August 22, 2007

小島の夏―邑久光明園訪問

Nikkan2007_032 8月20日から22日まで、二年に一回開催される「日韓宗教研究フォーラム」に参加していました(僕はその日本側の運営委員のひとりです)。場所は岡山県浅口市。金光教の誕生した場所です。二日間にわたる大会は無事(?)終わり、22日は恒例の「見学遠足」です(大体学術大会の後、宗教と関係のある施設を訪問させてもらっています。二年前についてはこのエントリを参照してください)。

Nikkan2007_041 今回訪れたのは、瀬戸内市にある国立療養所邑久(おく)光明園。ここはハンセン病の療養所で、同じ島に長島愛生園があります。ハンセン病は、つい最近まで非常に法律的に理不尽で人権を無視した政策の対象となっていた病気です(らい予防法が廃止されたのは、つい10年ほど前の1996年です。ハンセン病という名称もこの時から正式に使われだしたそうです)。古くは「天刑病」とさえ言われ、宗教的な意味さえ持っていたこの病気ですが、現在は完全に病原菌たるハンセン菌を撲滅する薬もでき、不治の病ではなくなりましたが、いまだに元患者さん(既に体内の菌は消滅しているので、こういう表現が正しい)達はひどい偏見に苦しめられています。障害をもっていたり、故郷に縁を切られてしまったり、高齢化してしまったという理由で、病気がこれ以上進行することがない患者さん達ですが、療養所にNikkan2007_059 ずっととどまっておいでなのです(全国のどの療養所も同じような状態と聞きます)。まずはこの邑久光明院の園長先生から、ハンセン病に関するレクチャーを受けました。先生は細菌学がご専門で、らい菌についても詳しくお話を聞けました。まずこの菌は体温の比較的低いところを好む傾向があり、それが顔、手足と目に付きやすいところに症状が出やすい原因であること、そしていわゆるハンセン病の特徴である体の変形は実はらい菌が原因ではなく、この菌で末梢神経が麻痺してしまうために(この末梢神経麻痺で、まぶたが降りたり手首、足首が曲がったまま、ということは引き起こされますが)、痛覚や温度覚がなくなってしまい、やけどや怪我をしても何も感じず、それで二次感染や化膿によって一部が壊疽を起こしたりといった障害を負ってしまうということだそうです。

Nikkan2007_055 さて、近代東アジアの「救癩」活動は、まずクリスチャンの伝道活動の一環として発足し、後には文明国・一等国を目指す日本の「体面」を整えるために国家が率先して隔離・強制収容を行っていった歴史を持ちます(植民地朝鮮でも、強制的な隔離政策が行われました。全羅南道の「小鹿島(ソロクド)」という島の収容所が一番有名です)。
最初にハンセン病にキリスト教が関わったのは、宣教師達が医師の資格を持っていたり、ハンセン病患者が宗教的にキリスト教で大きな意味を持っていたからでもありますが、その後もハンセン病は宗教と切っても切れない関係を持ち続けました。それを今回拝見しに行ったのです。最初に種明かしをすれば、それは「慰め」と「葬式」との関係です。「慰め」というのは、勿論宗教的な慰め、救いを隔離された患者さん達が求めたのは想像に難くないでしょう。しかし、それ以上に大きな問題は「葬式」でした。Nikkan2007_057 というのも、患者さんはかつて一旦療養所に「収容」されれば、その多くはそこで死を迎えたので、「何式での葬式をして欲しいか」というのを事前に聞いておくことが重要であり、入所したら、必ずどの宗派が良いか、というのを決めさせられたと、ある方が証言なさっていました。あまりの重い言葉に、一同首をうなだれてしまいました。

Nikkan2007_075 まずは納骨堂と、その周りの各宗派の集会所を見学させていただきました。この納骨堂には、故郷に帰れない方々の遺骨が納められているわけです。そこで黙祷して、まず仏教宗派の集会所を見学。日蓮宗、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真言宗の建物が納骨堂の周りを囲んでいます(今日は無人でした)。その隣には天理教と金光教の建物があります。案内してくださったのは所内の金光教の方。この方は入所した当初(まだ少女の時)文通していた相手が金光教の方で、それが縁で信仰に入られたそうです。
その後、これらの施設と少し離れたところにあるキリスト教の教会にお邪魔しました。ここでは信者の方と牧師さんが何人かいらして、貴重なお話をお聞きする事ができました。先ほど述べた「葬式のやり方を決めておくために、強制的にどれかの宗派に所属させられた」というのもここでお聞きしましたし、在日コリアンのハンセン病患者についてのお話もここで聞くことができました。実際何人かその場にいらっしゃいましたし(この療養所は近畿圏からの患者が集められたので、勢い在日コリアンも多かったそうです)、その在日コリアンの方々は大体日本の宗派に馴染めず、キリスト教を消去法で選んだということで、教会のメンバーの半数近くが在日コリアンだった時期もあったそうです。

Nikkan2007_081 ホンの短い時間しかお邪魔できませんでしたが、焼き付くように暑かった「小島の夏」は、しばらく忘れられない経験になりました。お邪魔した光明園の皆様、ありがとうございました。あまりも考えさせられることが多くて、まだ頭の中がすっきりしていませんが(すっきりさせずにずっとじっとり感じ続けるものでもあるのだと思いますが)。

追記:僕が過去に書いた荒井英子著『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店、1996年)という本の紹介と、この療養所訪問をご一緒した弓山先生monodoiさんのブログもご参照ください。

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December 24, 2006

久高島へ

Okinawa0612_122 沖縄出張の最終日。今日はそれぞれ三々五々飛行機に乗って帰るだけなので、僕は夕方遅めの便を取って、今回の見学旅行をコーディネートしてくださった佐藤壮広先生に最後まで甘える形で、オプショナルツアーに参加しました。
向かう先は、二日前、斎場御嶽から眺めた「久高島」です。この島は、神女組織が12年ごと、午年に行う「イザイホー」という祭りが大変有名で、名前を聞いたことのある方も多いかと思います(過疎のため、1978年以降は行われていません)。Okinawa0612_134 余所者はこの島のものは石一つ持って帰ってはならない、とまでいわれる「神の島」だったそうです(同行者のO先生は、お子さんのために、珊瑚の欠片を拾って持ち帰ってしまいましたが、内緒です)。
全部で11名、タクシーに分乗して、ホテルから久高島行きのフェリーがでている安座真港に向かいます。フェリーで20分ほどの小さな船旅の始まりです(ついでにいうと、この日はけっこう波が高く、僕も久々に船酔いしそうになりました)。

