Recent Trackbacks

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« July 2007 | Main | September 2007 »

August 22, 2007

小島の夏―邑久光明園訪問

Nikkan2007_032 8月20日から22日まで、二年に一回開催される「日韓宗教研究フォーラム」に参加していました(僕はその日本側の運営委員のひとりです)。場所は岡山県浅口市。金光教の誕生した場所です。二日間にわたる大会は無事(?)終わり、22日は恒例の「見学遠足」です(大体学術大会の後、宗教と関係のある施設を訪問させてもらっています。二年前についてはこのエントリを参照してください)。

Nikkan2007_041 今回訪れたのは、瀬戸内市にある国立療養所邑久(おく)光明園。ここはハンセン病の療養所で、同じ島に長島愛生園があります。ハンセン病は、つい最近まで非常に法律的に理不尽で人権を無視した政策の対象となっていた病気です(らい予防法が廃止されたのは、つい10年ほど前の1996年です。ハンセン病という名称もこの時から正式に使われだしたそうです)。古くは「天刑病」とさえ言われ、宗教的な意味さえ持っていたこの病気ですが、現在は完全に病原菌たるハンセン菌を撲滅する薬もでき、不治の病ではなくなりましたが、いまだに元患者さん(既に体内の菌は消滅しているので、こういう表現が正しい)達はひどい偏見に苦しめられています。障害をもっていたり、故郷に縁を切られてしまったり、高齢化してしまったという理由で、病気がこれ以上進行することがない患者さん達ですが、療養所にNikkan2007_059 ずっととどまっておいでなのです(全国のどの療養所も同じような状態と聞きます)。まずはこの邑久光明院の園長先生から、ハンセン病に関するレクチャーを受けました。先生は細菌学がご専門で、らい菌についても詳しくお話を聞けました。まずこの菌は体温の比較的低いところを好む傾向があり、それが顔、手足と目に付きやすいところに症状が出やすい原因であること、そしていわゆるハンセン病の特徴である体の変形は実はらい菌が原因ではなく、この菌で末梢神経が麻痺してしまうために(この末梢神経麻痺で、まぶたが降りたり手首、足首が曲がったまま、ということは引き起こされますが)、痛覚や温度覚がなくなってしまい、やけどや怪我をしても何も感じず、それで二次感染や化膿によって一部が壊疽を起こしたりといった障害を負ってしまうということだそうです。

Nikkan2007_055 さて、近代東アジアの「救癩」活動は、まずクリスチャンの伝道活動の一環として発足し、後には文明国・一等国を目指す日本の「体面」を整えるために国家が率先して隔離・強制収容を行っていった歴史を持ちます(植民地朝鮮でも、強制的な隔離政策が行われました。全羅南道の「小鹿島(ソロクド)」という島の収容所が一番有名です)。
最初にハンセン病にキリスト教が関わったのは、宣教師達が医師の資格を持っていたり、ハンセン病患者が宗教的にキリスト教で大きな意味を持っていたからでもありますが、その後もハンセン病は宗教と切っても切れない関係を持ち続けました。それを今回拝見しに行ったのです。最初に種明かしをすれば、それは「慰め」と「葬式」との関係です。「慰め」というのは、勿論宗教的な慰め、救いを隔離された患者さん達が求めたのは想像に難くないでしょう。しかし、それ以上に大きな問題は「葬式」でした。Nikkan2007_057 というのも、患者さんはかつて一旦療養所に「収容」されれば、その多くはそこで死を迎えたので、「何式での葬式をして欲しいか」というのを事前に聞いておくことが重要であり、入所したら、必ずどの宗派が良いか、というのを決めさせられたと、ある方が証言なさっていました。あまりの重い言葉に、一同首をうなだれてしまいました。

Nikkan2007_075 まずは納骨堂と、その周りの各宗派の集会所を見学させていただきました。この納骨堂には、故郷に帰れない方々の遺骨が納められているわけです。そこで黙祷して、まず仏教宗派の集会所を見学。日蓮宗、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真言宗の建物が納骨堂の周りを囲んでいます(今日は無人でした)。その隣には天理教と金光教の建物があります。案内してくださったのは所内の金光教の方。この方は入所した当初(まだ少女の時)文通していた相手が金光教の方で、それが縁で信仰に入られたそうです。
その後、これらの施設と少し離れたところにあるキリスト教の教会にお邪魔しました。ここでは信者の方と牧師さんが何人かいらして、貴重なお話をお聞きする事ができました。先ほど述べた「葬式のやり方を決めておくために、強制的にどれかの宗派に所属させられた」というのもここでお聞きしましたし、在日コリアンのハンセン病患者についてのお話もここで聞くことができました。実際何人かその場にいらっしゃいましたし(この療養所は近畿圏からの患者が集められたので、勢い在日コリアンも多かったそうです)、その在日コリアンの方々は大体日本の宗派に馴染めず、キリスト教を消去法で選んだということで、教会のメンバーの半数近くが在日コリアンだった時期もあったそうです。

