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March 09, 2021

消去法だよ、人生は

東大文学部のサイトに「私の選択」という、先生方がなぜその専攻を選んで研究者となったのか、というのを回顧するエッセイコーナーがあります。僕も良く学生から「先生はなぜ宗教学(宗教研究)」をやることになったんですか?」という質問を受けることが多いので、ちょっとそのエッセイコーナーを真似して自分の来歴を振り返ることにしました。あと、こっちのブログはほとんど休眠状態なので、たまには記事を書いてみようかな、と思って書いてみました。ご笑覧ください。

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なぜ「宗教学」という学問に惹かれ、宗教学科(正確には宗教学宗教史学専修課程)を進学先に選んだのか。この問いに対しては、複数の回答を既に用意している。だが、こういう理由は要するに後知恵で、本当は何となく進学して、そのまま居座ったというのが真実に近い。だが、取り敢えず自分なりに過去を振り返ってみよう。
まず一つは父の存在。父は某銀行に勤めていたが、昭和一桁の父の働きぶりを見て僕がこんな「モーレツサラリーマン(死語)」に体力的にもなれないであろうことは、高校時代から見通せた。あと、父から時々講義のように聴く経済、株式、外国為替(円高、円安でどこが得して損するか、等)の話に興味が持てず、この時点で「経済学部(文Ⅱ)」は残念ながら、選択肢から除外。ついでに普通のサラリーマンを目指す、という選択肢も除外。高校卒業時には、漠然と研究者か教師かカウンセラー(医学部は無理だったので、心理職をとちょっと思っていた)になれればな、と思っていた。ここから「僕はこれがやりたい」と言うよりは「僕はこっち方面は無理だな」という「消去法」の人生選択がスタートした。
そして、ある意味大きなきっかけ、と後で振り返って思うのが、1980年代の「オカルトブーム」である。70年代から「超能力」や「こっくりさん」「心霊写真」などのオカルトのサブカルチャーはなじみ深いものだったし(規制の緩かったテレビでもよく特番があった)、例えばヒットした某少女マンガのせいで「私の前世は」云々という投稿が雑誌にあふれる、という現象をリアルタイムで見ていた。僕自身は前世を信じてもおらず、また霊感も皆無だったが、「彼岸の世界に此岸が左右される」という現象に興味を持ったのは確かだ。
高校時代は、姉や兄が大学の一般教養の講義で購入させられたであろう社会学、文化人類学、精神分析などの書籍を拝借して斜め読みし、自分の関心は要するに「人の心及びそれが社会的にどう表出されるか」というところに収斂するのだな、とぼんやり自覚し、文学部の社会学科や心理学科、法学部の政治学科への進学を考えた。そして私立大学はいくつか法学部政治学科を受験し(ちなみに全滅した)、東大は進学振り分け制度によって考える時間がある、ということで文科Ⅲ類を選択し、ここには何とか入学することが出来た。この時点では、東大の中に「宗教学宗教史学専修課程」というのがあるというのも知らなかった。というより「宗教学」という学問の存在自体、入学後に知ったのである。宗教に関することなら何をしたって良い、という妖しげな雰囲気にまずは惹かれた(こう考える時点で、いわゆる京大を中心とした宗教哲学方面は選択肢から排除されている)。
入学後、いまのようにCAP制だの、そういう規制がなかった時代なので、取り敢えず興味のある授業は大体登録することにしたが、村上陽一郎先生の「科学史」(村上先生を見て、「ロマンスグレー」という言葉を知る)、宮本久雄先生の「哲学史」(先生が美声すぎたので、昼過ぎの講義は睡魔との戦いだったが)、船曳建夫先生の「人類学」(マグカップにお茶を入れて、漫談のように喋る講義に魅了された)、見田宗介先生の「社会学」(先生はいつもタートルネックのセーターを着ていらした、という思い出)などを聴講しているうちに、次第に自分は「宗教社会学的なものをやりたいのだな」との自覚を深めていった。とは言え、他の専門分野にも未練はあったが、例えば駒場の文化人類学は点数が足りない、教育学部の教育心理学科は、僕がおしゃべりすぎて傾聴能力がないのでカウンセラーになるのは無理、文学部心理学科のネズミや短期記憶の実験には興味が持てず、社会学科はちょうど教員の入れ替えの時期で僕の面倒を見てくれそうな先生がいらっしゃらない、等と逡巡しているうちに、中国語選択クラスの親友T君に「川瀬、一緒に宗教学科行こうぜ」と言われ、そうだ、宗教学という高校時代は存在も知らなかった学問分野だけど、ここなら好き放題できそうだな、と思い、急遽第一志望を「社会学科」から「宗教学科」に書き換え、僕はめでたく進学することになった。ちなみに僕の年度は定員いっぱい(15名)まで希望者がいて、先生たちを慌てさせた(確か数名、落とされたはず。彼らの行方は杳として知れない)。なぜこんな大人数になったかといえば、僕同様「適当な自分でも、好きなことができる」と目論んだ不届き者が多かったのもさることながら、大学内でさまざまな新宗教が活発に動いていた、という時代相も見逃せないと思う。統一教会、手かざし系の教団、そしてオウム真理教・・・。
要するに僕自身としては、そういう時代の空気を吸い込み、最初からジャーナリスティックな視点から新宗教教団を研究してみたい、という希望が入学後どんどん大きくなり、ちょうど島薗進先生がスタッフにいらっしゃったというのが決定的な「ご縁」であった。ちなみに僕は、島薗先生の姪御さん(先生のお姉様の娘)と大学の体育の授業が一緒で知り合いだったが、2年生の秋に彼女とすれ違ったとき「川瀬君はどこに進学することになったの」と訊かれ、「いやあ、宗教学科っていうマイナーな学科、選んじゃったんだけどね」と韜晦を込めて言うと「そこの助教授、私の叔父さん」と言われ、そんな関係を知らない僕は焦りまくり、のちに進学後の飲み会で「川瀬君のことは、ちょっと姪のT子から聞いているんだけどね」と先生から言われ、冷汗三斗、悪事千里を走るということわざが脳裏をよぎることとなる。
その後は、宗教学科の雰囲気、先生方のお人柄に魅了され、そのまま大学院に進学して今に至る。宗教学科進学以降は一本道な人生を歩んで来たので、幸いなことに順調と言えば順調だし、あまり起伏のない人生だったとも言える(起伏と言えるのは結婚と、その後の京都への着任くらいか)。ただ、二十歳になるかならないかの時、あれこれ迷ったあげくの「直感」で、その後の人生が決まってしまったことに、宗教的に言えばまさに「ご縁」の不思議さをかみしめている。

