Recent Trackbacks

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 「歴史」にどう書かれるだろうか | Main | Lovejoy feat. S. S.@磔磔 »

October 04, 2007

「声の大きさ」ではない

僕はこのブログで、歴史教科書の検定で、沖縄戦についての記載が枉げられたことに抗議してきたわけですが、先日沖縄での大規模な抗議集会を始め、全国的に広がる動きを見た政府が、その抗議を受け入れようとしていることは報道されているとおりです。

僕も勿論、このように事態が推移したことを歓迎していますが、しっくり来ないものも感じています。それは、今回のことが「声の大きなものが勝つ」という誤った先例として後年利用されはしないか、という心配といえば判りやすいでしょうか。
そもそもこの教科書検定問題は、当の検定自体に問題があったのであって(動機も検定委員も検定意見も)、「沖縄県民の声に配慮して」という物語に還元させることができる性質のものではありません。このような物語に回収されてしまっては、却って本当のことが隠蔽されてしまいかねません。

ということで、例えばある新聞の社説

「しかし、史実に基づいて執筆されるべき歴史教科書の内容が、「気持ち」への配慮や、国会対策などによって左右されることがあってはならない。」

というのは、言葉だけ見ればその通りで正しいのです(まあ、この社説は検定そのものの問題には頬被りしていますが)。僕だって、国民の「ご機嫌取り」として、教科書や教育現場に対して不当な政治的介入が起これば当然腹も立ちます(実際、今回の検定はそのような性格が強いことも大きな問題でした。その元凶が辞任したおかげで、こんなにもドラスティックに動いているわけですが)。たとえ、僕の信条に近い方向に動いたとしても、やはりそれはある種の「政治的介入」と見なさざるを得ません。それが僕のわだかまりになっているのです。今回の政府の対応を手放しで喜べないのはそのためです。

その時々の政治的要請で教科書の記述がどうとでも動いてしまうということ。先日の検定がまさにそれだったわけです(「戦後レジーム」からの脱却を計りたかった人たちの意向を汲んでの検定だったのでしょう)。そして今回のことが「県民の声という圧力によって動いた」とされてしまい、心ならずも「先例」を踏襲してしまうと、また近い将来「やっぱりそんな事実はなかった、という声が大きくなっているのでね」とオセロのようにひっくり返されはしないか、というのが僕の心配なのです(杞憂であればいいのですが)。

ですから僕は改めて「声の大きさ」ではないのだ、と強調したいのです。

« 「歴史」にどう書かれるだろうか | Main | Lovejoy feat. S. S.@磔磔 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

 そもそも「ある新聞の社説」の内容自体がゆがんでいますね。官房長官の言葉をとらえて、政府が「気持ち」に配慮して教科書の内容に政治介入したという話になっています。

 でも、タカヤさんが仰るように、そもそも検定意見や検定制度そのものの問題性については一言も無く、「中立公正であるべき教科書検定制度」などといっても、ぜんぜん説得力ありません。

 「声」が大きくなればいいということではないですが、今回については「声」が大きくなって当然と思います。

 11万人の集会なんて、今のヤマト民族にはできないこと…などと言ってみたりして。

Bunさん、コメントありがとうございます。

僕は時間があればあの県民大会に出席して政府に圧力を掛けたかったと思っている人間の一人ですが、政府側の「歴史修正主義」はスルーされて「政治的決着」を付けられそうな流れに、小石を飲まされたような気持ちがするのです(Bunさんも同様だと思いますが)。

>11万人の集会なんて、今のヤマト民族にはできないこと…などと言ってみたりして。

まあ、少なくとも「命令はなかった」派の集会は、こんな人数にはならないでしょうね(笑)。

あとついでにいうと、まだ判決も出ていない例の「命令はなかった、名誉が毀損された」と元軍人とその遺族が主張している裁判を元に教科書の記述が変更(偏向)されるなんてこと自体が異常極まりないことだということを思い出したいと思います。

こんにちは。
今回は慰安婦問題に比べると、まがりなりにも日本国内だったから、という面もあったかと思います。中韓相手ならナショナリスティックにいけても、沖縄相手にナショナリズムを振りかざすわけにはいきません。(それはそれで別の問題性をはらんでいますが)
>声の大きなものが
現在でも右派の声は結構大きいですね。そうやって互いに揺れ動いていること自体を問題の俎上に乗せるべきときでしょうか。

虎哲さん、あなたもご自身のブログで意見を述べておいでですね。同感です。

>現在でも右派の声は結構大きいですね。

自分たちの声が大きかったことを棚に上げて、今回のことを「声の大きな者勝ち」と腐す右の人も多いようで。それはダブルスタンダードだろ、と思いますね。
自分たちの意に沿う検定なら中立、そうでなければ政治的介入だ、と左右共に言いつのる不毛さからちょっと距離をおきたくて、言葉足らずながら上記のようなエントリを書いたわけです。

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/34862/16653819

Listed below are links to weblogs that reference 「声の大きさ」ではない:

« 「歴史」にどう書かれるだろうか | Main | Lovejoy feat. S. S.@磔磔 »