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September 21, 2006

「踏み絵」としての日の丸・君が代

入学式や卒業式で、日の丸・君が代を強要し、従わなかったことにより処分されたのは不当として東京都立の高校の教職員が起こした訴えは、とりあえず東京地裁では勝訴を勝ち取った。「左」側の人間として(笑)、まずは嬉しいと思うが、実は僕はこの判決にちょっとだけ違和感を持っている。

判決理由は、「日の丸・君が代はかつて皇国思想、軍国主義の精神的支柱とされてきた歴史があるから」その強要はよくない、という論理構成になっている。確かにそれはそうだろうが、僕はもっと身近というか、「俗っぽいもの」としてこの裁判を捉えている。

このブログでも何度か言及したかも知れないが、この「日の丸・君が代」問題は、基本的に「踏み絵」の構造を持っている。日の丸・君が代そのものを尊重するかどうかが問われているというよりは、そのような命令を出す人間、すなわち校長などの管理職や自治体の教育委員会などの「お上」に従順か否かということを確認する「踏み絵」として使われているだけだと思う。そこが非常にいやらしい。国のシンボルという、なかなか否定しがたいものを正面に据えて、国のシンボルに従わないというのは、私にも従わないことと同じだと言い募るその心根が、腹立たしいし、いやらしい。

であるから、僕などは都の教育委員会の言い分などは、「俺の酒が呑めねえっていうのか」と宴席で絡んで、後日、酒を拒んだ部下をいじめたり、降格させるようなものと同質のものに見える。つまり、強要する側に、思想的な深みが全然感じられないのだ。
今回の判決は、訴える側も訴えられる側も、それなりに思想的なバックボーンがあるものとの仮定で進められていると思う。確かに訴えた側はそうだが、訴えられた側はそんな上等なものはなかった、というのが僕の見立てである。だから「負けるだなんて1%も考えていなかった」などという愚かな発言が出てくるのだ。

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Comments

大変おもしろい見方で考えさせられます。つまり、思想的議論が背景にあるのではなく、いじめっ子といじめられっ子の感情的対立があるのであって、しかも双方そのことを自覚することもないわけですね。

しかし、新聞記事だけから察すると、裁判官の言う、「日の丸・君が代の軍国主義的シンボルという歴史的事情を考慮すると、個人の思想信条の自由から都の条例に従わないことも止むをえない」のが本当なら、日本は早速新しい国旗と国歌を制定したほうがいいし、少なくともそのような議論を開始するべきだと思います。このままでは、次のオリンピックで日本は一体、国旗と国歌をどうするのかと本気で心配してしまいます。

国旗や国歌が個人の思想信条でどうとでもなる国はアナーキーな国でありましょう。

生まれてみたら日本という国だった。どんな国かと考えもしないが、日本にいるから日本人か、俺は。「しかし、よー、俺はこんな国に産んでくれと頼んだわけじゃないぜ。日の丸が何だ、君が代がなんだよー。俺らにゃカンケーねーっつーの。寝転んでいようが旗に尻を向けようが俺らの自由じゃねーか、エッ。お偉いさんよ。」

このような教師に今の日本の大事な子供たちが育てられているのですね。

ところで、アメリカの全ての学校は星条旗を掲げなければなりません。建国の事情が、日本とは違うことによりますが、アメリカにある日本人学校も例外ではありません。ちゃんと星条旗を掲げています、そして隣に日の丸も。

星条旗と共に自国のあるいは母国の旗を掲げるのは自由です。個々の州にそれぞれ Flag Law はありますが、その上位にある連邦法(The Federal Flag Code)の定めにより、あらゆる学校は星条旗を掲げなければなりません。実はこの法は、ほとんどが具体的な掲揚の場合とその方法(作法)を述べているだけで、尊重し敬う(respect であって決して worshipではありません)方法はあまり定めておりません。国歌が奏される間、右手を胸に当てて旗を見上げていてもいいし、目を閉じて頭を垂れていてもかまいません。

アメリカ人は(今でも帰化した一世は特に)国旗や国歌に特別の思いを抱いています。自分(たち)の国だという思いです。この国では、イスラム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も仏教徒も安心して暮らせるという建国の理念があります。国旗は上記の連邦法で “liberty and justice for all” のシンボルと規定されています。

さて、大事なことですが、「踏み絵」は踏むなとパードレが教えたのではありません。むしろ、“踏め!”と教えたのです。もっと大切なことのために。

自称「左」の川瀬先生へ
自称「右」の Waterman より(私、飲めません。)

