先日、このブログで宣伝したドキュメント映画『Little Birds』の特別先行上演会に行って参りましたので、その様子と映画の感想を書き留めておこうと思います。ドキュメント映画ですから、多少のネタバレは許してください(もちろん、白紙状態で見に行きたい方は、以下を読まないでください)。
会場は、大阪市福島区民ホール。大阪環状線の野田駅に下車。僕は、ここで降りるのは初めて。
どれくらい人が来るかな、と思っていたが、新聞にも掲載されたせいだろう、始まる五分前には用意された座席は満杯になっていた。
最初に、監督である綿井健陽さんの挨拶(以下、もと同級生の特権ということで、綿井君と呼ばせてもらいます)があり、綿井君は一言、
「つらい映像もあるかもしれませんが、見ておくべきものだと思います」
と端的に自分の映画の本質を語り、上映が始まった。
この映画は、綿井君が足かけ一年半ほどイラクで撮影した取材フィルムを元に構成されている。しかし、単なるニュース映像ではない。意図的に、テロップやBGM、ナレーションは排され、「生の雰囲気」をそのまま伝えてくれている(現在のテレビ映像は、たとえニュースであっても、いやニュースだからこそ、様々な「脚色」がなされていることに、この映画を見た人は気づくだろう)。
映像は、今から約二年前の(フセイン政権が倒されて、もう二年もの月日が経っているのだ!まずそのことを思い出して、驚く)、アメリカの対イラク戦争開始の二日前から始まる。もはや、アメリカとの戦いは、避けられないという見通しのもと、イラクの市井の人々の声を綿井君は拾う。その中の一人は「日本は良い国、日本人は良い連中だ。でもなぜアメリカと一緒なんだ?」と。また「日本は、アメリカに二つの爆弾を落とされた(当然、ヒロシマ・ナガサキのことだ)。その日本が今度はアメリカと一緒にやってくるのか?」日本への好意をもったいないくらい表現してくれるイラクの街の人々。しかし、その最後には「なぜアメリカと一緒に」という疑問文が付くのだ。このことは、数日後、開戦のあと、家を燃やされ、負傷したイラクの人に綿井君が実際に投げかけられた言葉に凝縮されている。
「ブッシュとおまえたちが!!」「アメリカとおまえたちが!!」
「おまえたち you」、そう、日本人はイラクに「侵攻する側」に入っているのだ。この「事実」を決して忘れてはならないし、もう一度、いや繰り返し我々は思い出す必要がある。
アメリカ軍は戦車で「凱旋軍」としてバグダッドに入城する。そのアメリカ兵に対して、人間の盾の一人だった女性は(パキスタン系イギリス人)、「何人子どもを殺したの?病院に行って、死にゆく人々を見に行け!!」と叫ぶ。アメリカ兵は、わざと「聞こえない」振りをしたり、だんまりを決め込んだり、高圧的に「向こうへ行け」というばかりだ。ビデオを回していた綿井君もたまらず駆け寄って「もうこれ以上、罪のない人を殺すのはやめてくれ」と叫ぶ。僕はこの綿井君の勇敢(無謀)すぎる行為を見て、冗談抜きで戦慄した。肩にライフルを引っかけているアメリカ兵に、そこまで言う綿井君を尊敬し、彼のこれまでの取材と、これからの取材は信じるに足るものだと確信した。友人のひいき目など無しで、同時代に綿井健陽というジャーナリストがいることを、本当に誇りに思う。シャイな綿井君は「褒められるのは苦手」と今日の舞台の上でもはにかんでいたが、君はそれに値する行動をしてきているのだ。ということで、もっと褒めることにします(笑)。
さて、この映画には主人公といえる人物がいる。アリ・サクバンという若い父親だ。彼は突然「天から降ってきた」爆弾で、一気に上から七歳、五歳、三歳の三人の子どもを亡くす。もちろん、子どもは何もしていない。だが、「厄災」なのではない。この災いをもたらしたのは、アメリカ軍の爆弾なのだ。
もう一人の主人公は、クラスター爆弾の破片を右目に受けた少女ハディールだ。綿井君のサイトで、眼帯をつけているかわいらしい少女が彼女だ(この映画のポスターのモデルも彼女)。彼女の右目は大がかりな手術が必要だが、それも困難だ。
綿井君が映しているアリ・サクバン氏の一家や、ハディールの一家を見ても、あまりの「普通さ」に却って愕然とする。子煩悩な父親、おしゃまでやんちゃな子どもたち。そのまま日本に移し替えたら、ホームドラマの題材にすらならないくらい平凡な風景だが、その風景の背後には「イラク戦争」が横たわっているのだ。この映画の白眉は、こういう家庭のシーンだと僕は思っている。その「平凡」の持つ重みと意味の彼我の差に唖然とし、「恥ずかしい」という感情が湧いてくるのを押さえることができなかった。
そして、忘れてはいけないのが、綿井君自身「裏の主人公」と言っていた「米兵たち」である。彼らのリクルーティングがいかにひどいものかは、昨年公開されたマイケル・ムーアの『華氏911』が暴いてくれているが(僕もこのブログで感想を書きました)、田舎のとっぽい兄ちゃんや、奨学金が欲しい貧乏学生、市民権を獲得したいアジア系移民の子どもたちなど、アメリカの中の弱者が大勢来ている実情がある。しかし彼らも、綿井君に「よう、何撮ってるの?」と気安く声をかけるような「陽気なアメリカン」でもあるのだ(綿井君がそう言っていた。この映画に出てくる米兵は、ほとんど向こうから声をかけてきたそうだ)。そういう「普通」のアメリカ人が、「普通」のイラク人をいつの間にか殺しているというのが悲惨な実情なのだ。綿井君から「この戦争の目的はいったい何だったんだ?」とか「大量殺戮兵器はどこだ」と聞かれて、答えようが無くなりうつむく米兵の彼ら。まだ自衛隊は、現地の人を幸運にも(ホント、万に一つの僥倖だと思う)殺してはいない。しかし、もし「イラク特措法」の定める範囲で人を殺したらどうなるのか。アメリカ以上にうつむかざるを得ないのではないか?