November 19, 2009

初の単著、刊行

 こちらのブログはご無沙汰しております。久々だというのに、自分の業績の宣伝のようになって恐縮ですが、僕の初の単著が刊行されましたので(奇しくも、今日は僕の誕生日です)、このブログでお知らせいたします。
Syukyo_to_gakuchi  少し大きめの画像を入れ込みましたが、これが表紙です。『植民地朝鮮の宗教と学知―帝国日本の眼差しの構築(リンク先は出版社の紹介ページ)』というタイトルでして、これは僕が4年前に出した博士論文を圧縮して(約三分の二にしました)、単行本化したものです。
 前々から「いずれ出ます」と言ってなかなか出ないので、周りの皆様を多少やきもきさせ、僕自身の評判も「狼少年」として、ちょっぴり下がってしまったかも知れませんが(笑)、とにかく、肩の荷が下りました。
 「一生で一冊くらいは本を出してから死にたい」と高校生の時に思ってからずいぶん経ってしまいましたが、ようやくその願望を叶えることができました。

 多少値の張る物ですし、専門性が高いので、どなた様もどうぞ、とは申し上げられませんが、ご興味のある方は大きな書店でお手にとって頂ければ幸いです。
 以下にいくつかのネット書店にリンクを張っておきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

1)Amazon
2)ジュンク堂
3)紀伊國屋書店Book Web
4)bk1
5)楽天ブックス
6)Livedoor BOOKS

追記:2009年12月13日の読売新聞書評欄にて、拙著が書評されました。評者は京都大学の小倉紀蔵先生。大変好意的な書評をしていただき、恐縮しております。ここに記して感謝申し上げます。ありがとうございました。

Yomiuri_syohyo091213

September 04, 2008

『国家と宗教―宗教から見る近現代日本(上・下)』発売中!

Kokka_syukyo01 皆様、お久しぶりです。

実は、ほぼ一ヶ月前に出た本の宣伝をさせていただきます。法蔵館から『国家と宗教―宗教から見る近現代日本()』という本が現在発売中です。これは、京都仏教会が12回にわたって行った研究会の成果として編まれたもので、不肖僕も論文一本載せております。僕は先輩、後輩、知り合いの中からこのテーマで何か書いていただけそうな方々をお呼びするという、いわばブローカーネゴシエーターのようなことも多少やったこともあり、編集作業も多少お手伝いしました。
既にもう一つのブログでは「出ましたよ」と宣伝していたのですが、先日京都仏教会の方々とお話しした際「やはりもっと宣伝しなければ」という声があがりましたので、及ばずながら、僕のこのブログでもご紹介することにしました。目次は以下の通りです。

目 次
上  巻
発刊のことば     京都仏教会
理事長 有馬 頼底
はじめに 洗 建 田中 滋
総論:法律と宗教     洗 建

第一部.     「国家神道」形成期の葛藤
1.     国家神道の形成     洗 建
2.     近代国家と仏教     末木文美士
3.     神仏分離と文化破壊―修験宗の現代的悲喜     井戸 聡
4.     国家の憲法と宗教団体の憲法―本願寺派寺法・宗制を素材に     平野 武
5.     井上円了と哲学宗―近代日本のユートピア的愛国主義     岡田 正彦
6.     近代日本における政教分離の解釈と受容     小原 克博
7.     国家神道はどのようにして国民生活を形づくつたのか?
    ―明治後期の天皇崇敬・国体思想・神社神道     島薗 進

☆インタビュー:聖護院門跡門主宮城泰年
「国家神道体制下の本山修験宗」

第二部.     国家総動員体制下の宗教
8.     国家総動員体制下の宗教弾圧―第二次大本事件     津城 寛文
9.     植民地期朝鮮における宗教政策―各法令の性格をめぐって     川瀬 貴也
10.    近代日本仏教と中国仏教の間で―「布教使」水野梅暁を中心に     辻村志のぶ
11.    戦時下における仏教者の反戦の不可視性
    ―創価教育学会の事例を通じて     松岡 幹夫
12.     反戦・反ファシズムの仏教社会運動
     ―妹尾義郎と新興仏教青年同盟     大谷 栄一

