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« 休日最後の | Main | Little Birds公開について »

May 14, 2005

僕だって実は「現状肯定の保守」なのだ

さて、今となっては守旧派となった護憲派の僕ですが、今月号の『世界』(岩波書店)を購入して、今読んでいるところ。
今月号の特集は、「憲法9条ができること-平和の構想」というもの。
僕の目当てはまず、敬愛する歴史家安丸良夫先生の扶桑社教科書批判(「肥大化するナショナリズム史観」)。これは正確には、特集記事の一つではないのだが、大いに関係のある文章だ。思わず笑ってしまうくらい、西尾幹二氏に対する皮肉が満載(と僕には読めた)。「自分に甘く、他人に厳しい」歴史記述が貫かれている(一応一つのものの見方に「貫かれている」が故に、一貫した記述にはなっている)「二重基準」のこの教科書に対する安丸先生の評価に、全面的に賛成だ。なんと言っても、この教科書の最大の問題点は、先生のおっしゃるように「歴史の回顧が現代日本の現状肯定に帰結」することだろう(p.45)。
さて、特集だが、この特集の巻頭言が、ある意味全てを語っている。少し引用すると、

冷戦が終結した90年代以来、日本では「憲法9条があるから」あれもできない、これもできない、という議論ばかりだった。憲法が政府の行動を制限するもの である以上、「できない」ことがあるのは当然である。しかし、「できない」のは、日本が、現代世界の諸々の問題を軍事力で解こうとするから「できない」こ とになるのではないか。
 軍事力の役割を最小にし、対立を回避し、紛争が生ずれば対話と交渉で解決すること。そのためには、私たちは何をしたらいいか。様々な人権侵害や迫害、差別、テロ、格差等など、暴力を生みだす構造をどう変えていったらいいか。
 つまり、「憲法9条ができること」、あるいは「憲法9条でなければできないこと」が、山ほどあるはずだ。日本を「戦争ができる国」に変えるために改憲を急ぐ必要は、どこにもない。

全くその通りとしか言いようがないと思う。それに、「改憲したい」といいまくっている議員が国会の「憲法調査会」ではほとんど「学級崩壊」と揶揄されるような不真面目ぶりを示していたことも、忘れてはならない(高田健「いったい何を「調査」したのか」:検証・衆参両院憲法調査会の五年間)。要するにこの態度は、「最初から結論ありき」であったということを雄弁に語っている。ちゃんとしろ、とまではいません。「ちゃんとしている振り」くらいはしてくださいよ、僕なんかが教壇でやっているくらいには(笑)。

以前、「現実に合わせて憲法を作り替えようとすると、結局は現実に振り回される国になるだけ」という主旨の片岡義男氏の言葉をこのブログで引用したことがあったが、今回の特集でも、政治学者の土佐弘之氏の「「現実主義」は現実を切り捨てる」という記事があった。日本の外交で「現実主義」というと、ほとんど自動的に「アメリカに追随する選択」ということになるのだが(「朝生」でご活躍中のD大学のM田氏なんかは、その典型)、要するに、土佐氏も指摘するように、「長いものには巻かれろ」というのを少し高尚に言い直したに過ぎないと思う。また、今我々が直面している「保守主義」は、実はこのような意味での狭い「現実主義」であって、例えば「伝統(創られた、ということはとりあえず棚に上げて)」や「理念」に則って、何かを「守る」というのではない、要するに場当たり的なものなのではないか、とこの論説を読んで思った。

さて、僕は、戦争に行かなくてもいいし、徴兵制もなく、「頼りなく豊かなこの国」(浜田省吾「J-BOY」より)を結構愛している(僕を「サヨ」だの「反日」だと思っているものは、自分の「人を見る目のなさ」を虚心坦懐に反省すること)。そういう意味では、僕も思いっきり「現状肯定」の保守派だ。だたし、世間とは違った意味での「保守派」なのだが。
漫画だオタクだサブカルだなどと、好きなことにうつつをぬかすことのできる幸福、つまりこの状況(「平和ボケ」と言うなら言ってくれてもよい)を根幹で支えている9条を、僕は「死守」したい。勇ましく「改憲」を叫ぶ「改革派」の皆さんには悪いが。
9条の理念が、世界へ輸出するべき崇高な理念であることを述べたりすることは、もちろんできる。事実、僕もそう思っているが、そのような言葉が届かなくなっているなら、敢えて僕は「生活保守主義者」の立場から、皆さんに訴えたい。「戦争をする口実(これは一方では「喧嘩を売られる口実」でもある)を作って、何が楽しいのか」と。

