近代天皇制国家の壮大な「パロディ」―二人の「進撃する巨人」(書評 川村邦光著『出口なお・王仁三郎――世界を水晶の世に致すぞよ』2017年、ミネルヴァ書房)
川村邦光 著『出口なお・王仁三郎――世界を水晶の世に致すぞよ』2017年9月10日刊 四六判520頁 本体3800円 ミネルヴァ書房
川瀬 貴也
戦前、最大の弾圧をこうむった教団として知られる大本(教)は、これまでも多くの研究者や小説家の関心を引きつけてきた。例えば、高橋和巳の『邪宗門』は大本をモデルとし、高橋の母の天理教信仰をも加えた思考実験の小説として名高い。研究者も「地上から大本を抹殺する」とまで言われた大弾圧を受けた大本を、いわば天皇制国家の「犠牲者」としてシンボリックに、あるいは幾分ロマンティックに解釈してきた。丹波の地で、文字通り地の底で貧苦に喘ぐ生活をしながら、強靱な精神力で生き抜き、遂には神の言葉を筆先で表し、一大教団の基礎を築いた出口なお。そして彼女としばしば対立しつつも支え続け、教義を確立し、教団を拡大し、当時から「大化物」と呼ばれた王仁三郎。本書は日本近代宗教史に屹立するこの二人の巨人の生涯を余すところなく活写した浩瀚な書である。かつて歴史家の安丸良夫は、大本、特に王仁三郎の志向性について、当時の「国体イデオロギー」にすり寄りながらも(それが広汎な人々をひきつけた要因でもある)、それをいわば換骨奪胎して「内側から食い破る」可能性を常に秘めていた「正統のなかに生まれた異端(安丸の用語ではオーソドキシー異端、O異端)」であったがゆえに弾圧をこうむったと説いたが(安丸『近代天皇像の形成』岩波書店)、本書はその大本および王仁三郎の「O異端」ぶりを徹底的に浮き彫りにしている。事実、大本は天皇制国家に真正面から対抗したのではなく、極端なまでの「皇道主義」を唱え、いわばその壮大な「パロディ」を演じたのである。
著者の川村はこれまでも大本、新宗教教祖の「カリスマ」、近代の巫者(シャーマン)、近代化によって抑圧された民間信仰に関する研究に多大な貢献をしてきたが、本書は彼のこれまでの研究を全て投入し、なおかつ出口なおと王仁三郎の声をできるだけ拾い(「筆先」や著作、機関紙からの膨大な引用は本書の特徴の一つである)、大本が近代日本および世界にどのような「声」を発したかを跡づけている。大本は一八九二年旧正月になおが神がかりして書いた「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ」という「初発の神諭」から出発した。なおの描く当時の日本および世界は「外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ」と、まさに近代国家および文明を呪詛せんばかりの内容だったことはつとに知られているが、このような「筆先」は、なおのテクストに王仁三郎が漢字を宛て、いわば「編集」したものであり、いわば大本の経典は二人の共同作業によって形成されたものであった。そのような現世否定の教義は、その反対のもの、すなわちユートピア(水晶の世)および「終末論」を招来せずにはいられまい。事実、大本では「人民、三分の所まで行くぞよ」とほとんどが滅亡するヴィジョンを持っていた。そして、単なる現世否定ではなく、改革(立替え立直し)を熱烈に説いたのが大本の特徴であり、これも弾圧を招く原因となった。大本も他の新宗教同様「病気治し」により信者を増やした側面はあるが、なお自身が「綾部の大本は、病気直しの神ではないぞよ」と述べるように、主眼は飽くまでも「立替え」の方であった。そして、よく大本は軍人やインテリの信者が取りざたされるが、実際の信者の大多数は農民であり、彼らは大本の「立替え」および農本主義的な教え(実際に陸稲普及の活動もしている)にひかれたことも本書では詳述されている。
なおの死後、王仁三郎は国体のディスクールを駆使しつつ、そこから「はみ出る」ような言説を重ねていき、「大正維新」「昭和維新」の大号令を掛けていく。二度の大弾圧に先行するこれらの言説を、著者は淡々と引用していく。特に二度目の大弾圧を引き寄せた昭和初期の言動に対しては、例えば昭和神聖会(黒龍会の内田良平と組織した国粋主義団体)の結成時の宣言文や「ユダヤ陰謀論」など、後の目から見ても弁護しようもないものも俎上に載せている。これまで王仁三郎に関しては、例えばバハイ教や中国の道院、世界紅卍字会との連携やエスペラント語の学習(これは現在の大本でも継続中)という「国際性」が取り上げられることが多く、それと日本中心主義の奇妙な同居がこれまでも研究者の耳目を集めてきたわけだが(同時代の平塚らいてうも王仁三郎をその両者の混淆として評価していた)、著者はその「一貫性」を取り敢えず棚上げして、王仁三郎の融通無碍さ(大化物性)を描写している。
著者は昭和初期の大本の教義を比喩的に「天皇親政の翼賛たる顕教」「天皇親政の補弼の密教」「王仁三郎をミロク菩薩・統治者とした秘教」という三つの性格に分類しているが(三七二頁)、実は最後の「秘教」の内実は、政治的な色合いを除けば極めて素朴なもので、なおが述べた「水晶の世」に近いとも指摘する。恐らくこの本質こそ、当時の人々を魅了した教えであったであろうが、それに政治的な色彩がつき「化物の持つリアリティ(戸坂潤)」を惹起してしまったところに大本の悲劇と、今の我々がその歴史をもう一度ひもとく意味があるのであろう。(京都府立大学文学部准教授)
(『図書新聞』2018年2月10日、第3338号掲載)


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