最近(でもないか)何かと話題のソーシャル・ネットワーキングサーヴィス(SNS)についての雑感を書こうと思う。僕はタイトルに挙げた二つのSNSに加入している。両方とも友人に誘われて入って(mixiは学科の同級生に、GREEは大学の語学クラスの友人に)それなりに楽しんでいるが、様々なブログで批判も含めて言及されているし、自分でも「これは一体何なんだろう」という思いがしてきたので、ちょっと言語化してみたかったのだ。
SNSについて簡単に僕なりに説明すると、「友人の紹介状がないと入れないパーティー会場のような会員制サイト」であると、とりあえずは言えるだろう。「招待状メール」が友人からやってきて、とりあえず入って「自己紹介」(登録)をすれば、あなたもそのパーティーの一員、という感じかな(このブログをお読みの「リアル知り合い」の方で、ご興味がおありの方はご連絡を。いつでも招待メールはお出しします)。
まず、両者の「使い勝手(インターフェイス)」などを比較すると、僕としてはmixiの方に軍配を揚げたい。パッと見やすいデザインになっている。GREEの方は、特に、所属しているグループやコミュニティの新着スレッドが見づらいと思う。
でも、両者の「できること」はほぼ同じなのだ。ゆえに「デザイン」という点でだけ、僕はmixiを贔屓にしている。
どちらにしても、現実のパーティーと同様に、当初の僕の予想よりは知り合いは増えない感じがする(出会いが無制限なネット世界だから、一部では知り合いが数百というように、現実にもあり得ないだろうというような「繋がり」を誇示している人もちらほらいるが)。知り合いが増えないのはまあ、僕の方から積極的に動いていないから、当たり前といえば、当たり前だが。まあ、僕の印象だと、100人以下が妥当なところでしょうね。
で、大雑把な全体の印象論だが、GREEの方は、出身大学や所属をはっきりさせて同窓生、同業者、もしくは繋がりができそうな異業種の人を探すという色彩が濃いらしく、どちらかというとビジネス向きだと思う。GREE自体、積極的に大学、高校などの同窓会や、会社のグループなどを作らせるように促していますしね。
mixiは、それに比べると「趣味的」な色彩が濃く、僕のような「自由業」(笑)の人に合っている気がします。
どちらも自分がどのような人間であるかを、学歴や所属だけでなく、趣味などを開陳することができる(というか促される)ので(どのようなコミュニティに入っているかでその人の属性が分かる仕組みになっています)、ネットを漫然とうろつくより、趣味の似た人をゲットする確率は高いだろう。ちょっぴり「閉じた世界」というのも、ある種の「選ばれた感」というか、プライドをちょっぴりくすぐる仕掛けになっていると思う(SNSへの批判もこの部分に集中しているようだが)。
このSNSの閉じられた世界は、ネット上のオープンな性質に合わないのでは、という批判もあるが、それは例えばGREEの運営者の言葉では以下のように説明されている。
友人の紹介がないと利用できなくしたのは、GREEを、バーチャルな世界で知らない人と出会うためではなく、現実社会の友人との交流を深めるツールにしたかったから。「現実社会で人と知り合うときは、知り合いづてで紹介を受けることがほとんど。それと同じ仕組みを目指した」。
「ネットは確かに、世界中の知らない人と出会えるツールかもしれない。でも、普段チャットやメールしてる相手の99%は、毎日会ってる友人だから」。
そういわれればそうかもなあ、と思わず肯いてしまいそうになる。でも、僕の元教え子のumeten君が言うような「違和感」も同意してしまうのだ。ちょっと長いけど引用。彼曰く、
これが根本的な理由なのだが、今もってこのソーシャルネットワークというものが、一体何なのか、どういう意味を持つものなのか、さっぱりわからないのである。
もちろん、すでにファンを擁する文壇人や論壇人、芸能人に一芸者などであれば、ブログなんかよりもはるかに密な、コアな関係性を築くことができるのだろう。
また、ネット関連業界人や、デジタルクリエイターなる人々にとっては、同好の士、あるいは仕事上のパートナー探しにも役立つことだろう。
ついでに、若い女性であれば、匿名の利便性でもって、めったやたらに男性から声をかけられて(コメントを書き込まれて)、一種のネットアイドルとなることもあるだろうし、そこから発展して出会い系的な作用も持ちうるだろう。
が、しかし。
私のような、特に取り立てて芸もなく、ついでに身長も体重も平均に満たず、姿形も特にどこをどうナナメに見ても秀でているわけでもない男性が、ソーシャルネットワークに参加して、一体、何をどうすればいいのだろうか?
(中略)
せっかくネットというフリースペースにいながら、なぜ、わざわざそのような閉鎖的な空間を作る必要があるのか。
閉鎖的であるからこそ、一種の「自由/義務」的な空間が獲得できるということなのか。
ではなぜ、私はその閉鎖的空間に入会していながら、内部にいながら、そこにさらなる閉鎖性、外部感覚を感じてしまうのか。
それはつまり、結局、私がどこにも所属していないからなのか。
(中略)
つまり、強烈な一対一の関係性の「獲得」という明確な「ゴール」がはじめからある「出会い系」に対して、ゆるやかな横のつながりというイカニモお手ごろ価格の「いやし」商品的空間を提示し、そして、「その空間の存続自体を各メンバーに自己目的化させる」という、曖昧かつ「すでに決定済み」の目標を掲げる「ソーシャルネットワーク」は、そもそもその本質において、「メンバー間の密接な関係性の構築」とはまったく無縁のシロモノだったのではないだろうか。
特に、実はSNSがメンバーの密接な関係性の構築はめざしていない(できないのでは?)という指摘は非常に的を射たものだと思った。umeten君が言うように、僕が例えば有名な作家とかなら大変なことになっている可能性があるが(mixiにおいて、何人か有名なライターやマンガ家をお見かけしている)。
とりあえず僕は、まだ始めて半年も経っていないSNSを批判をするより、一年後どうなるのか、というのを見守りたいと思う。というわけで、僕はしばらくは退会はしません。過剰には期待しませんが、多少なりとも「繋がり」が増えたのは確かなので。
参考にしたサイト
「特別企画 あなたはGREE派?mixi派?」
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