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November 30, 2006

戦後の「貯金」を使い切るのか?

このところ、政治がらみの話題では、僕にとっては暗くなるニュースばかりが飛び込んできて、気が滅入る。
「教育基本法」改悪問題もそうだが、最近気になっているのは防衛庁の「防衛省」昇格という話題。タウンミーティングのやらせ問題や、いじめ問題をどうするか、という声に紛れて、いつの間にやら民主党まで賛成に回ったので、衆議院を通過するとのこと。暗澹たる気持ちになる。

さて、防衛庁が防衛省に昇格することで、どんなメリットがあるのだろうか。
そのメリットの数々は新聞報道でも多少解説されているのだが(自衛官の士気が上がるなんていうけど、今までの活動や災害救助では上がらなかったのかね?)、僕などは、戦後の日本が、一度も(本当に幸いなことに)海外に出向いて人を殺していないという実績が崩れるのも時間の問題だ、という気がする。要するに、この60年ほど、日本がとりあえず営々と築いてきた(はずの)信頼の「貯金」が崩される、ということだ(そんな信頼など最初からないというなら、話はそれまでだが)。

例えば、僕が日本の隣の某国の国民なら
「日本は確かに自衛隊という欺瞞的な名称の巨大な軍隊を持っているけど、それを取り扱う官庁が、第二のランクっていうことは、軍隊を中心にするような国作りはやらないという意思表示なんだろうな」
という形で、とりあえず「納得」はすると思うし、これまでもそうだったと思う。そのような外国からの視線を捨てるほどのメリットは、この「省」への昇格にあるのだろうか?僕はないと思う。「仮想敵国」の敵意を和らげることができれば、それに越したことはない。無用の火種を作ってどうするのか。
よく「日本はなめられている」という表現がされているが、日本は経済力と政治(外交)力でなめられないようにするだけの力と実績がないとでもいうのだろうか?僕はあると思う。少なくとも、それを模索するのが筋だろう。

闘わずして勝つことが最上と、戦の天才の孫子さえ言ったではないか。
凡人の僕は、この孫子の驥尾に付したいと思っている。

November 15, 2006

失ったもの

松坂投手のレッドソックス入団やら、択捉島沖で大きな地震だ、というニュースと共に、教育基本法改正案が、衆議院特別委員会で与党によって、野党欠席のまま強行採決された。与党はこのまま衆議院本会議に持っていって、そのまま通したいようだ。まあ、それは判っているけど、タウンミーティングのサクラ(しかも謝礼まで渡していた)の事実がボロボロ発覚している最中に、こういう強行採決ができるという神経に、素で驚く。このようなことで驚いている僕がもしかしたら純情すぎるか、それとも与党議員の皆さんを買いかぶりすぎていたのか、どちらかか、もしくはどちらもだと思うが、与党議員各位の神経の組成は、僕の想像を超えていらっしゃるようだ(恐らくワイヤーロープ製の神経だと推測される)。「美しい国、日本」を作るためには、何らかの犠牲(例えば廉恥心)も必要という訳か。

さて、話は急にパソコンゲームに飛ぶが、僕もご多分に漏れず、歴史シミュレーションゲームの「三國志」シリーズ(光栄)が大好きで、何作かをやり込んでいる。大体このゲームでは、君主は自分の領民達の忠誠度を上げるべく、時には食料を振る舞ったり、治安を維持したり、商業を発展させて国を富ませる政策を行わねばならないシステムになっているのだが(そうしないと徴税できなくなったり、時には反乱を起こされる)、僕が今回この強行採決(本会議ではどうなるか知らぬが)を見て思いついたのは「この人達、「民忠(民の忠誠度のこと)」を上げる努力を放棄したな。ゲームの三國志なら農民反乱が起きるぞ(笑)」ということであった(本当は笑っている場合ではないのだが、もうこうなったら、笑いたくもなる。本当に嗤いたいのは、無力な自分だが)。

上記の与党の皆さんは、自分を支持している人以外は、全く視野に入っていないのだろうか。支持者以外の国民が少しでも自分たちに味方してくれるように何らかの手を打ったり、彼らの怒りを回避するべく、偽善でも良いから「(こんな時期に強行採決だなんていう)みっともない真似」はしないでおこう、という気は起こらなかったのであろうか(これは「ええカッコしい」の僕だからこその発想か?)。

この強行採決によって、これから失われるであろう事は多いと思う。僕はそれを心から惜しむ。だが、彼らの失ったものも、また多いのだと思うし、多くなければ(多くしなければ)嘘だろうと思う。

November 09, 2006

教育基本法「改悪」阻止へ

今回は、何も考えず、ベタなタイトルで書きます。
先日、「パブリックコメントって、アリバイ作りだよなあ」という半ば自嘲的なことを書いてしまいましたが、やはり、目の前にある問題をただ黙ってみているのも悔しいので、とりあえず、口出しできるところにはしていこうと決心しました。
というわけで、今回は、現在の安倍政権で持ち上がっている「教育再生」(!)にたいして、パブリックコメントが求められています。少し引用しますと、