下  巻
第三部.     戦後新憲法と宗教
13.     戦後新憲法体制と政教分離     洗 建
14.     遺骨収集・戦没地慰霊と仏教者たち
    ―昭和二七、八年の『中外日報』から     西村 明
15.     アメリカ合衆国における信教の自由をめぐる諸問題
    ―日米比校の一助として     藤田 尚則
16.     靖国問題     平野 武

☆インタビュー:日本基督教団牧師千葉宣義
「日本基督教団の戦後の歩みの中で 一人の牧師として」

第四部.     宗教の存在理由への問い―新自由主義経済体制下の「国家と宗教」
17.     宗教法人法改正問題     洗 建
18.     オウム反対の世俗的原理主義―転入届不受理の論拠と感情     芦田 徹郎
19.     地域の安心・国家の治安
    ―オウム問題から見た日本の「コミュニティ・ポリシング」     野中 亮
20.     宗教法人法の改正問題と情報公開
    ―広島高裁判決をめぐって     小池 健治
21.     「宗教関連判例の動向」について     橋口 玲
22.     国家が宗教的情操を語り始めるとき     野田 正彰
23.     憲法第九粂改正論と絶対平和主義     藤田 尚則
24.     意法改正論と政教分班論―憲法二〇条をめぐって     桐ケ谷 章
25.     観光立国「日本」と「宗教」
    ―世界遺産熊野古道の柔らかなナショナリズム     湯川 宗紀
26.     国会において「宗教」はいかに語られてきたか
    ―宗教間題の脱宗教化?     寺田 憲弘
27.     公益法人制度改革と宗教法人     田中 治

☆インタビュー:京都仏教会理事安井攸爾
  「反古都税運動と京都仏教会」

総括:宗教への交錯するまなざし―新自由主義経済体制下の宗教     田中 滋
あとがき     田中 滋

Kokka_syukyo02 非常に多くの方のご協力の下、浩瀚な本ができてしまいました(僕もまだ全部読み切れていません)。宗教学、法学、神学、仏教学、社会学など、様々な分野の論考が一緒になっている、という点でも「お買い得」だと思います。共に\3,675(税込み)です。
日本近現代にご興味のある方や、特に僕と似た分野を研究されている大学関係者の皆さまは、どうぞお買い求め(もしくは大学図書館に入れて)くださいますようお願いいたします。

August 04, 2008

東アジア宗教文化学会創立大会

2008_eaarc_006 こちらのブログはご無沙汰していました。
先日、韓国釜山で開催された「東アジア宗教文化学会」に参加して参りましたので、その簡単なご報告をしたいと思います。
 2008年8月2日から4日にかけて、韓国釜山の東義大学校において「東アジア宗教文化学会(East Asian Asociation of Religion and Culture)」の設立記念国際学術大会が開催されました。日本側参加者76名、韓国側参加者114名、中国側参加者25名、計215名という数の宗教研究者が一堂に会したことになります。僕は、この学会設立の日本側呼びかけ人の一人として本大会に参加しました。
今回の設立大会総会において、日本側呼びかけ人の代表であった島薗進先生(東大教授)が学会会長に選出され、副会長として韓国側からは梁銀容(ヤン・ウニョン)先生(圓光大学校教授)、中国側からは金勲(ジン・フン)先生(北京大学教授)、日本側からは桂島宣弘先生(立命館大学教授)が選出され、理事も日本側二〇名、韓国側二〇名、中国側一五名が選出されました(不肖僕も日本側理事の一人です)。次回以降の学術大会準備と学会機関誌の編集がこの理事たちによって行われる予定です(次回の開催校は北海道大学の予定)。
さて、学術大会の内容ですが、五つの分科(「宗教史・宗教思想史」「宗教と社会」「宗教・文化・民俗」「自由テーマ1」「自由テーマ2」)に分かれて、計七一の研究発表、三つのパネル・ディスカッションがなされました。時代も古代から現代まで、幅広いテーマが取り上げられており、ここまで発表数が多いと、見回るのも大変。僕は朝から夕方まで、計12本(一人30分)の発表を拝聴して、もうフラフラでした(笑)。普通の学会では、ここまで真面目に聞かない気がします(知り合いを見つけて茶飲み話、という方に走りがちなので)。

2008_eaarc_025 大会二日目の午前中には「東アジア宗教文化の共通性と多様性」という創立記念シンポジウムが開催されました。パネリストは樓宇烈(ロウ・ウーリエ)先生(北京大学教授)、鄭鎭弘(チョン・ジノン)先生(梨花女子大学教授、ソウル大学校名誉教授)、島薗進先生がそれぞれ発表を行いました。樓先生は主に中国の宗教の特異性と、それに西洋の宗教学理論を機械的に当てはめることはいかがなものか、東アジアの宗教理論というものがあっても良いのではないかと述べ(僕個人は、先生の意見に一部は共感しますが、有効な西洋発の理論もあるはず、という穏当な立場です)、島薗先生は、東アジアの宗教文化の共通性として「聖なる社会秩序と救済宗教の二重構造」というものが取り出せるのではないかと問題提起していました。でも僕の一番印象に残ったのは、日中韓がいわばずっと「出会い損ねてきた」歴史をふり返った鄭先生の講演でした。安易に東アジアの共通項を見出して安心、満足するのではなく、あくまでも「他者との出会い」という一種の緊張感を保ち続ける事を示唆した内容と僕には聞こえました。
このシンポジウムを終えて本学術大会は幕を下ろし、韓国側委員のご厚意と企画により、釜山郊外の名刹通度寺と、韓国に根を下ろした日系新宗教の施設(韓国SGIおよび天理教伝道庁)を見学させていただきました。その写真を以下にいくつか貼り付けたいと思います。

