、非常にご立派なことをおっしゃっていましたが、言っているご本人が・・・。というわけで、文字通り「話半分」で聞いてしまいました。素直じゃなくて、済みません。

今日は大会の初日ということで、各宗教の指導者層の方々のスピーチが延々続く、といった感じだったのですが、出色のスピーチはヨルダン王国のエル・ハッサン・ビン・タラール王子(Prince El Hassan bin Talal)。この方は、このWPRCの実務議長をされているのですが、アドリブとジョークも交えたenergeticなスピーチでしたが、一番ビックリしたのは「仏教徒の皆さん、ムスリムを代表して、バーミヤンの仏像の破壊をお詫びいたします」とおっしゃったこと(その隣のハターミー前イラン大統領は、王子のスピーチをどう思っていたでしょうか・・・)。あと、恐らくアドリブでしょうけど、小泉首相に対して「日本及びインドは国連常任理事国になりたいのなら、もっと平和構築に貢献せよ」とか、言いづらそうなこともビシビシ言っていました。ちなみに、僕の勝手な印象ですが、各宗教の代表者が何人も登壇してスピーチをしたのですが、一番明確なメッセージを発していたのが、このハッサン王子とボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム共同体最高指導者のムスタファ・セリッチ師という二人のムスリムでした。

昼食はバイキング形式でした。ここで、研究室の仲間だった稲場先生(神戸大)とランジャナ先生(名古屋市大)と合流。あとは小原先生(同志社大)にもお会いしてご挨拶。思った以上に、僕らのような学者が少なく(まあ、主役は実際の宗教界の皆さんですから、僕らはオブザーヴァーに過ぎません)、端っこの方で固まってしまいました・・・。昼食会場で思ったのは、「これだけの聖職服、民族衣装を一度に見られる機会はそうはないだろう」ということ。僕はスーツで出席したのですが、宗教者の皆さんは、それぞれの聖職服を着用し、またそれが実にヴァラエティ豊かなのです。写真を撮れなかったことが本当に残念です。

午後の部では、個人的に好意を持っているハターミー前イラン大統領のスピーチを聴いたりしました(なんか、歴代のイラン指導層では一番「話が通じそうな印象」があって・・・)。
英語が聞き取れない僕は、同時通訳の人に頼りっきりでスピーチを聴いていたのですが、本当に、今回の同時通訳者の方の実力は凄かったです。世界中から来ていて、それぞれの英語(たまにスペイン語の方もいました)も凄く癖(アクセント)があるのに、瞬時に聞き取るんですから。
とにかく、一日中人の話を聞くだけだったのですが、非常に疲れちゃいました。軟弱で済みません。英語だって、パーティー会場で自己紹介くらいしか喋らなかったくせに・・・。

さて、このような国際的な会合では、得てして、きれい事だけの自己満足で終わりかねない、という危険性がつきまといます。実際、フロアからの発言でも「この会議で良いアイディアは出るのに、実行に移されていない」と苦言を呈する人がいたくらいです。でも、殊に宗教に関しては、他宗教(他者)との対話の回路を閉ざしてはいないことを継続的にアピールしつつ、実際の問題にも取り組む勇気ある方の存在を知るだけでも、僕は価値があるように思います。ある出席者が言っていたのですが、「宗教組織と世俗組織は、もっと協力し合わなければならない」との提言は、宗教者だけが集まるこの会議で、常に確認されねばならないことだと思いました。

なお、この大会に関して、開催に先んじて、僕の師匠である島薗進先生が『中外日報』8月12日号にエッセイをお書きですのでご参照ください。

追記:同志社大学の小原先生が、この大会の最終日についてのエントリをお書きなので、こちらも参照してください。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

August 09, 2006

祀られない自由

今日はある市民団体の集会に参加してきました。それは「アジアと靖国神社」と題された集会で、父親が靖国神社にいつの間にか勝手に祀られていることに気付いた韓国人女性李熙子(イ・ヒジャ)さんの「靖国神社合祀取り下げ訴訟」を中心に、韓国・台湾人軍人及び軍属の合祀問題を考えるというもので、僕も短い時間でしたが、朝鮮の植民地支配についての話をしました。
僕が一応植民地期朝鮮の専門家で、且つ靖国問題などにも多少は詳しいということで(大昔、卒論で政教分離裁判について少し調べたことがあります)、白羽の矢が立ったのだと思います。まずは以下に、僕が当日配ったレジュメを転載します。

「朝鮮植民地支配と靖国神社」
川瀬貴也(京都府立大学文学部)

1.植民地期朝鮮における「動員」及び「徴兵」
・総動員体制(戦時期)
国民徴用令施行(1939年)→強制連行問題
「内鮮一体」から「皇民化」へ (ex.)創氏改名開始(1940年)
・志願兵制度
1942年5月閣議決定、1944年実施。しかし本当に「志願」だったのか?(総督府の強制)
「差別からの脱出」というモチベーション(過剰な「日本人化」への志向)

