消去法だよ、人生は
東大文学部のサイトに「私の選択」という、先生方がなぜその専攻を選んで研究者となったのか、というのを回顧するエッセイコーナーがあります。僕も良く学生から「先生はなぜ宗教学(宗教研究)」をやることになったんですか?」という質問を受けることが多いので、ちょっとそのエッセイコーナーを真似して自分の来歴を振り返ることにしました。あと、こっちのブログはほとんど休眠状態なので、たまには記事を書いてみようかな、と思って書いてみました。ご笑覧ください。
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なぜ「宗教学」という学問に惹かれ、宗教学科(正確には宗教学宗教史学専修課程)を進学先に選んだのか。この問いに対しては、複数の回答を既に用意している。だが、こういう理由は要するに後知恵で、本当は何となく進学して、そのまま居座ったというのが真実に近い。だが、取り敢えず自分なりに過去を振り返ってみよう。
まず一つは父の存在。父は某銀行に勤めていたが、昭和一桁の父の働きぶりを見て僕がこんな「モーレツサラリーマン(死語)」に体力的にもなれないであろうことは、高校時代から見通せた。あと、父から時々講義のように聴く経済、株式、外国為替(円高、円安でどこが得して損するか、等)の話に興味が持てず、この時点で「経済学部(文Ⅱ)」は残念ながら、選択肢から除外。ついでに普通のサラリーマンを目指す、という選択肢も除外。高校卒業時には、漠然と研究者か教師かカウンセラー(医学部は無理だったので、心理職をとちょっと思っていた)になれればな、と思っていた。ここから「僕はこれがやりたい」と言うよりは「僕はこっち方面は無理だな」という「消去法」の人生選択がスタートした。
そして、ある意味大きなきっかけ、と後で振り返って思うのが、1980年代の「オカルトブーム」である。70年代から「超能力」や「こっくりさん」「心霊写真」などのオカルトのサブカルチャーはなじみ深いものだったし(規制の緩かったテレビでもよく特番があった)、例えばヒットした某少女マンガのせいで「私の前世は」云々という投稿が雑誌にあふれる、という現象をリアルタイムで見ていた。僕自身は前世を信じてもおらず、また霊感も皆無だったが、「彼岸の世界に此岸が左右される」という現象に興味を持ったのは確かだ。
高校時代は、姉や兄が大学の一般教養の講義で購入させられたであろう社会学、文化人類学、精神分析などの書籍を拝借して斜め読みし、自分の関心は要するに「人の心及びそれが社会的にどう表出されるか」というところに収斂するのだな、とぼんやり自覚し、文学部の社会学科や心理学科、法学部の政治学科への進学を考えた。そして私立大学はいくつか法学部政治学科を受験し(ちなみに全滅した)、東大は進学振り分け制度によって考える時間がある、ということで文科Ⅲ類を選択し、ここには何とか入学することが出来た。この時点では、東大の中に「宗教学宗教史学専修課程」というのがあるというのも知らなかった。というより「宗教学」という学問の存在自体、入学後に知ったのである。宗教に関することなら何をしたって良い、という妖しげな雰囲気にまずは惹かれた(こう考える時点で、いわゆる京大を中心とした宗教哲学方面は選択肢から排除されている)。
入学後、いまのようにCAP制だの、そういう規制がなかった時代なので、取り敢えず興味のある授業は大体登録することにしたが、村上陽一郎先生の「科学史」(村上先生を見て、「ロマンスグレー」という言葉を知る)、宮本久雄先生の「哲学史」(先生が美声すぎたので、昼過ぎの講義は睡魔との戦いだったが)、船曳建夫先生の「人類学」(マグカップにお茶を入れて、漫談のように喋る講義に魅了された)、見田宗介先生の「社会学」(先生はいつもタートルネックのセーターを着ていらした、という思い出)などを聴講しているうちに、次第に自分は「宗教社会学的なものをやりたいのだな」との自覚を深めていった。とは言え、他の専門分野にも未練はあったが、例えば駒場の文化人類学は点数が足りない、教育学部の教育心理学科は、僕がおしゃべりすぎて傾聴能力がないのでカウンセラーになるのは無理、文学部心理学科のネズミや短期記憶の実験には興味が持てず、社会学科はちょうど教員の入れ替えの時期で僕の面倒を見てくれそうな先生がいらっしゃらない、等と逡巡しているうちに、中国語選択クラスの親友T君に「川瀬、一緒に宗教学科行こうぜ」と言われ、そうだ、宗教学という高校時代は存在も知らなかった学問分野だけど、ここなら好き放題できそうだな、と思い、急遽第一志望を「社会学科」から「宗教学科」に書き換え、僕はめでたく進学することになった。ちなみに僕の年度は定員いっぱい(15名)まで希望者がいて、先生たちを慌てさせた(確か数名、落とされたはず。彼らの行方は杳として知れない)。なぜこんな大人数になったかといえば、僕同様「適当な自分でも、好きなことができる」と目論んだ不届き者が多かったのもさることながら、大学内でさまざまな新宗教が活発に動いていた、という時代相も見逃せないと思う。統一教会、手かざし系の教団、そしてオウム真理教・・・。
要するに僕自身としては、そういう時代の空気を吸い込み、最初からジャーナリスティックな視点から新宗教教団を研究してみたい、という希望が入学後どんどん大きくなり、ちょうど島薗進先生がスタッフにいらっしゃったというのが決定的な「ご縁」であった。ちなみに僕は、島薗先生の姪御さん(先生のお姉様の娘)と大学の体育の授業が一緒で知り合いだったが、2年生の秋に彼女とすれ違ったとき「川瀬君はどこに進学することになったの」と訊かれ、「いやあ、宗教学科っていうマイナーな学科、選んじゃったんだけどね」と韜晦を込めて言うと「そこの助教授、私の叔父さん」と言われ、そんな関係を知らない僕は焦りまくり、のちに進学後の飲み会で「川瀬君のことは、ちょっと姪のT子から聞いているんだけどね」と先生から言われ、冷汗三斗、悪事千里を走るということわざが脳裏をよぎることとなる。
その後は、宗教学科の雰囲気、先生方のお人柄に魅了され、そのまま大学院に進学して今に至る。宗教学科進学以降は一本道な人生を歩んで来たので、幸いなことに順調と言えば順調だし、あまり起伏のない人生だったとも言える(起伏と言えるのは結婚と、その後の京都への着任くらいか)。ただ、二十歳になるかならないかの時、あれこれ迷ったあげくの「直感」で、その後の人生が決まってしまったことに、宗教的に言えばまさに「ご縁」の不思議さをかみしめている。
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