2008_eaarc_041 これは通度寺(トンドサ)の本堂です。このお寺は新羅時代からの古刹で、韓国の三大寺刹の一つに数えられます。他の二つは大蔵経で有名な海印寺(ヘインサ)、昔からの修行場として有名な松広寺(ソングァンサ)です。通度寺は仏舎利を所有していることで有名です。国宝指定のようですが、毎日熱心な信者さんが一身に祈りを捧げています。つまり、ちゃんと「生きている信仰の現場」なわけです。案内してくださったのは、このお寺に修行に来ていらっしゃる日本人僧侶の方。その涼しげな風貌が女性参加者のハートを射貫き(笑)、僕と先輩のN井さんは「(岡野玲子の)ファンシィダンスの世界」とささやきあっていました。この日は一日猛暑で、このお寺にいた3時間ほどで恐ろしく汗をかきましたが、実はこのお寺に行ったことのなかった僕にとっては良い経験でした。

2008_eaarc_062 最終日は「日系新宗教」の施設を見学させていただきました。まずは釜山の西方のK地区にあるSGI文化会館にお邪魔しました。現在、韓国においてもSGIの活動は頗る活発で、最近韓国内の日系新宗教の調査をなさった、本学会大会運営委員長でもあった李元範先生(東西大学校)によると、「日本の1960年代あたりの熱気が、今の韓国SGIにある」とのことでした(写真は婦人部の部屋の壁に貼っていた「スピーチ」や「座談会」を行った回数のグラフです。このようにして目標を決めて頑張っているわけです)。現在信者数も相当に増えていて、試算では百数十万人を数えるかも、とのことです。もちろん、これは一朝一夕になったものではなく、特に国交樹立前から活動していた在日コリアン信者の働きかけも大きく寄与しているとのことでした。

2008_eaarc_092 最後は、戦前から布教活動を行っている天理教の施設です。釜山の郊外、空港のある金海市にある「天理教韓国伝道庁」にお邪魔しました。僕はここで働いていらっしゃるY川さんと旧知の仲で、数年ぶりにお会いすることができ、久闊を叙することが来ました。飛行機の時間を気にしながらの訪問で、慌ただしく、受け入れ施設の方にもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

学術大会も、見学旅行も非常に濃いもので、僕としては満足、というか疲れ果てて帰国しました(帰国した翌日、昼まで動けなかったもんな)。ご興味のある方は、学会のホームページをご覧になったり(まだあまり内容がありませんが)、僕などにお問い合わせください。

April 26, 2008

『思想地図』vol.1発売!!

Shisochizu_001_2 こちらのブログはご無沙汰になってしまいましたが、今回は「営業モード」で書かせていただきます。
編者の東浩紀さんも、執筆者の増田聡さん高原基彰さんも既にブログでお書きですが、NHK出版から、思想雑誌『思想地図』の第1号が出ましたので、お知らせいたします(出版社の予定としては、もうちょっと先なのですが、もう色んなところで流通し始めているらしいので、フライング気味に宣伝いたします)。僕も縁あって、一本論文を書かせてもらいました。本は写真をご覧ください(amazonbk1)。

全体がオレンジの、非常に特徴のある本です。多分、書店で平積みされていたら、結構目立つと思います(人文系の新刊コーナーやNHKブックスの並びに置いてあると思います)。
僕は数日前、執筆者として見本をいただいたのですが、思った以上にボリュームがあり、実はまだ全部ちゃんと読み切れていないのですが、僕以外の執筆者の皆さん方は、非常に面白い論考をお書きになっていることは保証しますので、どうぞ本屋で見かけたら、この「オレンジ色の憎いヤツ」(このキャッチコピーを知っている人は、相当年を食っていることでしょう)をお手に取ってください(できればそのままレジに行って、1575円ほどを差し出してくださると、なお嬉しいです)。
では、この号の目次を以下に示します(副題やページ数は省略)。

・創刊に寄せて          東浩紀+北田暁大
・国家・暴力・ナショナリズム      東浩紀+萱野稔人+北田暁大+白井聡+中島岳志
・日本右翼再考     中島岳志
・日韓のナショナリズムとラディカリズムの交錯     高原基彰
・マンガのグローバリゼーション     伊藤剛
・データベース、パクリ、初音ミク     増田聡
・物語の見る夢     福嶋亮大
・中国における日本のサブカルチャーとジェンダー     呉咏梅
・日本論とナショナリズム     東浩紀+萱野稔人+北田暁大
・ブックガイド「日本論」     斎藤哲也
・「まつろわぬもの」としての宗教     川瀬貴也
・〈生への配慮〉が枯渇した社会     芹沢一也
・社会的関係と身体的コミュニケーション     韓東賢
・共和制は可能か?     白田秀彰
・死者への気づき     黒宮一太
・キャラクターが、見ている。     黒瀬陽平