そのほかの記事で印象に残ったのは、臓器移植問題の記事(額田勲「新たな局面を迎えた脳死・臓器移植問題」)。僕の指導教官が、こ の問題に積極的に関わっていらっしゃるので、ついつい気になる。記事の中心は、要するに、脳死臓器移植の基準を下げて、もっと供給量を増やそう(特に子どものド ナーを作ろう)という動きが国会で密かに進行中とのこと。「何だ、良いことじゃないか」と思うかもしれないが、「人の死」をデジタルに割り切るっていうのは、これはなかなか難しい問題だと思います。自分自身は切り刻まれようがかまわないって人は多いと思いますが、それを見つめる家族にとってはたまらないものがあるだろう。「死生観」なんて、一番「保守的」なものかもしれないから、一朝一夕で変わることはない。

あれ、結局「保守主義」ってことでまとまっちゃったな。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

Comments

>日本が、現代世界の諸々の問題を軍事力で解こうとするから「できない」ことになるのではないか
なるほど・・。
軍事を最小にすることこそ、頭の使いどころですね。

>漫画だオタクだサブカルだなどと、好きなことにうつつをぬかすことのできる幸福、つまりこの状況(「平和ボケ」と言うなら言ってくれてもよい)を根幹で支えている9条を、僕は「死守」したい。
あははは。明快で説得力ありますねぇ。
激同です。^^

 自分も学生しつつ社会人をしていられるのも9条のおかげかもしれません。
 あの改憲派の人たちは押しつけられた憲法だと言いますが、終戦後、松本案や近衛案など独自憲法草案を作ったと記憶しています。確かその草案がポツダム宣言に合致しないためにボツになったのではかったのではないでしょうか?
 それはそうと、今回イラクで人質となった斉藤さんに対する政府の態度って、前回殺害された香田さんの時とあまりにも対応が違うのはなぜでしょうね。

私は、遠い将来、日本人の手で「より良いもの」に必ずなるなら改憲必ずしも反対じゃないですが、しかし現状ではもろもろの社会的コストを乗り越えてまで改憲を急ぐ理由もあまりない気がしてきました。てか改憲側の人々も、ホントに改憲志向するならもうちょっと根本的に批判しろよって感じさえ。あんがい左右一致点が多いんだもの新聞読む限り。

ずれちゃんさん

こういう「生活実感」からの護憲というのも、たまには良いかなと思って書きました。こういうのって、大塚英志氏の態度なんかも参考にはしているんですが。

潜在的ニートさん

戦後すぐの日本側の出した「代替案」は、明治憲法の微修正でしかなかったので、却下されたと僕もある本を読んだ記憶があります。
今回の斎藤さんへの態度、今までとは少し違いますよね。うまくは言えませんが、政府と全く「関係がない」というか、日本政府に「含むところのない」人なので、対応や態度が違っているのかもしれません。でも、よく考えれば、日本を去って「傭兵」やっているというのも、一種の「自分探し」のような気もしますが・・・。

こいけさん

「よりよいもの」とか「よりよい日本」というヴィジョンは、それこそ収拾がつかないものなので、「ここだけは押さえなければ」という部分だけを定めるのが憲法だと思います。まあ、この60年、うまくやって来れたのだから、この憲法、改憲派の人が言うほど「ひどい代物」ではないのは確かです。
「左右の一致点」という部分ですが、確かに基本的人権など、「議論の余地がない」部分には一致しているでしょうけど、僕が問題にしたいのは、北田暁大さんがいうような「シニックな現状肯定」とでも言うべき改憲論です。
9条に関しては「完全撤廃」よりも、「部分的修正」というのが「改憲派」でも過半数、というのを指して「左右一致」といっているのだと思いますが、僕は、上記のような「雰囲気としての改憲」というのを、最も恐れています。「改憲すれば(教育基本法を変えれば)何とかなる」という「魔法」を信じている人が、世の中には僕の予想以上に結構多いようですから。

 憲法に関する真摯な「川瀬節」、
好きです。

 臓器移植に関しては、数ヶ月前に
読んだ帚木蓬生さんの『臓器農場』
(新潮文庫)の一節が、印象に残ります。

 「無脳症児も人間です」

どうも川瀬さん。インドやってる近藤です。
もう2ヶ月近く、ブログ拝見してました。
ノゾキしててすいません。やっと初投稿です。

護憲・改憲、僕はいろいろ迷ってます。
もちろん「雰囲気としての改憲」「シニックな現状肯定」には
断固反対(というか、ふつうに虫酸)であるにしても、です。

そこで ひとつ質問させてください。

川瀬さんの立場では――
自衛隊(の存在と法的位置づけ)も今のまま、ってことですか?

