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August 21, 2010

zabadak「私の罪は三千年」@郡上八幡照明寺

Rimg0481 さて、残暑厳しい折、皆様いかがお過ごしでしょうか?
僕は今日もzabadakのライブに行ってきましたが、今日のライブは今までとは一味違う(僕的には)。というのも、この十数年ほど毎年夏に、岐阜県の郡上八幡の照明寺というお寺で「私の罪は三千年」と題されたライブが開かれているのですが、今年僕は初めて参加することができました。今までは日程が合わなかったり、交通手段に問題があったりで参加を見合わせていたのですが、このところのライブで知り合いになった皆さんの「レンタカー借りて、日帰り弾丸郡上ライブツアーしちゃおう(仮称)」企画に僕もご相伴させていただくことができました。ここに記して感謝申し上げます。
Rimg0480 てなわけで、朝早く起き、お迎えの車をセレブ気分(嘘)で待ち、高速道路で一路郡上八幡に向かいます。僕の田舎(川瀬家の墓の所在地)は岐阜県養老郡ですが、それ以北については全く土地勘がないんですよね。というわけで、一宮インターチェンジからは全く未知の世界でした。お昼過ぎに、無事郡上八幡に到着。お昼ご飯は、下調べをしておいた、鰻が評判の「美濃錦」というお店。結構並ばされましたが、その価値はありました。久々に美味い鰻(僕はうな重を頼みました)を食ったという気がしますが、実は「事件」はこのお店から起こっていたのです。まず中に入ると、先客の中に、かつてライブ会場でお見受けした気がする人が数名すでにいらっしゃいました。でも、これは想定の範囲内。狭い町だから、うろうろしていたらどこかで会うのは当然ありうることですが、びっくりしたのは、zabadakの吉良さんご一家(と住職ご一家)が衝立の向こうにいらっしゃったこと!!最初、中学生くらいの男の子をちらっと見て「あれ、吉良さんのところのS君に似ているなあ」と思ったら、続けてお父さんご本人がギターを抱えてお店に入ってきたので、我々ファンは思わず目をむきました。地方の鰻屋で、zabadakファン率(十数名いたもんな)が異常に高まるという一種の非常事態に(笑)。もちろん、プライヴェートな領域ですから、我々も目礼だけで済ませました。ここで食事を済ませた後、少しだけ観光として街中を散歩しました。驚いたのが、郡上八幡がいわゆる「食品サンプル」が名産だということ。思わず果物とか餃子とかのサンプルを買ってしまいそうになりましたが、ぐっとこらえて、スルーします。
そのあと、結局3時半ごろ、会場の照明寺に到着、そこで旧知の人に缶ビールなどをおごってもらいつつ(ちゃんとお礼を申し上げるのを忘れていました。すみません。借りはまた今度)、開場時間を待ちます。みんな、こんなところ(って失礼だけど、初めての人はなかなかたどり着けないと思う)に続々と集まって、会場がお寺っていうのもあるけど、本当に聖地巡礼だなあ、と思ったりしました。
Rimg0500 4時半ごろから会場となるお堂への入場が始まりました。このお寺、お堂はもちろんですが(なんたってこれだけの人数を収容できる規模なんですから)、すごく豪華絢爛で立派な内陣でびっくり。このあたりも、真宗の篤信地帯なんだろうな。というわけで、阿弥陀仏やら親鸞聖人の御影をバックに吉良さんと公子さんはお歌いになるわけです。5時ちょうどに住職さん(正確には前住職さん)のお話があり、そのあとに吉良さん、公子さんの登場です。吉良さんは向かって左側、公子さんは右側でした。ギターとアコーディオンと鈴とグロッケン(鉄琴)というシンプルな道具立て。完全アンプラグドなライブが開始されました。以下、いつものようにセットリストを中心に書いていきます。
1)遠い音楽
しっとりとしたこの名曲からスタート。「昨日、我々は下呂温泉に泊まったのですが、Twitterで「ゲロなう」とつぶやいてしまい、大丈夫ですか、とか言われちゃいました(笑)。カタカナにしたのがまずかった」と「おいおい」と突っ込みたくなるお話が今日最初のMCでした。
2)線香花火
夏らしい選曲。
3)Still I'm fine
最初吉良さんが間違えて、速攻で「ごめんなさい」と謝る姿に、思わず共感してしまったのは秘密です(ってここに書いちゃうけど)。その後、今度は公子さんのテンポがずれてしまい「これは夫婦の…(危機?)」とひそひそと相談しているさまにも共感(以下略)。
4)宇宙のラジヲ
吉良さんいわく「そうは聞こえないかもしれないけど、一番難しい曲」「息継ぎができない曲」なんだそうです。でも、今回はこの曲、間奏部分がすごくかっこよかったです。
5)星の約束
この曲の後、吉良さんが汗をぬぐっている間、公子さんはつなぎとして、この前発売されたDVDの宣伝MC。「あのDVDも(今同様)だんだん吉良君の髪型が変わってきて、最後は洗った子犬のようになる(会場爆笑)」。
6)七月の雪(KARAK)
これはレア。カラクの曲だもんなあ。で、この曲の後、驚くべき発表が。それは「我々は沖縄が好きで、このところ年に一度は行っているんですが、そういえば沖縄でライブをやったことはないなあ、そうだ、たまにはツアーでも組んでみんなで行っちゃおうか、ということを考えていまして、今のところ、子供の冬休みに合わせて12月29日(ごろ)を考えております。詳細は後日に」とのことです。うーん、これは行きたいけど、なかなか難しいかな。そもそも、これはさすがに単独ではだめだな、沖縄なら妻と一緒に行きたいな。
7)星ぬ浜
沖縄ライブの構想が発表された直後は、このオキナワンテイスト(でもやっぱりメロディラインはzabadakなんだよな)の曲を。
8)雲の言葉
これは照明寺の住職に依頼されて作った曲なんだそうな(知らなかったなあ)。公子さんいわく「生命ができていく過程をうたった」とのこと。そういう意味も込められていたのか。最後の方は吉良さん一人がギターをジャカジャカ弾いていたのですが、終わった直後「あれ、そっち(公子さん)はこの曲の最後そんなに暇だっけ?一人でやってて空しかった」(会場爆笑)。
9)夕焼け
いつの間にかこの郡上八幡でのライブも14回目になると、公子さん。僕はようやく来れましたよ。
10)Je suis
これは新曲。作詞・作曲ともに公子さん(吉良さんいわく「フランスかぶれ」、公子さんいわく「かぶれてます」)。僕はフランス語を勉強していないので、殆ど聞き取れませんでしたが、最初の部分は「私は海、私は空」というように聞こえたので、歌詞の感じとしては、僕も大好きなKARAKの名曲「On this planet」に近いものがあるんじゃないかな、と思いました(あくまで推測ですが)。
11)双子の星
この二曲は立て続けに演奏されました。「双子の星」には吉良さんによるホーミー的な発声部分があるんですが、そこから話を持ってきて「現在吉良家で流行っているのは、ブブブブとトランペットを吹くために口の周りの筋肉を鍛えることです。誰が一番先に吹けるようになるかの競争をしている」そうです。負けず嫌いの吉良さんは「(小峰は)トランペット頑張らずに、フランス語頑張ってよ」と思っているようですが…(笑)。
12)冷たい夜に
これは、La Compagnie Anの「月いづる邦」の挿入歌。zabadakの「My Space」でそのさわりが聞けますね。
13)はじめてうたったうた
これも最初、ちょっとトチってしまったのですが、公子さんが我々観客に「忘れろ~」という魔法をかけたので、どういうミスだったかは忘れてしまいました。
14)この空であえるよう
最近のライブでは、これを歌うことが多いですよね。この日本語版、改めてアルバムに収録してもいいんじゃないかな、と思います。
15)夢を見る方法
終盤となり、盛り上がるこの曲が奏でられます。
16)Easy Going
やっぱ、ライブの締めはこの定番の曲なわけですが、やはり吉良さんがどこかで歌詞間違いしてしまうのもお約束。不思議だなあ。なんか、「間違えなくちゃいけない」とでもいうような気持ちが、無意識のレベルであるんじゃなかろうかとまで勘ぐってしまいます。横の公子さんの表情が何とも…(笑)。本編はいったんこれにて終了。すぐにアンコールに応じてお二人は戻ってきたのですが、吉良さんは「なんですか、この盛り上がりは」とおっしゃいます。いや、それより問題は、手拍子の調教のされ具合では、と僕は思ってしまいましたが…(アンプラグドなので、お二人の歌の部分になると手拍子が小さくなったりする気の使いよう。改めてファンの皆さんに、「あんたら、スゲーよ」と感心)。
17)小さい宇宙
最後はこの曲で締め。
始まったのが早かったのは、我々観客が郡上踊りや観光を楽しめるように、という配慮だったそうです(もちろん、吉良さんご一家も楽しめるように)。
Rimg0503 終わった直後にサイン会。僕は写真のように最新DVDにお二人に頂きました。ありがとうございます。その際「実は、ツイッターで申し上げたのですが、僕が「Wonderful Life」を使って宗教学の講義をした者です」と名乗り、公子さんから「今度どんな反応だったか聞かせてください」と言われました。今後とも授業で使わせてもらい、ある程度貯まればご報告したいと思います。「死生観」を考えるきっかけになりますからね、あの歌は。
弾丸ツアーの我々は、サインを一通りしていただいた後そのまま車に乗り込み、帰路につきました(夕食は高速道路のSAで)。あまりにも慌ただしかったので、郡上八幡を満喫、というわけにはいきませんでしたが、今、こうしていつものようにブログを書きつつ、じわじわと「ああ、あのお寺の本堂で、生声、生音を聞いたんだなあ」としみじみ感じております。今回僕を連れて行ってくださった皆さん(特に運転を行き帰りとも引き受けてくださったFさん)に改めて感謝申し上げて、今回は締めたいと思います。

