学歴ではなく「批判する友人」の有無
何か、安倍政権がダッチロール中である(もちろん、同情などしないが)。特に先日の赤城農水相の辞任はタイミングといい態度といい、政権与党にとっては考えられる最悪の「置きみやげ」だったといえるだろう。赤城さん、ニュースで知ったけど、東大法学部出て、官僚も経験した人だったんですね。やれやれ。
さて、安倍氏が首相になってから、ネットのあちこちで彼の「学歴」を云々する声を聞いた(というか、読んだ)。まあ、僕も彼のやり方や答弁があまりに稚拙なので、「安倍は所詮成蹊で(しかもエスカレーター)」というネット上の揶揄もそれほど気にとがめず聞き流して、時には「あの我妻栄と東大法学部の首席を争ったお祖父ちゃん(岸信介)を尊敬するのは良いけど、もうちょっとお祖父ちゃんを見習って(もしくはお父さんでも良いけど)お勉強しなかったのかね」と冷笑していたのも事実(念のため付け加えておきますが、僕は成蹊大学に対して含むところは全くありません。優れた卒業生は山ほどいるし、優れた先生もたくさんいらっしゃいます。僕の親戚もいたし)。
だが、そういう問題じゃないということが、この数ヶ月で明らかになったと思う。
そもそも学歴なんていうのは、十代の終わりに、ある「クイズ解答能力」の出来不出来を競っているだけの話であって、それだけで全てを語ろうとするのは勿論できない。日本人が過剰に学歴にこだわるのは、血筋や家柄を否定した近代国家の宿命だとは思うが、僕は学歴、というより大学というのはどのような場所かというのを考えて、一つ思い至った。
それは「自分を批判してくれるような友人に出会う場所」ということである(高校とかで出会う可能性もあるけど、やはり大学の方がそういう友人には出会いやすいだろう)。田舎で一番だった秀才が大学に入ってみたら、それこそ大学内偏差値が50くらいである自分に気付き落ち込む、というパターンは良くあることだが(実は、僕もそうだった)、そこで腐るか、めげずに友人から何かを吸収するかということで、その後の人生は大きく変わると思う。そういう友人(時には教員の場合もあるかも知れぬ)、自分をある意味知的に叩きのめしてくれる人に出会わなければ、大学に入った値打ちは半減すると僕は思っている。そういう人に出会えなかった人、そういうのはどんないい大学出ていようが実は「使えない人」であるとさえ僕は思う。
「僕は、あの人に、勝ちたい」とアムロ・レイのようにメラメラと闘争心を燃やすもよし、もうちょっと消極的に「あの人には、バカにされたくない」と見栄を張って難しい本にチャレンジするもよし、それが大学生活ってものです。この「見栄」っていうのは自分を高めるときに不可欠なもの。僕もそうしてサークルの先輩に「なかなかやるじゃない」といわれることを目標に成長したと自分で思っています。そういう意味で、「壁」になってくれた先輩や友人に感謝です。
で、安倍首相の話に戻るが、彼のあの「頑迷さ」は、それこそ大学で傾聴すべき意見を言う友人、現在なら自分の至らなさを批判してくれる人に、これまでの人生で恵まれなかったからではないか、と想像する。勿論、彼にも友人はいくらでもいるだろう。ただし、古諺にいうように「忠言、耳に逆らう」を体するような友人か否か、ということだ。安倍さんのこのところの言動を見るに、人から意見を聞き、自分を省みて自分を変えていくという「身構え」が、彼には欠落しているのではないかと疑いたくもなる。
恐らく赤城さんもそうではないか?つまり「人から見て自分はどのように見えているか」という視点を得る機会を逃し続けたなれの果てが、ああいうみっともない姿ではないのか、と失礼な推定をしたくもなるのだ。そういうのに、学歴もへったくれもない。
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どの大学でも、幼稚園からずーっと同じとこって人は、何か妙な人が多いんじゃないでしょうか。よしながふみの『1限めはやる気の民法』を読むと、イヤーな気分になれます。かく言うわたしは中1で落ちこぼれ暗黒の6年間を送り、予備校で劣等生としての呪縛から解放されました
Posted by: o-tsuka | August 03, 2007 11:52 AM
o-tsukaさま、お久し振りです。
>どの大学でも、幼稚園からずーっと同じとこって人は、何か妙な人が多いんじゃないでしょうか。
妙な人、というより、はみ出たくてもできない屈折はあるでしょうね(しかもそこそこ名の知れた学校だと)。
>よしながふみの『1限めはやる気の民法』を読むと、イヤーな気分になれます。
僕もあのマンガ読んでます。結構好きなんですけどね。確かに附属あがりの要領だけ良い奴は「こうして世の中を渡ること自体、何でいけないわけ?」と言いそうな感じですよね(マンガですからちょっと誇張されているかも知れませんが)。
今回僕が言いたかったのを少し言葉を換えると、それこそエスカレーターでずっと同じ仲間内で十数年過ごして、耳障りのいい言葉しか聞いてこなかったという状況の問題性です。赤城さんはどうだか知りませんが、政治家一家に生まれて、自分の「レール」それ自体に疑問を持ったことがあるのかは、ちょっと聞いてみたいですね。
Posted by: かわせ | August 03, 2007 05:04 PM