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April 11, 2025

改めて「信教の自由」とは?―旧統一教会の宗教法人解散

今年の320日に、地下鉄サリン事件からちょうど30年となった。テレビで特番が組まれるなど、もう一度あの事件を振り返ってみようという動きが各所であった。もう30年か、もしくはまだ30年か、と人によって感じ方は違うだろうが、あれが日本の歴史上、「宗教」そのものに対する見方を大きく変えた事件であったことには異論あるまい。また「カルト」という言葉が日本社会に定着したのも、この事件であっただろう。当時東京在住だった私が被害者とならなかったのは単に運の問題に過ぎない、と改めて思う。

 このような凶悪な犯罪を理由として、1996年に史上初めて宗教法人解散命令を出されたオウム真理教だが、3例目の解散命令が、この325日に東京地裁において旧統一教会(世界平和統一家族連合)に対し下された。報道されているように、今回の解散命令は「生活を破壊するほどの高額献金」を民法上の不法行為としたもので、これまで解散命令を出す事由とされた刑法上の犯罪(殺人、誘拐、拉致、詐欺など)とは少し様相が異なっている。そもそも我々は、基本的に刑法で裁かれるような犯罪を起こした教団を事後的に「カルト」と呼んできた。単に奇矯な行動だけなら、マスコミや一般の人はともかく、宗教研究者がそれだけでその集団を「カルト」と呼ぶのはレッテル張りと遠慮していた側面は確実にあった。私も学生から時々「先生、カルトの定義ってなんですか?」という質問を受けるときがあり、そのたびに上記のような定義で説明してきた。

 旧統一協会側からは「今回の決定は宗教法人法の法令違反に関して、これまで解散事由になかった「民法の不法行為」が含まれましたが、これは、民法上の不法行為が宗教団体の解散事由に該当するということに他ならず、日本の信教の自由、宗教界全体に大きな禍根を残すものと考えます」という反論が出されており(当教団サイトより引用)、今回の東京地裁の解散命令に対し即時抗告すると表明しており、おそらくこの問題は最高裁までもつれるであろう。彼らは「信教の自由」の侵害を声高に唱えているが、ここで思い出したのが、フォトジャーナリストの藤田庄市氏の造語である「スピリチュアル・アビューズ」という言葉である(『カルト宗教事件の深層―「スピリチュアル・アビューズ」の論理』春秋社、2017年)。藤田氏は数々の「カルト事件」の背後には、共通して「信教の自由の名のもとに、実質的に人々の精神の自由を毀損するスピリチュアル・アビューズ(霊的虐待)が存在する」ことを主張している。これは要するにその宗教上の教えでもって、その人の人生や選択を著しく狭めてしまうように仕向けること、とまとめられるだろう。

 個人的には今回の「解散命令」は妥当とは思うが、これまでの歴史的経緯もあり国家が介入を控えてきた「家族」と「宗教」という領域に介入した、ということは銘記しておきたい。この介入が過度にならないように監視する義務は、我々市民の側にある。

(「時事評論」『中外日報』2025年4月11日掲載)

January 31, 2025

僧侶が取り仕切る「儀礼」の力―変化の中で保持される宗教色

 私事だが、先日義母が亡くなり、妻の故郷で葬儀を行った。人が生まれる時、死ぬ時は選べないので、その現場に携わる人々は24時間体制で、まさに「一期一会」の活動をしてくださっている。今回、某葬儀会社に全面的にお世話になったが、数時間前までいわば「見ず知らず」であった我々遺族に対して、懇切丁寧に式を取り仕切ってくれた。葬儀会社の皆さんに感謝の念を抱きつつ、私は自分がこれまでの人生で、どのような葬儀に立ち会ったかを回想していた。

 この20年ほどで私が参列したお通夜、告別式はほぼ全ていわゆる「斎場」で行われたものであるが、現在50代の筆者にも、30年ほど前の祖父母の葬儀はまだ自宅で行った、という記憶がある。ある研究によると、1980年代から90年代初頭まではまだ自宅での葬儀が多かったが、2000年代になると過半数が斎場での葬儀となるそうだ(玉川貴子『葬儀業界の戦後史』青弓社、2018)。これは自分の体感にも合致する。統計によると、寺院、教会などの宗教施設での葬儀も年々減っているようである。