かせたにさん

>帚木蓬生さんの『臓器農場』

僕もこの本、知り合いに教えてもらいました。でも、臓器移植とか先端医療の問題って、経済的格差の問題が実は一番の問題なのだと思います。貧乏人には縁もない医療ですから。

こんどうさん、IAHRではお疲れ様でした。読んでくださってありがとうございます。

>川瀬さんの立場では――
>自衛隊(の存在と法的位置づけ)も今のまま、ってことですか?

そうですね。基本的にはそうです。
確かに、憲法をそのまま読めば、自衛隊の存在そのものが違憲であるのは明白でしょうけど、「軍 army」といわずに「自衛隊 self defence force」と呼んできた、いささか欺瞞的で日本国内でしか通じないルールも、僕はそれなりに有効だったと思います。というのも、「軍事力は嫌々ながらとりあえず持つけど、行使はなるべくしない」というあり方は、ある意味軍隊として理想的だと思うからです。「自衛隊」という名称は、このことを表していると思います。このような自衛隊のあり方を「日陰者扱い」と呼ぶ人もいるでしょうが、僕は自衛官の人にはある意味申し訳ないけど、軍は日の当たるところに出てきてはいけないものだと思います。
もう憲法でいちいち断らなくても、「専守防衛」という国是は国民のコンセンサスを取っていると思います。解釈改憲はなるべくなら避けた方が良いに決まっていますが、こと9条に関しては、この「居心地の悪さ」は決してマイナスだけではないと思っています。
こんな感じです。

川瀬さん ご返答どうもありがとうございます。
なるほどねぇ、と納得しました。

奇態なるがゆえの9条の重要性――
これについては、100%川瀬さんと同意見です。
他方、自衛隊の合法化については、
僕はまだ川瀬さんほどの割り切りができていません。
この中途半端さ、「知識人」としては恥ずかしいかぎりです。

この中途半端さのゆえに、ネガティヴな護憲論者になっている
これが、僕の現状です。
川瀬さんのような積極性が、思想面で僕には欠けていますが、
実践面での帰結は 川瀬さんと同じ ということです。

そしてこの点こそ、
「雰囲気としての改憲」「シニックな現状肯定」に対する
もう一つの(川瀬さんとは別様の)アンチである、と考えています。

忙しいところ、さらに申し訳ないのですが――
重ねて質問させてください。

在日米軍基地についてはどうですか?
縮小ですか、現状維持ですか?
あるいは全廃 ですか?

在日米軍に対しては、できれば全廃に越したことはないですが、縮小を目指すべきだと思います(縮小なら、安保条約の範囲でも交渉次第だと思いますし)。僕は別に「首都圏に他国の軍があるなんて、国辱」なんて考えるようなナショナリストではありませんが、「思いやり予算」は国辱ものだと感じてしまいます(笑)。このネーミング、本当に日本の立場が現れていて、情けないを通り越して、可笑しいくらいです。

とにかく、自衛隊にしても、在日米軍にしても、「仮想敵国(これだって、十年経ったらどうなっているか)」をびびらせる程度の規模と装備があれば僕は十分だと思いますので、今の在日米軍は多すぎだと思います。自衛隊は、装備の面とかからしても世界有数の「軍」であることは明白ですし。
あと、エコ運動の一環として、これ以上沖縄の海を埋め立ててほしくない、というのもあります(ジュゴンを愛しているので)。

早速のご返答、あらためてありがとうございます。

在日米軍については、どうしたことでしょう
川瀬さんに 僕は全面同意です。

在日米軍の縮小――
政治過程論の視点からすれば、あまりにも難題です。
クリアーすべき課題が多すぎる。
こうした政策決定の余波が大きすぎる。
(もしそれをしたら、牛肉の押し売りどころじゃないでしょうねぇ)
したがって、官僚も政治家もなかなか口に出せない。
出したら出したで、無責任だ。

しかし、「知識人」はその点 楽ですね。
僕もはっきり言うことができます――
在日米軍は小さければ小さいほどよい!
そして
ジュゴンはめっさかわいい。

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