教育再生ホットライン~みんなで実現する教育再生~  

教育再生会議では、広く国民の皆様から教育の現状に対する疑問や提案を受け付けております。いただいたご意見は教育再生会議における議論や提言に活かしてまいります。
 ご意見については、様式自由としますが、300字程度以内におまとめいただきますようお願いします。
 ご意見の提出方法は、(1)電子メール、(2)FAX、(3)郵送といたします。電話による受付はいたしません。
 ご意見を提出される場合は、個人は年齢、性別、職業、住所(都道府県のみ)、団体は所在地(都道府県のみ)を明記願います。氏名(個人の場合)、団体名の記載については任意といたします。
 なお、個人や法人を特定できないように整理した上で公表する場合もありますのでご了承願います。また、いただいたご意見に個別に回答を差し上げることはいたしませんので併せてご了承願います。
 皆様からのご意見をお待ちしております。

とのことです。300字程度なので、あまりちゃんとしたことが言えませんが、何でもかんでも「教育基本法」だとか「憲法」とかのせいにして現状打破を訴えるより、30人学級ですとか、教育にお金をかける方がより有効なのは分かり切っています。
というわけで、実効性もなく、危険な部分も含んだ今回の教育基本法「改正」案には、僕個人は強く反対しています。
なお、この度の問題点については、多くの方が言及していますが、とりあえず最近のものとして、保坂展人さんが、名古屋での公聴会(高橋哲哉先生の講演)について書いているこのブログが参考になるでしょう。

November 07, 2006

「聞く権力」か?

このところ「パブリックコメント」というものが気にかかる。
要するに行政側の「ご意見をお聞きします」というやつだが、努力しているであろう行政側のみなさんには申し訳ないけど、どうも「アリバイ作り」という気配が濃厚な制度だ。厄介なのは「聞く方もアリバイ」ならば、「言う方もアリバイ」になってしまうという点。アリバイの共同製作兼共犯関係。それで、言う方(の我々)も徒労感をつい感じてしまうのだ。

パブリックコメントは数年前から、国や自治体がちょっと大きめのことを決定・廃止・改定するときに聞くことがほぼ義務づけられているようだが、正直言ってよく判っていなかった。実は急に関心を持つようになったのは、僕の勤務する大学が法人化問題に直面しており、現在そのパブリックコメントを行政側が求めているからで、先ほど僕も個人名で意見を申し述べた(このパブリックコメントをどうしようかとこの数日悩んでいて、「パブリックコメントって一体何だろう」と思い、色んなサイトを見て回ったのだ)。

まあ、僕の意見が採用されたり、通るとは思わないが(色んなサイトを参照するに、賛成と反対の数や傾向くらいは「結果発表」として出してくれると思うけど)、どれくらい本当に反映されたり忖度されたりするのだろうか。
もちろん、パブコメによって、政策が左右されすぎるのも考え物だ。例えばあるグループの「組織票」によって、ある案件に対して「賛成」が9割を超えた、じゃあ変えちゃいましょうなんてことになると、これまた困る(パブコメではないが、「憲法九条」について問うた護憲派サイトのアンケート結果が、組織票によってねじ曲げられた事例なども僕は知っている)。
また最近だと、教育基本法をめぐる地方公聴会(タウンミーティング)での「やらせ質問(しかも行政側の改革賛成の立場からの)」疑惑もあったりするしねえ(先ほど、内閣府がその事実を認めた。やれやれだ)。というわけで、どうしても住民の声を吸い上げると称している制度自体に全幅の信頼を置けないのだ。

何かパブコメ制度って、ミシェル・フーコーの言っていた「聞く権力」の最終形態のような気がしてきたな。フーコーは、首根っこを押さえつけて言うことを聞かせたり、生殺与奪の権を持つような権力のあり方は古い形態であり、近代以降の権力は、まず様々な装置(学校とか)により「内面化」され、促さずとも向こうから言い寄ってくるような形になってきていると指摘し(それが貫徹できていれば、完璧な「権力」なわけだ)、「殺す」のではなく、「その者の話を聞いてやり」「健康状態などを気遣いつつ生かす」のが近代以降の権力なんだ、というようなことを言っていたと思う(大雑把すぎるまとめですが・・・)。パブリックコメントを書きながら、頭の片隅でグルグル回っていたことは、上記で触れたような徒労感と、フーコーの理論だった。

ちょっと愚痴っぽく書いてしまいましたが、でも数年後の自分に「あの時お前は何もしなかったじゃないか」という風に言われないために、僕も「アリバイ」と半ば開き直りつつ、手の届く範囲でパブコメを含め、コソコソやっていこうとは思っています。

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