Posted by: Dr. Waterman | September 22, 2006 at 01:55 PM

たかが国旗・君が代ごときに反抗するより、もっと大切な職務は無いのですか?と、原告の方々に問いたいなあ、と思いながらニュースを見ていました。


私の出身地である香川では、国旗・君が代でもめる話は全く無かったんで、この手の話はいまいち理解しにくいです。地域によって温度差があるんでしょうね。

原告の教職員の皆さんの反抗ぶりは、「上司から勧められた酒を断る部下」というより、「豚を食することを断固として拒むイスラム教徒」のように見えました。

「彼らはいったい何故ここまで必死なのか」と不思議で仕方がありません。というのも、私の知っている教員は、個々にいろいろ不満を抱えながらも、「お上」の言うことには素直に従うような穏健な(日和見な)タイプばかりでしたから。

彼らは何故この問題に限り全力で抵抗するんでしょうか?少なくとも私には、彼らは自らの(宗教的)信念のために戦ってはいても、生徒のために戦っているようには思えないです。(例えばいじめ問題や生徒の家庭の問題、学力低下の問題の解決にも彼らは同じくらい全力尽くせるのでしょうか。そして必要あらば「お上」に逆らえるのでしょうか。)

無論、上記のことは私の一方的な偏見であることは承知しています。なにせ、そういった方々と対話したことは一度もないんですから。

さらにいえば、私は教育委員会側に与しているわけでもありません。彼らのやり方は、暴力的であり、川瀬先生のおっしゃるとおり思想的な深みがあるとは思えません。
ただし、教職員側にもそれがあるとは思えませんし、たまたま今の力関係でこうなっているに過ぎないと考えています。ようするに中立のつもりです。

要約すると「どっちもどっち。そんなことでいがみ合うよりもっと大切なことは無いのかな?」です。

もしよろしければ、国旗・君が代を拒否しなければならない理由や思想的バックボーンを教えていただけないでしょうか?(参考になるサイトとか文献とかも教えてくださるとありがたいです。)もう少しこの問題を深く考えてみたいと思っているので。


最後に自己紹介を。私は去年の後期で大阪大学で川瀬先生の授業をとっていた者です。

Posted by: S.H. | September 23, 2006 at 06:33 AM

Waterman先生、S.H.さん、コメントありがとうございます。
まとめてお返事させてください。

>日本は早速新しい国旗と国歌を制定したほうがいいし、少なくともそのような議論を開始するべきだと思います。

本来は、戦争に負けたときにそうするべきだったと僕も思いますが、結局こうしてズルズル来てしまいました。僕はエントリに書いたように、日の丸・君が代の来歴そのものも気に入りませんが、どんな旗であれ、どんな国歌であれ、上から「踏み絵」として使用されるなら一緒だと思っています。僕が問題にしたいのはそのことなのです。

僕自身や、恐らくS.H.さんのような比較的若い世代は、戦前の日の丸・君が代の来歴を理由に拒否反応を示すというそぶりに、なかなか感情移入できなくなっていると思います(S.H.さんがイスラームの豚禁忌の例をアナロジーとしてあげていましたが、背後の合理的な理由がない禁止を我々は「禁忌」と呼ぶわけで、まさに原告側の理屈が届いていない証左だと思います)。ですから、来歴を理由とした判決に、「そのままだと、賛同者がますます少なくなるだろうな」と一抹の不安を感じてしまうわけです。僕が思想信条の自由もさることながら、この問題を一種の「ハラスメント」と捉えたいのはそういう理由からです。

あと、原告側の教師は、「国なんか知ったことかよ」という考えの人々ではない、と僕は思っています。そんな人なら、却って国歌斉唱の時は口パクだとか、面従腹背の方法をとるでしょう。それすらも許されない環境を作り出しているから、問題となったのです。

>少なくとも私には、彼らは自らの(宗教的)信念のために戦ってはいても、生徒のために戦っているようには思えないです。

これは、今目の前にある問題を優先させるか、来るかも知れないことの防波堤になろうとすることを優先させるか、という優先順位の問題でしょうね。
どっちも大事、としか僕は申し上げられません。
そして、「お上」に逆らったので自分が不利益を被っていることは、目の前の現実なわけです。僕は原告を上記のような文脈で批判しようとは思いません。

>要約すると「どっちもどっち。そんなことでいがみ合うよりもっと大切なことは無いのかな?」です。

僕も同感です。
でも僕は、こういう場合には教育委員会の方に「ショーもないことで喧嘩せず、いじめ問題やゆとり教育問題に対して全力で対処しなさい」という命令でも出して欲しいところですね。強力なお上の権限を持っている側と宮仕えの立場の人間を並べてどっちもどっちというのは、一見中立的に見えますが、力の不均衡を見落としていると思います。

>もしよろしければ、国旗・君が代を拒否しなければならない理由や思想的バックボーンを教えていただけないでしょうか?