September 23, 2008

津和野への旅

山口大学に22日から26日まで集中講義に行きました。23日は春分の日でお休みなので、思い立って、山口線でぶらっと津和野の方面に向かうことにしました。電車の本数が思った以上に少ないのが難ですが(一時間に一本のペース)。
僕はこのところ講義で幕末維新期の宗教史のことをしゃべっているのですが、そのあたりを研究していると、有名な国学者の出身地(大国隆正とか福羽美静とか)及び復活キリシタン(浦上キリシタン)の流配先として、津和野という地名は気になっていたのです。近代史においては、西周とか森鴎外の出身地として知られているでしょう。
乗ったのは、観光SLとして特別に運行されている「やまぐち号」。僕は最初、こういう特別列車に乗るつもりはなく、普通の快速とかでもいいやと思って004いたのですが、午前中に津和野に向かう列車はこれしかなく、否応なく指定席を取って乗ることになりました。
列車はほぼ満員で、家族連れ、団体旅行、「乗り鉄」、「撮り鉄」の皆さんに周りを囲まれる形となって(一人旅の方が珍しいので目立つ。そのせいで、隣のおばさま四人連れに声をかけられて「お兄さん、一人旅で気楽やねえ、大学生?」と訊かれました。ちょっとショック)、彼らのテンションに感染しちゃって(笑)、僕も長時間停車する駅では列車から降りて、SLの写真を撮りまくっちゃいました。驚いたのは、線路の脇から写真を撮る人の多さです。沿道にずっと途切れなくいて(おそらく車で待ち伏せして撮っている人でしょう)、何の気なしに乗っていることに申し訳なささえ感じたほどでした(特に僕は「鉄分」の足りない人間ですから)。

