« 世界宗教者平和会議出席 | Main | 「踏み絵」としての日の丸・君が代 »

September 03, 2006

「ガーダ パレスチナの詩」を見る

今日は、ある市民団体の主催する上映会に行き、ジャーナリストの古居みずえ監督のドキュメント映画「ガーダ パレスチナの詩」を見ました(ちなみに、書籍にもなっています)。
これは、自分の取材の通訳をしてくれた女性ガーダを、古居監督が12年の間ずっと撮ったフィルムで構成されたもので、比較的平穏な時期に結婚したガーダが、2000年の第二次インティファーダ(パレスチナ側の抵抗)を経て、一人の知的で開明的なパレスチナ女性が、自分のなしえる「戦い」とは何か、ということを考える過程を追いかけたもの、と要約できるかと思います。

以下は、内容紹介を含みますので、これから白紙状態で見に行きたい方はごらんにならないようにお願いします。

さて、まずガーダ、という希有なキャラクターに古居監督が出会った、という幸運を、観客たる我々は感謝しなければならないと思います。
ガーダは、リベラルな父親や親戚に囲まれ、比較的自由な雰囲気のもとで勉強に励み、イスラエルによるガザ地区の封鎖により大学には進学できませんでしたが、教員養成学校を出て、教師として働きつつ、堪能な英語で通訳もこなすという女性です。
そのような彼女ですから、古い因襲、とりわけ女性を抑圧する習慣には真っ向から反対し、この映画は、彼女の結婚式をめぐって家族、姑と衝突するところから始まります。彼女は伝統的な結婚式や、初夜のシーツという「処女の証拠」を見せびらかすような儀礼は「人の作ったものは変えられるはず」と拒否します。
彼女は理解ある夫に恵まれ、二人の子を授かり、大学に入り直すなど「新しい女性」としての生活するのですが、2000年の第二次インティファーダにおいて、親戚筋の13歳の男の子が射殺されるという事件に遭い、彼女は非常にショックを受けます。それまで、パレスチナ社会の内部で、古い因襲と戦ってきた彼女は、1948年(いうまでもなく、イスラエルの建国年です)に故郷を追われた自分の祖母世代の女性たちの聞き取り調査をして、パレスチナ難民の苦難の歴史を書き記すことを、「新たな自分なりの戦い(字幕では「戦い」とありましたが、使われていた単語はstruggleでした)」と位置付け、その作業に没頭していくことになります。古居監督も彼女に同行し、ガーダの祖母や、インティファーダ後に家や農地を破壊された老女たちに話を聞きに行きます。
この映画は、女性である古居監督が、ガーダの実家の台所から撮影をスタートさせたように、パレスチナのいわば私的な空間を撮ったものです。そこでの女性たちは、日本人が想像する以上にたくましく、笑い、歌い、快闊です。そして、その女たちが笑いさざめく台所の壁に向かって、イスラエルの監視塔からの威嚇斉射がおこなわれたりもするのです。その「日常」(子どもたちは、銃声くらいではびくともしなくなります。そして、その機関銃の音が響く中で、彼らは祈りを捧げます)を思うと、何もできない極東の住民である僕も、胸が痛みます。
この映画のガーダ以外の登場人物で、一番僕の印象に残ったのは、自分の農地を根こそぎイスラエル軍に破壊され奪われる夫婦(アブー・バーシムさんとウンム・バーシムさん)です。このおしどり夫婦は、互いの愛情を表現する詩を交わし合い、客人であるガーダや監督に鳥料理を振る舞ってくれるような、親切な「隣人」。そのような「普通の人」の生活の一切を破壊して、「神に約束された地」の領域を広げようとするイスラエル。もちろんイスラエル側の言い分はあるでしょう。でも、イスラエルはこれ以上、パレスチナの占領を推し進めるべきではありません。恨みの連鎖、虐殺の連鎖をどこかで止めなければなりません。いま、イスラエルは自らが作り出した「敵」の影の大きさに怯えている状態なのだと思います。
ガーダは最後に、「私が祖母たちの記録を取ることも、祖母たちが歌うことも、インティファーダで投石することも、それそれの戦い(struggle)なのだ」というような言葉を述べます。僕は、例えばこの日本において、どんな「それぞれの戦い」をしているのか、考えさせられました。