Nikkan2007_081 ホンの短い時間しかお邪魔できませんでしたが、焼き付くように暑かった「小島の夏」は、しばらく忘れられない経験になりました。お邪魔した光明園の皆様、ありがとうございました。あまりも考えさせられることが多くて、まだ頭の中がすっきりしていませんが(すっきりさせずにずっとじっとり感じ続けるものでもあるのだと思いますが)。

追記:僕が過去に書いた荒井英子著『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店、1996年)という本の紹介と、この療養所訪問をご一緒した弓山先生monodoiさんのブログもご参照ください。

August 11, 2007

生き残った者と語り継ぐ者―「夕凪の街桜の国」

今日、妻と二人で「夕凪の街桜の国」を見に行きました。これはこうの史代先生のマンガが原作で、以前このブログでもこの作品(文句なしに大傑作)を取り上げましたが、映画化されたということで見に行ったわけです。

今から簡単な感想を書きたいと思いますが、基本的にネタバレですので、白紙状態でこの映画をご覧になりたい方は以下を読まないでください

まず、この映画は、大変原作に忠実に作られています。原作がそれだけ素晴らしかったということでもあるでしょうが、原作のマンガ、構成も大変カッチリとできていますので、動かしづらかったのだと思います。
はじめに「夕凪の街」編がはじまります。戦後13年(昭和33年)の広島の「原爆スラム」で暮らす平野皆実(みなみ)という女性が主人公で、演じるのは麻生久美子さん。僕のツボの「薄幸系美女」の一人ですね(僕は他にこの系統としては、木村多江様とか石田ゆり子様を偏愛しています)。彼女は母と二人暮らしで、原爆で父と妹を亡くしたという設定です(原作では姉と妹が原爆で死ぬのですが、映画では二人を合わせて妹一人で代弁させています)。その妹に何もしてやれなかったということが彼女のトラウマとなり「何故自分は生き残ってしまったのか」という感情に苛まれています。前にも書いたのですが、戦争や大災害の被害者には、「何故あの人が死んで自分が生き残ったのか」というまさに不条理としか思えない事態を目の当たりにして、生き残ってしまったこと自体に罪悪感を抱くということが多々報告されています(一番このトラウマの存在を見せつけたのは、ナチスのホロコーストの生き残りです)。皆実もまさにこの感情に囚われているわけです。彼女はその感情を「お前の住む世界はここではないと誰かの声がする」と表現しています。それ故、会社の同僚に告白され、彼女もそれを受け入れようとしつつも、自分がそのように幸せになっても良いのかという自責の念が離れないわけです。この作品(マンガも原作も)では、その同僚が「生きとってくれてありがとう」と彼女の存在を丸ごと祝福する言葉を投げかけて、彼女のトラウマは一旦解除されるのですが、本当の悲劇はその後に起きます。というのは、原爆症が彼女の体を徐々にむしばんでいたからです。そして、僕が原作で最も戦慄し、映画でも絶対削って欲しくないと思っていた台詞が入ります。

嬉しい?十年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て「やった、また一人殺せた」とちゃんと思うてくれとる?(映画は微妙に「13年後」としていますので、この部分も「13年」となっていましたが)

彼女はそのまま亡くなります。しかし、その直後に原作同様「このお話はまだ終わりません。何度夕凪が終わっても終わっていません」と、現代の「語り継ぐ者達」の物語、すなわち「桜の国」編に突入します(この映画はいわば二部構成を取っています)。

この「桜の国」の主人公は七波(田中麗奈)。「夕凪の街」のヒロイン皆実の姪という設定です。彼女は定年退職した父(堺正章)がこのところやたら長距離電話をしたり、ふらっと数日いなくなることを怪しんで、一度尾行してみることにします。その道中で偶然小学校時代の同級生東子(中越典子)と出会い、そのまま二人で尾行することになったのですが、父の行き先は何と広島。そこで父は、姉である皆実の痕跡を辿り、彼女と縁のあった人を回って色々話を聞いていたのでした・・・。
「桜の国」はその他、七波の母親も被爆者で早く死んでしまったこと、弟の凪生と友人の東子が実は恋人同士だったことなども重要ですが、それはマンガを読むかこの映画を見ていただくこととして、やはり泣かされたのは、原作のラストシーンの七波の独白です(初めて読んだとき「こうの先生、ひどい、こんな泣かせに走りやがって」と八つ当たりしたくなったくらいです)。これもいわば「生まれてきたことの全面的な肯定」です。この作品を貫いているテーマはまさにこれだと思います。存在そのものへの祝福と言い換えても良いでしょう。凄絶な物語でありながら、ある種の明るさを感じるのは、このテーマが背骨として機能しているからでしょう。桜が咲き乱れる歩道橋でのラストシーンは是非各自でご覧ください。