山口から約一時間四〇分ほどで、津和野に到着。実は、これが僕の初島根県入りです。
駅につい029てまず向かったのが、浦上キリシタンの殉教の地「乙女峠」。いきなりこちらに向かう人はほとんどおらず(中心街の正反対ですから)、僕はこれ以降、しばらくはほとんど他の観光客ともはち会わず、静かな道を歩くことになりました。ここはよかったですよ。今はカトリック教会が「マリア堂」という記念の聖堂を建てたりしているのですが、元々ここには廃寺が存在し、明治初年に長崎から流されたキリシタン達が閉じこめられ、ひどい仕打ちを受けた場所なのです。「ここで高木仙右衛門や守山甚三郎(浦上キリシタンのリーダー。ひどい拷問にあっても棄教せず、長崎に帰り天寿を全うした)が拷問されたのか・・・」と思うと、思わず他の殉教者のために祈りたくなってしまいました。そこでこの「乙女峠」に関するパンフレットを二冊購入。

しばらくこの殉教の地にたたずんでいると、ある道しるべが見えました。それは、殉教者達030 をまつったお墓への道でした。しかもその山道は、キリストのゴルゴダの丘へ向かう道筋になぞらえてあって、「これは行かねばなるまい」とザクザクあまり整備されていない道を突き進むことにしました。この道には、十幾つの石碑が建っており、それにはイエスのゴルゴダに向かう物語の各シーンが解説されていました(写真参照)。それを一つ一つ写真に撮っていたのですが、猛烈な勢いで、ヤブ蚊が襲いかかります。おそらく僕は「久048々のごちそう」だったのでしょう。というわけで、僕は石碑を見ては佇み写真を撮り、すぐにヤブ蚊を追い払うために小走りに道をズンズン進んでいき、なにやら比叡山の回峰行みたいなことになってしまいました(少し大げさ)。でも、六百メートルほどの山道を一〇分足らずで走り抜け、殉教者の墓に一礼し、坂を下って中心街にある津和野カトリック教会に 向かいました。

050 こぢんまりとした教会ですが、ここも面白い教会で、中に入ると畳なんですね。そこにステンドグラスからの光が落ちている、というのは不思議な落ち着きというか、穏やかさを醸し出していました。外観もしっかりしているし、冬に雪の積もったときの様子などは非常に絵になります(そういう絵はがきを購入してしまいました)。教会の外には、乙女峠の物語りの展示室もあり、あらためて浦上キリシタン達の信仰心に感動してしまいました。「日本人は無宗教で・・・」などと訳知り顔で言う人がいるかもしれませんが、今から一四〇年前の「旅の話(各国に流配された浦上キリシタンは、その地での苦労話を「旅の話」として語り伝えまし052た)」を読むと、そんな考え、吹っ飛びますよ。おそらく、去年と今年、僕の講義を聴いてくれた学生諸君はうなずいてくれることでしょう。事実、「講義中で興味を持ったことでレポートを書きなさい」という課題を出したのですが、思った以上に「復活キリシタン」を題材にレポートを書く学生が多くてびっくりした記憶があります。おそらく学生諸君も、浦上信徒の信仰心に少なからず感動したのでしょう。ここもおすすめです。

068 先ほど電車がない、といいましたが、実は帰りの電車(同じSLにしました)が、到着から三時間後に新山口に向けて出発です。というわけで、正味三時間しか観光できません。乙女峠とカトリック教会でほぼ二時間を取ってしまったので、その後、ちょっとはずれの方にある森鴎外と西周の旧家跡に走り、駅への帰り道で太鼓谷稲成(たいこだにいなり)神社に行って(ちゃんと階段を上って参拝してきました、写真参照)、駅に着いたのは電車の発車一〇分前。これに津和野の小旅行は終了。けっこう歩いたなあ(アップダウンが激しくてちょっと疲れた)。後で宿の近くの足湯場で疲れを癒しました(宿は湯田温泉という温泉街)。

August 22, 2007

小島の夏―邑久光明園訪問

Nikkan2007_032 8月20日から22日まで、二年に一回開催される「日韓宗教研究フォーラム」に参加していました(僕はその日本側の運営委員のひとりです)。場所は岡山県浅口市。金光教の誕生した場所です。二日間にわたる大会は無事(?)終わり、22日は恒例の「見学遠足」です(大体学術大会の後、宗教と関係のある施設を訪問させてもらっています。二年前についてはこのエントリを参照してください)。

Nikkan2007_041 今回訪れたのは、瀬戸内市にある国立療養所邑久(おく)光明園。ここはハンセン病の療養所で、同じ島に長島愛生園があります。ハンセン病は、つい最近まで非常に法律的に理不尽で人権を無視した政策の対象となっていた病気です(らい予防法が廃止されたのは、つい10年ほど前の1996年です。ハンセン病という名称もこの時から正式に使われだしたそうです)。古くは「天刑病」とさえ言われ、宗教的な意味さえ持っていたこの病気ですが、現在は完全に病原菌たるハンセン菌を撲滅する薬もでき、不治の病ではなくなりましたが、いまだに元患者さん(既に体内の菌は消滅しているので、こういう表現が正しい)達はひどい偏見に苦しめられています。障害をもっていたり、故郷に縁を切られてしまったり、高齢化してしまったという理由で、病気がこれ以上進行することがない患者さん達ですが、療養所にNikkan2007_059 ずっととどまっておいでなのです(全国のどの療養所も同じような状態と聞きます)。まずはこの邑久光明院の園長先生から、ハンセン病に関するレクチャーを受けました。先生は細菌学がご専門で、らい菌についても詳しくお話を聞けました。まずこの菌は体温の比較的低いところを好む傾向があり、それが顔、手足と目に付きやすいところに症状が出やすい原因であること、そしていわゆるハンセン病の特徴である体の変形は実はらい菌が原因ではなく、この菌で末梢神経が麻痺してしまうために(この末梢神経麻痺で、まぶたが降りたり手首、足首が曲がったまま、ということは引き起こされますが)、痛覚や温度覚がなくなってしまい、やけどや怪我をしても何も感じず、それで二次感染や化膿によって一部が壊疽を起こしたりといった障害を負ってしまうということだそうです。