「拒否する論理」としては、今回の判決文にあるようなことと思えばいいと思います。あと、戦後すぐに「教え子を戦場に二度と行かせない」というスローガンが良く唱えられましたが、その際、ある意味分かり易い行動としては、戦前の意味を引きずったままの日の丸・君が代を拒否することがその第一歩となったということがあるでしょう。

あと、S.H.さんお尋ねの有益なサイトや書籍ですが、今ちょっと思いつきません。あと、僕が知っているのは思いっきり「左」がかったものなので(それに同調していないというのは、今まで述べてきたとおりです)、ちょっとご自身で探してみてはいかがでしょうか。原告側のホームページ(支援者なども含む)などはたくさんあるでしょうし。

最後に、僕の言いたいことの大部分を代弁してくれているページもありますので、ちょっと参考までに。
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20060923/1158980242

Posted by: 川瀬 | September 23, 2006 at 05:17 PM

 御久しぶりです。
 このニュース、やはり取り上げていらっしゃいますね。

 やはり、言いたいことの大部分は hatena のリンク先にあるような中身ですが、こういうことがあるとやはり、大学での人文学の存在は重要だなと改めて思いますね。
 都立大学の時もそう感じたのですが、(簡単化によるデフォルメを経た表現ですが)それなりに考えている現場の人間VSまともな思想があまり無い管理サイドという“闘い”ですよね。今回の件も。とはいえ、大阪や広島など全国で今後訴訟が発生した際に、今回の判決は何らかの影響力は持つでしょうね。
 学問としての哲学や歴史学、及びそっち方面の関係者の方々は、こういったときにこそ活躍して欲しいものだなと思います。自由とは何か、幸福とは何かを世に問い、社会の同意形成や秩序維持のための作業の方向性を考える上での縁(よすが)になりますから。
 甚だ簡単ですが、これにて。

Posted by: 横山 雅俊 | September 24, 2006 at 10:19 PM

横山さん

>大学での人文学の存在は重要だなと改めて思いますね

身の引き締まる思いがしますね。何らかの「防波堤」に僕もなれれば、と思っているのですが…。

教育という、元々強制を伴う現場だからこそ、どこかに「ゆとり(ゆとり教育にあらず)」を作らないといけないのに、そういうものは目障りなんでしょうね。教育委員会が理想とするのは、冗談ではなく、自分たちが「将軍様」として扱われる「北の国」なのかも知れません(笑)。

Posted by: 川瀬 | September 25, 2006 at 01:08 AM

>教育委員会が理想とするのは、冗談ではなく、自分たちが「将軍様」として扱われる「北の国」なのかも知れません

A: 「知れません」ですから、断定ではありませんが、推測・推定としてもどのような根拠があるのでしょうか。

B: また、(1)東京都の教育委員会ですか、それとも(2)他所の、あるいは(3)教育委員会全体(もちろん論理学的「全体」ではなく教育委員会は「一般に」の意味ですが)を指しておっしゃっているのでしょうか。

ついでながら、「将軍様」と「北の国」は比喩でしょうから説明の労をとっていただく必要はないと思います。私は日本の教育と教育制度についても関心を持っていますので、上記のAとBについて学びたいと思いました。勝手なお願いですみません。

Mark W. Waterman, Ph.D.

Posted by: Dr. Waterman | September 25, 2006 at 10:48 AM

いけない、いけない。Postしてから読み直したら刺激的な口調の質問でした。実は、こんなことがこちらでもありました。

9月の新学期、私ら教員がある書類に署名させられました。

それはAcknowledgment(Agreementではありません)でした。これは Faculty Handbook (Personnel Rules and Regulations for Faculty and Staffではありません)をちゃんと読んだという確認の署名です。

私は法律に暗いわけでもでもないので読むなり苦笑(こころは爆笑)してしまいました(近くの兄は弁護士、近くの甥は判事という環境にあり、私も法律は多少齧っているつもり)。AgreementやContract(雇用契約)なら双方の同意が必要だが、Faculty Handbook を読んだという確認 acknowledgment なら、契約違反と言って争うこともできません。しかし、雇用者側(学校側)はちゃっかりと教員に規則を周知徹底できるという実があるのです。

私は、学校側がこれを悪用するかもしれないというさしたる根拠(ココです)もないし、またそうなったら辞めてしまえばいい(安易かなあー)と署名しました。また、実際、署名しなかったら首でしょうね。

以上のような体験を踏まえての、日本の教育事情に関する上記の質問でした。そういえば、日本の大学教員の就業規則・雇用契約はどうなっているのでしょう。

Mark W. Waterman, Ph.D.