Okinawa0612_131 さて、この島について、琉球大学の赤嶺政信先生という方が以前に作られたレジュメを参考資料として佐藤先生からいただいていたのですが、何と驚くべきことに、その赤嶺先生がご自分のゼミ生をつれて、偶然にもフェリー乗り場にいらっしゃるではないですか!恐るべき偶然。これには本当に驚きました。赤嶺先生も、いわば実習として学生達を引き連れての見学だったそうで、たまたま居合わせた我々は、図々しくも先生のレクチャーを(タダで)聞くべく、ご一緒することになりました(島ではもっとボーッとする予定でしたが、しっかり「学習」してしまいました)。この場を借りて、赤嶺先生と学生の皆さんにお礼申し上げます。
赤嶺先生の案内で、島のあちこちにある「御嶽」や聖地を回ることが出来たのですが、Okinawa0612_147 あっという間に帰りの船の時間!!最終便で帰る赤嶺先生ご一行を後に、僕たちは走って船着き場に戻りましたが、佐藤先生の案内で、最後に、イザイホーが行われた小屋を見学する事ができました。家に帰って、イザイホーの写真集を見て「ああ、確かにここだ」と確認できました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、そのままフェリーで久高島を離れ、港から首里城まで戻り、モノレールで空港に戻りました。

短い間でしたが、本当に沖縄が好きになってしまいました。商売柄、「オリエンタリズム」とか「植民地主義」とか「ポストコロニアリズム」とか、そういう言葉を使ったりすることも多いのですが、済みません、こんなに簡単に沖縄という土地に癒されてしまいました
あと、ついでにいうと、お酒というのは、本当に気候に左右されるものだなあ、というのを実感しました。沖縄だと、本当に泡盛がうまく、僕のように弱い者でもスイスイ飲めてしまったのです(1:1の水割りが良いですね)。でも、おみやげに買った泡盛を自宅で飲んでも、それほどおいしくなく、すぐに酔っぱらってしまいました。
今度は完全に仕事抜きで訪れたいと思います。

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December 23, 2006

沖縄出張その2

Okinawa0612_071 この日の見学はまず、うるま市にある「生天光(せいてんこう)神明宮」というお宮に行きました(お宮、という表現は、ここを作った「光主」ことTさんの表現。新興宗教や宗派ではない、という主張をしています。このTさんも、いわゆるユタだったそうです)。というわけで、ここではわざわざ我々見学者のために、いわゆる「朝の礼拝」を行ってくださり、それを見学させてもらいました。
宗教学者としてクールに扱うなら、神道系の新宗教の一つ、ということになるのでしょうが、沖縄の地元の神や、彼女なりの独特の世界観が渾然一体となっていて、「本土」の神道系新宗教とは一線を画しています。Okinawa0612_080 どうも普通の「神道系新宗教」というカテゴリーには、ちょっと入りそうもないと思いました。その世界観は、僕などが到底説明できるものではありませんが、地球を守らねばならないとか、そういういわゆる「ディープ・エコロジー」的な発想も見え隠れしていました(ネイティヴ・アメリカンとの交流も行っているそうです)。でも、驚いたのが、このお宮、ちゃんと神社本庁傘下に入っているそうです。神社本庁も、思ったより柔軟なのかなんだか知りませんが、素直にびっくりしました。

昼食に沖縄そばを食し、今度は沖縄市泡瀬において、これまたユタの方の儀礼を拝見しました。場所は「泡瀬びじゅる」というところ。地元の方の信仰を集めているところらしく、立派なお祭り道具も倉の中に入れてもらって拝見しました。

Okinawa0612_115 その後は、南風原文化センターにおいて、沖縄出身のアーティストと沖縄の精神科の医者である方をゲストに招いて、【痛みとアートの可能性―「痛み」の臨床と精神文化の諸相を知る】と題されたトークセッションを行いました。これはいわゆる「宗教」的現場では、「痛み」をどのように感じて、どのように解きほぐすかという臨床的な課題というものがあり、それはアートや精神医療にも通じるだろうということで、上記のような方にゲストとして喋っていただいたのです。
話は多岐にわたって、まとめられないのですが、僕が聴き取って印象に残った部分は、沖縄も韓国も近現代史において、拭いがたいトラウマとも呼ぶべき事件を経ているわけですが、それをどのような形で昇華するか、というときに、例えばアーティストの活動(ある場所、ある時間に起きた特殊な出来事が、アートを通じて普遍性を持ち、例えばコザと光州を繋ぐ回路が出来ることもあるかもしれません)や、伝統的なシャーマニズムや神観念を通じた「緩解」への方策が探れないだろうか、という問題提起がなされていたと思います。
通訳の難しさや、沖縄のトラウマの解き方と、韓国における「恨プリ(「恨」を解くこと)」についての差異などによって、なかなか対話が錯綜してしまいましたが、僕が思ったのは「痛み」を完全に除去することが出来ないのなら、どのようにして痛みとともに生きていくか、もっと言えば「軟着陸させるか」ということが重要なのではないか、と思いました。なおこのセッションに関しては、こちらの方の感想もご覧ください。その後はこの会場である南風原文化センターのご厚意で、そのまま立食パーティを行わせてもらいました(たくさんの料理や泡盛まで用意してくださって、感謝です)。

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December 22, 2006

沖縄出張その1

この21日から24日まで、沖縄に出張してきました。
僕は「日韓宗教研究フォーラム」というものの日本側運営委員の一人なのですが、その日韓合同運営委員会を沖縄で開催し、ついでに沖縄の宗教文化を色々見学しようという試みだったのです。21日は飛行機で様々なところから那覇に集合して夜に会議をしただけですので、これは割愛して、22日のことからブログに記録しておきたいと思います。

Okinawa0612_010 22日の見学は、世界遺産にも登録されている「斎場御嶽(セイファーウタキ)」からスタートしました。簡単に解説しますと、これは沖縄本島の南端に位置する聖地で、昔は琉球王権に関わる祭事が行われた禁足地でした。ちなみに「御嶽(ウタキ)」とは、沖縄における聖域で、本土の村の鎮守のようなものと思えばいいでしょう。この「斎場御嶽」では、聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる巫女のトップ(琉球王の妹など、血縁の女性がなっていました)が祭事を行っていた場所です。僕は講義でこの御嶽や聞こえ大君の話を教えたことがあったのですが、実際に訪れたのは初めてだったので、興奮してしまいました。
Okinawa0612_014 天気もよく、眼下に広がる海の向こうに、聖なる島の久高島(くだかじま)もはっきり見えました。この久高島も、琉球神話にとって非常に重要な場所であり、島の女性が執り行う「イザイホー」という祭りで有名だった島です(久高島に関しては後述)。