Nikkan2007_055 さて、近代東アジアの「救癩」活動は、まずクリスチャンの伝道活動の一環として発足し、後には文明国・一等国を目指す日本の「体面」を整えるために国家が率先して隔離・強制収容を行っていった歴史を持ちます(植民地朝鮮でも、強制的な隔離政策が行われました。全羅南道の「小鹿島(ソロクド)」という島の収容所が一番有名です)。
最初にハンセン病にキリスト教が関わったのは、宣教師達が医師の資格を持っていたり、ハンセン病患者が宗教的にキリスト教で大きな意味を持っていたからでもありますが、その後もハンセン病は宗教と切っても切れない関係を持ち続けました。それを今回拝見しに行ったのです。最初に種明かしをすれば、それは「慰め」と「葬式」との関係です。「慰め」というのは、勿論宗教的な慰め、救いを隔離された患者さん達が求めたのは想像に難くないでしょう。しかし、それ以上に大きな問題は「葬式」でした。Nikkan2007_057 というのも、患者さんはかつて一旦療養所に「収容」されれば、その多くはそこで死を迎えたので、「何式での葬式をして欲しいか」というのを事前に聞いておくことが重要であり、入所したら、必ずどの宗派が良いか、というのを決めさせられたと、ある方が証言なさっていました。あまりの重い言葉に、一同首をうなだれてしまいました。

Nikkan2007_075 まずは納骨堂と、その周りの各宗派の集会所を見学させていただきました。この納骨堂には、故郷に帰れない方々の遺骨が納められているわけです。そこで黙祷して、まず仏教宗派の集会所を見学。日蓮宗、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真言宗の建物が納骨堂の周りを囲んでいます(今日は無人でした)。その隣には天理教と金光教の建物があります。案内してくださったのは所内の金光教の方。この方は入所した当初(まだ少女の時)文通していた相手が金光教の方で、それが縁で信仰に入られたそうです。
その後、これらの施設と少し離れたところにあるキリスト教の教会にお邪魔しました。ここでは信者の方と牧師さんが何人かいらして、貴重なお話をお聞きする事ができました。先ほど述べた「葬式のやり方を決めておくために、強制的にどれかの宗派に所属させられた」というのもここでお聞きしましたし、在日コリアンのハンセン病患者についてのお話もここで聞くことができました。実際何人かその場にいらっしゃいましたし(この療養所は近畿圏からの患者が集められたので、勢い在日コリアンも多かったそうです)、その在日コリアンの方々は大体日本の宗派に馴染めず、キリスト教を消去法で選んだということで、教会のメンバーの半数近くが在日コリアンだった時期もあったそうです。

Nikkan2007_081 ホンの短い時間しかお邪魔できませんでしたが、焼き付くように暑かった「小島の夏」は、しばらく忘れられない経験になりました。お邪魔した光明園の皆様、ありがとうございました。あまりも考えさせられることが多くて、まだ頭の中がすっきりしていませんが(すっきりさせずにずっとじっとり感じ続けるものでもあるのだと思いますが)。

追記:僕が過去に書いた荒井英子著『ハンセン病とキリスト教』(岩波書店、1996年)という本の紹介と、この療養所訪問をご一緒した弓山先生monodoiさんのブログもご参照ください。

December 24, 2006

久高島へ

Okinawa0612_122 沖縄出張の最終日。今日はそれぞれ三々五々飛行機に乗って帰るだけなので、僕は夕方遅めの便を取って、今回の見学旅行をコーディネートしてくださった佐藤壮広先生に最後まで甘える形で、オプショナルツアーに参加しました。
向かう先は、二日前、斎場御嶽から眺めた「久高島」です。この島は、神女組織が12年ごと、午年に行う「イザイホー」という祭りが大変有名で、名前を聞いたことのある方も多いかと思います(過疎のため、1978年以降は行われていません)。Okinawa0612_134 余所者はこの島のものは石一つ持って帰ってはならない、とまでいわれる「神の島」だったそうです(同行者のO先生は、お子さんのために、珊瑚の欠片を拾って持ち帰ってしまいましたが、内緒です)。
全部で11名、タクシーに分乗して、ホテルから久高島行きのフェリーがでている安座真港に向かいます。フェリーで20分ほどの小さな船旅の始まりです(ついでにいうと、この日はけっこう波が高く、僕も久々に船酔いしそうになりました)。

Okinawa0612_131 さて、この島について、琉球大学の赤嶺政信先生という方が以前に作られたレジュメを参考資料として佐藤先生からいただいていたのですが、何と驚くべきことに、その赤嶺先生がご自分のゼミ生をつれて、偶然にもフェリー乗り場にいらっしゃるではないですか!恐るべき偶然。これには本当に驚きました。赤嶺先生も、いわば実習として学生達を引き連れての見学だったそうで、たまたま居合わせた我々は、図々しくも先生のレクチャーを(タダで)聞くべく、ご一緒することになりました(島ではもっとボーッとする予定でしたが、しっかり「学習」してしまいました)。この場を借りて、赤嶺先生と学生の皆さんにお礼申し上げます。
赤嶺先生の案内で、島のあちこちにある「御嶽」や聖地を回ることが出来たのですが、Okinawa0612_147 あっという間に帰りの船の時間!!最終便で帰る赤嶺先生ご一行を後に、僕たちは走って船着き場に戻りましたが、佐藤先生の案内で、最後に、イザイホーが行われた小屋を見学する事ができました。家に帰って、イザイホーの写真集を見て「ああ、確かにここだ」と確認できました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、そのままフェリーで久高島を離れ、港から首里城まで戻り、モノレールで空港に戻りました。