 今や「葬式不要」と宣言し、いわゆる「直葬」を行ったり、無宗教での告別式だけにしたりする方も少なくはなかろう。斎場は確かに特定宗教に限定されず、「自分(遺族)好み」の葬儀をある意味演出できる場であるが(葬儀や墓石による「個性発揮」も当然現代的な動きである)、大抵は僧侶を呼んでの読経を中心とした葬儀を行っていることだろう。つまり、宗教施設と切り離された場とは言え、斎場はいまだに濃厚に宗教色を保持していると言えよう。私の義母の葬儀も、妻の実家の宗旨の僧侶をお呼びして読経していただいたが、改めて感じたのは、信仰心の有無にかかわらず、宗教者が取り仕切る儀式、儀礼の「力」であった。あえて俗っぽく表現すれば、読経していただき、参列者が焼香することにより雰囲気が「締まる」のである。

 話は私がかつて少しフィールドワークをした沖縄に飛ぶ。私は学生とともに、623日の「沖縄の日」に行われる戦没者慰霊の現場にお邪魔して、ある自治体の各集落で行われる慰霊祭をいくつか見学させてもらったのだが、そこには大抵仏僧の姿があった。我々は複数の慰霊祭をサーキットのように回ったのだが、行く先々で同じ僧侶の方に会ってお互い苦笑したほどである。そこで聞き取りしたことを要約すれば、沖縄には檀家制度がないが、やはり読経してもらうと「慰霊祭の雰囲気がよくなる」とのことで、戦後に開かれた寺院に慰霊祭での読経を依頼しているとのことであった。つまり依頼側は宗派や教えなどには無関心だが、仏教儀礼の醸し出す「力」を借りたい、ということであろう。実際、沖縄における葬儀では、檀家制度がないせいで、葬祭業者が宗派にこだわらず手空きの僧侶を呼ぶという習慣がすでに確立されており、葬儀と法要のみに関わるある意味究極の「葬式仏教」が実現しているという報告もある。

 葬儀業は葬儀を総合的にプロデュースする地位にすでに就いていると思われるが、宗教的な儀礼はいつまでも「外注」されることであろう。

(「時事評論」『中外日報』2025年1月31日号掲載)

October 11, 2024

旧統一教会めぐる不思議な「沈黙」―関係者の生々しい証言も

早いもので、安倍晋三元首相が遊説中に殺害されてから、二年以上の歳月が流れた。日本近現代史において、暗殺された首相経験者の数は七名に上るそうだが、戦後では安倍氏ただ一人である。今のところ、この事件の容疑者の裁判も何故か始まる気配がなく、不思議な「沈黙」でもって、この事件は風化しつつあるような気さえしている。

そのような雰囲気の中、先日私は出版されたばかりの、樋田毅『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)という書を一気読みした。タイトル通り、これは元旧統一教会幹部であった大江氏という人物が、自らの来歴とともに(ちなみに彼は23年に末期の大腸ガンを手術して、その後この書の元になる取材を受けた)、これまで旧統一教会が「何をしてきたのか」というのをさまざまな側面から告白した書である。一読して、これほど赤裸々に語るとは、と驚いた。例えば彼の口からは「教会のためなら、世俗の(サタン側の)法律や倫理は無視しても良いという考えがあった」「自分が入会した頃には存在しなかった、人を騙し続けた霊感商法はよくなかった。霊感商法に従事させられた熱心な信者も被害者」「私の広報部長時代は、霊感商法について、経済活動は宗教団体とは無関係、と言い続ける悲惨な日々だった」「生活基盤を脅かすような献金は控えるべきと教団内部で訴えたが無視された」「自民党は今、統一教会との関係を総て断ち切り、無関係であるというような顔をしているが、あれだけ組織をあげて協力したのに、本当にひどい仕打ちだ」「赤報隊事件(一九八七年に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件)は、もしかしたら、うちの教団の末端にいた連中の暴走だったかも」など、次々と生々しい証言が飛び出るのだ。まさに「懺悔録」である。