執筆者の一人として言うのも何ですが、素材的にも硬軟が上手い具合に混じっていると思います(これは編集の東・北田両氏のお力によると思いますが)。
あと、特筆すべきは、表紙及び各チャプターの扉のイラストが、僕の尊敬する榎本俊二先生であること。榎本先生と一緒の本に載れただなんて、本当に嬉しいサプライズ。NHK出版編集のOさんも、このことは教えてくださってなかったから、驚きもひとしおです。思わずこの表紙を見た時、「ロールミー、ロールミー」と叫びそうになりました
あと、何と言っても、僕は恥ずかしながら、一般書店でも売っているような本に書かせていただくのって、実は初めてなんですよね(学術雑誌、報告書、学会誌、事典、出版社のPR誌とかにはこれまでも書いてきましたけど)。
もし拙稿のご感想などをコメント及びメールなどでいただければ、幸いです(友人のK池くんからは「やっぱり君のは、S薗(僕の指導教官)チックな論文だねえ」と苦笑されると思いますが・・・)。

November 22, 2007

「何故人はそう考えるのだろうか」という問い

今日は、大学で僕のゼミ(討論形式の授業)を取っている学生さんに向けての、ちょっと抽象的な「お説教」です。

最近、ようやくゼミや基礎ゼミ(基礎講読)で「自分の意見」というか、とにかく「声」が上がってきたのはよい傾向だと思います。僕は気が弱くて、ゼミでシーンと沈黙が一分以上続こうものなら、ついついおしゃべりを始めてその間を埋めようとしてしまいがちなのですが(僕の雑学が最も活かされる瞬間でもあります)、この頃はそういうことをしなくても良くなってきて、僕としては、少し楽になってきました。
当然君たちが口にするのは「私の意見」なわけですが、ちょっと皆さん、「私の意見」を言うのと同時に考えて欲しいことがあります。それは「他人の意見」というか、自分とは違う見解を持った人への想像力です。
「私はこう思います」、もちろんこれは重要です。ここから全ては始まりますが、「私は何故こう思うのだろう」という自己省察、そして「何故他の人は私と同じように考える(もしくは考えない)のだろう」というところまでいって、ようやく「学問的」になるのです。「私はこう思う」だけでは、残念ながらダメなのです。

例えば、現在2年生の基礎ゼミでは、明治以降の「天皇制」の問題の簡便な本を今読んでいます。そしてコメントとして「私は天皇(制)には関心がありません」「皇位継承なんかよりももっと大事なことがいくらでもあるだろう」と言うのは簡単ですが(僕だって、そうは思っています)、「何故、ある人にとっては、天皇の跡継ぎ問題があたかも日本の死活問題のように語られるか」「何故天皇制は昔あれほどの力を振るったのか」というところまで考えて欲しいわけです。「私の感覚」をとりあえず一旦棚に上げて、自分とはある意味対立するような意見にはどんな論理が隠されているか、というのを考えることも大事なのです(論破するのはその後です)。

自分の意見を言うのは第一段階、他人の意見を聞くのは第二段階、そして、その場にいないような人の意見をも忖度し、その上で自分の意見を述べる第三段階まで行って欲しいと僕は思うのです(別に「弁証法」とか、そういう言葉は覚えなくても良いから)。
要するに、せっかくの発言ですから、一方的なものではなくて、双方向的なものを目指して欲しいってだけの話なんですけどね。

March 31, 2007

「武士道」に悖る

今回の教科書検定において、沖縄戦における住民の「集団自決」について「軍が強制したとは必ずしも言えない」などと物言いが付き、修正させられた。修正された字句を見ると「追いつめられた」という表現は残っているが、住民を追いつめた「主語」から日本軍を外したりぼやかしたりしていることが判る。従軍慰安婦の次はとうとうここまで来たか、という思いをぬぐいきれない。でも「追いつめた」という言葉が残っているということは、さすがに検定側も、今流行の言葉を使えば、「広義の強制性はあった」とは認めているわけだ。

まずはっきりさせておきたいのは、無数の証言によって日本軍が沖縄住民に「いざという時には」と手榴弾を渡したり、軍が隠れるために洞窟から住民を追い払ったりしたということは否定しようがない事実ということだ。こんな事はこんな場末のブログで力説することでもない(以前、沖縄に関する本を読んだときも、この問題について語っていますが)。実際は軍による「狭義の強制性」もありまくりだったのだ。
最近ヘタレ気味で腹の立っていた朝日新聞の社説だが、今日(3月31日付)の社説は全面的に賛成。その通り。

このところ、日本の過去の「悪行」について、なるべく低めに査定したい勢力が力を持ちつつある。「新しい教科書をつくる会」、すなわち自由主義史観と名乗る人々もそのような傾向がある(色々内紛もあるようだが、最近の動向は知らぬ)。時には開き直って「自国の都合の悪いことを子供に教えないというのが普通。アメリカだって原住民の虐殺には触れていないし、韓国や中国も同様」などと言っていたのが思い出される。なるほど、確かにそうかも知れない。でも、僕みたいな単純な人間からすると「それって武士道に悖るんじゃないの?」と思う。他人が悪いことをしていても、自分は正しいことをするのだ。こういうやせ我慢を僕は「武士道」と呼んでいる。「向こうが自国の子供に都合の悪いことを教えない、という卑怯なことをしているなら、こっちはそうしない」ということにならないのか、と素朴に思う。