短い間でしたが、本当に沖縄が好きになってしまいました。商売柄、「オリエンタリズム」とか「植民地主義」とか「ポストコロニアリズム」とか、そういう言葉を使ったりすることも多いのですが、済みません、こんなに簡単に沖縄という土地に癒されてしまいました
あと、ついでにいうと、お酒というのは、本当に気候に左右されるものだなあ、というのを実感しました。沖縄だと、本当に泡盛がうまく、僕のように弱い者でもスイスイ飲めてしまったのです(1:1の水割りが良いですね)。でも、おみやげに買った泡盛を自宅で飲んでも、それほどおいしくなく、すぐに酔っぱらってしまいました。
今度は完全に仕事抜きで訪れたいと思います。

December 23, 2006

沖縄出張その2

Okinawa0612_071 この日の見学はまず、うるま市にある「生天光(せいてんこう)神明宮」というお宮に行きました(お宮、という表現は、ここを作った「光主」ことTさんの表現。新興宗教や宗派ではない、という主張をしています。このTさんも、いわゆるユタだったそうです)。というわけで、ここではわざわざ我々見学者のために、いわゆる「朝の礼拝」を行ってくださり、それを見学させてもらいました。
宗教学者としてクールに扱うなら、神道系の新宗教の一つ、ということになるのでしょうが、沖縄の地元の神や、彼女なりの独特の世界観が渾然一体となっていて、「本土」の神道系新宗教とは一線を画しています。Okinawa0612_080 どうも普通の「神道系新宗教」というカテゴリーには、ちょっと入りそうもないと思いました。その世界観は、僕などが到底説明できるものではありませんが、地球を守らねばならないとか、そういういわゆる「ディープ・エコロジー」的な発想も見え隠れしていました(ネイティヴ・アメリカンとの交流も行っているそうです)。でも、驚いたのが、このお宮、ちゃんと神社本庁傘下に入っているそうです。神社本庁も、思ったより柔軟なのかなんだか知りませんが、素直にびっくりしました。

昼食に沖縄そばを食し、今度は沖縄市泡瀬において、これまたユタの方の儀礼を拝見しました。場所は「泡瀬びじゅる」というところ。地元の方の信仰を集めているところらしく、立派なお祭り道具も倉の中に入れてもらって拝見しました。

Okinawa0612_115 その後は、南風原文化センターにおいて、沖縄出身のアーティストと沖縄の精神科の医者である方をゲストに招いて、【痛みとアートの可能性―「痛み」の臨床と精神文化の諸相を知る】と題されたトークセッションを行いました。これはいわゆる「宗教」的現場では、「痛み」をどのように感じて、どのように解きほぐすかという臨床的な課題というものがあり、それはアートや精神医療にも通じるだろうということで、上記のような方にゲストとして喋っていただいたのです。
話は多岐にわたって、まとめられないのですが、僕が聴き取って印象に残った部分は、沖縄も韓国も近現代史において、拭いがたいトラウマとも呼ぶべき事件を経ているわけですが、それをどのような形で昇華するか、というときに、例えばアーティストの活動(ある場所、ある時間に起きた特殊な出来事が、アートを通じて普遍性を持ち、例えばコザと光州を繋ぐ回路が出来ることもあるかもしれません)や、伝統的なシャーマニズムや神観念を通じた「緩解」への方策が探れないだろうか、という問題提起がなされていたと思います。
通訳の難しさや、沖縄のトラウマの解き方と、韓国における「恨プリ(「恨」を解くこと)」についての差異などによって、なかなか対話が錯綜してしまいましたが、僕が思ったのは「痛み」を完全に除去することが出来ないのなら、どのようにして痛みとともに生きていくか、もっと言えば「軟着陸させるか」ということが重要なのではないか、と思いました。なおこのセッションに関しては、こちらの方の感想もご覧ください。その後はこの会場である南風原文化センターのご厚意で、そのまま立食パーティを行わせてもらいました(たくさんの料理や泡盛まで用意してくださって、感謝です)。

December 22, 2006

沖縄出張その1

この21日から24日まで、沖縄に出張してきました。
僕は「日韓宗教研究フォーラム」というものの日本側運営委員の一人なのですが、その日韓合同運営委員会を沖縄で開催し、ついでに沖縄の宗教文化を色々見学しようという試みだったのです。21日は飛行機で様々なところから那覇に集合して夜に会議をしただけですので、これは割愛して、22日のことからブログに記録しておきたいと思います。

Okinawa0612_010 22日の見学は、世界遺産にも登録されている「斎場御嶽(セイファーウタキ)」からスタートしました。簡単に解説しますと、これは沖縄本島の南端に位置する聖地で、昔は琉球王権に関わる祭事が行われた禁足地でした。ちなみに「御嶽(ウタキ)」とは、沖縄における聖域で、本土の村の鎮守のようなものと思えばいいでしょう。この「斎場御嶽」では、聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる巫女のトップ(琉球王の妹など、血縁の女性がなっていました)が祭事を行っていた場所です。僕は講義でこの御嶽や聞こえ大君の話を教えたことがあったのですが、実際に訪れたのは初めてだったので、興奮してしまいました。
Okinawa0612_014 天気もよく、眼下に広がる海の向こうに、聖なる島の久高島(くだかじま)もはっきり見えました。この久高島も、琉球神話にとって非常に重要な場所であり、島の女性が執り行う「イザイホー」という祭りで有名だった島です(久高島に関しては後述)。