古諺に「人の将に死なんとする、其の言や善し(「論語」泰伯)」とあるが、私の読後感がまさにこれだった。そしてつい、こんな人が多数派だったらあの教団はどうなっていただろうか、とないものねだりしてしまう。なお、この本の出版により、大江氏は教団を自ら脱会したのだそうだ。

さて、先日の朝日新聞の「スクープ」として「安倍氏、旧統一教会会長と面談か」と銘打った記事が一面に掲載された(917日朝刊)。これまでも、安倍氏が旧統一教会と深い関係があったこと(教団作成のビデオに出演し、それが暗殺の一因となったとされる)、しかもその「縁」は祖父の岸信介まで遡ることはこれまでも指摘されていたが、改めて「答え合わせ」をするような記事であった。これらの一連の報道に対して、現在のところ自民党は「既に公表した以上のことはない」「党内の事務手続きなどについては公表していない」と、これまた奇妙な「沈黙(黙殺)」の態度を崩していないように見受けられる。上記の大江氏の「懺悔録」と照らし合わせたとき、個人的には内心忸怩たるものを感じる。「死人に口なし」は生者の法、では「あの世」や「魂」を信じる宗教側から見てあの事件は果たして終わったのか、とつい皮肉な感想を持ってしまう。

(「時事評論」『中外日報』2024年10月11日号掲載)

July 12, 2024

沖縄戦の遺骨収集と慰霊―「弔い上げ」はまだ終わっていない

623日はいわゆる「沖縄の日」である。この日は沖縄本島を中心に、沖縄戦の犠牲者に対する追悼式が行われる。各教団、各仏教宗派もそれに積極的に関わっておられるのは読者諸賢もご存じのことであろう。私も学生を引率して「沖縄の日」に各自治体で行われる慰霊祭にお邪魔し、フィールドワークを何度か行っており、その場で僧侶、神職の方ともお話しさせていただいたことがある。

実は上記のような追悼式典の「外」で、継続的に行われている別の「慰霊」も存在する。それは「戦没者遺骨収集事業」である。厚生労働省の令和六年度の資料によると、琉球諸島や硫黄島を含む「海外」における戦没者は約240万人で、現時点での「未収用遺骨」はおよそ112万と概算されている(このうち収容可能性がある遺骨は約59万とされている)。現在も厚労省が音頭を取ってこの事業は続けられているが、ボランティアで遺骨収集を行っている人も数多く存在している。その代表的な人物として、沖縄で四十年以上も遺骨収集を継続している具志堅隆松氏が挙げられる。先日私は、この具志堅氏に密着して撮られたドキュメント映画「骨を掘る男」(奥間勝也監督)を鑑賞した。具志堅氏は自らを「ガマフヤー(壕を掘る者)」と称し(これは彼を代表とする遺骨収集グループの名前でもある)、主に沖縄本島南部の激戦地で淡々と遺骨を掘り(映画もそれを淡々と追いかける)、できればそれを遺族に送還するべく活動している(2003年以降はDNA鑑定も行われている)。映画のキャッチコピーにもなっていたが、具志堅氏は「あと10センチで出逢えるかも知れない」と、金属探知機なども用いつつ、暗く、湿ったガマに日々赴いている。この具志堅氏らの行動は、何らかの政党や教団の支援、信仰に基づいたものではなく、いわば「市民参加型」のものである。社会学者の粟津賢太氏はこのような党派性の回避、中立性が活動をスムーズにさせた面を指摘している(『記憶と追悼の宗教社会学』北大出版会、2017334頁)。宗教的なバックボーンがなくとも、具志堅氏は「遺骨に少しでも近づく」発掘作業を観念的な慰霊ではなく「行動的慰霊」と位置づけている。