Okinawa0612_037 この日の午後は、有名な「平和の礎(いしじ)」がある沖縄平和祈念公園を訪れました。ここは、沖縄戦で亡くなった様々な人の慰霊塔がずらっと立っている公園です(立派な資料館もあります)。亡くなった方の名前を一人一人刻んだ「平和の礎」の他にも、都道府県別の慰霊塔や(ついつい自分の地元の府県の慰霊塔を探してしまいました。各県によって個性があります)、韓国人慰霊塔もあります。ここでは、この見学旅行をコーディネートしてくださった佐藤壮広先生のお知り合いのユタ(沖縄の民間シャーマン)の方に、「沖縄戦没者墓苑」(遺骨を納めている国立の墓苑)にて沖縄流の慰霊の儀礼をしていただき、それを見学しました(僕たちも、線香を燃やしたり、紙銭を納めたりして参加しました)。Okinawa0612_052
このユタと呼ばれる人々は、いわゆる「霊感」が強い人が長じてなることが多いのですが、今回儀礼をやってくださった方も、大変霊感が強い方でした。というのも、最初この方は「韓国の人が怒ってるよ」とおっしゃったので、何のことかな、と思って聞いたら、「こちら(墓苑)を先にお参りして、自分たち(韓国人慰霊塔)を後回しにしてるって」とおっしゃるではないですか!韓国の人、というのは、「韓国人の魂」だったというわけです。我々は、この方にお参りする順序など教えてもいないのに・・・(韓国人慰霊塔は最後にお参りする予定でしたが、このユタの方には、お会いする時間と場所しかお伝えしていなかったのです)。これには、不信心者の宗教学者たる僕も思わず身震いしてしまいました。「この人は本物だ」と。
この沖縄平和祈念公園は大変広く、ここをぐるっと回るだけで午後一杯が終わってしまい、今日の見学はここまででした。(翌日に続く)

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July 16, 2006

名古屋港にて

060716_nagoya_2 さて、昨日は鈴木祥子さんのライブの追っかけで名古屋に来て泊まったわけですが、今日は一人で名古屋観光をすることにしました。最初、名古屋在住の友人に連絡しようかと思ったのですが、彼も休日は家族サービスの日だろうな、と遠慮して電話しませんでした。
で、僕が向かったのは名古屋港。というのも、実は僕、水族館が好きで(東京近辺の水族館は、けっこう制覇していると思います)、この機会に、日本最大級の水槽を持つ「名古屋港水族館」に行こうと決心したのです。

ホテルを9時半頃チェックアウトして、すぐに地下鉄で名古屋港に向かいました。
当たり前ですが、水族館といえば、家族連れか、カップルが行くところ。僕も昔はデートで良く水族館に行ったものですが、今回は、生まれて初めて独りで水族館に行ってしまいました。いやあ、今日ほど孤独が身に染みたことは近年ありませんでした(笑)。ようやく僕も大人の水族館マニアの仲間入り、かも知れません。

060716_nagoya_4 それはともかく、この水族館の「売り」の一つが、イルカやシャチ、ベルーガ(白イルカ)などのクジラ類の巨大水槽とショー。入り口から、イルカとシャチが泳いでいる水槽を見せつけられます。子どもたちはここから大はしゃぎ。今日は何度も飛び跳ねている子供にぶつかられたなあ。この水族館は大きく「北館」と「南館」に別れていて、北がクジラ類、南が様々な水槽に魚やペンギンがいるという作りになっています。この北館は、クジラの進化の様子を豊富な化石で説明しており(骨格標本もたくさんありました)、古生物学が好きな人にはたまらないでしょう。基本的に家族向けの水族館だと思いますが、けっこうアカデミックさも保持していると思いました。

060716_nagoya_14 その「北館」にショーを見られる巨大プールがあり、そこで僕もダイナミックなショーを堪能しました。イルカショーというのは、大体どこも同じなわけですが、「やっぱりイルカって賢いなあ」と思いました。というのも、もらった餌で「遊ぶ」イルカがいたからです。彼か彼女か判りませんがそのイルカは、ご褒美としてもらった餌を飲み込まず、くちばしの先で空中に放り投げては自分でそれをキャッチするという「遊び」を延々やっていたのです。話は変わりますが、私の妻は根っからのパンダ好きなのですが、何故好きかというと、容貌の可愛さも当然ですが、彼女が言うには「滑り台で下りてきたり、タイヤのブランコで遊んだりするのがたまらない」とのことです。「遊ぶ」動物は、やっぱり感情移入のしがいがある、と言うか、そういう気持ちにさせてくれると僕も思います。そういえば、犬や猫も「遊び好き」ですよね。

ところが、僕は「感情移入できそうにもない」動物もけっこう好きです。昆虫とか、海の中で、何を考えているのか判らない生物とか(ウニョウニョしているのは苦手ですが)。南館は魚中心の展示なのですが、クラゲとか、感情移入を拒む生物の展示も見所でした。まあ、クラゲはけっこう「癒し系」と認識している人も多いのですが。
僕が今回ある意味一番「感動」した展示生物は「オオグソクムシ」です。僕は、この生物のことは早川いくを『またまたへんないきもの』(バジリコ刊、2005年)でその存在を知ったのですが(本で紹介されているのは、この仲間で一番でかい「ダイオウグソクムシ」ですが)、実物を見るのは初めてで、感動しました。
あと、シネマ館で上映されていた昆虫映画が、けっこうハードコアで、良かったです(ナレーションはモデルのはなちゃんです。はなちゃんのナレーションで「さなぎの中はドロドロ」とか言わせなくても・・・)。あ、そうそう、この水族館は「ウミガメ」も見物ですよ。なんでも、館長が「ウミガメ博士」らしく、人工孵化も行っていて、可愛いウミガメの赤ちゃんがわんさか見られました。