Okinawa0612_037 この日の午後は、有名な「平和の礎(いしじ)」がある沖縄平和祈念公園を訪れました。ここは、沖縄戦で亡くなった様々な人の慰霊塔がずらっと立っている公園です(立派な資料館もあります)。亡くなった方の名前を一人一人刻んだ「平和の礎」の他にも、都道府県別の慰霊塔や(ついつい自分の地元の府県の慰霊塔を探してしまいました。各県によって個性があります)、韓国人慰霊塔もあります。ここでは、この見学旅行をコーディネートしてくださった佐藤壮広先生のお知り合いのユタ(沖縄の民間シャーマン)の方に、「沖縄戦没者墓苑」(遺骨を納めている国立の墓苑)にて沖縄流の慰霊の儀礼をしていただき、それを見学しました(僕たちも、線香を燃やしたり、紙銭を納めたりして参加しました)。Okinawa0612_052
このユタと呼ばれる人々は、いわゆる「霊感」が強い人が長じてなることが多いのですが、今回儀礼をやってくださった方も、大変霊感が強い方でした。というのも、最初この方は「韓国の人が怒ってるよ」とおっしゃったので、何のことかな、と思って聞いたら、「こちら(墓苑)を先にお参りして、自分たち(韓国人慰霊塔)を後回しにしてるって」とおっしゃるではないですか!韓国の人、というのは、「韓国人の魂」だったというわけです。我々は、この方にお参りする順序など教えてもいないのに・・・(韓国人慰霊塔は最後にお参りする予定でしたが、このユタの方には、お会いする時間と場所しかお伝えしていなかったのです)。これには、不信心者の宗教学者たる僕も思わず身震いしてしまいました。「この人は本物だ」と。
この沖縄平和祈念公園は大変広く、ここをぐるっと回るだけで午後一杯が終わってしまい、今日の見学はここまででした。(翌日に続く)

July 16, 2006

名古屋港にて

060716_nagoya_2 さて、昨日は鈴木祥子さんのライブの追っかけで名古屋に来て泊まったわけですが、今日は一人で名古屋観光をすることにしました。最初、名古屋在住の友人に連絡しようかと思ったのですが、彼も休日は家族サービスの日だろうな、と遠慮して電話しませんでした。
で、僕が向かったのは名古屋港。というのも、実は僕、水族館が好きで(東京近辺の水族館は、けっこう制覇していると思います)、この機会に、日本最大級の水槽を持つ「名古屋港水族館」に行こうと決心したのです。

ホテルを9時半頃チェックアウトして、すぐに地下鉄で名古屋港に向かいました。
当たり前ですが、水族館といえば、家族連れか、カップルが行くところ。僕も昔はデートで良く水族館に行ったものですが、今回は、生まれて初めて独りで水族館に行ってしまいました。いやあ、今日ほど孤独が身に染みたことは近年ありませんでした(笑)。ようやく僕も大人の水族館マニアの仲間入り、かも知れません。

060716_nagoya_4 それはともかく、この水族館の「売り」の一つが、イルカやシャチ、ベルーガ(白イルカ)などのクジラ類の巨大水槽とショー。入り口から、イルカとシャチが泳いでいる水槽を見せつけられます。子どもたちはここから大はしゃぎ。今日は何度も飛び跳ねている子供にぶつかられたなあ。この水族館は大きく「北館」と「南館」に別れていて、北がクジラ類、南が様々な水槽に魚やペンギンがいるという作りになっています。この北館は、クジラの進化の様子を豊富な化石で説明しており(骨格標本もたくさんありました)、古生物学が好きな人にはたまらないでしょう。基本的に家族向けの水族館だと思いますが、けっこうアカデミックさも保持していると思いました。

060716_nagoya_14 その「北館」にショーを見られる巨大プールがあり、そこで僕もダイナミックなショーを堪能しました。イルカショーというのは、大体どこも同じなわけですが、「やっぱりイルカって賢いなあ」と思いました。というのも、もらった餌で「遊ぶ」イルカがいたからです。彼か彼女か判りませんがそのイルカは、ご褒美としてもらった餌を飲み込まず、くちばしの先で空中に放り投げては自分でそれをキャッチするという「遊び」を延々やっていたのです。話は変わりますが、私の妻は根っからのパンダ好きなのですが、何故好きかというと、容貌の可愛さも当然ですが、彼女が言うには「滑り台で下りてきたり、タイヤのブランコで遊んだりするのがたまらない」とのことです。「遊ぶ」動物は、やっぱり感情移入のしがいがある、と言うか、そういう気持ちにさせてくれると僕も思います。そういえば、犬や猫も「遊び好き」ですよね。

ところが、僕は「感情移入できそうにもない」動物もけっこう好きです。昆虫とか、海の中で、何を考えているのか判らない生物とか(ウニョウニョしているのは苦手ですが)。南館は魚中心の展示なのですが、クラゲとか、感情移入を拒む生物の展示も見所でした。まあ、クラゲはけっこう「癒し系」と認識している人も多いのですが。
僕が今回ある意味一番「感動」した展示生物は「オオグソクムシ」です。僕は、この生物のことは早川いくを『またまたへんないきもの』(バジリコ刊、2005年)でその存在を知ったのですが(本で紹介されているのは、この仲間で一番でかい「ダイオウグソクムシ」ですが)、実物を見るのは初めてで、感動しました。
あと、シネマ館で上映されていた昆虫映画が、けっこうハードコアで、良かったです(ナレーションはモデルのはなちゃんです。はなちゃんのナレーションで「さなぎの中はドロドロ」とか言わせなくても・・・)。あ、そうそう、この水族館は「ウミガメ」も見物ですよ。なんでも、館長が「ウミガメ博士」らしく、人工孵化も行っていて、可愛いウミガメの赤ちゃんがわんさか見られました。

060716_nagoya_3 というわけで、一人ですが、展望台にも登ったり、「南極観測船ふじ」にも入ったり(中の展示が充実!それに、マネキンがリアルで良いです。思わぬ収穫)、充実した時間を過ごして、そのまま帰宅しました。でも、「イタリア村」は行きませんでした(笑)。通り過ぎた馬車は見ましたが(運転している人がイタリア人かどうかは不明)。暑い中歩き疲れて、昼過ぎにそのまま名古屋駅に戻り、昼食を食べ(にぎり寿司&ビール)、そのまま新幹線に乗り込んじゃいました。

約40分で京都駅について、大雨が降っていたのでちょっと雨宿りしてから帰ろうと駅の百貨店に向かおうとしたら、偶然教え子のKさんに遭遇(彼女はバイトが終わって帰る途中だった)。「先生、顔赤いですよ」と昼酒がしっかりばれちゃいました。