ところが近年、かつての激戦地であり、未収容の遺骨が多く残存している糸満市の土地が、辺野古の新基地建設のための埋め立て土砂として調達されようとしており、具志堅氏はハンストでもって「これは死者の尊厳を冒す暴挙である」とその非を訴えた。この埋め立て計画は沖縄内外から反対運動を引き起こし、玉置デニー沖縄県知事も「人道的にも認めがたい」との意見を表明しているが、政府はその方針を基本的には変更していない。まるで政府は沖縄の「弔い上げ」が終わったかのような態度に終始している。

最後に一言。沖縄の遺骨収集に関しては、県民の四人に一人が死亡したという「身内」の弔いもさることながら、「内地」からやってきた多くの日本兵の遺骨も復興の過程で収集せざるを得なかった、という事情を決して忘れてはならない。「死者」はまだ眠ってはいないし、「内地の人間」は基地負担以外にも沖縄に大きな「借り」があるのである。

(「時事評論」『中外日報』2024年7月12日号掲載)

May 17, 2024

指導とハラスメント―自戒を込めて再点検が必要

 最近、興味深い本を読んだ。中村哲也氏(高知大准教授、スポーツ史)の『体罰と日本野球』(岩波書店、2023である。この書は戦前からの日本野球史をさかのぼり、いわゆる部活動における「体罰」「しごき」がいつ頃に出現したかを検討しているのだが、実は戦前にはあまり体罰の記述やしごきの記録が見られず(一部、東京六大学野球など人気のあった界隈でその萌芽が見られるらしいが)、一般的には戦後に一気に台頭してくるのだそうだ。その理由としてかつては「日本の後進性」など、文化主義的な説明もされてきたが、まずは監督を頂点として、レギュラー、上級生、控え、下級生という強固な上下関係が作られ、いわばピラミッド型の組織化が進んでいったことが大きな原因と指摘している。そして戦後は「軍隊帰り」の指導者が多く、彼らは軍隊で自分が受けてきた「鉄拳制裁」「ビンタ」をも辞さずに部員を「指導」した。軍隊出身者が消滅してもその悪しき習慣は再生産され、現在に至っているという。加えて戦後には部活動が盛んとなり、勢い運動部は強豪校のみならずおしなべて「勝利至上主義」となり、多くの部員をふるいにかけるべく、部内で体罰や常軌を逸したしごきが正当化され、横行したとも指摘している。また、中村氏は文化人類学者のD.グレーバーの言葉を引用し、「しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されていたこと」を「その行為が無意味であるからこそ、誰が上に立つ人間なのかを屈辱的に思い知らせるための儀式」であるとまとめている。ついでに言うと「坊主頭」、すなわち丸刈りが野球部員を象徴する髪型になったのも戦後からである。であるから、そのような髪型の規制をしなかった慶応義塾高校が昨年の夏の甲子園で優勝した時、我々は「時代が変わった」ということを目の当たりにしたわけである。

 さて、最近は運動部でも理不尽な体罰やしごきは減少しているだろうが、翻って宗教の現場ではどうであろうか。もちろん、大昔から聖職者を目指す際には「修行」が必須の過程であり、世間から見れば過酷と思われるような修行も一概に非難されるべきものではないだろう。ただ、その「指導」にあたる人間(すなわち上に立つ者)が、自己の権威、権力を意識せずに、グレーバーの言う「屈辱の儀式」を墨守してしまっている、ということはないであろうか。修行の指導というものは、基本的に修行する者のために「良かれ」と思って試練を強要してしまう、という仕組みなので、なかなか客観視することは難しいと思う。最近、時々取り沙汰されている各教団内でのセクハラ問題は、事実とすればもとより論外だが、宗教の現場は「同じ目的、目標を持つ集団」であり「師弟、先輩後輩など、厳しい上下関係が存在し」「厳しい指導も愛の鞭」というパワハラに親和的な環境であるのは、上記で紹介したスポーツの世界と通底するものがあろう。そして、これは筆者が属している大学などの教育現場でも、当然同じ問題が首をもたげている。比喩ではなくまさに「自戒をこめて」ここに記す次第である。

