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July 25, 2009

観察映画「精神」@京都シネマ

090725_seishin_001 本日は、京都シネマに、想田和弘監督の観察映画第2弾「精神」を見に行きました。このブログでは以前、想田監督の「観察映画」第1弾の「選挙」の感想を書いたことがあります(これもかつて京都シネマで上映されたのでした。これも傑作。DVDもあります。未見の方は是非)。

前も書きましたが、想田さんは、僕の大学時代のゼミの先輩で(そのゼミの指導教官だった島薗進先生が、今回のこの「精神」に推薦の辞とエッセイをパンフレットに寄せていらっしゃいます)、今回の映画も、ずっと楽しみにしていたのでした。何人かに声を掛けたのですが、みんななかなか忙しく、結局僕に付きあってくれたのは、元僕のゼミ生のT野さんとそのお友達、そしてmixiで知り合っていたkijiqさんの3名。この映画は現在全国にどんどん広がって上映されつつありますが、各マスコミにも取り上げられ、前評判も高く、公開初日の今日と二日目は監督の上映後の「ティーチ・イン(質疑応答)」もあるというので、大盛況でした(「選挙」の時と比べて、若い人たちが予想以上に多かった、というのは、この映画の内容のせいでしょうね)。僕も用心して、早めに行ってチケットは確保。二回目の上映を拝見しました。以下ではその感想を述べますので、「ネタバレ」になりますのでご了承ください(といっても、細かい内容には触れません)。

さて、この映画はタイトル通り「精神」を焦点にしたものです。しかし「精神病」ではないことに注意すべきでしょう。確かに、扱われているのは、精神を病んだ人たちが集う施設の中の出来事なのですが、その世界は、驚くほど「健常者(本当の完全な健常者など、この世にはいませんが)」の「隣」にあることがこの映画を見ると判ります。そのような意味も込めてのタイトルなのだと僕は納得しました。そして、そのような「隣」にある世界なのに、カーテンを引いたかのように見えなくなっている世界。この映画は、そのカーテンをそっとよけて、その隣の世界で繰り広げられている「共苦共感世界」を覗かせてくれるものになっていると思いました。「共苦共感世界」とは宗教やセラピー、カウンセリングの現場で「癒し」に向かうために形成される状況を指しますが、想田さんのカメラは、一見冷徹そうに見えて(事実、冷徹な部分もあるのですが)、その世界をしっかり記録していたと思います。

そしてこの映画が扱った「こらーる岡山(コラールとは「合唱の意味」)」は、この施設を作った山本昌知先生の個性(カリスマ、といっても良いかもしれませんが、押しつけがましいところがないところが却って凄みを感じさせます)もさることながら、古い民家を改造したその開放的な佇まいといい、それ自体が現代の精神医療のあり方を鋭く告発しているようにも思えました。パンフレットに辻信一先生が書いている「あの老医師のいる古民家の懐かしい病の風景が、きっと、まともな世界への入り口だ」という言葉は、本当に的確な言葉だと思いました。

そして、特筆されることは、想田さんが「モザイク」やテロップ、ナレーションなどを排除した方法で撮影していることです。この手法は第1作目の「選挙」から徹底しており、ご本人もそれを「観察映画」と名付けていますが、いわば、想田さんのカメラが切りとった、未調理の生肉のような素材を目の前に差し出されて「さあ、ご自身で調理してみてください」と観客たる我々は迫られることになります。これは、ある意味観客に非常に緊張を強いるもので、内容も内容だけに、僕自身も見終わったとき、ぐったり疲れました(笑)。しかし、この方法こそが想田さんの映像の「肝」でもあります。

さて、僕と想田さんはともに宗教学という学問を学びましたが、それから少し話を広げたいと思います。宗教学や社会学、文化人類学などには「参与観察」とか「フィールドワーク」というものがあって、要するに「現場」に取材しに行き、論文を書くということがよくあります。この「現場」というのも千差万別で、「どうぞどうぞ」というところから、よそ者はシャットアウトというところまであり、時には自分の身分を偽って潜入する、ということも過去には行われました(最近は滅多にないですけど)。そこで重要なのは、「対象に入れ込みすぎず、とは言っても突き放しすぎず」という関係性をどう保つか、ということです。これがなかなか難しく、いつまで経ってもこの手の学問の方法論上の難点になっています(最近は自分の立場性positionalityに自覚的であれ、というところで何とか落ち着いていますが)。

090725_seishin_006s 想田さんの御著書『精神病とモザイク―タブーの世界にカメラを向ける』(とりあえずamazonへのリンク)に書いてありますが、想田さんは、まさに「参与観察」で卒論を書いていているんですよね(p.78)。僕などは前回の「選挙」の時も、「想田さんは素晴らしいフィールドワーカーだなあ」と感心して見ていましたが、想田さんが述懐しているように「実際、『選挙』で被写体になってくれた人々は、僕が驚くくらい、カメラの存在を無視、あるいは無視しているかのように振る舞ってくれた(p.73)」とあるように、想田さんは自分をほとんど消して、被写体に過剰に肩入れなどをせず、突き放した撮影ができたと思うのですが(一番僕が「選挙」で感心したのは、車の後部座席から淡々と、主人公夫婦のケンカの様子を撮影したシーンです。あれを見て「想田さん、ひどいなあ(笑)」と思ったものです)、さすがに今回のこの「精神」ではそうはいかなかった(先に、患者さんの語りに感情移入して精神的に参ったのは、撮影の補助をしていた奥様の方だったそうですが)。そこが第一作と第二作の最大の違いだと思います。同じ「観察映画」といっても、今回の「精神」はどうしても想田さんと患者さんたちとの相互作用(interaction)がにじみ出てしまう。想田さんに「フライ・オン・ザ・ウォール(p.73)」であることを、撮られている側が許さない。でも、想田さんの映像はいわゆる「お涙ちょうだい」というような方向には決して流れず、我々観客をある意味ずっと「居心地」の悪い気分にし続けることに「成功」しています。そこが、この映画の最大のポイントだと思います(特に、ラストシーンの「居心地」の悪さったら!)。ということで、僕と同行した皆さんも、良い意味で「モヤモヤ」を抱えたまま帰宅することになりました。「勉強になりました」とか「感動しました」というような安易な言語化を許さない作品であったことは間違いありません。

090725_seishin_004s 上映後の質疑応答でも、あらかじめ大体のストーリーを考えて組み立てるテレビの報道番組とは違うのだ、ということを想田さんは強調していました。そのやりとりを聞いて、あらかじめ練られたストーリーやテロップのある通常のテレビ番組は、なんて「飲み込みやすく加工してくれているんだろう」との思いを新たにしました(その努力が全て悪いというわけではないんですよ。でも、感動や感想はどうしても水路づけられてしまうのは避けられません)。質疑応答のあとは、本やパンフへのサイン会。僕も当然並んで、あらかじめ買って読んでいた御著書にサインをしてもらいました。想田さんは僕の顔を見るなり「変わってないねえ」と言ってくださいましたが、僕から見れば、想田さんの変わらなさも驚異的(笑)。想田さんが卒業して以来の再会ですから、何と16年ぶり。長蛇の列なので、落ち着いて話すことはできませんでしたが、しっかり記念撮影。その後同行してくれた皆さんと一杯飲んで色々感想を語り合い、帰路につきました。

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