なお、古居監督は上映会に来る予定だったのですが、レバノンへ取材に行くことになり、急遽ビデオレターでの出演となってしまいました。僕の友人である綿井健陽君も、この前何とか無事にレバノンから帰ってきてくれました。綿井君も「Little Birds」という映画を撮りましたが(僕の感想はこちら)、古居監督もこのような素晴らしい作品を届けてくれました。近くで上映があるときは是非ご覧ください。

|

« 世界宗教者平和会議出席 | Main | 「踏み絵」としての日の丸・君が代 »

Comments

百年ほど前のパレスチナの写真を見ていますと、オスマントルコ風の特異な雰囲気も見受けられるものの、圧倒的に多い心優しいイスラム教徒の間で、ユダヤ教徒もキリスト教徒(土着のキリスト教徒は今でもアラビア語で礼拝を持つ)も、のどかに平和に暮らしていた姿に胸を打たれます。宗教に携わっている者の一人としての見方であって、違う見方からは違う判断も可能でしょうが、宗教そのものが直接的に政治な諸々の紛争(struggles / die Streite)の原因になったのはむしろ稀であり、狂信者が政治的にこじつけているように思っています。

ところで、

川瀬先生のブログでいつも感心することは二つあります。一つは、記述が丁寧でよく分かること。よく他のブログで見かける詩的な表現や、あまりにも私的な話題で当惑することもなく安心して読むことができます。二つ目は、教師という立場から若い読者(先生ご自身も年齢的にはお若いのですが)に押し付けるのではなく、考えさせようとしておられることです。

今回のこの記事でも、川瀬先生のサマリーに引きずられることなく(予断なく)観るようにと助言なさっています。しかし、揚げ足を取るようで申し訳ないのですが、それでも片手落ちと、私には思われました。私なら、こう付け加えます。

「このカメラは、パレスチナの女性を中心にして撮られています。イスラエルにも同様に、古い宗教的因習の中で女権に目覚めたユダヤ教徒の娘が、観光通訳をしながら努力して大学で学ぶうちに、身内がテロの犠牲になった人もいることを想像してください。」

川瀬先生の自覚的な主張であり、川瀬先生の立場の表明であれば致し方ないのですが、そのようなことはないと信じています。

現在のガザ地区(Gaza Strip)やウェストバンク(West Bank)の地割は、イスラエルの独立(1948年)以前に国連が決めたもの(UN Partition Plan)とほぼ同じです。イスラエルは基本的にこの住み分け(政治的住み分けであり、実際の住民は混在)を今も護持しています。

アラブ諸国がイスラエルを攻撃したときのゴラン高原での多数のイスラエルの死者からイスラエルの歴史を学んでも、また逆にインティファーダからパレスティナの歴史を学んでも、どちらもあまり意味はないと思います。自分たちが虐げられたと思うことは、自分たちもしているのです。PLOやHamas内部の争い、ニューズウイークに載っていたガザ地区のギャングの問題などは、イスラエルと直接関係のない重大な問題を示唆しています。

骨董の目利きになる唯一の道は、本物をたくさん見ることです。偽物をいくら見ても本物を見分ける力はつきません。逆に、本物を見続けていると、偽物は自ずと分かります。同様にして、宗教学者は、邪教(恐ろしい言葉で、時には不適切な言葉ですが)ならいざしらず、本物の宗教は平和的であることをもっと知らせるべきではないかとこの頃考えています。テロリストは宗教者ではありません。(勿論、平和的な宗教者あるいは宗教学者は、悪に対しては身をもって抵抗することも教えるべきでしょうが、あくまで基本の後の応用問題です。)