向こうがやるならこっちもやってやれ、という理屈は、確かに「相互的」ではあるが、自分を一切高めない論理である。「不均衡こそが倫理の源」と思う僕は、そういう相互性には与しない。

August 09, 2006

祀られない自由

今日はある市民団体の集会に参加してきました。それは「アジアと靖国神社」と題された集会で、父親が靖国神社にいつの間にか勝手に祀られていることに気付いた韓国人女性李熙子(イ・ヒジャ)さんの「靖国神社合祀取り下げ訴訟」を中心に、韓国・台湾人軍人及び軍属の合祀問題を考えるというもので、僕も短い時間でしたが、朝鮮の植民地支配についての話をしました。
僕が一応植民地期朝鮮の専門家で、且つ靖国問題などにも多少は詳しいということで(大昔、卒論で政教分離裁判について少し調べたことがあります)、白羽の矢が立ったのだと思います。まずは以下に、僕が当日配ったレジュメを転載します。

「朝鮮植民地支配と靖国神社」
川瀬貴也(京都府立大学文学部)

1.植民地期朝鮮における「動員」及び「徴兵」
・総動員体制(戦時期)
国民徴用令施行(1939年)→強制連行問題
「内鮮一体」から「皇民化」へ (ex.)創氏改名開始(1940年)
・志願兵制度
1942年5月閣議決定、1944年実施。しかし本当に「志願」だったのか?(総督府の強制)
「差別からの脱出」というモチベーション(過剰な「日本人化」への志向)

2.植民地朝鮮における宗教
・「寺刹令(1911年)」「布教規則(1915年)」「神社寺院規則(1915年)」
・「内地」延長主義(神社政策)
朝鮮神宮(1925年創建)を頂点とする朝鮮神社界
「神社規則(1936年)」←「神社非宗教論」の徹底
・日本諸宗教の布教(仏教・キリスト教・新宗教)

3.「仕方がなかった」史観を超えて
・「植民地近代化論modernization in colony」と「植民地近代論colonial modernity」
・「慰霊」と「顕彰」
・「戦前」と「戦後」を結ぶ暴力への批判

【参考文献】
宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』未来社、1985年。
宮田節子・金英達・梁泰昊『創氏改名』明石書店、1992年。
姜徳相『朝鮮人学徒出陣―もう一つのわだつみのこえ』岩波書店、1997年。
山田昭次・古庄正・樋口雄一『朝鮮人労働動員』岩波書店、2005年。
姜誠ほか『『マンガ嫌韓流』ここがデタラメ』コモンズ、2006年。
小笠原省三『海外神社史(上)』ゆまに書房、2004(1953)年。
辻子実『侵略神社―靖国思想を考えるために』新幹社、2003年。
菅浩二『日本統治下の海外神社―朝鮮神宮・台湾神社と祭神』弘文堂、2004年。
三土修平『靖国問題の原点』日本評論社、2005年。
板垣竜太「〈植民地近代〉をめぐって」、『歴史評論』654号、2004年10月号。
並木真人「植民地期朝鮮における「公共性」の検討」、三谷博編『東アジアの公論形成』東京大学出版会、2004年。
宮嶋博史他編『植民地近代の視座』岩波書店、2004年。
尹海東(藤井たけし訳)「植民地認識の「グレーゾーン」―日帝下の公共性と規律権力」、『現代思想』2002年5月号。


上記の走り書きのようなレジュメでは判りにくいかも知れませんが、簡単にまとめると、「植民地期朝鮮における総動員体制の実態」、「植民地期朝鮮における宗教政策(及び「国家神道システム」「神社非宗教論」という仕組み)」、そして現在の我々がどのような評価基準で過去を再検討すべきか、という大きく分けて三つの話題をお話ししたつもりです。

僕の後には、靖国裁判の訴訟に取り組んでいる菱木政晴先生から、今後の取り組みについてのお話がなされ(肉親を靖国に祀られたくない人々が集まる「靖国合祀イヤです訴訟」というものを立ち上げようとされています)、韓国の元日本軍人・軍属の裁判を支援して来られた古川雅基さんからもメッセージが述べられました。

まず僕のスタンスを簡単に述べておくと、僕は靖国神社に対する私人としての信仰、個人的な信仰はまったく否定しません。「あそこに戦友が眠っている」「靖国には父が、兄が祀られているのだ」というような感情は否定しようがないからです。しかし、靖国神社側が主張するような、いわば「公共宗教」としてのあり方にはまったく賛同できません。ですから、その流れで、あたかも靖国神社を一種の「公共宗教」と見なして政治家が参拝するのも、賛成できません。靖国の合祀基準については、昔から色々言われていますが、僕は端的にいって、「祀られない自由」を損ねているのが、靖国の最大の問題点だと思っています。「祀られたい人」及び「祀りたい人」だけが集うのが本来の「宗教」の基本的なあり方でしょうが、靖国自身が、一宗教法人でありながら、そのような「宗教」っぽいあり方は不満であるとの意思表示を続けているのですから、議論は平行線となってしまうのです。