060716_nagoya_3 というわけで、一人ですが、展望台にも登ったり、「南極観測船ふじ」にも入ったり(中の展示が充実!それに、マネキンがリアルで良いです。思わぬ収穫)、充実した時間を過ごして、そのまま帰宅しました。でも、「イタリア村」は行きませんでした(笑)。通り過ぎた馬車は見ましたが(運転している人がイタリア人かどうかは不明)。暑い中歩き疲れて、昼過ぎにそのまま名古屋駅に戻り、昼食を食べ(にぎり寿司&ビール)、そのまま新幹線に乗り込んじゃいました。

約40分で京都駅について、大雨が降っていたのでちょっと雨宿りしてから帰ろうと駅の百貨店に向かおうとしたら、偶然教え子のKさんに遭遇(彼女はバイトが終わって帰る途中だった)。「先生、顔赤いですよ」と昼酒がしっかりばれちゃいました。

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May 06, 2006

修学旅行顔負け

060506nara_012 大型連休も終わりに近づきつつありますが、今日は観光客でごった返している京都を離れ、少しは空いていることを期待して、奈良へ向かいました。よく考えたら、夫婦で奈良を観光するのは初めて。僕は小さな頃の遠足やハイキング、近年は大学の新入生を連れて行く合宿などで何度も訪れてはいるのですが、ゆっくりお寺などを見ることがありませんでした。小さい頃の記憶はとうになくなっているし(お父さん、お母さん、小学校の担任の先生、ごめんなさい)、妻も高校時代の修学旅行以来奈良に入ったことがありません。
と言うわけで、妻と相談して、修学旅行生のように、歴史の教科書に絶対出てくるような超有名な寺院を集中して回ろうということに決定しました。
近鉄京都駅で「奈良世界遺産フリー切符」という割引乗車券を購入して、まず向かったのは薬師寺です。西の京駅を下りたら、すぐそこが薬師寺です。僕も昔来たことがあると思うのですが、すっかり記憶をなくし、新鮮な気持ちで拝観することができました。ここは東西の塔と、金堂の薬師如来・日光菩薩・月光菩薩、東院堂の聖観世音菩薩という国宝の四つの仏像が素晴らしかったですね。時間が経ったり焼けてしまったせいで黒光りしているわけですが、それが神々しさを増していますよね。説明してくださったお坊さんのお話も、笑わせるノリで、妻は「やはりここは関西だ」としきりに感心していました(笑)。このお坊さんのお話は多岐にわたっていたのですが、一番印象的だったのは「法相宗(薬師寺は大本山です)は、日本で初めて深層心理を研究した学派です」という言葉。確かに、阿頼耶識とか、唯識論って、深層心理学に近いものがあるなあ、と感心。伽藍全体も、朱色を塗り直したりして派手に造っており(写真の東塔だけは天平年代のもので、渋く荘厳でした)、夫婦して、薬師寺のファンになってしまいました。

薬師寺を後にして向かったのは、すぐお隣の唐招提寺でした。鑑真和上が開いた律宗の総本山ですが、現在金堂の大改修中で、建物と仏像などが見られなかったのは残念でした。しかし落ち着いた雰囲気のお寺で、鮮やかな薬師寺の後にここに来ると、そのストイックさが身に染みます。さすが、戒律を持ち込もうとした鑑真のお寺。

060506nara_024 さあ次はどうしようかと思い、ここはやはり「大人の修学旅行」の仕上げとして、東大寺に行こうということになり、電車で移動。さすがに東大寺は本物の修学旅行生やお客さんでごった返していました。それに、この連休は東大寺大仏殿前において様々なコンサートや法要が行われており(今日は野村萬斎の狂言など)、その飾りが風にたなびいていました。恐らく僕はこの大仏、拝見するのは5回目くらいなのですが、やはりその大きさには圧倒されます。千数百年前にこんな仏像と大仏殿を建てたことを考えると、現代の高層ビルなんか、大したことないな、とさえ思いました(設計とかどうしたんだろう、と思います)。

060506nara_035 さて実は、僕は一昨日から、足を鍛えるという謳い文句の「NIKE Free」というシューズを履いているのですが、そのせいか急に足が疲れて、危うく大仏様の前で足がつるという失態を演じるところでした(かろうじてセーフ)。でも、ここまで来たんだから、もっと鍛えてやると半ばやけくそになって階段をダダダと駆け上がり、二月堂まで登りました。その後若草山をぐるっと回る感じで、春日大社、興福寺と廻って、夕方京都への帰路につきました。

天気も良く、うららかな南都を一日楽しみました。

今度はもっと奈良の奥の方に行こうと決心した我々二人でした(帰りは電車の中で疲れて爆睡してしまいましたが)。

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April 02, 2006

城崎温泉旅行にて

この土日、夫婦で初めて城崎温泉に旅行に行ってきました。別に志賀直哉のファンというわけではありません。それどころか、太宰治の「如是我聞」という罵倒エッセイを読んで以来、読んでもないのに、志賀直哉が嫌いになってしまっている僕です(笑)。事実、「城の崎にて」は教科書で無理矢理読まされたのですが、それ以外の彼の作品は手にも取っていないなあ。でも、妻と話し合った結果「メジャーな温泉を次々と攻めていこう」ということになって、ここを選びました。
まずは京都から「特急きのさき」に乗り、約2時間半。けっこうかかります。昔、文人墨客はどれくらいかけて、城崎に行ったのでしょうか。

Exp_kinosaki_1 (ちょっとレトロな車体でした)

電車から降りた途端、なんか湯気が・・・と思ったら、駅舎のすぐ隣の「さとの湯」(いわゆる城崎の「外湯」の一つ)という温泉の足湯でした。うれしがりの我々は、すぐさまものは試しと実践。

Ashiyu (左が僕、右が妻)

まだチェックインまで時間があったので、ぶらぶらと街中を散策。といっても、城崎はそれほど大きな町ではないので、すぐに端までいけちゃうんですけど。で、観光客はほぼ登るであろうロープウェーで大師山山頂に行って、町の全景を見ました。で、その山頂でいきなり目に入ったのがこれ。

Kaniduka_1

その名の通り「かに塚」なわけですが、城崎といえば、「かに王国」を名乗るほど、かに料理が有名な場所。食い尽くしておいてこういう碑を建てるのは、「アニミスティックな共生思想」なのか、それとも「ちょっと偽善」なのか悩むところです。でも、もっと衝撃的なものは、その隣にありました。

Kozou(目が危ない。爪まで青く塗っているのは何故?)

