「聞く権力」か?
このところ「パブリックコメント」というものが気にかかる。
要するに行政側の「ご意見をお聞きします」というやつだが、努力しているであろう行政側のみなさんには申し訳ないけど、どうも「アリバイ作り」という気配が濃厚な制度だ。厄介なのは「聞く方もアリバイ」ならば、「言う方もアリバイ」になってしまうという点。アリバイの共同製作兼共犯関係。それで、言う方(の我々)も徒労感をつい感じてしまうのだ。
パブリックコメントは数年前から、国や自治体がちょっと大きめのことを決定・廃止・改定するときに聞くことがほぼ義務づけられているようだが、正直言ってよく判っていなかった。実は急に関心を持つようになったのは、僕の勤務する大学が法人化問題に直面しており、現在そのパブリックコメントを行政側が求めているからで、先ほど僕も個人名で意見を申し述べた(このパブリックコメントをどうしようかとこの数日悩んでいて、「パブリックコメントって一体何だろう」と思い、色んなサイトを見て回ったのだ)。
まあ、僕の意見が採用されたり、通るとは思わないが(色んなサイトを参照するに、賛成と反対の数や傾向くらいは「結果発表」として出してくれると思うけど)、どれくらい本当に反映されたり忖度されたりするのだろうか。
もちろん、パブコメによって、政策が左右されすぎるのも考え物だ。例えばあるグループの「組織票」によって、ある案件に対して「賛成」が9割を超えた、じゃあ変えちゃいましょうなんてことになると、これまた困る(パブコメではないが、「憲法九条」について問うた護憲派サイトのアンケート結果が、組織票によってねじ曲げられた事例なども僕は知っている)。
また最近だと、教育基本法をめぐる地方公聴会(タウンミーティング)での「やらせ質問(しかも行政側の改革賛成の立場からの)」疑惑もあったりするしねえ(先ほど、内閣府がその事実を認めた。やれやれだ)。というわけで、どうしても住民の声を吸い上げると称している制度自体に全幅の信頼を置けないのだ。
何かパブコメ制度って、ミシェル・フーコーの言っていた「聞く権力」の最終形態のような気がしてきたな。フーコーは、首根っこを押さえつけて言うことを聞かせたり、生殺与奪の権を持つような権力のあり方は古い形態であり、近代以降の権力は、まず様々な装置(学校とか)により「内面化」され、促さずとも向こうから言い寄ってくるような形になってきていると指摘し(それが貫徹できていれば、完璧な「権力」なわけだ)、「殺す」のではなく、「その者の話を聞いてやり」「健康状態などを気遣いつつ生かす」のが近代以降の権力なんだ、というようなことを言っていたと思う(大雑把すぎるまとめですが・・・)。パブリックコメントを書きながら、頭の片隅でグルグル回っていたことは、上記で触れたような徒労感と、フーコーの理論だった。
ちょっと愚痴っぽく書いてしまいましたが、でも数年後の自分に「あの時お前は何もしなかったじゃないか」という風に言われないために、僕も「アリバイ」と半ば開き直りつつ、手の届く範囲でパブコメを含め、コソコソやっていこうとは思っています。
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フーコー原典に当たってないのでなんとも言えないながら、「聞く権力」をどう捕らえたらいいのか、ここ数時間考えましたがとりあえず、周りの知り合いに「聞く権力」概念を少しずつ広めることぐらいしか思いつきませんでした…。
Posted by: nmgs | November 08, 2006 04:48 AM
>「言う方もアリバイ」
本当にそうですね。面倒くさいがやっておかないと。
お上の公聴会というお堅い話でなくて恐縮ですが、川瀬先生が面倒でも丁寧にコメント用紙に書き込んでいる姿が(微笑ましくも)浮かび、近頃の煩わしいこちら(USA)の現象を一言。
学期が終わると、受講した学生が教授の労をねぎらって standing ovation (皆立ち上がって教授に拍手)し、教授は恥ずかしそうに手と首を振って教室をあとにする。(可愛そうに、standing ovation されない先生もいる。)すると、事務の人が教授評価のためのコメント用紙を持って教室に現れ、学生はそれに記入する。
というのは、学園の話。
しかし、今は病院に行くとすぐに、医者や看護婦の対応はどうだったかとコメント用紙が送られてくるし、突然の車のトラブルでAAA(日本のJAFのような組織)を呼べば、応対したメカさんの対応や技術はどうだったか、緊急電話を受けたオペレータの判断は etc. と聞いてくる。結構時間を取るので、またか!と思うのですが、せっかく一生懸命してくれた人たちのことを考えるとコメントせざるを得ません。
川瀬先生の趣旨からは外れていますが、ふと思い出しましたので。
MWW
Posted by: Dr. Waterman | November 09, 2006 01:59 AM
nmgsさま
僕も、フーコーの全てを読んでいるわけではないのですが、『監獄の誕生』および『性の歴史』で彼が言いたかったことは、上記のようなことではないかなあ、と、社会学者の友人からの非難覚悟でまとめてみました。
昔からある程度は「聞く権力」だったでしょうが、ますますその度合いを強めているような気がします(タウンミーティングのやらせなんか、その典型例です)。
Waterman先生
アメリカでもそうなんですか。何でもアメリカの物真似をしたがる日本でも、そういう傾向はあります。大学に関しては、「第三者評価」が課せられる事が決定してから、学生に「授業アンケート」を取るのが半ば義務となっています。そして、その結果を教員が見せられ「学生の評価をどう受けとめ、どう講義を改善するかを述べよ」というような作文を課されたりもします(この前そういう作文をしていました)。
病院ではまだ経験がありませんが、一般企業ですと、サーヴィスの質を顧客に聞く葉書やアンケートメールはばんばん来ますね。ほとんど返事したことはありませんが(返事したのは、不満があるときだけです)。
僕の関わっているパブリックコメントもあと一週間。蟷螂の斧をとりあえず振り回したいと思っています。
Posted by: 川瀬 | November 09, 2006 12:38 PM