原始、パレスチナの地には、どんな人が住んでいたのか分かりません。5000年前なら、カナン人が住んでいたことは分かります。しかし、カナン人が今のどんな人種と繋がるのかはさまざまの意見があります。その後、イスラエル人が住み着いたといってもこのイスラエル人は人種的には雑多です。西暦70年のエルサレム陥落からローマの支配下に入ったとはいい、いわゆるイスラエル人が皆いなくなった訳ではありません。7世紀から、十字軍時代の一時期を除けば20世紀の初めまでイスラム教政権の下にあっても、ユダヤ教徒やキリスト教徒はいたのです。テロリストや狂信主義者でない限り、皆仲良く暮らしていました。

今も、幸いにして、エルサレムは三つの宗教の聖なる都です。これさえ、百年後の人たちが懐かしがるといった悲しい状態にならないよう守らなければなりません。政治的でジャーナリスティックな行動をする人たちを警戒して行こうと思います。

川瀬先生、勉強になり、考えさせてくれる記事をありがとうございます。出先からでも、一日一度覗いています。繰り返しますが、決して揚げ足取りとお思いくださいませんように。軽薄なブログが多い中で、硬派のブログを楽しませていただくことは喜びです。折角のコメントですから、二、三行で感想を述べるよりも、と思っているうちについつい長くなりました。感謝しつつ、

Mark W. Waterman, Ph.D.

Posted by: Dr. Waterman | September 04, 2006 at 04:09 PM

Waterman先生、いつも丁寧なコメントをありがとうございます。先生のコメントはいつも勉強になります(最近は、僕の先輩である近藤光博先生のブログでも、考えさせられるコメントをお書きでしたね)。

>本物の宗教は平和的であることをもっと知らせるべきではないかとこの頃考えています。テロリストは宗教者ではありません。

まず、Waterman先生がおっしゃるとおり、テロをおこなうのは「宗教者」ではないと思います。テロ行為を後で意味付けするのは宗教ですが(イスラエル兵に撃ち殺された少年は「殉教者」に勝手にされてしまいます。恐らく少年の両親は、殉教者としてパレスチナの旗にくるまれるよりも、生きていて欲しかったでしょうけど)。
日本ではパレスチナ問題を「宗教問題」だとか「宗教戦争」と見る人もいるのですが、これは全くの誤解だと、僕も申し上げます。端的にこれは「植民地問題」です。イスラエル建国のプロセスも、現在のイスラエルの政策も、まさに「植民地問題」だと思います。

この映画、確かにおっしゃるように、パレスチナ側からの一方的な視点から撮られたものであることは否定できませんが、それは監督の方法からして仕方がないかな、と思います。
ただ僕も、イスラエル側にも、古い因襲に押しつぶされている女性や、国民皆兵体制の中で徴兵拒否運動をする若者がいることを、もちろん知っています(イスラエルのような国で徴兵拒否をすることが、どれだけの勇気がいるかは、恐らく日本人の想像を絶しているでしょう)。
僕が思うに古居みずえ監督は「女性」であり「異教徒である」というmarginalな立場をある意味有効に活用し、この映画を撮りました。日本人が中東問題に対して何ができる、という声を聞きますが、僕などは日本人のこのmarginalityを戦略的に使える機会があるのではないか、と思っています。もちろん、その前提として、アメリカと歩調を合わせるような対イスラエル外交を改めなければなりませんが。

この前「世界宗教者平和会議(WCRP)」に出席したので、宗教者の役目というものを、この頃よく考えます。
自らのpositionalityを超えて「仲介者」になる努力を、宗教者は惜しんではいけないでしょう。もっといえば、宗教学者もできれば仲介者になりたいところなのですが・・・。

エルサレムが、その本来の意味通り「平安京(ちょっと無理矢理な訳語ですが)」になる日が来るように、と僕もとりあえず、何に対してだかは判りませんが、祈りたいと思います。

追記:
ちなみに、以前イスラエルとパレスチナの子どもたちの交流を撮った映画「プロミス」の感想も、このブログに書きました。
http://takayak.moe-nifty.com/episode2/2004/06/post_4.html

あと、イスラエルにおける女性差別的な戒律の問題を扱った「純粋なるもの」という映画も見に行きました。
http://takayak.moe-nifty.com/episode2/2004/05/post_10.html