この一休さんライクな看板ですが、何とも言えない味を醸し出しておりました。この山にあるお寺は「温泉寺」という真言宗のお寺なのですが、看板がたいていこの小僧さん看板。フォローしておきますと、本堂でのご住職のご説明は非常に丁寧で良かったです。
山を下りて、宿にチェックイン。泊まったのは「千年の湯古まん」という宿。いつも思うんですが、温泉宿の夕食って、これでもかっていうくらい量が出ますよね。今回もそうでした。さっき見てきた「かに塚」のことをちょっぴり頭に思い浮かべながら、カニを貪り、満腹&日頃の疲れから、珍しく日付が変わる前に爆睡。

翌朝、チェックアウトして外に出たら、城崎を流れる川に人だかりが。何かと思ったら、「流しびな」のお祭りでした。

Nagashibinahanbai

普通の人も、上記のような流しびなを買って、そこに願いを書いて流せる、というイヴェントでした。
Kaijou (流しびなの舞台)

どこかのテレビ局も取材に来ていました。しかし、川の流れがゆっくり過ぎて、なかなかひなが流れてきません。しびれを切らしたイラチの僕たちは、「城崎マリンワールド」に向かいました。水族館好きの僕としては、やはり外せない施設です。城崎温泉駅からバスで10分ほど。城崎って、もっと山の中にあるというイメージを勝手に持っていたんですが、物凄く海に近いことを知りました。この水族館、トド、イルカ、アシカ、セイウチなど、いわゆる「海獣」が充実しているのですが、実は、僕の印象に一番残っているのはオオサンショウウオでした。入り口すぐの「淡水魚」の展示のところに、びっくりするような大きなサンショウウオが待っています。何でも、日本で一番大きい飼育オオサンショウウオだそうです(140センチくらい)。オオサンショウウオなんて、なかなか見ない上に、この大きさ。そして愛嬌。僕のツボでした。妻は、やはり上記の海獣やペンギンなど普通に可愛いものの方が良いみたいでしたが・・・。
Kamairuka (カマイルカのショー)

マリンワールドから駅に戻り、おみやげ屋さんを何軒か冷やかし、再び「特急きのさき」で京都に帰りました。
というわけで、英気を養い、明日からの新年度をできればしゃっきりした気持ちで迎えよう、とは思っているのですが、旅の疲れが出そうで、危険です。

「次はどこの温泉に行こうか」と帰宅後すぐに話し合った僕ら夫婦は、それなりに年を取ってきた、ということでしょうか・・・。

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August 25, 2005

旅行先でのトラップ

今日は日本に帰国するだけの最終日。
ソウルも風雨が強く、荒れ模様。BSを見ると、日本にもろに台風が近づいている。旅行の最後に、こういう「トラップ」が待っているとは。
「こりゃ、飛行機は遅れるだろうな。もしかすると、違う空港に着陸とか、下手すりゃ、欠航もあり得るな」といやーな予感。

10時にホテルをチェックアウトをして、ホテル前から発着する空港行きリムジンバスに乗って、一路仁川国際空港へ。僕の登場予定の飛行機は2時半に出発だったので、少し早めの出発だったのだが、午前中ソウルの街中をうろつく元気もなかったので、そのまま空港に向かった。
到着と同時にチェックインしたのだが、早速窓口のお姉さんから、「日本の天候が悪いから、遅れたり、キャンセルされたりする可能性があることをご承知おきください」といわれ、その念書のようなものにサインさせられる。ますますやばいなあ、という感じが高まる。
チェックインの後は、地下の食堂街で、最後の韓国食を食べようと思い、「スントゥブチゲ定食(豆腐を辛く煮込んであるもの)」を食す。辛いけど美味ーい。実は、尾籠な話で恐縮だが、この旅行中は胃腸の調子がいまいちだったのだが、それでもこういうものを欲してしまう・・・。
geumjacdその後は、隣接しているCDショップに行って、色々物色。買ったのは、僕が前に感想を書いたことのある映画「春の日は過ぎゆく」のサントラ。そして、我が敬愛するイ・ヨンエ様最新作「親切なクムジャさん」のサントラも勢いで購入。まだ、韓国でも公開されたばっかりだというのに(笑)。
最近の韓国人の歌手については全く判らないので、六年前に滞在していたときに流行っていたキム・ヒョンジョンという歌手の最新作をチョイス。芸能界での流行廃りの激しい韓国で、まだちゃんと歌手活動をしていることに敬意を表して。
このCDを買い終えてから搭乗ゲートに向かったのだが、予想通り、台風の影響か一時間遅れる、という表示が点滅。アイゴー。しょうがないので、暇つぶしに免税店や書店をめぐったが、この四日間ネットに全く繋いでいなかったな、と思い、一時間W3000のインターネットラウンジへ向かう(30番ゲートの前です)。そこで自分のブログやメールに繋いだり、友達のブログを読んだり、台風情報を読んだりしているうちに時間が経ち、4時前に飛行機は出発。物凄く揺れるかな、と思ったらそうでもなく、拍子抜けして30分は爆睡。この拍子抜けもある意味「トラップ」。
とまあ、結局1時間半遅れで、何とか到着できました。しかも関西空港に着いたら、物凄く良い天気で、なんか悔しい思いをしました。

さて、このエントリのタイトルにつけた「トラップ」なんですが、実は、最大のトラップは、朝にあったのです。僕はNHKBSで最新の台風情報を仕入れようと、チェックアウト寸前までテレビを見ていたのですが、なんとそこではアニメ「フランダースの犬」がやっているではありませんか(しかも最終回近くの回)!!このアニメは、僕と同世代なら、小さい頃見て「トラウマ」になったアニメで、苛められるネロがあまりに可哀想で、正視できず、何度もチャンネルをガチャガチャ回した(当時のテレビは、チャンネルは「回す」ものでした)ものです。というわけで、恥ずかしながら朝っぱらから泣いてしまいました。ひどいよ・・・・。チェックアウトするとき、真っ赤な目をした僕を不審そうな目で見るホテルマンの視線が痛かったです。