May 06, 2006

修学旅行顔負け

060506nara_012 大型連休も終わりに近づきつつありますが、今日は観光客でごった返している京都を離れ、少しは空いていることを期待して、奈良へ向かいました。よく考えたら、夫婦で奈良を観光するのは初めて。僕は小さな頃の遠足やハイキング、近年は大学の新入生を連れて行く合宿などで何度も訪れてはいるのですが、ゆっくりお寺などを見ることがありませんでした。小さい頃の記憶はとうになくなっているし(お父さん、お母さん、小学校の担任の先生、ごめんなさい)、妻も高校時代の修学旅行以来奈良に入ったことがありません。
と言うわけで、妻と相談して、修学旅行生のように、歴史の教科書に絶対出てくるような超有名な寺院を集中して回ろうということに決定しました。
近鉄京都駅で「奈良世界遺産フリー切符」という割引乗車券を購入して、まず向かったのは薬師寺です。西の京駅を下りたら、すぐそこが薬師寺です。僕も昔来たことがあると思うのですが、すっかり記憶をなくし、新鮮な気持ちで拝観することができました。ここは東西の塔と、金堂の薬師如来・日光菩薩・月光菩薩、東院堂の聖観世音菩薩という国宝の四つの仏像が素晴らしかったですね。時間が経ったり焼けてしまったせいで黒光りしているわけですが、それが神々しさを増していますよね。説明してくださったお坊さんのお話も、笑わせるノリで、妻は「やはりここは関西だ」としきりに感心していました(笑)。このお坊さんのお話は多岐にわたっていたのですが、一番印象的だったのは「法相宗(薬師寺は大本山です)は、日本で初めて深層心理を研究した学派です」という言葉。確かに、阿頼耶識とか、唯識論って、深層心理学に近いものがあるなあ、と感心。伽藍全体も、朱色を塗り直したりして派手に造っており(写真の東塔だけは天平年代のもので、渋く荘厳でした)、夫婦して、薬師寺のファンになってしまいました。

薬師寺を後にして向かったのは、すぐお隣の唐招提寺でした。鑑真和上が開いた律宗の総本山ですが、現在金堂の大改修中で、建物と仏像などが見られなかったのは残念でした。しかし落ち着いた雰囲気のお寺で、鮮やかな薬師寺の後にここに来ると、そのストイックさが身に染みます。さすが、戒律を持ち込もうとした鑑真のお寺。

060506nara_024 さあ次はどうしようかと思い、ここはやはり「大人の修学旅行」の仕上げとして、東大寺に行こうということになり、電車で移動。さすがに東大寺は本物の修学旅行生やお客さんでごった返していました。それに、この連休は東大寺大仏殿前において様々なコンサートや法要が行われており(今日は野村萬斎の狂言など)、その飾りが風にたなびいていました。恐らく僕はこの大仏、拝見するのは5回目くらいなのですが、やはりその大きさには圧倒されます。千数百年前にこんな仏像と大仏殿を建てたことを考えると、現代の高層ビルなんか、大したことないな、とさえ思いました(設計とかどうしたんだろう、と思います)。

060506nara_035 さて実は、僕は一昨日から、足を鍛えるという謳い文句の「NIKE Free」というシューズを履いているのですが、そのせいか急に足が疲れて、危うく大仏様の前で足がつるという失態を演じるところでした(かろうじてセーフ)。でも、ここまで来たんだから、もっと鍛えてやると半ばやけくそになって階段をダダダと駆け上がり、二月堂まで登りました。その後若草山をぐるっと回る感じで、春日大社、興福寺と廻って、夕方京都への帰路につきました。

天気も良く、うららかな南都を一日楽しみました。

今度はもっと奈良の奥の方に行こうと決心した我々二人でした(帰りは電車の中で疲れて爆睡してしまいましたが)。

April 02, 2006

城崎温泉旅行にて

この土日、夫婦で初めて城崎温泉に旅行に行ってきました。別に志賀直哉のファンというわけではありません。それどころか、太宰治の「如是我聞」という罵倒エッセイを読んで以来、読んでもないのに、志賀直哉が嫌いになってしまっている僕です(笑)。事実、「城の崎にて」は教科書で無理矢理読まされたのですが、それ以外の彼の作品は手にも取っていないなあ。でも、妻と話し合った結果「メジャーな温泉を次々と攻めていこう」ということになって、ここを選びました。
まずは京都から「特急きのさき」に乗り、約2時間半。けっこうかかります。昔、文人墨客はどれくらいかけて、城崎に行ったのでしょうか。

Exp_kinosaki_1 (ちょっとレトロな車体でした)

電車から降りた途端、なんか湯気が・・・と思ったら、駅舎のすぐ隣の「さとの湯」(いわゆる城崎の「外湯」の一つ)という温泉の足湯でした。うれしがりの我々は、すぐさまものは試しと実践。

Ashiyu (左が僕、右が妻)

まだチェックインまで時間があったので、ぶらぶらと街中を散策。といっても、城崎はそれほど大きな町ではないので、すぐに端までいけちゃうんですけど。で、観光客はほぼ登るであろうロープウェーで大師山山頂に行って、町の全景を見ました。で、その山頂でいきなり目に入ったのがこれ。

Kaniduka_1

その名の通り「かに塚」なわけですが、城崎といえば、「かに王国」を名乗るほど、かに料理が有名な場所。食い尽くしておいてこういう碑を建てるのは、「アニミスティックな共生思想」なのか、それとも「ちょっと偽善」なのか悩むところです。でも、もっと衝撃的なものは、その隣にありました。

Kozou(目が危ない。爪まで青く塗っているのは何故?)