(「時事評論」『中外日報』2024年5月17日号掲載)

February 23, 2024

加害者家族と宗教―被害・加害双方へ関わり方は

 先日、高橋徹『「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力』(現代書館、2023という書籍を読んだ。これは、二〇一八年に死刑になった、元オウム真理教信者の井上嘉浩氏の父親の手記を元に、その周りの支援者たち(真宗大谷派の知り合いも数名いた)の動きをまとめたドキュメントである。著者は元北陸朝日放送の記者で、支援者と井上氏との手紙のやりとり、この父親の手記を中心にドキュメンタリー番組を作成した人物でもある。

 井上氏は逮捕後、オウムを脱会し、ずっと悔恨の気持ちを持ったまま、「教祖」とかつての仲間たちとほぼ同時に死刑に処された。それを見守るしかなかった両親の苦悩は想像に余りある。井上氏の父親は「自分が家庭を顧みないような人間だったから、息子がああなってしまった」という後悔をずっと持ち続けたようだ。その父親は、事件の起きた一九九五年から息子の死刑が執行されるまでの二四年間、膨大な手記を書き続けた。

 しかし、この本は単に井上氏とその家族に寄り添うだけではない。宗教ジャーナリストの藤田庄市さんの言葉を引いて、やはり井上嘉浩氏には宗教的エリート主義というか「独善的な修行者意識」がなかなか抜けなかったのではないか、という手厳しい指摘もされている。「独善的」とは、修行を続けることによって人間性も宗教的にも世間より高いところにいる意識のことである。

 さて、実は僕は一九九二年秋の東大駒場祭の麻原彰晃の講演会をきっかけに、宗教学科の同期二名(当時学部三年生)と一緒に、駒場東大前のマンションにあった「アジト」に招待されたことがある(講演会の時、名前と電話番号を渡しておいて、「フィールドワークの練習」などとうそぶきながら訪問したのである。今から考えると、汗顔の至りだが)。その時に我々の相手(というかオルグ)をしたのが井上氏だった。その時もらったオウムの本はまだ研究室の片隅に何冊かある。その時言われたことで印象に残っているのは「君たちがここに来た、というのも因縁」「そもそもここに来たこと自体、前世で修行した証」だとか、要するに「君たちは選ばれし人間なのだ」と、こっちの自尊心をくすぐるような口説き文句だった。幸い、僕は元々疑り深い性格だったので、こういう言葉に引っかからなかったが、僕の二つ年上の井上氏の印象は脳裏に深く刻まれた。次に彼の顔と本名を見るのは、サリン事件の後になる(初対面の時、彼は「ホーリーネーム」の「アーナンダ」とだけ名乗っていて、本名は知らなかった)。

 僕にとっては、30年ほど前の個人的体験を思い出させる本だったが、何よりも「犯罪加害者の家族(になる)」という、重い問題をも突きつける本だった。突然「犯罪被害者(の家族)」になることは何となく想像できても、「犯罪加害者の家族」になる、という想像力はなかなか持つことができないだろう。この書でも何人かの僧侶が紹介されているが、果たして宗教者は被害者、加害者双方にどのような関わり方ができるのだろうか。

(「時事評論」『中外日報』2024年2月23日号掲載)

October 27, 2023

旧統一教会解散命令請求―「宗教」と「家族」動きに注視

 この1012日に、政府はある意味思い切った決断を下した。それは「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」に対する解散命令請求を東京地裁に申し立てることとなったのだ。教団に対する解散命令請求は、本紙の読者諸賢はよくご存じのように、過去に二例しか存在しない(サリン事件を起こしたオウム真理教と、霊視商法詐欺が摘発された明覚寺)。過去の事例との相違点は、「民法の不法行為」が解散請求の根拠になった、ということである。教団側は「当法人を潰すことを目的に設立された左翼系弁護士団体による偏った情報に基づいて、日本政府がこのような重大な決断を下したことは痛恨の極みです(1012日付のプレスリリース)」とまで述べて「徹底抗戦」の構えのようである。