2.植民地朝鮮における宗教
・「寺刹令(1911年)」「布教規則(1915年)」「神社寺院規則(1915年)」
・「内地」延長主義(神社政策)
朝鮮神宮(1925年創建)を頂点とする朝鮮神社界
「神社規則(1936年)」←「神社非宗教論」の徹底
・日本諸宗教の布教(仏教・キリスト教・新宗教)

3.「仕方がなかった」史観を超えて
・「植民地近代化論modernization in colony」と「植民地近代論colonial modernity」
・「慰霊」と「顕彰」
・「戦前」と「戦後」を結ぶ暴力への批判

【参考文献】
宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』未来社、1985年。
宮田節子・金英達・梁泰昊『創氏改名』明石書店、1992年。
姜徳相『朝鮮人学徒出陣―もう一つのわだつみのこえ』岩波書店、1997年。
山田昭次・古庄正・樋口雄一『朝鮮人労働動員』岩波書店、2005年。
姜誠ほか『『マンガ嫌韓流』ここがデタラメ』コモンズ、2006年。
小笠原省三『海外神社史(上)』ゆまに書房、2004(1953)年。
辻子実『侵略神社―靖国思想を考えるために』新幹社、2003年。
菅浩二『日本統治下の海外神社―朝鮮神宮・台湾神社と祭神』弘文堂、2004年。
三土修平『靖国問題の原点』日本評論社、2005年。
板垣竜太「〈植民地近代〉をめぐって」、『歴史評論』654号、2004年10月号。
並木真人「植民地期朝鮮における「公共性」の検討」、三谷博編『東アジアの公論形成』東京大学出版会、2004年。
宮嶋博史他編『植民地近代の視座』岩波書店、2004年。
尹海東(藤井たけし訳)「植民地認識の「グレーゾーン」―日帝下の公共性と規律権力」、『現代思想』2002年5月号。


上記の走り書きのようなレジュメでは判りにくいかも知れませんが、簡単にまとめると、「植民地期朝鮮における総動員体制の実態」、「植民地期朝鮮における宗教政策(及び「国家神道システム」「神社非宗教論」という仕組み)」、そして現在の我々がどのような評価基準で過去を再検討すべきか、という大きく分けて三つの話題をお話ししたつもりです。

僕の後には、靖国裁判の訴訟に取り組んでいる菱木政晴先生から、今後の取り組みについてのお話がなされ(肉親を靖国に祀られたくない人々が集まる「靖国合祀イヤです訴訟」というものを立ち上げようとされています)、韓国の元日本軍人・軍属の裁判を支援して来られた古川雅基さんからもメッセージが述べられました。

まず僕のスタンスを簡単に述べておくと、僕は靖国神社に対する私人としての信仰、個人的な信仰はまったく否定しません。「あそこに戦友が眠っている」「靖国には父が、兄が祀られているのだ」というような感情は否定しようがないからです。しかし、靖国神社側が主張するような、いわば「公共宗教」としてのあり方にはまったく賛同できません。ですから、その流れで、あたかも靖国神社を一種の「公共宗教」と見なして政治家が参拝するのも、賛成できません。靖国の合祀基準については、昔から色々言われていますが、僕は端的にいって、「祀られない自由」を損ねているのが、靖国の最大の問題点だと思っています。「祀られたい人」及び「祀りたい人」だけが集うのが本来の「宗教」の基本的なあり方でしょうが、靖国自身が、一宗教法人でありながら、そのような「宗教」っぽいあり方は不満であるとの意思表示を続けているのですから、議論は平行線となってしまうのです。

さて、実は今回の集まりでも、89歳になられる方(この方は元海軍兵で、約300人いた仲間のほとんどが死んで、捕虜になって生き残った生還者の方です)から、
「死んだら靖国で会おう、というのはやはり合い言葉だった。だから私は、戦友のために靖国に赴く。私は現在の靖国神社のあり方にも賛同しないし、A級戦犯たちには頭を下げないが」
との発言があり、その言葉や思いというのは、非常に胸に迫ったのです。僕はこのような個人の靖国への思いを、もっと靖国側も汲み上げる努力をするべきだと思います。ある形式、ある思想を持たない限り寄せ付けないような態度を執りつつ「全国民的」であることはもはや不可能と思うからです(個人的には遊就館に代表されるような靖国の歴史観そのものが間違っていると思っていますが、それはさておき)。

戦争が終わって60年以上が経過しましたが、我々はまだ多くの「負債」を継承しているのだなあ、との思いを、今回の集まりで新たにしました。
好きなものだけ継承するわけにはいきません。負債も借金も相続しなければならないのです。つらいことですが。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

« July 2006 | Main | September 2006 »