この一休さんライクな看板ですが、何とも言えない味を醸し出しておりました。この山にあるお寺は「温泉寺」という真言宗のお寺なのですが、看板がたいていこの小僧さん看板。フォローしておきますと、本堂でのご住職のご説明は非常に丁寧で良かったです。
山を下りて、宿にチェックイン。泊まったのは「千年の湯古まん」という宿。いつも思うんですが、温泉宿の夕食って、これでもかっていうくらい量が出ますよね。今回もそうでした。さっき見てきた「かに塚」のことをちょっぴり頭に思い浮かべながら、カニを貪り、満腹&日頃の疲れから、珍しく日付が変わる前に爆睡。

翌朝、チェックアウトして外に出たら、城崎を流れる川に人だかりが。何かと思ったら、「流しびな」のお祭りでした。

Nagashibinahanbai

普通の人も、上記のような流しびなを買って、そこに願いを書いて流せる、というイヴェントでした。
Kaijou (流しびなの舞台)

どこかのテレビ局も取材に来ていました。しかし、川の流れがゆっくり過ぎて、なかなかひなが流れてきません。しびれを切らしたイラチの僕たちは、「城崎マリンワールド」に向かいました。水族館好きの僕としては、やはり外せない施設です。城崎温泉駅からバスで10分ほど。城崎って、もっと山の中にあるというイメージを勝手に持っていたんですが、物凄く海に近いことを知りました。この水族館、トド、イルカ、アシカ、セイウチなど、いわゆる「海獣」が充実しているのですが、実は、僕の印象に一番残っているのはオオサンショウウオでした。入り口すぐの「淡水魚」の展示のところに、びっくりするような大きなサンショウウオが待っています。何でも、日本で一番大きい飼育オオサンショウウオだそうです(140センチくらい)。オオサンショウウオなんて、なかなか見ない上に、この大きさ。そして愛嬌。僕のツボでした。妻は、やはり上記の海獣やペンギンなど普通に可愛いものの方が良いみたいでしたが・・・。
Kamairuka (カマイルカのショー)

マリンワールドから駅に戻り、おみやげ屋さんを何軒か冷やかし、再び「特急きのさき」で京都に帰りました。
というわけで、英気を養い、明日からの新年度をできればしゃっきりした気持ちで迎えよう、とは思っているのですが、旅の疲れが出そうで、危険です。

「次はどこの温泉に行こうか」と帰宅後すぐに話し合った僕ら夫婦は、それなりに年を取ってきた、ということでしょうか・・・。

August 25, 2005

旅行先でのトラップ

今日は日本に帰国するだけの最終日。
ソウルも風雨が強く、荒れ模様。BSを見ると、日本にもろに台風が近づいている。旅行の最後に、こういう「トラップ」が待っているとは。
「こりゃ、飛行機は遅れるだろうな。もしかすると、違う空港に着陸とか、下手すりゃ、欠航もあり得るな」といやーな予感。

10時にホテルをチェックアウトをして、ホテル前から発着する空港行きリムジンバスに乗って、一路仁川国際空港へ。僕の登場予定の飛行機は2時半に出発だったので、少し早めの出発だったのだが、午前中ソウルの街中をうろつく元気もなかったので、そのまま空港に向かった。
到着と同時にチェックインしたのだが、早速窓口のお姉さんから、「日本の天候が悪いから、遅れたり、キャンセルされたりする可能性があることをご承知おきください」といわれ、その念書のようなものにサインさせられる。ますますやばいなあ、という感じが高まる。
チェックインの後は、地下の食堂街で、最後の韓国食を食べようと思い、「スントゥブチゲ定食(豆腐を辛く煮込んであるもの)」を食す。辛いけど美味ーい。実は、尾籠な話で恐縮だが、この旅行中は胃腸の調子がいまいちだったのだが、それでもこういうものを欲してしまう・・・。
geumjacdその後は、隣接しているCDショップに行って、色々物色。買ったのは、僕が前に感想を書いたことのある映画「春の日は過ぎゆく」のサントラ。そして、我が敬愛するイ・ヨンエ様最新作「親切なクムジャさん」のサントラも勢いで購入。まだ、韓国でも公開されたばっかりだというのに(笑)。
最近の韓国人の歌手については全く判らないので、六年前に滞在していたときに流行っていたキム・ヒョンジョンという歌手の最新作をチョイス。芸能界での流行廃りの激しい韓国で、まだちゃんと歌手活動をしていることに敬意を表して。
このCDを買い終えてから搭乗ゲートに向かったのだが、予想通り、台風の影響か一時間遅れる、という表示が点滅。アイゴー。しょうがないので、暇つぶしに免税店や書店をめぐったが、この四日間ネットに全く繋いでいなかったな、と思い、一時間W3000のインターネットラウンジへ向かう(30番ゲートの前です)。そこで自分のブログやメールに繋いだり、友達のブログを読んだり、台風情報を読んだりしているうちに時間が経ち、4時前に飛行機は出発。物凄く揺れるかな、と思ったらそうでもなく、拍子抜けして30分は爆睡。この拍子抜けもある意味「トラップ」。
とまあ、結局1時間半遅れで、何とか到着できました。しかも関西空港に着いたら、物凄く良い天気で、なんか悔しい思いをしました。

さて、このエントリのタイトルにつけた「トラップ」なんですが、実は、最大のトラップは、朝にあったのです。僕はNHKBSで最新の台風情報を仕入れようと、チェックアウト寸前までテレビを見ていたのですが、なんとそこではアニメ「フランダースの犬」がやっているではありませんか(しかも最終回近くの回)!!このアニメは、僕と同世代なら、小さい頃見て「トラウマ」になったアニメで、苛められるネロがあまりに可哀想で、正視できず、何度もチャンネルをガチャガチャ回した(当時のテレビは、チャンネルは「回す」ものでした)ものです。というわけで、恥ずかしながら朝っぱらから泣いてしまいました。ひどいよ・・・・。チェックアウトするとき、真っ赤な目をした僕を不審そうな目で見るホテルマンの視線が痛かったです。

皆さん、台風とBSの番組には気をつけましょう(笑)。