Posted by: Dr. Waterman | September 25, 2006 at 11:43 AM

Waterman先生
「左」の僕の被害妄想なら幸いですが、地域や都道府県の差はあれ、教育委員会は基本的にお上として、日の丸・君が代をやはり「踏み絵」というか、リトマス試験紙として用いていると思います。現在、東京都は、例の都知事がトップですので、一番目につきやすいんですね。

教育委員会の圧力を示す代表的な事件として思い出すのは、広島県の高校において、教育委員会と教職員の板挟みになった校長先生が自殺してしまった、ということがありました(確か、この先生はあとで「労災」認定された、と思います)。日の丸・君が代に対して「どちらにも理がある」と悩んだのだと思います。このように「どちらにも理がある」と悩む人の存在を許さない構造を、僕は問題にしたいと思っているのです。

あと、これは印象論ですが、北朝鮮に強硬路線を採ることを支持する人と、日の丸・君が代の式典での遵守を唱える人は重なっていると思います。敵を憎むあまり、敵に似てしまった、というべきでしょう。「敵」の過剰な愛国心を非難する人が、自国の愛国心には点が甘い、というダブルスタンダードが目立ち、僕などはそこにいらだっているわけです。

>私は、学校側がこれを悪用するかもしれないというさしたる根拠(ココです)もないし、またそうなったら辞めてしまえばいい(安易かなあー)と署名しました。また、実際、署名しなかったら首でしょうね。

さしたる根拠がなくても、予防的にそれに反対する、というのが今回の裁判だと僕は思っています。まあ、予防と言うよりは、現に処分を受けている人々が起こした裁判ですけど。
僕自身は、何らかの書類にサインした、という記憶があまりないのですが、採用の時に一筆書いたかも知れません(いいかげんなものです)。公務員、もしくは大学教員としてしっかり働きます、という書類にはサインしたかも知れません。私立大学だと、もっとえぐい契約書もあるかも知れませんが、僕自身は知りません。

簡単ですが、こんなところで。

Posted by: 川瀬 | September 25, 2006 at 12:55 PM

確かに「簡単」でしたが、お忙しいのにご回答感謝いたします。簡単とは次のことです。

>このように「どちらにも理がある」と悩む人の存在を許さない構造を、僕は問題にしたいと思っているのです。

こういう頭のいい punch line で締めくくられると、私も思わずA+と点を付けてしまうことがあるのですが、やはり冷静に読むとA-です。(もっとも、この後の展開によってはAまたはA+に戻るのですが。)

その前に。そういうことが広島県であったのですね。非常に気の毒なことだと思います。適切な助言者がいなかったのでしょうか。そういうことがないように川瀬先生にお願いします。これは私の論点と重なります。

「構造」とは何でしょうか。すべてが構造のせいであれば、responsible な生身の人間が消えてしまいます。疑似科学的な学問や理論は皆、構造のせいにします。川瀬先生がおっしゃるように、確かに、教育委員会にも理があり、現場の先生方にも理があるのでしょうが、反対に、気の毒な校長に指示した教育委員会には理不尽があり、死ぬまで校長を突き上げた現場の先生方にも血も涙もない行動があったと言えるのではないでしょうか。

人文科学(the humanities)は、人間の学問でなくてはならないでしょう。構造の中には、実は一番気の毒な校長先生の無念な姿が見えてこなくなりますし、児童・生徒の姿は尚更です。主義主張で相手が死ぬまで攻撃して手加減を知らないのは犬畜生です(おイヌさん御免)。また、主義主張で自ら命を落としたりしないように、これからの若者(先生の学生さん)を大事にしなければならないとすると、余所に相談したり頼るすべをも教えなければならないでしょう。事象の陰にある歴史や思想を学ぶことも大事ですが、そのことを重視する余り(生真面目すぎて)矛先を変えて自分をまた命を守る術を忘れては悲劇です。川瀬先生みたいにスチャラカ教員でかまわないのですから、踏み絵なんてただの偶像、踏んじゃえ踏んじゃえ(あっ、また怒られそう♪)。