皆さん、台風とBSの番組には気をつけましょう(笑)。

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August 24, 2005

ソウルの本屋&マンガ事情

kanemma

さて、昨日で「学問的」な事は終わり、朝にフォーラムは解散。
そのままバスでソウルのロッテホテル前まで送ってもらい、僕はまず先輩のK先生と、後輩のF君(韓国のキリスト教を研究中)と三人で、ベタですがロッテホテル裏の繁華街「明洞(ミョンドン)」で、焼き肉(K先生の強い希望による)。愛想の良いおばちゃん(僕は「あーん」までしてもらう羽目に。おじさん、おばさんに相変わらずもてる僕です)が経営しているお店で、生カルビを食べ、昼間から酒(僕は軽くビールでしたが)。
ほんのり顔を赤らめつつ、ソウル中心街の大書店をハシゴ。まずは、ロッテ百貨店の交差点を越えたはす向かいのビルの地下にある「リブロ」というワンフロアの書店。ここは、実は初めてでした。多分、できたのはそれほど昔ではないと思います。その後は、おなじみ、韓国最大の書店の「一つ」(昔は文句なく一番だったんですが、新しいところに大型書店ができたりしたので)である「教保文庫(キョボムンゴ)」。ここでK先生は、最近はまっている「韓流」映画のDVDを大人買い
ここで一旦K先生は宿泊先のホテルに戻り、僕とF君はそのまま学術書を探しました。ここではあまり収穫がなく、地下鉄鍾閣駅の南側にある、これまた大書店の「永豊文庫(ヨンプンムンゴ)」に向かいました。ざっと見た感じですが、教保文庫より、学術書はこっちの方が品揃えが良くなった気がします。韓国の書店も、栄枯盛衰が激しいです。

kankuroko

そして、サブカル研究者(自称)の僕としては、韓国のマンガや雑誌事情も調べねば、と変な義務感が頭をもたげ、そっちのコーナーにもいって参りました(こっちの方が滞在時間が長かったかも)。さて、マンガについてですが、僕がざっと見たところ、ある意味残念なことに、7割から8割は、日本のマンガの翻訳物で占められていました。しかも、どういう翻訳システムになっているのか知りませんが、あまり作品を選んでいません(笑)。読み続けると確実に頭が悪くなりそうな某ヤンキーマンガや、「このギャグはどうやって翻訳したんだろうか」という疑問ばかりが先行しそうな作品まで・・・。で、ついつい気になって買ってしまったのが写真に上げた森薫先生の『エマ』と、ノナーこと野中英二先生の『魁!!クロマティ高校』です。ちなみに、『クロ高』は、『突撃!!クロマティ高校』と訳されています。大丈夫でしょうか・・・。これから、日本語版と比較して、韓国語のお勉強をしてみようと思います。ざっと見たところ、結構日本語に忠実に翻訳されている(直訳ともいう)ので、却って不安感が増しますが。日本が、このようなマンガを通して、益々誤解されたらどうしよう、などといらぬ心配をしてしまいます。だって、日本人にも元ネタが判る人の少ない『クロ高』の副題まで直訳しているんですよ!!「零点・家出編」とか「プロ野球編」とか(笑)。

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さて、夕方にF君と別れて、再びK先生とホテルのロビーで待ち合わせて、今朝、いきなりK先生が「ソウルに行ったら、あそこに行こうと決めていたんだ」といって予約したお店に連れて行ってもらいました。その店は、仁寺洞(インサドン)という街にある「山村(サンチョン)」というお店です。

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仁寺洞は陶磁器店が並んでいるおみやげ屋ストリートとしても有名ですね。ここは、その名の通り、山菜料理がメインの店で、お昼はカルビ、夜は完全ベジタリアンと、極端な食事をしてしまいました。まあ、結果オーライでしょう。写真のように、山盛りの山菜料理が次から次へと出てくるのです。すごく健康になるような気がします。


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そして、ここはその精進料理だけが素晴らしいのではなく、何と韓国の伝統舞踊のショーまであるのです。写真は、まるでムーダン(巫女)のような踊りのと、三人がジャーンジャーンと銅鑼や太鼓をかき鳴らしながら回る激しい踊りです。こんないいところに連れてきてくださったK先生には感謝です。ここは結構有名なところですから、ガイドブックにも載っていますよ。おすすめ。外人さん(僕たちもですが)の比率も高かったな。

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夜は約30000ウォンのフルコースだけなので、迷いません(笑)。あと、濁り酒がうまかったです。帰りはフラフラ。こうしてソウルの夜は更けていったのでした。

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August 18, 2005

石庭を眺め、悟りを得るか?

今日は、妻と酷暑の中、京都散策。
彼女のリクエストで、まずは龍安寺に向かう。あの枯山水の庭園があまりにも有名だ。
僕も、恐らく幼い頃父に連れられてきたような記憶があるが、大きくなってからは、実は初めて。 さすがに、外国人観光客も多く、にぎわっている。胸に「鎌倉」とか大きく書いてあるTシャツを着ているような、ほほえましい観光客だ(笑)。でも、僕が着ている「Oxford」(これは両親のイギリス土産)、「Princeton」(これはプリンストン大学から京都に留学に来ていた友人からいただいた)とか、そういう大学名が入ったTシャツも、もしかしたらかなり恥ずかしいものかも。人のことは言えない。

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いやあ、この石庭を眺めても、やはり、悟りの道は険しいです。寺のパンフレットの石庭の説明は、英語の方が充実している感じ。ちょっと引用すると、

It is up to each visitor to find out for himself what this unique garden signifies. The longer you gaze at it, the more varied your imagination becomes. (試訳:この独特の庭の指し示すものは、訪れた人が自分の中に何を見いだすかということに依る。この庭を眺めれば眺めるほど、想像は様々な形を取るようになる)

なるほどね。

この庭園の先にある「つくばい」も拝見。「吾唯知足(ワレ、タダ、タルヲシル)」と読める。
これを図案化したお菓子もあったなあ。

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龍安寺を後にして、そのまま南に下って、もう一つ有名な石庭をもつ妙心寺に向かう。ちなみに、龍安寺も、臨済宗妙心寺派の一つ。地図で見たら近いかな、と思ったけど、結構辛かった。

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妙心寺退蔵院の石庭。「陽の庭」と「陰の庭」と、対照的な庭が造られている。
両方とも今度は、こんな暑い最中ではなく、もうちょっと涼しいときに落ち着いて眺めたい。この暑さの中では悟れるものも悟れない俗人な僕です。