この映画を前に我々がなすべきこと、というよりは唯一できることは、「想像力の回復・復活」だろうと思う。
同じ空の下のイラクの人々を思い、時にはアメリカ兵のことを思うこと。「戦争」とは無縁なつもりの日本人の想像力の無さそれ自体を考えてみること。僕は残念ながら、これくらいのことしか思い浮かばない。だが、やらねばならないのだ。
さて、上映のあとは、綿井君とジャーナリストの大谷昭宏氏とのトーク。その中で、印象的だったことばを思い出すまま羅列すると(正確ではないかもしれませんが、真意ははずしていないつもり)、
「ヴェトナム戦争は、一番映像が撮られた戦争。その中のいくつかの映像が反戦運動の元になった。しかし現在は、軍にコントロールされた「従軍記者」のレポートしか基本的に許されない。「侵攻する側」からの映像だけになってしまっている。湾岸戦争も、イラク戦争もしかり。」(大谷氏)
確かにその通り。湾岸戦争時の映像を「ゲームのようだ」と評した人がいたが、実際、ボタンを押してミサイルや爆弾を打ち込むだけなら、「ゲーム感覚」だろう。映画の中でも、アメリカ兵にくってかかるお爺さんに「The game is finished! Yankee, go home!」といった人がいた。この人は、アメリカ兵にとってこの戦争は「ゲーム」なのだと正しく見抜いていたのだと思う。
この大谷氏の発言はもちろん、「侵攻される側からの映像」を提供した綿井君への賛辞なのだが。
「現在イラクの取材は大変困難になっている。一つは入国時のビザの問題。もう一つは、日本人の取材協力者だと言うだけでねらわれる危険性が高まると思って、なかなか現地スタッフの協力が求められない。だから取材はどうしても米軍の従軍取材か、自分でガードマン(拉致されたらしい斎藤さんのような)を雇うしかない」(綿井氏)
これじゃ、気軽に「言って頑張って来いよ」というわけにはいかない。この二年間、アメリカは何をやっていたのか。ブッシュ、早寝している場合じゃないぞ!(笑)
「サマワに行っている自衛隊、派遣される部隊についての報道の無さは異常。ここまでマスコミがノーチェックで良いのか。イラク特措法のいいかげんさだって、目を覆わんばかりの代物なのに」(大谷氏)
僕も恥ずかしながら、伊丹の部隊がサマワに向かったことなど、この大谷さんの発言で初めて知った。しかも、今は一人の記者もサマワにいないという。
「「治安の悪化」という言葉は、まやかし。「治安」というレベルではなく「戦争の悪化」と評した方が正確。」(綿井氏)
確かに「治安」という言葉は、戦争をしていない状態にしか似つかわしくない言葉だ。綿井君は「第二次イラク戦争」と呼んでいた。
「学生にインタビューしたとき、シーア派かスンニ派かと聞くと、怒ったものが多かった。この両者の区別は外から持ち込まれたものであって、絶対的なものなどでは決してない」(綿井氏)
これは宗教学者としても興味深い発言。宗教的な「色分け」なんて実際、どれだけ影響しているか、知れたもんではないと思う。「敵の敵は味方」という論理だって、すぐに思い浮かぶし。
「僕は「後ろめたさ」を感じながら取材しています」(綿井氏)
前線で命を削っている綿井君に比べれば全く比較にもならないだろうが、僕もある種の調査などをしているとき、「後ろめたさ」を感じるときがある。僕は宗教学者だから、ある教団の信者さんにインタビューする(した)ことがあるが、自分自身が「ズカズカ」とインタビュイーの内面に入り込まざるを得ない場面があり、ついたじろいでしまうのだ。同様に、韓国のことを研究するときも、僕は植民地時代を中心に研究しているので、どうしてもデリケートな問題に入り込みやすい。綿井君のこの発言は「我が意を得たり」などと言うとおこがましいが、「想像力」を決して枯渇させない彼のようなジャーナリストは本当に貴重だと思う。
というわけで、見て楽しくなる映画ではもちろんありません。しかし「直視しなければいけない」映画の一つであることは確かです。是非ご覧ください。
追記1:上映と対談が終わってホールの外に出ると、綿井君自身がお見送りをしてくれていたので、僕らは13年ぶりに(僕の記憶が正しければ)直接言葉を交わした(僕が前に出したメールのことを覚えてくれていた。嬉しかった)。握手をして、お別れ。スタッフの方からポスターまでいただく(大学の掲示板に貼るつもりです)。
追伸2:これを読んでいる川瀬ゼミおよびその他の学生の皆さん。スタッフの方によると、京都ではちょっと遅れて九条の「みなみ会館」で上映が行われるそうですから、「ポストコロニアル」というテーマでせっかく輪読やっているんだから、特にゼミの皆さんは是非見に行くように。またあとでアナウンスします。
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