贈る言葉
皆さん、ご卒業おめでとうございます。めでたいのか、おめでたいのかよく判りませんが、とにかくおめでとうございます。
さて、君たちの学年は、僕にとっては忘れられない学年になりそうです。と言うのも、僕はこの大学に4年前に着任しましたが、それと同時に入学したのが君たちだったからです。つまり、1年生の時から卒業までを見送った、最初の学年ということになります。これは僕の教員生活で、最初で最後のもの、ワン&オンリーですので、忘れがたい、と思っているわけです。もちろん忘れがたい理由は他にも色々ありますが、差し障りがあるので、この場では申しません。
君たちを見ていると「人間は4年間でここまで成長するものか」と非常に驚いた面もあります。特に、卒論に取り組んだこの半年間で驚くほど見違えた人もいます。逆に、それまでの3年半は何をしていたのか、ということも言えるのですが。
ちょっと話はそれますが、僕などはよく、夜、布団の中で学生時代の恥ずかしい思い出が突然湧いてきて、その恥ずかしさに身悶えすることがあるのですが、君たちを見ていると「学部生って、こんなもんだったっけ」とホッと一安心して心の平安を得たこともありました。特にゼミ合宿や飲み会で君たちがお酒の勢いでばらしてくれたことを聞くにつけ、僕の若い頃はそんなに間違っていなかったんだと確信が持てました。ありがとうございます。つまり、成長しても、してくれなくても、どちらにしても、僕の心にとって君たちは「有り難い存在」でした。
今、卒論の話をしましたが、数ヶ月前まで、君たちも苦しみ、教員側も苦しんだ卒業論文の思い出が、これまた思い出したくもないのに走馬燈のように駆けめぐります。これも一種のPTSDによるフラッシュ・バックでしょうか。
去年の卒業生、つまり君たちの一つ上の学年の諸君も、「個性的」な学生が多く、その指導には結構苦労しました。皆さん、先輩の顔を思い浮かべて、思い当たる節があるでしょう。特にそこで笑っている人。 去年の今頃は「ここまで指導に苦しむ学年はないだろう」と思っていたのですが、あに図らんや、その読みは甘かったです。次の学年たる君たちにこれほど苦労させられるとは、神ならぬ僕には見通すことはできませんでした。君たちで心当たりのある人は、しっかり反省して、社会人になってもその気持ちを忘れないでください。僕も「人を見る眼の甘さ(無さ)」を虚心坦懐に反省しなければなりませんが。
さて、卒論の「効能」ということを考えてみますと、論理的思考をこれで養えた、という効能を声高に主張するのは、君たちの卒論の出来を考えるとちょっと躊躇してしまいますが、一つ確実なものがあります。それは「自信」です。社会に出られても、「私ですら、卒論、どうにかなったんだから」というポジティヴな方向で考え、何事にも立ち向かうようにしてください。もしかしたら、卒論の効用は、そういうポジティヴ・シンキングの元になってくれることだけなのかもしれません。
さて、君たちが卒業式の後開催してくれる「謝恩会」というものがあります。今年もしてくださるそうですね。ありがとうございます。去年まで僕は「謝恩だなんて、そんなにたいしたことはしていないのに」と申し訳ない気持ちでしたが、今年からは「謝恩してくれ」という気持ちで一杯です。しっかり謝恩されたいと思います。
今後の君たちの人生が素晴らしいものであるようにお祈りいたします。これだけは冗談ではありません。皆さんの前途を祝します。


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