この二つのお寺をめぐるだけで、結構体力を消耗し、そのままJR花園駅から帰宅。

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May 03, 2005

下鴨神社の流鏑馬

今日は、妻と一緒に久々の京都散策。
まず目当ては、下鴨神社で、葵祭の最初の行事として行われる流鏑馬。朝、@station(FM京都)を聞いていて今日行われることを知り、いそいそと出て行きました。
予想通り、すごい人並み。それと、セミプロのカメラマンの人々が(おそらく)朝からコース前を陣取って、ものすごい装備のカメラで待ちかまえていて、その気合いと、相当な程度の傍若無人さに当てられました(「あ、あんた、構図としてじ邪魔やから、そこどいてくれ」などという要求を平気で神社側の人間に言ったりする。彼も仕事で馬場をならしたり、色々しているのだろうに。全く)。
なお、英語、韓国語、中国語でアナウンスしている神社側のホスピタリティには関心。

まずは、コスプレ昔の衣装で身を固めた人々の行列から、この行事はスタート。

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一番後ろでちょこまかしている小さな子どもたちは、流鏑馬の的を持っています。
そして、実際に流鏑馬をするりりしい方々が入場。

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で、始まったわけですが、先ほど言ったセミプロのカメラマンが完全にいい場所を押さえているので、ろくに見えやしません。それに、流鏑馬って予想以上のスピードで、あっという間に終わるんですよね。20秒ほどで三つの的に矢をいかけて終了、という感じでした。でも、そのスピードのすごさで、流鏑馬をする人の超絶技巧が判りました。

待つこと一時間以上、流鏑馬を見たのは数分、という感じで、その後腹も減ったので、神社のすぐ脇にあるみたらし団子屋に。

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この団子を食べて元気を取り戻し、そのまま銀閣寺方面に歩き、妻の目当ての和菓子屋さん(彼女は和菓子にこっている)に行って買い物をし、「哲学の道」を下り、岡崎公園を経て、河原町四条まで歩き通しました。やっぱり、京都は結構いい意味で狭いです。

夜は、東京から来た元教え子カップルと一緒に、4人で飲み。元教え子のNさんが「彼氏と連休は京都旅行するので、夜に会いませんか」、と言ってくれたのです。
そして僕がネットで見て適当に予約した「まんざら亭先斗町店」というところ。二階の座敷に通され、結構長居してしまいました。真面目な話題から、少女漫画の話題(こっちの方が、僕は得意)まで、4時間くらいしゃべり通し。
彼らが泊まっているホテルがちょうど僕の自宅への帰り道の途中にあったので、彼らを送るという名目で、足も疲れていたし、タクシーで帰宅。休日らしい休日でした。

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October 30, 2004

ソウルそぞろ歩き

学会から一夜明けて、今日は一日オフ。折角ソウルに来たのだから、久々に色々歩いて、研究書なども仕入れようとの魂胆だ。

まずはゆっくり朝起きて、ホテルの周りの安い食堂を探し、適当に入ったお店で「テンジャンチゲ定食(味噌汁定食ですな)」を注文。朝から辛いテンジャンチゲを食べて、眠気と昨日の酒が吹っ飛ぶ(気がした)。しかもこの店、その時客は僕一人だったのだが、僕の目の前で夫婦げんかを始めやがった。気の弱い僕は気が気ではなく、早々にここをあとにした。

まず向かったのは、江南(カンナム)の「高速バスターミナル」駅。同僚の井上先生から、ここにある永豊文庫(韓国の大手書店)の新しい店は品揃えが良いと聞いていたからだ。ということで、地下鉄に乗ってそのお店に行くと、確かに広くて大きい。最初は「ここで買うと、あとで身動きが取れないからなあ」と思って控えめにしようと思っていたのだが、本屋さんでは一度火がつくと止まらない僕(普段の生活では色々躊躇しまくりですが)。結局ここで大きめの学術書を7冊ほど買って、まさに身動きが取れなくなってしまった(マジで指がちぎれるかと思った)。軟弱な僕は早速宿に戻り、これらの本を置いて再出発する事を決意。出発してから3時間弱で宿に戻るという体たらく。

宿に戻って、本を置いて再出発する頃、ちょうどお昼時だったので、目の前にあった中華料理屋で、懐かしの韓国「ジャジャン麺」を食す。韓国ではポピュラーな麺です。

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(全く辛くないので、辛いものの苦手な方にもお薦め)

その後僕が向かった先は、「韓国の秋葉原」と呼ばれている龍山(ヨンサン)。ちなみに、僕が20年ほど前、ソウルで住んでいたのはこの近く(龍山区二村洞)。もちろん、そのころと比べるのが大間違いなのだが、数年前と比べたって、この龍山の変貌は目を見張る。何でも、ターミナル駅として最近改装されたんだとか。駅の向こうに、様々なお店がひしめくビルが見える。あれ、なんか変なものが見えるなあ。ここは日本橋じゃないんだし、そんなはずは・・・。

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(龍山駅から見た電気街)

さあ、近づいてみました。やはりガンダムです。このビル(電子ランド)には、この前僕が訪問した大阪日本橋の「GUNDAM'S」同様、ガンダムグッズばかり置いている店がありました。

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(ガンダム及びバンダイの伝染力恐るべし)

で、ちょっと思い出話を話せば、僕は小学生の2年生から5年生の始めまで韓国のソウルにいたのですが(父が某銀行のソウル支店に勤務していた)、そのころの日本は、まさに「第一次ガンダムブーム」でした。つまりガンダムのプラモデル、いわゆるガンプラブームでもあったわけですが、僕が確か小学3年生頃(1980年頃)、韓国の文房具屋に、既に韓国製(だったと思います)のガンプラが売られていたのが思い出されます。僕たち日本人学校の生徒はそれを喜んで買ったと思いますが、塗装などはできなかったので、帰国しては韓国には売っていない種類のものや、塗料用具などを買い込む(もしくは友達に頼んで買ってきてもらう)ということをしていたと思います。考えてみれば、日本文化開放などまだまだだったこの時代、そのころ、韓国人はアニメのガンダムを知らずにガンダムのプラモデルを買っていた可能性もあるわけで、実はそのころから、このビルのような事態は準備されていたのかも知れません。以上、思い出話終了。あ、もう一つついでに言うと、アニメに関しては昔から日本からこっそり輸入していました。ガンダムに関しては確認していませんが、僕自身はアトムやらマジンガーZの韓国語版を見た記憶があります。