それから、先生、
「左」はお酒だけにして、教育現場では余り主張なさらないほうがいいと思います。先生の立場が鮮明すぎると阿る学生がでてきますよ。意見がそちらのほうに流れていくと、学生は考えることを止め、馬鹿になります。意外とそのことに、先生は気づかないものです。

(川瀬先生、ブログ更新しておりますのでよろしく。先生よりナンパなエントリーばかりですが。その後、3通のコメントがありましたのでしばらく続けます。←私信)

Mark W. Waterman, Ph.D.

Posted by: Dr. Waterman | September 26, 2006 at 03:48 AM

Waterman先生、ちょっと僕も言葉の選び方が軽率でしたね。
確かに「構造」といってしまうと、変更不可能な感じがしてしまいます。「構図」くらいのライトな言葉の方が良かったかと今では思います。

広島の事件は、校長先生が普段日の丸・君が代に対して、取り立てて何らかの見解を持っていなかったことが悲劇の原因だと僕は思っています。
それと、日の丸・君が代は、単に国家のシンボルというにとどまらず、それを受け入れるということは、教育現場においてお上から不当な(ここの判断が難しいのですが)介入を招くいわば「蟻の一穴」と見なされている、という問題があります(それを「考えすぎ、杞憂だ」と思うか思わないかで意見が分かれているわけです)。

>「左」はお酒だけにして、教育現場では余り主張なさらないほうがいいと思います。先生の立場が鮮明すぎると阿る学生がでてきますよ。

ここは一つ僕も申し上げたいのですが、僕は「左」という立場からものを見る、というより、納得できる歴史観とかが、現在では「左側」もしくは「リベラル」と呼ばれているだけだと思っています。大体、マルクスのマの字も知らない僕が自称「左」と言わねばならないことがおかしい、と自分でも思っているのです。
講義において、なるべく色々な意見を紹介したり受け入れたりはするつもりですが、中立であることがいつの間にか抑圧側に荷担している(かもしれない)ということには、可能な限り敏感でいたいな、と思っています。
阿る学生ですか。確かにそういう傾向があったかも知れませんが、最近は果敢に僕に対して「言い過ぎではないか」とレポートで書く学生もおります。そして、彼・彼女の論述に見るべき点があれば、僕は彼らのレポートに「優」を付けているはずです。要するに「右」だろうが「左」だろうが、考えているレポートにはちゃんとした成績を付けております。しょーもないリヴィジョニスト的なレポートはまだ幸いにしてお目に掛かっていませんが。

Posted by: 川瀬 | September 26, 2006 at 05:24 PM

>いわば「蟻の一穴」 ←>印を使ったこの引用の仕方は、川瀬先生に教わりました。

このことは教育委員側も同じ思いなのでしょうね。日の丸・君が代拒否の放置から教職員の規律が乱れると。

困った困った。争いを好まない(つもりの)私としては、「~主義などという偶像で、死ぬなよ、殺すなよ」と再度お願いしてこの問題のコメントを終えます。川瀬先生、皆様ありがとう。

>彼・彼女の論述に見るべき点があれば、僕は彼らのレポートに「優」を付けているはずです。

それは当然です。川瀬先生は、そうであると思うからこそ、私はこのブログにコメントさせていただいています。どうしようもない人のブログでコメントするほど、私も暇ではありません。そして、先般の私のA+、A、A-の基準もそのつもりです。

ただし、(かつて先生が私にご紹介くださったエントリーを念頭においていますが)左だとか、リベラルだとか、右だとか、先生が一々言う必要がないことも確かです。アメリカほど成績に拘らない日本なので幸いということはありますが、やはり先生のことは「権威」と思う学生が少なからずいるわけですから、その辺りに細心の注意を払うことも大事だと思います。