 例の安倍晋三氏の事件以降、堰を切ったように旧統一教会やいわゆる「宗教二世」の関連書が刊行された。実は私も『これだけは知っておきたい統一教会問題』(東洋経済新報社、2023という書籍で一部を執筆している。宣伝めいて恐縮だが、簡単にこの書の内容を紹介すると、本書が重視しているのは歴史的文脈、国際的文脈の中で統一教会問題を捉えること、具体的には「韓国キリスト教の〈異端〉の系譜」「植民地支配とその記憶」「朝鮮戦争からヴェトナム戦争、冷戦体制下と反共理念」「冷戦崩壊後の宗教右派の政治力拡大との関わり」から統一教会問題の「淵源」を解き明かすことを眼目にしたものである。どちらかと言えば「公共空間における宗教のあり方」を問い直したものである。

 一方、「合同結婚式」や「保守的な性道徳、結婚観、家族観」など、性と家族という「私的空間」の問題も旧統一教会に関しては無視することはできない。「信仰」と「家族」という、自分で選んだわけでもないものに人生を左右される、というのが「宗教二世」の共通の苦悩と言い換えることもできるが、彼らの苦しみは家族内の問題とされて「相談する人がいなかった」というのは数々の手記で繰り返し語られている。例えば、塚田穂高編『だから知って欲しい「宗教2世」問題』(筑摩書房、2023では、そのような宗教二世の声が複数掲載されており、行政や公的機関にどうつながることができるかが問題解決の条件との指摘もある(松田彩絵「第11章 宗教2世の現実と支援」)。

 先日、埼玉県議会で子どもだけの外出や留守番までも「虐待」とする虐待禁止条例の改正案が提出され、大きな反発を呼び撤回されたが、このような動きは、ポリタスTV編『宗教右派とフェミニズム』(青弓社、2023で指摘されている宗教的信念を含む右傾化の流れと軌を一にするものであろう。宗教と家庭という、いわば「聖域」とされてきた場所に公権力が介入するのは最小限にするべきと私も思うが、今回の「解散請求」もこの流れに棹さすことになるだろう。今後の公的機関と家庭、そして宗教の関係の動きを注視せざるを得ない。

(「時事評論」『中外日報』2023年10月27日号掲載)

July 28, 2023

「8月15日」を前に―戦争協力への反省と懺悔

 人々は歴史上に残る大きな事件に関して「なぜこのようなことが起きたのか」ということを検証しつつ、できるだけその「教訓」を継承しようとするものだろう。だが、過去の戦争や植民地支配については、時間が経過し実際に関わった人々が少なくなっていくにつれ、経験は風化し、それまでの反省と懺悔の「反動」として「それほど悪いことはしていない」「実は多少は良いこともしたのではないか」と知らず知らず自分を慰めてしまう、というのも残念ながらありがちなことだろう。宗教に関して言えば、過去の帝国主義時代において「軍隊と宗教者が手を携えて植民地に赴く」というのが一九世紀以来の伝統であったのは否定しようのない事実であった。もう一つ言えば、あからさまな侵略や収奪と違って、どんな宗教でも「人々の幸福」を祈り「素晴らしい教え」をもたらした、という自意識が素直な反省を邪魔して来た、ということもあるかも知れない。

 先日、浄土宗の有志らによる「浄土宗平和協会」が、日中戦争、太平洋戦争時の戦争協力について三年がかりでまとめた『浄土宗「戦時資料」に関する報告書』を公表した、とのニュースを見た(本紙七月一四日号)。本報告書は、近代日本における浄土宗の戦争協力の歴史的事実を、『宗報』や浄土宗内で発行された当時の史料から検証したものとのことである。専門委員長の大谷栄一氏(佛教大教授)をはじめとする関係者各位に敬意を払いつつも、私の率直な「感慨」は「やはり戦後からこれほど時間がかかるものなのか」というものである。もちろん、敗戦直後から宗教者たちはさまざまな「戦争協力への懺悔」「戦争責任の表明」「平和運動」「不戦の誓い」を行ってきた実績はある。上記の大谷氏が編者となっている『戦後日本の宗教者平和運動』(ナカニシヤ出版、二〇二一)を一瞥するだけでもそのことは理解できるが、大きな宗派はどうしても宗内での意思統一に時間がかかり、個々人の活動は目立っても、宗派としての反省や懺悔を表明するのは戦後しばらく経ってから、という事例も多いと思う。浄土宗も二〇〇八年にようやく法要「世界平和念仏別時会」で宗務総長が発表した「浄土宗平和アピール」で改めて内外に戦争協力の懺悔を示した、と聞く。