さて、「韓国の秋葉原」といわれるだけあって、家電やコンピューターショップは本当に多いですが、今の秋葉原を代表するもの、そう、つまり「オタク」な方面はどうか、というのを確かめに行ったわけですが(結局それかい!)、結論から言うと、確かにあることはあったけど、大したことはなかった、というのが正直なところです。その手の一番の先進国から来ているんだから、こうした感想を持つのは当然かも知れませんが、多分、決定的に韓国の龍山になかったのは、いわゆる「エロ」です。今も規制の厳しいお国柄、ちょっとやそっとではこの辺りはブレークスルーしないようです。

で、マンガ方面でもいまだに日本はトップを走っているわけですが、最近の韓国では、以前のような海賊版やパクリとは違い、ちゃんと版権を獲得して翻訳して日本のマンガを紹介するようになりました。そして見つけたのは、あずまきよひこの『よつばと!』韓国語版です。何で買ったかというと、韓国語の勉強になるから、という取って付けたような理由もありますが、韓国版限定のノベルティがついていたからです。一巻の表紙を使った簡易バッグでした。

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(戦利品?ハングルで「よつばと」と書いてある)

でも、このバッグはさすがに使えません。宿に帰ってから、韓国語版をパラパラ見たのですが、なかなかマジで勉強になります。色々意訳もしているようですが、例えば「かなづち(泳げない方の)」を韓国語では何というかが判りました。「ビール瓶(メクチュビョン)」というのです。いやあ、勉強になるなあ。←強引

夜はせっかくのソウルの夜だから、というので、観光地の定番の仁寺洞(インサドン)に行ってきました。結局何も買わなかったけど。当然日本人観光客も多かったです。

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(陶磁器や骨董品や工芸品の道筋です)

で、夕食は、昨日の暴飲暴食を戒めるために、牛のテールを煮込んだ白濁スープの「コムタン」を食べる。独りで食事して様になる韓国料理は、残念ながら、こういう「スープ+ご飯」系か「ビビンパ」くらいしかないように思う。焼き肉なんかは独りで食べるもんじゃないですからね。

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(胃に優しく、やはりうまかった)

でも、その後何となく最後の夜に一杯飲みたくなって、ホテル横のスーパーで、缶ビール一本と僕が昔から好きな「エース」というクラッカーをつまみとして買って帰る。あわせて約W2000也(約\200)。

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(安上がりな僕)

風呂上がりのビールを飲みつつ韓国のテレビを見ていると、それは芸能ニュース番組で、イ・ビョンホンやチェ・ジウが日本で爆発的人気、というニュースを流していた。
翌日の出発便が早かった(朝の10時発)ので、そのまま日付が変わる頃には寝てしまう。ぐーっ。

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October 28, 2004

久々のソウル

今日、久々にソウルに到着。「東学学会」という学会で、発表する(させられる)ためだ。

実は、韓国研究者の端くれでありながら、この数年はソウルに来ていなかった。というのも、主な理由は、釜山に僕の「先輩」にあたる先生がいらして、その人に呼ばれるときはいつも釜山だったし、それ以外でも、空港から例えば学会会場に出迎えのバスで直行、というパターンが多かったので、仁川国際空港から独りでソウルに直行というのは初めてだったのだ。
「この番号で良いんだよな」とおそるおそる「602番(清涼里行き)」というバスに乗り込み(W7000)、宿舎に向かう。宿舎は鍾路(チョンノ)というソウルの中心街にある「ソウル観光ホテル」。以前にも泊まったことがあるので、僕がそのままこのホテルに直行し、そのロビーで、今回僕を呼んでくださった林泰弘(イム・テホン)先生とお会いすることにする。
林先生は東大で博士号を取られた方で、東アジア三ヶ国の宗教思想がご専門。明日開かれる「東学学会」の「東学」とは、以前は「1894年の東学党の乱」と憶えさせられた、あの「東学」である(今は「乱」とは言わず「農民戦争」というのが普通。韓国の学会では「革命」という人もいるけど、僕は普通に「農民戦争」で良いと思っている)。林先生も僕も東学研究をしているので(僕は修士論文で少し扱った程度だが、林先生はまさにその専門家中の専門家)、そういう縁もあり今回呼ばれたわけだ。そこで、まず鍾路の奥の方にある天道教(東学の後身)本部へ向かう。僕もここを訪ねるのは久しぶり。その時は外から眺めただけだったが。本部には、植民地時代に造られた建物が、今も健在。その前で記念撮影。

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(設計者は日本人。ぱっと見にはカトリックの教会と間違える人もいるかも)

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(門の前で記念撮影)

そして林先生とそのまま繁華街として有名な明洞(ミョンドン)の方に行き、僕のリクエストで、「参鶏湯(サムゲタン)」を食す。知っている方も多いだろうが、この料理は鶏を丸ごと一羽使って煮込む料理で、その鶏の中にはお米や高麗人参などが詰まっていて、よく夏に、日本で言えばウナギのようなノリで食べるそうだ。僕は今回の旅行では、日本ではなかなか食べられない、いわゆる「スープ系」の食事をしようと思っていたので、これはその第一歩。

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(久々のサムゲタン。辛くない白濁スープ系の料理も、実は韓国には多い)

そして、徒歩で宿舎まで帰り、明日の発表場所である「韓国プレスセンター」(ソウル市庁の前にある)の位置を確認して帰投。そのまま風呂に入って就寝。

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September 25, 2004

日本橋となんばパークス訪問

今日は完全にオフ、と自分で決め、前々からその「秋葉原化」(笑)が気になっていた大阪の電気屋街の日本橋に向かう。ようするにオタク・オリエンテッドな街並みに日本橋が変わりつつあるのは、堺三歩さんのブログでも言及されていたが、それを自分の目で確かめたかったのだ。昔、堺に住む高校生だった僕は、この辺りに良くレコードやCDをあさりに来たので、全く知らないというわけでもないが、この10数年で大きく街並みは変貌したはず。

僕の第一の目的地は、ジョーシンが経営している自称日本一のガンダム専門店「GUMDAM'S」である。まさに「見せてもらおうか、その日本一のガンダム専門店の力とやらを」とベタな台詞が頭にリフレインしていましたが、店の場所は簡単。堺筋の表に面しています。

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(「君は行き着くことができるか」、というようなことはありません。)

で、印象ですが、僕にとってはいまいちでした。というのも、商品数が思ったより少ない。確かにガンダムのプラモデルなどは「圧倒的じゃないか・・・」と呟きたくなる量ですが、その他のグッズがあまりない。僕は