Posted by: 川瀬 | September 04, 2006 at 11:16 PM

ありがとうございます。ご教示の記事、帰ったら早速よませていただきます。

MWW

Posted by: Dr. Waterman | September 05, 2006 at 02:00 AM

二つのエントリーを読みました。感動しました。コメントしたお陰で、自分の生活範囲になかったことを学びました。また、先生のエントリーが長いぞといったコメントもあり、ほほえましく思いました。しかし、そう言った方も、先生の長い記事をしっかりと読んでいらっしゃる。

そういえばレビ記は本来医師でもある祭司の規定ですから医学的な規定が多く、出血に関しては男にも適用されます。水の少ない砂漠での集団生活で公衆衛生(public health)上必要だったのでしょう。また、女性の大まかな地位は、財産相続等でそれほど低くなく、政治の指導者的立場に立った女性も旧約聖書の中で枚挙に暇がありません。

もっとも、レビ記の12章の出産規定の男児と女児の違いは何でしょうか。医学的に説明が付くのかどうか私には分かりません。また、女性は裁判で証人になれないということも、いくつかの証人規定から窺われるだけでなく、後代のラビの解釈(ミシュナー・サンヘドリン3:4)やヨセフスのユダヤ戦記(4.219)の証言に明らかです。

レビ記は「べからず集」ですか。面白いですね。英語で言えば、The Book of Don'ts とでもなるのでしょうか。

「プロミス」は複数形でした(promises)。きっと、双方の約束で、一つの明るい将来性(単数形の promise)に繋がればいいですね。

今日はこちら(USA)の勤労感謝の日(Labor Day)。よい休日の午後のひと時をいただきました。皆様ありがとう。

MWW

Posted by: Dr. Waterman | September 05, 2006 at 08:34 AM

訂正です。

「ユダヤ戦記」ではなく「ユダヤ古代誌」でした。秦剛平先生の和訳がありますね。ただし、この箇所、証人というよりはヨセフスの女性観かもしれません。

ミシュナーには和訳があるかどうか調べていませんが、もしない場合のために説明します。ここでは証人リストに女性の家族関係のリストがありません。

女性のユダヤ教での地位は、川瀬先生がお書きのように教派でも地域でも時代でもそれぞれ違うと思います。ユダヤ教の博物館みたいな地域に住んでいるのですが、いまだに違いがわかりません。

MWW

Posted by: Dr. Waterman | September 05, 2006 at 10:30 AM

Waterman先生
記事を読んでくださり、また感想もお聞かせくださりありがとうございます。
たまたま2年前に、学生たちと一緒に、イスラエル関係の映画を立て続けに見たのですが、その時学生たちが僕に話したのは、「数千年前の決まり事を、どうしてこれほどまでに守らなくてはいけないんですか」という疑問でした。これはもっともな疑問で、聖書解釈でも、「合理的」な解釈をするべきである、という流れは、19世紀からあると思います(自由主義神学から)。それに、最近は女性神学の立場からの、聖書の再解釈も多いですよね。

しかし、宗教というのは、まさに合理的解釈の向こう側にあるものと関わることであるので、「ダメだからダメ」というトートロジーが存在するのだから、そんなに単純なものではないんだよ、と学生には話しました。

でも、パレスチナとイスラエルの対話は、そういう次元から離れたところでおこなわれるべきでしょう。

>「プロミス」は複数形でした(promises)。きっと、双方の約束で、一つの明るい将来性(単数形の promise)に繋がればいいですね。

僕もそう思っています。

追記:なお、ミシュナーは、最近日本語訳が出版されています。
キリスト教出版社の教文館から、
石川 耕一郎 訳/三好 迪 訳『ミシュナ1』2003年
長窪 専三 訳/石川 耕一郎 訳『ミシュナ2』2005年
と、今のところ二冊が訳出されています。僕自身はまだ手に取っていませんが。

Posted by: 川瀬 | September 05, 2006 at 03:12 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/34862/11749675

Listed below are links to weblogs that reference 「ガーダ パレスチナの詩」を見る:

« 世界宗教者平和会議出席 | Main | 「踏み絵」としての日の丸・君が代 »