 旧聞に属するが、曹洞宗が以前編集した『曹洞宗海外開教伝道史』(一九八〇)という書籍が、植民地支配についての反省が見られず、過去を美化までしているとの理由で、絶版、回収になったこともあった(その顛末は曹洞宗人権擁護推進本部編『「曹洞宗海外開教伝道史」回収について』一九九三、を参照)。その時も「戦後数十年も経ちながら」という反省の弁が述べられていた。そういえば、大逆事件に連座して刑に処せられた僧侶に対する謝罪や反省も一九九〇年代に入ってからであったと記憶している。

 もうすぐ、日本がその日を境に「生まれ変わった」とされる七八回目の「八月一五日」を迎えることになる。「過ちては改むるに憚ること勿れ」という万古不易の言葉を拳々服膺する日でもある。そして我々は、反省や懺悔が遅きに失したとしても、それを継承する義務があるだろう。

(「時事評論」『中外日報』2023年7月28日号掲載)

April 28, 2023

陰謀論のゆくえ―「耳に心地よい物語」の危うさ

 「一寸先は闇」という状況になると、人はどうしても「分かりやすく」「全てを明快に説明してくれる」物語に心惹かれるものだろう。そういう心の隙間に、いわゆる陰謀論はすっと入ってくる。常識的な観点から見れば荒唐無稽なものがほとんどだが、世に陰謀論の種は尽きない。たとえば前回のアメリカ大統領選をめぐって、「不正選挙」を主張するトランプ元候補の「陰謀論」を信じた者たち(Qアノンと呼ばれた)が20211月、アメリカ国会議事堂を襲撃したという事件は記憶に新しいだろう。そしてこのコロナ禍のさなかは、さまざまな国(もちろん日本も例外ではない)で「コロナワクチンはある勢力の陰謀(人口削減、洗脳など)」というような流言飛語が跋扈した。

 現代社会はいわゆる「迷信」のはびこる余地をなくしてきたように思えるが、ここに来て「陰謀論」と「スピリチュアリティ」が接近しているのではないか、という疑問が研究者から提出されている。その一例としてあげられるのが、横山茂雄ほか編『コンスピリチュアリティ入門』(創元社、2023という書籍であり、この書では複数の研究者が陰謀論とスピリチュアリティの関係性を現在進行形で考察している。「コンスピリチュアリティ」という造語は、ある研究者が2011年に発表した論文で提出したもので、「陰謀論 conspiracy theory」と「スピリチュアリティ」を掛け合わせたものである。さまざまな実例がこの書でも列挙されているが、共通するのは「秘密の集団が政治・社会秩序を密かに支配している、もしくは支配しようとしている」「人類は意識のパラダイムシフトを経験しつつあり、秘密の集団の脅威には、彼らの陰謀に気づき、目覚めた人間の行動が重要である」という信念体系である。日本においても、コロナワクチンに反対し、デモなどを行った「神真都(やまと)Q」という集団が、その典型と見なされている。この概念については、「実は両者に特別な結びつきは確認できない」「陰謀論とオカルトの結びつきは昔からよく見られるもので、目新しいものではない」といった反論も出されているが、この結びつきがある種の対外的な攻撃性、暴力性を持つ場合もあるので(その最たるものが、オウム真理教事件だろう)、変わり者の行動として放置するのもためらわれるところである。