というわけでとにかく、時間のある人はマンガと映画を、ない方は原作のマンガだけでもご覧になっていただきたいと思います。

追記:原作のマンガに関しての優れたレビューとして、野々村禎彦氏の紙屋研究所さんのを挙げておきます。

August 03, 2007

学歴ではなく「批判する友人」の有無

何か、安倍政権がダッチロール中である(もちろん、同情などしないが)。特に先日の赤城農水相の辞任はタイミングといい態度といい、政権与党にとっては考えられる最悪の「置きみやげ」だったといえるだろう。赤城さん、ニュースで知ったけど、東大法学部出て、官僚も経験した人だったんですね。やれやれ。

さて、安倍氏が首相になってから、ネットのあちこちで彼の「学歴」を云々する声を聞いた(というか、読んだ)。まあ、僕も彼のやり方や答弁があまりに稚拙なので、「安倍は所詮成蹊で(しかもエスカレーター)」というネット上の揶揄もそれほど気にとがめず聞き流して、時には「あの我妻栄と東大法学部の首席を争ったお祖父ちゃん(岸信介)を尊敬するのは良いけど、もうちょっとお祖父ちゃんを見習って(もしくはお父さんでも良いけど)お勉強しなかったのかね」と冷笑していたのも事実(念のため付け加えておきますが、僕は成蹊大学に対して含むところは全くありません。優れた卒業生は山ほどいるし、優れた先生もたくさんいらっしゃいます。僕の親戚もいたし)。

だが、そういう問題じゃないということが、この数ヶ月で明らかになったと思う。

そもそも学歴なんていうのは、十代の終わりに、ある「クイズ解答能力」の出来不出来を競っているだけの話であって、それだけで全てを語ろうとするのは勿論できない。日本人が過剰に学歴にこだわるのは、血筋や家柄を否定した近代国家の宿命だとは思うが、僕は学歴、というより大学というのはどのような場所かというのを考えて、一つ思い至った。
それは「自分を批判してくれるような友人に出会う場所」ということである(高校とかで出会う可能性もあるけど、やはり大学の方がそういう友人には出会いやすいだろう)。田舎で一番だった秀才が大学に入ってみたら、それこそ大学内偏差値が50くらいである自分に気付き落ち込む、というパターンは良くあることだが(実は、僕もそうだった)、そこで腐るか、めげずに友人から何かを吸収するかということで、その後の人生は大きく変わると思う。そういう友人(時には教員の場合もあるかも知れぬ)、自分をある意味知的に叩きのめしてくれる人に出会わなければ、大学に入った値打ちは半減すると僕は思っている。そういう人に出会えなかった人、そういうのはどんないい大学出ていようが実は「使えない人」であるとさえ僕は思う。

「僕は、あの人に、勝ちたい」とアムロ・レイのようにメラメラと闘争心を燃やすもよし、もうちょっと消極的に「あの人には、バカにされたくない」と見栄を張って難しい本にチャレンジするもよし、それが大学生活ってものです。この「見栄」っていうのは自分を高めるときに不可欠なもの。僕もそうしてサークルの先輩に「なかなかやるじゃない」といわれることを目標に成長したと自分で思っています。そういう意味で、「壁」になってくれた先輩や友人に感謝です。

で、安倍首相の話に戻るが、彼のあの「頑迷さ」は、それこそ大学で傾聴すべき意見を言う友人、現在なら自分の至らなさを批判してくれる人に、これまでの人生で恵まれなかったからではないか、と想像する。勿論、彼にも友人はいくらでもいるだろう。ただし、古諺にいうように「忠言、耳に逆らう」を体するような友人か否か、ということだ。安倍さんのこのところの言動を見るに、人から意見を聞き、自分を省みて自分を変えていくという「身構え」が、彼には欠落しているのではないかと疑いたくもなる。
恐らく赤城さんもそうではないか?つまり「人から見て自分はどのように見えているか」という視点を得る機会を逃し続けたなれの果てが、ああいうみっともない姿ではないのか、と失礼な推定をしたくもなるのだ。そういうのに、学歴もへったくれもない。

« July 2007 | Main | September 2007 »