さて、実は今回の集まりでも、89歳になられる方(この方は元海軍兵で、約300人いた仲間のほとんどが死んで、捕虜になって生き残った生還者の方です)から、
「死んだら靖国で会おう、というのはやはり合い言葉だった。だから私は、戦友のために靖国に赴く。私は現在の靖国神社のあり方にも賛同しないし、A級戦犯たちには頭を下げないが」
との発言があり、その言葉や思いというのは、非常に胸に迫ったのです。僕はこのような個人の靖国への思いを、もっと靖国側も汲み上げる努力をするべきだと思います。ある形式、ある思想を持たない限り寄せ付けないような態度を執りつつ「全国民的」であることはもはや不可能と思うからです(個人的には遊就館に代表されるような靖国の歴史観そのものが間違っていると思っていますが、それはさておき)。

戦争が終わって60年以上が経過しましたが、我々はまだ多くの「負債」を継承しているのだなあ、との思いを、今回の集まりで新たにしました。
好きなものだけ継承するわけにはいきません。負債も借金も相続しなければならないのです。つらいことですが。

June 03, 2006

洛北史学会にて

本日は、「洛北史学会」という学会で、コメンテーターを務めました。この学会は、僕の勤務校の史学科の先生方が設立した学会で、同僚ということで、僕にも声をかけてくださったのでした。今回の大会テーマはずばり「宗教」。というわけで、一応宗教学者の僕にコメンテーターの白羽の矢が立ったのでした。
大会の内容は以下の通りでした。

【テーマ】     「信仰」の「力」-その可能性をめぐって
【日程】    2006年6月3日(土)
【報告者と題目】
内田鉄平氏(専修大学社会知性開発研究センター任期制助手)
「信仰から見る庶民の旅行」
守川知子氏(北海道大学、イラン・イスラム史)
「聖なるものを求めて
-シーア派イスラームの聖地巡礼-」
橋川裕之氏(日本学術振興会、中世ビザンツ史)
「魂を穢す平和-ビザンツの信仰とリヨン教会合同-」

【コメンテーター】川瀬貴也氏(京都府立大学、日本・朝鮮近代宗教史)

宗教学というのは、昔からよく「ゲリラ」と言われ(というか、主張していました)、他分野の成果を借りて、あちこちに滑り込むことを元々得意技にしておりますが、時代も地域も違う今回の諸発表に、とりあえずコメントをつけられるのは宗教学者でしょう、と今回の大会の企画委員におだてられ、のこのこコメンテーターをお引き受けして、結果死亡しました(笑)。
確かに、宗教学科に在学中の時は、まさに時空を超えて「とにかく宗教の研究ならば、なんでもいい」というアナーキーな環境で揉まれてきたという自負がありますが、今回は、いきなり三つ、それもよく知らない固有名詞がバンバン飛び交う濃い発表を立て続けに拝聴して、後は自分の憑依体質を信じて、口から出任せのコメントでその場を凌ぎました(お筆先状態ならぬ、お口先状態と自分では言っています)。今回のご発表は、「巡礼」「正統と異端」というテーマが交錯していたので、そこを足がかりに、古典的な人類学者の説を援用して、コメントしました。
コメントでも言ったのですが、いわゆる歴史学系の学会で、これだけ様々な地域の発表を一度に聞くということは珍しいです。時代区分、地域区分が厳密になりがちな業界ですから。僕みたいな、もともと様々な事例から共通性を見つけたがる志向性を持つ宗教学者にとっては、ある意味居心地の良い学会でした。次回以降もこういう形態になるかは判りませんが、とりあえず役目は果たしてホッと一安心です。
発表者の先生方、そしてお誘いくださった先生方、ありがとうございました。

May 20, 2006

「韓流」は何をもたらしたか?

5月20日に大阪市立大学で行われた国際高麗学会のシンポジウムに参加してきました。僕はこの学会、参加するのは初めてでした。
シンポのテーマは「どうなる日韓関係:韓流と嫌韓流、二つの潮流を読む」というもの。パネラーとして、以前からの知り合いの先生方が参加していたので、そのお顔を拝見しに行ったのでした。

シンポジウム「どうなる日韓関係:韓流と嫌韓流、二つの潮流を読む」
コーディネーター 朴 一(大阪市立大学)
第1報告 姜誠(ノンフィクションライター)
第2報告 綛谷智雄(第一福祉大学)
コメンテーター:藤永壯(大阪産業大学)、高吉美(兵庫部落解放人権研究所)

コメンテーターを務められた藤永先生とはもともとの知り合い(僕から見れば、朝鮮近代史研究のの先達です)、綛谷先生とは、ネット上でやりとりをしていたのですが、実際にお会いするのは初めてでした。実は、このシンポは、『まじめな反論 『マンガ嫌韓流』のここがデタラメ』(コモンズ)という本の出版に合わせたもので、パネラー、コメンテーターの先生方は、この本の執筆者でした。
シンポジウムでは、様々な問題提起がなされましたが、印象深かったのは、以下に挙げる点でした(以下のまとめの文責は僕に帰します)。