 陰謀論は、ある前提(これが大抵荒唐無稽なので「陰謀論」なのだが)から「論理的に」導き出され、しかも「隠された真実にたどり着いた」という心理的満足感を提供する「耳に心地よい物語」であることが多いのがやっかいである。ここが陰謀論の廃れない理由でもある。政治をめぐる言説でも、いかに陰謀論が流通しているか、という研究も近年出されている(秦正樹『陰謀論』中公新書、2022を参照)し、歴史学においては、近世に大量に作成された偽書が、今や自治体史をも巻き込む事態になっていることが指摘されている(馬部隆弘『椿井文書』中公新書、2020を参照)。陰謀論に対する「ワクチン」は、コロナのそれ同様、簡単にできるものではないが、「通説・常識の陳腐さ」に対する忍耐力を付けることしかないのかも知れない。

(「時事評論」『中外日報』2023年4月28日号掲載)

January 27, 2023

「国葬儀」問題再考―業績後付け説明で混乱

 前回、当コラムで私は、安倍晋三元首相の「国葬儀(国葬儀とは、政府が国の「儀式」として行う葬儀のこと)」問題を取り上げ、それがいわゆる政府による「公共宗教」的なるものの構築に繋がる危惧を書き留めた。

 先日(一二月二二日)、政府が選んだ「有識者」への意見聴取の結果がまとめられ、それが「故安倍晋三国葬儀に関する意見聴取結果と論点の整理」(PDFファイル)と題された報告書として内閣府から公表された。今回はこの報告書をざっと眺め、もう一度この「国葬儀」の問題を考えてみたい。

 この意見聴取は、主に法学(憲法、行政法)や政治学、外交史などを専攻する学識経験者、報道機関の論説委員ら二一人を対象に一〇月中旬から一二月にかけて対面で行われたとのことである。「追悼儀礼」という宗教的行為に関するヒアリングなら、宗教研究者にももう少し話を聞いて欲しかったところだが、政府としては法的問題と政治的効果の分析がやはり念頭にあったのだろう(もしかしたら、政府から打診があったが断った研究者もいたかも知れないので、人選に関し断定的なことは言えないのだが)。

 意見聴取の論点として「法的根拠と憲法との関係」、「実施の意義」、「国会との関係」、「国民の理解」、「(国葬儀の)対象者」、「経費や規模の妥当性」、「その他」の七点にまとめられている。

 百家争鳴とまではいかないが、それぞれの論点で相反する意見が提出され、今回政府としてもそれを無理矢理まとめたりはせず、国葬儀の是非や意義などについての「結論」は出してはいない。例えば「国葬儀の法律上の根拠は必要ない」という意見もあれば「このような重要事項はやはり国会で審議されるべき」という意見も併記され、「追悼の強制は憲法上許されないが、国民にお願いするくらいなら良かったのではないか」とする論者がいる一方で「国民全体で弔意を示す国葬儀は時代錯誤」という意見も並べられていた。賛成にせよ、反対にせよ、今回の国葬儀は国民を「分断」してしまったとの意識は有識者で共有されており、「逆説的だが、賛否両論を喚起したのは日本の民主主義の健全さを明らかにした」という意見すらあった。

 この報告書で興味深かったのは、ほとんどの論者が「国葬儀の対象者を決める基準は作れるか」という問いには否定的な回答をしていることである。内政、外交上の業績、在任期間などが今回には強調されたが、それとてあくまでその時の政府の主観的な基準に過ぎない。まとめるなら今回の国葬儀は、「ある人物の業績を評価して、国葬儀の対象に選んだ」というより「拙速に国葬儀の対象に選んだ後、その人物の業績を後付けで説明した」という印象が強い。別言すれば国葬に値する人物であったことを、その実績ではなく、「実際に国葬を行うこと」で証明しようとしたのが今回の政府の動きだろう。要するに順序が逆なのである。古諺に「棺を蓋いて事定まる」というが、その後に様々な問題が噴出したせいで、その蓋も覆うことができなくなった末の混乱であったと思う。

(「時事評論」『中外日報』2023年1月27日号掲載)