雰囲気変えて>>>

「女について掘り下げる」なんてすごいタイトルですね。楽しそうで結構です♪♪♪

MWW


Posted by: Dr. Waterman | September 27, 2006 at 02:04 AM

私は、小中学校で36年勤務し8年前に定年退職した人間です。学校に勤めていた時に、国旗や国歌について特に考えたことは一度もありません。生まれたときからの自国の国旗、国歌と何の抵抗もなく信じていたからです。敗戦の年に小学校に入学した自分は親族の戦死、敗戦前後の日本の窮乏生活など、子どもなりにつらい経験をしました。そして、中学生、高校生と成長する過程で、自国のめざましい復興を身に感じながら育ちました。そんな自国〔国旗も国歌も〕を今でも誇りに思っています。
日の丸と君が代についての問題について知ったのは、息子の高校の入学式の折りでした。国歌斉唱のときに先生の数人が起立しないのに驚きました。親子晴れのお祝いの式だというのに学校の先生が何と失礼なことか、と内心不愉快でした。
確かに、平和の大切について教育することは大切です。しかし、入学式や卒業式で起立しない、歌わないというのは、平和教育とは何の関係もないといって良いと思います。それのみか、子ども達に人間としての非常識な行為を身をもって示してみせたとも言えましょう。私はその時の気持ちを15年経過した今も忘れません。
教壇に立って毎日生徒を指導しているのだから、そこでの教育で平和の大切さを全力で教えるのが本筋でありましょう。保護者〔納税者〕と子どもの一生一度のお祝いの席で無礼な行動をして平然としている先生は、教師の資質に欠けているとも言いたくなります。勿論、そんな先生方の中には、人一倍平和教育に対する熱意を持ち日頃指導をされている人もおられるでしょう。しかし、それとこれとは別です。入学式、卒業式の席での無礼は私は決して許す気にはなれません。

Posted by: kounit | October 16, 2006 at 08:59 PM

kounitさま
コメントありがとうございます。どなたかがこういうコメントを書き込むのではないか、と思っていました。確かに「晴れの舞台」に対しての無礼な振る舞いと感じるのは判ります(私事ですが、僕も大学の入学式の時、保護者式に紛れていた運動系の学生がそれこそ「日の丸反対」「入学式粉砕(?)」と叫んでビラを二階席からばらまき、警備員に捕まったのを目撃して「もうちょっと上手いアピールをすればいいのに」と思った記憶があります)。

さて、僕はエントリや上記のコメントでも少し触れたように、この「日の丸・君が代」問題を、平和教育をめぐる問題と言うよりは、(パワー)ハラスメントの文脈で捉えています。それ故に、そういう行動に出てしまう教職員の方に「同情的」になってしまうのは否めません。
確かに入学式・卒業式を「ぶちこわし」にしてしまうのは避けるに越したことはありませんが、最近の某自治体の教育委員会の「魔女狩り」のような様相も、決して誉められたものじゃないと思います(処分をちらつかせたり、来賓の「歌声」までチェックするなど)。
確か、福島県だったと思いますが、80年代のあるとき、必ず日の丸・君が代を卒業式では掲揚・斉唱するようにとの指導があり、それまで実施率100%だったのが90数%に下がったという笑えない話を聞いたことがあります。
国家・国旗への敬意が自然なものなら放って置けばいいし、それがなくても厳粛な式は執り行えると思います(それこそ先生と生徒の力量が試されますが)。
ちょっとまとまりませんが、お返事まで。

Posted by: 川瀬 | October 17, 2006 at 12:50 AM

 簡単に。
 敢えて道徳の文脈から論じようとするなら、特定の思想信条に従わない者を非道徳と勝手に決めつけること、及びそれを公務員の職務と勝手に結びつける行為そのものが問題なのです。それゆえ、ある特定の思想信条が国家の行く末をつかさどるもののそれと結びついたとき、それが絶対普遍に正しいと決めつけることにつながり、その決めつけ自体が結論先取りで議論になっていない(だから一見失礼に見えたりする)わけですな。
 それにしても、この手の話一般に多く見られる傾向ですが、論拠を追及する姿勢を裏打ちする知性というものに対して、軽侮が認められるというのは何故でしょうね?(少なくとも、それを認めるのは高々形式的なものに過ぎない;今日現在の最新の記事においてをや)

 まぁ、政策批判を超えた行動に僕も飢えているので、科学哲学にせよ政治哲学にせよ平和学にせよ教育哲学にせよ、実践的行動と思想的な裏打ちとを結びつけた話を、どなたかにして欲しいなと思うのですがね。

Posted by: 横山 雅俊 | October 23, 2006 at 08:13 PM

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 今月の21日、東京都教員にたいする日の丸・君が代に関する服務命令違反処分が、「憲法・教育基本法違反である」とする判決がでた。 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が都教委な... [Read More]

Tracked on September 25, 2006 at 07:51 PM

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