Antikenkan まず、姜誠さんの発表とコメントですが、「嫌韓」は、様々な要因が組み合わさっているとの指摘が印象的でした。まず、「嫌韓」と対をなす「韓流」ブームですが、その担い手となった「冬ソナ」支持者の実年女性に対するバッシングというのも、ちょっと前の男性向け雑誌には顕著だったそうです。これなど、racismとsexismの組み合わせといえるでしょう(この話を聞いて、僕は大袈裟かも知れませんが、例えば金子文子や、「日本人妻」の問題を思い出しました)。「嫌韓」の発露は韓国と日本の外交問題(戦後補償問題、靖国問題、従軍慰安婦問題など)や、北朝鮮の拉致問題などが勿論引き金になっていますが、国内的な要因も大きいのでは、という指摘もありました。よく言われることですが、「勝ち組」「負け組」という残忍な二分法で人々を分ける発想など、新自由主義的な社会でのストレスを、叩きやすい「敵」を見つけて晴らす、という一つの運動が「嫌韓流」ではないか、ということです。そして、国外を見ると、911テロやイラク侵攻などへのアメリカの対応を見て、「力が全て」「対話は不可能」という一種のシニシズムが蔓延し、それも「嫌韓」の流れに棹さしているのではないか、という指摘は興味深いものでした。このシニシズムは「営業右翼」と呼ばれる「強い言説(実際きつい調子での論説を載せると、雑誌は売れるそうです)」への傾斜を促していると、僕も思います。
綛谷さんは、「嫌韓」というのは急に湧きあがったものではなく、戦後日本にずっと伏流していた「本音」が形をかえて現れたものではないか、と指摘していました。簡単に言えば「戦前の日本はそれほど悪くなかった」「植民地では良いこともした」というような「本音」です。これは別に新しい考えでもなんでもなく、戦後から一貫して、ある層が保持してきた考えだと僕も思います。そして、良く「嫌韓」的な人が指摘するように、いわゆる「反日」的な作品(小説・ドラマ・マンガ)が韓国で製作されているのは残念ながら事実ですが、それには「反省しない日本」という像(イメージ)が反映しているのではないか、とも指摘されていました。そして、これまた重要なのですが、そのような「頭でっかちのイメージ」で造られた日本像はおかしい、といっている「知日派」の知識人も、韓国にはどんどん出てきているのです。要するに、向こうを一枚岩と捉えて十把一絡げに批判しても、意味がないということです。
あと、司会者を務めていた朴一先生がおっしゃっていたのですが、「韓流」は在日コリアンの上を素通りしていったが、「嫌韓」には巻き込まれてしまったという感が強い、とのコメントも、僕には印象深かったです。確かに、「韓流」は韓国への興味を増大させた(特に今まで韓国に無関心か、漠然と悪感情を持っていた層の興味をかき立てた)という功績は否定できませんが、それが自分の「隣人」たる在日コリアンへの興味などへ向かったか、といえば、やはり疑問とせざるを得ません。でも、「近所づきあい」のレベルでは確実に前進した面も存在することも指摘されましたし、「韓流」のドラマを輸入するときにその「仲立ち」をしたのは在日コリアンの人々でもありました。そういう「プラス」の面も評価するべきだとの声もあり、これにも僕は大きく頷きました。「嫌韓流」という潮流も、無視できないとは思いますが、実際は「韓流」もしくは「知韓」「好韓」(裏返せば韓国側の「知日」「好日」)の傾向が着実に根を張っているのだから、そちらに希望を託したいとのまとめで、今回のシンポは幕を閉じました。

さて、休憩時間や懇親会で、色んな先生と雑談したのですが、実際若い世代は、果たしてどれだけ『マンガ嫌韓流』を読んだり知ったりしているのか、という話題で、ある先生曰く「僕の教えている1年生では、98%は知らなかった」とのこと。僕も、大体そんなものかな、という気がします。ただ、ネットにどっぷり浸かっている層では、その比率が上がるかも、という気はします。ネット上は、自分と意見を同じくする(もしくは敵対する)言説を一気にまとめ読みできるメディアですからね(mixiのレビューでも、噴飯もののがたくさんありました)。
あと、ちょっと気になる傾向として、けっこう「勉強熱心」な学生が、「歴史の真実」というようなあおり文句に惹かれて、『マンガ嫌韓流』のような本を読むのではないか、という指摘がありました(でも「勉強熱心」と言ったって、あのマンガとかを読んで「目が開いた」と言っているレベルですから「もうちょっとお勉強してきてね」としか言えないのですが)。僕自身は、まともに僕に例の本のような意見をぶつけてくる学生には(幸い)当たったことがないのですが、民主党前代表の前原さんの選挙事務所でバイトしていた学生が僕に「(民主党右派的な)改憲論」をぶってきたのには微苦笑させられた、という経験はあります。ともかく、「嫌韓」的な物言いをする学生に「とにかくこれを読んでご覧。読んでから韓国のことを語ってご覧」と手渡せる本が出版されたことは嬉しいことです。
この本がネットにうごめく嫌韓厨の「心」に届くとは、残念ながら考えにくいですが(でも、100人中数名は「転向」してくれないかな、と期待していますが)、この本の執筆者は「俺がやらねば誰がやる」との義侠心で執筆なさったと思います。僕ももちろん、その心意気を支持します。