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December 23, 2006

沖縄出張その2

Okinawa0612_071 この日の見学はまず、うるま市にある「生天光(せいてんこう)神明宮」というお宮に行きました(お宮、という表現は、ここを作った「光主」ことTさんの表現。新興宗教や宗派ではない、という主張をしています。このTさんも、いわゆるユタだったそうです)。というわけで、ここではわざわざ我々見学者のために、いわゆる「朝の礼拝」を行ってくださり、それを見学させてもらいました。
宗教学者としてクールに扱うなら、神道系の新宗教の一つ、ということになるのでしょうが、沖縄の地元の神や、彼女なりの独特の世界観が渾然一体となっていて、「本土」の神道系新宗教とは一線を画しています。Okinawa0612_080 どうも普通の「神道系新宗教」というカテゴリーには、ちょっと入りそうもないと思いました。その世界観は、僕などが到底説明できるものではありませんが、地球を守らねばならないとか、そういういわゆる「ディープ・エコロジー」的な発想も見え隠れしていました(ネイティヴ・アメリカンとの交流も行っているそうです)。でも、驚いたのが、このお宮、ちゃんと神社本庁傘下に入っているそうです。神社本庁も、思ったより柔軟なのかなんだか知りませんが、素直にびっくりしました。

昼食に沖縄そばを食し、今度は沖縄市泡瀬において、これまたユタの方の儀礼を拝見しました。場所は「泡瀬びじゅる」というところ。地元の方の信仰を集めているところらしく、立派なお祭り道具も倉の中に入れてもらって拝見しました。

Okinawa0612_115 その後は、南風原文化センターにおいて、沖縄出身のアーティストと沖縄の精神科の医者である方をゲストに招いて、【痛みとアートの可能性―「痛み」の臨床と精神文化の諸相を知る】と題されたトークセッションを行いました。これはいわゆる「宗教」的現場では、「痛み」をどのように感じて、どのように解きほぐすかという臨床的な課題というものがあり、それはアートや精神医療にも通じるだろうということで、上記のような方にゲストとして喋っていただいたのです。
話は多岐にわたって、まとめられないのですが、僕が聴き取って印象に残った部分は、沖縄も韓国も近現代史において、拭いがたいトラウマとも呼ぶべき事件を経ているわけですが、それをどのような形で昇華するか、というときに、例えばアーティストの活動(ある場所、ある時間に起きた特殊な出来事が、アートを通じて普遍性を持ち、例えばコザと光州を繋ぐ回路が出来ることもあるかもしれません)や、伝統的なシャーマニズムや神観念を通じた「緩解」への方策が探れないだろうか、という問題提起がなされていたと思います。
通訳の難しさや、沖縄のトラウマの解き方と、韓国における「恨プリ(「恨」を解くこと)」についての差異などによって、なかなか対話が錯綜してしまいましたが、僕が思ったのは「痛み」を完全に除去することが出来ないのなら、どのようにして痛みとともに生きていくか、もっと言えば「軟着陸させるか」ということが重要なのではないか、と思いました。なおこのセッションに関しては、こちらの方の感想もご覧ください。その後はこの会場である南風原文化センターのご厚意で、そのまま立食パーティを行わせてもらいました(たくさんの料理や泡盛まで用意してくださって、感謝です)。

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